サンタガール日記
×ケーキの売り子さん
二一日(土)
今日からバイト先のケーキ屋さんは、店先でクリスマスケーキの販売を始めた。それに伴い、バイトの時間も長めのシフトだ。サンタガールは、ちょっと恥ずかしい。短期でバイトの子はノリノリで自撮りしたりもするけど、さすがにサンタガール歴三年目にもなるとその季節は過ぎたから。常連さんに見られると何か落ち着かないだろうなあと思っていたら、お昼過ぎに、さっそく常連さんの一人、『短髪で銀縁眼鏡の甘い顔立ちじゃない無表情さん(推定三〇代前半)』がやってきた。彼は、お店のショーケースの中身を季節限定の物も含めてほぼ食べ尽くした本気の人だ。今回、『とりあえず、苺のショートケーキ(ホール一五センチ)』と仰り、それをお買い上げになった。味次第ではまたいらっしゃるような口ぶりだった。売り出し期間は今年五日もあるし彼ならあり得る。
お昼休憩を挟んで戻る。ゆっくりペースで、今のところ予約の受け取りの方が多いみたい。
ちょっとだけ余裕があるから、通りを行く人を眺めていると、商店街の中ごろに小さなお店を構えているフレンチのシェフさん(推定三〇代後半~四〇代前半)が通りかかった。
「こんにちは」
いつも穏やかなその人が、今日もにこやかにあいさつをしてくれた。
「こんにちは」
こちらも笑顔を返す。
「忙しそうですね」
「まあ、二四・二五日程じゃないですけどね。そちらのお店も、クリスマスの予約でいっぱいですか?」
「そうですね、お陰様で」
店主の平均年齢が六〇歳オーバーなこの商店街で、うちのお店とそこのフレンチのお店は店主が若いのに商店街のイベントなどにこまめに顔を出すので評判がいい。特に、うちの店主と比べると人当たりの良い彼は、おばあちゃまたちに大人気だ。たまに敬老会の貸切りがあるらしいけど、フレンチなんか食べられるのかな御敬老の皆さん。
予約受け取りのお客様がいらしたところで「すみません、お忙しいのに。じゃあ」とさりげなくシェフさんが歩き出した。「立木さんにもよろしくお伝えください」と云って。ちなみにそれはうちの店主の名前だ。
トイレで一旦店内に入った時に、丁度裏で休憩していた店主に伝えると、「相変わらずマメな奴」と笑った。
土曜日だからか、予約の受け取りやお買い上げにお見えになるのはご家族とかカップルが多い。いいなあカップル。
今、目の前でもまた一組、かわいらしい少女漫画みたいな組み合わせのカップルの、女の子が悩んでいる。
「ううん、どうしよう決められない……」
ショートヘアのその子(多分、高校生)がそう呟くと、ダークスーツの胸ポケットに赤×白水玉のボールペンをさした彼氏さん(推定二〇代後半)が、「車の中で食べるんだから、食べやすい大きさにしておきなさい」と彼女に云う。それにしてもそのボールペン、ポップ過ぎ! 似合わなーい。隣の彼女の方が似合いそうです。
「食べきれなかったらどうしよう」
真顔で心配する彼女に彼氏は、「里香が食い切れないとか、みたことないな」と笑った。ひどーい! と怒る彼女も笑ってる。
結局、ホールではなくゼリー位の大きさの円筒形の容器に入った、苺のレアチーズケーキを二つお買い上げになった。
もしかしたら、二つとも彼女が食べるのかも。それを彼氏がからかいながら、かわいいなあって思いながら見てるのかも。いいねえ。
日が暮れると寒い。足元には電気ストーブがあるけど、それでも寒い。
夕方から少し客足が伸びた。
背の高い彼氏さん(推定三〇代)とやってきた彼女さん(推定二〇代)の指にはぴかぴかの指輪が嵌められていた。
「どれにしようか」彼氏が隣の彼女を覗き込むようにしてそう聞くと、彼女はにこっと笑って、「そっちが決めて?私はもうもらったんだし」と指輪を撫でる。
「そう? じゃあ遠慮なく」と、チョコレートケーキ(ホール15センチ)をオーダーした。
その後も続けてカップルさん(二人とも大学生って感じ)。
彼女さんが、「吉野君何食べたい?」と問えば、無口っぽい彼氏さんは「はるが食べたいので、いい」とぼそっと告げる。まるでそれが愛の言葉みたいに彼女は喜んで、「じゃあねえ、このブッシュドノエルにする、自分だとうまく作れないんだよねえうまく巻けなくて」と即答した。
彼女さん、作る人でしたか。うちのお店のはどれも美味しいよ! と背中にテレパシーを送ってみた。
それにしてもこの世の中にはカップルしかいないの? 一人身は私だけなの?上がる時にそう店主に愚痴ったら「アホか」と一蹴された。優しくない!
二二日(日)
朝から風がピューピュー。「寒かったら無理しないで着るように」と店主から口うるさく云われていることだし、お店で用意してくれてるベンチコートをもう一人の子と二人して、朝から着込んだ。
風に吹かれながら、この日一番にいらしたのは。
「ケーキ選べないよーどうしようトモトモ」
……デッカイいかついごっつい人(推定二〇代後半)が、見本の前でしゃがんで両手で頬杖ついて、本気で悩んでいた。ごめんちょっと笑い堪えるのが大変かも。そんな彼氏を冷ややかに見た彼女の『トモトモさん(彼氏と同い年くらいかな)』が、「去年はチョコクリームだったから、今年はモンブランとかにしたら?」と云えば、彼氏は「ええ、生クリームにイチゴは?」と泣きそうになる。「来年食べればいいでしょ!」とキレる彼女に、「そっかートモトモ天才!」と、今度は抱きつかんばかりの彼氏。
「人前でトモトモ云うなぁ!」と彼女は顔を赤くするけど、一人身の前でいちゃいちゃするなぁ! でございますよお客様。
ぎゃあぎゃあとじゃれるカップルが買い終えて歩き出すと、女子大生さん三人組が、ちょっと離れたところで何を買うか相談してるのが見えた。
「美智佳ってどーゆーの好きだっけ」
「あの子甘いのだったら何でもバッチコイじゃなかった?」
「そうそう。『私の血には生クリームが流れてる』とかバカなこと云ってるよね」
三人がその時のことを思い出してか、笑ってる。
「『イチゴって好きー』って云ってたからこれ買ってこうか」と、苺のショートケーキ(ホール一八センチ)をお買い上げ下さった。『美智佳さん』、愛されてるなあ。
その人たちを見送っていたら、無口で大人しそうなOLさんの常連さん(推定二〇代前半)が「ケーキ、引き取りに来ました」ってやって来た。いつもと違って、どこかふわふわぽーっとしているその人は、引換証を私に渡すと、ケーキの入った箱を受け取らずに帰ろうとしてしまう。
「ケーキ! 忘れてますよー!」
慌てて呼ぶと、シャボン玉が弾けたみたいにハッ! と彼女はこちらに戻ってきた。
「す、すみません……」
「珍しいですね」
どうぞ、と今度こそブッシュドノエルを手渡せば、「……先日、ちょっとしたトピックがあって、それで浮かれてるんです」と顔を赤らめた。トピック、ねえ。
お客様なので友人みたいに聞くみたいにしつこく聞いて回ったりできないのがもどかしい。まあ、でもいいか。見てれば分かる。うっすらと、楽しい余韻を纏って、何かを思い出してか笑ってるもんね。
それにしても寒いよー。
お昼、近くのコンビニに駆け込んでおでんを買った。大根とじゃがいもとこんにゃくを休憩スペースで食べていたら、通りかかった店主が「うまそうだな」って云うから「うまいですよ、でもあげませんよ」と手でフタしながら云えば、「けちな奴だ」と捨て台詞を吐かれた。キーッ!
午後には、よく旦那さんがうちのケーキをお買い上げ下さる近所の新婚さん(推定三〇代前半)がやってきた。悩む奥さんに、「全部買えばいいよ」と云う旦那さんと、「駄目だよ! そんなの食べきらないよ、うち二人なんだからね!」と慌てる奥さん。冗談だと思うよ、奥さん。なかなか選べない奥さんに旦那さんは、「煙草吸って来るからその間に決めといて」と告げて喫煙ゾーンのある商店街の奥へと歩いて行った。その姿に見惚れてないで、早く決めるといいよ、奥さん。
旦那さんが帰って来ると、「きめた。これ」と指差したのはモンブラン(ホール一五センチ)。おや、という顔をする旦那さんの手を繋いで、「これ好きでしょ?昨日いっぱい、飾り付け手伝ってくれたから」と理由を告げると、旦那さんが黙って手を握り返す。やめて、熱いから。クリーム溶ける。
夜になってようやく風がやむけど、やっぱり寒い。
そんな中やってきたのは、大人ぁ、な男性(推定四〇代前半)とかわいらしい彼女さん(推定二〇代後半)。手なんか繋いじゃって恋人丸出しなくせにですますでしゃべる彼女が、ここのはどれもおいしいんですよ、ってかわいい声で恋人に教えてる。云われてるこっちも嬉しいな。
お二人は赤い実のフルーツばかりがどっさり乗ったタルト(ホール一五センチ)をお買い上げ下さった。
仕事を上がってから、まだ厨房で作業をしている店主に、「熱いカップルさんが多くて、クリーム溶けちゃいそうでした」と云ったら「溶けるか、バカ」と返された。きつーい。
二三日(祝)
開店と同時に、例の『短髪の銀縁眼鏡の甘い顔立ちじゃない無表情さん(推定三〇代前半)』が早くも再びご来店。もう食い切っちゃったんですね……。そんな彼は、今度はチョコレートケーキ(ホール一五センチ)を迷わず購入。えっとまさかそれも一人で食べないよね? ね? 聞けなくて怖い。
続けて、私と同い年くらいの女の子(大学生かな)が、「ちびっ子が喜びそうな、ライダーとか何とかレンジャーのケーキってありますか?」と聞いて来たけど残念ながらうちの店にはない。確か、近くのスーパーにはその類のケーキ(と云ってもキャラクターがプリントされたチョコレートがペロッと一枚乗っているとか程度のもの)がある筈と一応詳細も合わせて教えると、「ありがとうございます」って奇麗なお辞儀をされた。「今日、小学一年生の甥っ子が来るんですよ」とニコニコするのでこっちまで嬉しくなる。
三〇分後ぐらいにさっきの子が戻ってきて、ケーキが入っているっぽい、マチが深―い紙袋を少し上げて見せてくれた。よかった、買えたんだね。いつかここのも食べて下さーい。と云う気持ちも込めて、こちらもペコリとお辞儀した。
休憩から上がるとギャルっぽい女の人(推定二〇代前半)が、「イチゴのショートケーキを一ピース」と注文している途中で携帯が鳴った。「ごめんなさい」と断って、脇に寄って携帯のディスプレイを見ていたその目が、まん丸くなって、それからとびきり嬉しそうになった。やや乱暴に携帯をバッグに戻すと、「すいません、さっきのやめて、チョコレートケーキ、ホールで!」と一八センチのそれを注文された。何かいいことでもあったのかな。ヒールの足が、今にもスキップしそうだ。見送った先に、デッカイ男の人が彼女を待っていて、ああ嬉しいの元はこの人かと納得した。
さすがにだいぶ忙しくて、寒さを感じる暇もなかったから逆に良かったと、上がる時に店主に云えば、「無理すんなよ、腰にちゃんとカイロ貼れよ、カイロ」と余計なお世話を焼かれた。
二四日(火)
ずっとプンラー(オープンからラストまで勤務のシフトのことをこのお店はそう云うのです)だったけど、今日は平日だし短期の子も多めにいるからと云われて、午後イチからのシフト。午前中は、ちょっと足を延ばして都内のデパートに行く。やっぱり全然違くって、街も人も洗練されてるなあと思う。でも、私は地元も好きだよ。
いつも行くデパートの寝具売り場でローラアシュレイのカッワイイ枕カバーを姉用に買った。プレゼント包装を頼んだら売り場のお姉さんはちょっと嬉しそうにお包みをしてくれた。タオルじゃなくて自分の担当する寝具でクリスマス包装を頼まれることがあまりないから嬉しいとのことだった。紳士服売り場で父の靴下、婦人服売り場で母にタオルハンカチを買い求めた。
それから、せっかく来たので宝飾品のコーナーにも行ってみるけれど、壁で区切られている高級なお店には恐れ多くて足を踏み入れられなかった。せめて目の保養をと、ガラス越しにディスプレイされていた商品を覗き込んでいたら、同じように隣で無精髭の猫背の男の人(推定四〇代前半)が難しい顔で覗き込んで、そのあとふらりと中に入って行った。あんまりこう云うブランドブランドしたとこに縁のなさそうな感じの人だったけど、きっと彼にも高いと思われる敷居をひょいと越えて入っていくあたりさすが大人だ、とヘンに感心してしまった。
クリスマスの買い物が済むと横の通りに行って、デパートの向かいの本屋さんで楽しみにしていた文庫を買う。
黒縁眼鏡の背の高い店員さんが、「クリスマスプレゼントです、よろしければ」とお手製っぽい栞を手渡してくれて、ちょっと得した気持ちになった。
地元に着くと、駅のあたりで地元では超有名人の、プロ入りが決まってる高校球児とすれ違った。さすがにデッカイ!もはや壁だよ壁。隣にいるのは彼女ちゃんかな? 対照的に小さくて、かわいいぞ。
一旦家に帰って荷物を置いてからバイト先へ行けば、もうそこは戦場だった。ひゃー。
着いたとたんに最前線に送られた。さすがは二四日、弾薬の代わりにケーキを補給しても補給しても、どんどん消えて行ってしまう。でも、予約の引き取りの方もお買い上げの方もにこにこと買っていかれるのはやっぱりいいな。どうぞ楽しいクリスマスをお過ごしください。私の分まで。
夕方がピークで、だんだんに落ち着いてきた。その頃合いで、ちょっとずつ休憩を回す。
あっという間に暗くなった空を見て、手にはーっと息を吹きかけ温めた。
討ち入りにでも行くのかと云うような張りつめた顔をして駅の方から来た男の人と女の人(双方とも推定二〇代後半)を時間差で見た。と思ったら、数時間後その二人が商店街の方からやって来た。手を固く繋いで、今度は駅の方へと歩いていく。男性は嬉しそう、女性は顔が真っ赤。男性はにこにこしながら「七瀬、ケーキでも買う?」と女性に声を掛けるけど、女性の方は「今、腹いっぱいだっつーの」とかわいい顔で乱暴なことを云う。 なのにやっぱり男性は「そうか」なんて云って嬉しそうだった。
店頭販売終了間際に、ショートヘアの、女子アナみたいに女子力の高そうな女の人(推定二〇代前半)がやって来て、にこにこと「一番大きいケーキ下さい!」と元気よく注文してくれた。
一八センチのホールのケーキはもうチョコレートケーキしか残っていなかったけど、「うん、それもらいます」と快諾して下さった。ケーキを渡す時に目が合うと、その大きな目は真っ赤。少し照れたように「振られたから、やけ食いしちゃおうと思って」と云う彼女を振った男はどんな人なんだろう。見る目ないなあ。うちのケーキで幸せになって、元気出して次の恋に行っちゃってください。
閉店してもすぐには帰れなくって、少し遅くなった。店主はだいぶお疲れだ。目の下のクマが酷いことになってる。弱ってると憎まれ口が出なくてキモチワルイから休憩時間にコンビニで買った栄養ドリンクを差し入れしたら、「……おう」と片手を上げての返事が来た。おうってなんだよ、おうって。ありがとうとか云えないもんかな、まったく。
一〇時過ぎにやっと店を出ると、通りの前の方を歩いているカップル(遠めでよく分かんないけど、二〇代前半かな)が手を繋いでてなんだか羨ましい。いいなあー。
駅の向こうのバス停を目指す。跨線橋の上で、ダッフルコートの男の子(多分高校生)とOLさん(推定二〇代後半)がハグしてて、ドラマみたいで素敵。と思ったら突然OLさんが線路に向かって愛を叫んだのでビビった。
二五日(水)
いよいよ今日でクリスマスの売り出しはおしまい! という訳で、最終日も頑張ります。
ピークはやはり昨日の夕方だったようで、比べるとだいぶ落ち着いてる。って云っても二三日までより全然忙しいけど。
昼間は引き取りの方(ママさんと、小さいお子さんの組み合わせ多し)が多かったけど、夕方や夜はお勤めの後の人の引き取りとお買い上げが半々みたい。
五時を回った位の時間に、黒髪をいつもピシッとお団子にしている常連さん(推定二〇代後半)が見本の前で「どうしよう、決めらんない」と迷っている。いつも隙なく背筋がピンとしていて憧れなのです。迷っている姿さえ美しい……。
その方は、色とりどりの果物が乗ったタルト(ホール一五センチ)を選ばれた。
「彼氏さんと、ですか?」
私がタルトを入れた紙袋を手渡しながら云うと、「一人で食べてストレス発散よー」と笑う。
「……でも、そのうち一緒に食べるかも」と、嬉しそうに呟いたのを聞き逃さなかった。
「またのご来店、お待ちしてます」と含みを持たせて云えば、いつもはエレガントなその人がいたずらっぽく指をピース、ってした。
店の駐車場に車が止まったな、と思ったら、男性(推定二〇代前半)がゆっくりと車を降りて、ゆっくりと助手席のドアを開けた。ちっともそんな風に見えない感じの人なのに、どこか優雅だ。
そして出てきたのは、派手に怪我した女の人(同じく、推定二〇代前半)。彼氏さん? に連れられてやってくる。
まさかDVじゃないよねとか疑ってしまう自分が嫌。だってその人デカいから力ありそう。マラソン選手みたく痩せてるけど。
ちょっとドキドキしながら見守った。
「どれがいいの」と彼氏が聞けば、「どれにしようかなあ」と彼女がのんびりと云う。
「早く決めろよお前」
「そう云ってもさー、母さんはモンブランがいいって云うし、父さんはショートケーキがいいって云うし困ってんだよねえ」と、あんまり困ってないように云う。大きく頬に貼られたガーゼの上から、考える仕草の手でそこを押さえては、イテ、と呟き、彼氏を心配させている。
「で、お前は何が食いたいの」
彼氏さんに聞かれて、ようやく彼女は「モンブランかなあ」と答える。
「じゃあそれにしろよ」
「そうだね。すいませーん」
ああ、この様子ならDVじゃないね。ごめんね彼氏さん疑ったりして。
彼女が買ったケーキを彼氏さんが持って、また助手席のドアを開けて、彼女の膝に乗せてドアを閉めて、ゆっくりゆっくり運転席に向かう。きっと怪我してなくてもいつも面倒見いいんだろうなあ。
七時を回る頃、カートを引きながら歩く男性(推定三〇代後半)が、足を止めてちらりとケーキを見て、それからまた歩いて通り過ぎて行った。お疲れの御様子のその人。早くおうちに帰るといいよ。
今日のトリはこの五日間で三度目のご来店になる『短髪の銀縁眼鏡の甘い顔立ちじゃない無表情さん(推定三〇代前半)』。どうしよう、某巨大掲示板で「ネタだろ」って云われそうだけど本当なんです。
それにしてもいくら小ぶりだからって、五日間でケーキをホールで三つ食べるって! ダイエッターの敵め! でもいつもお買い上げありがとうございます。嬉しいです。
美術品の真贋を確かめるみたいに、じっと見本を見て、そして色とりどりの果物が乗ったタルト(ホール一五センチ)をやっぱり無表情で頼んで、そして無表情で受け取って、「どうも」と案外優しい声で云って、その人は帰って行く。
何度見ても彼の指には婚姻の事実を示す証はなかったけれど、甘いものが大好きな奥さんと大勢の子供がいるからあんなに頻繁にお買い上げ下さったのだと、そう信じたい。どう見ても身軽だけど。
さて、店じまいだ。
いくつか余ったケーキを、持って帰ってよくなった。皆でじゃんけんして、それぞれ希望のケーキを自分のものにする。私は三番目だったけど、最後でいいよって云った。
「せっかく好きなの選べるのにいいんですかあ?」って短期のアルバイトさんが云うけど、構わないよ。全部好きだもん。
私のところに回ってきたのは、モンブラン(ホール一五センチ)だった。
皆で、お疲れ様でしたー、とか、また来年も一緒にバイトしてねとか声を掛け合って、一人二人上がっていく。
私が最後になった。
ケーキのお礼を店主に一言云ってから上がろうと思って、厨房やらお店やら覗いたけどいなくって、休憩スペースに行ってみたらそこで討ち死にしている店主を発見した。
ばったりと両手を前に投げ出して、テーブルに突っ伏す店主。
その人をちょっと眺めて、ピクリとも動かないのを見て取ると一歩、二歩と近付き、そして「……お疲れ様でした」と小声で云って、小さい子を褒めるみたいに頭をこっそり撫でた。
投げ出した手の間にプレゼントを置いて、そーっと離れようとしたら。
――信じられないくらい俊敏な動きで手が動いて、私の手首を掴んだ。な、何ですか! 人が折角秘密裡に済まそうとしていたのに!
「……もっと」
突っ伏したまま、掠れた声で請われた。
「え?」とパニック状態のまま聞き返すと、「頑張った俺に、さっきのもっと……」と云う間に、声がどんどんゆっくりになり、そして寝息が聞こえて、取られた手首から手がごとんとテーブルに落ちた。
「……立木さん、ほんとにお疲れ様でした。ゆっくり休んでくださいね」
御所望通り、頭を撫でた。
ひとしきり撫で回して、それから普段は云えないことを云う。寝ていなきゃ、本人になんてとても云えない。
「いつも、おいしいケーキをありがとうございます。……大好きです」
もし万が一、実は起きていて、それを聞かれていたとしても、ケーキとも本人とも、どっちともとれるように云うあたりどんだけ臆病なんだろう自分は。
いつかちゃんと云えるだろうか。立木さんは、意地悪云わないで受け止めてくれるだろうか。
云いたいことを全部云って、満足したので今度こそ離れた。
休憩室を出る時に、「……おう」と小さく聞こえたような気がしたけど、やっぱり立木さんは両手を前に投げた形でテーブルに突っ伏していた。
あとで立木さんの携帯に電話をしてちゃんと起こさなくっちゃ、と思いながら店を出る。
あの『おう』は何だったんですか? ってその時に聞いてみよう。
知らん振りされたら悲しいし、いじられたらやっぱり悲しい。
だから、たまには素直に答えを下さいね。せめてクリスマスくらいは。
そうしたら私も『いつか』じゃなく、今、勇気を出して、きっと気持ちを差し出せるから。
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13/12/27 誤字脱字等、一部修正しました。
13/12/29 誤字修正しました。




