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ずるいひと

会社員×会社員

「ねえ、私の家って資産家じゃないし、私も貯金とかないんだけど」

「……ええと、別にそんなこと、俺は求めてないよ」

 指先を、ちょこっと指先で包まれる。

「それに美人でもない」

「そうかもしれないけど、俺は好きだよ君の顔」

 頬を、ちょんとつつかれる。

「面白いこととか云えないし」

「そう思ってる君が面白いよ」

 頭をいいこいいこされた。

「人ごみ苦手だから、流行スポットとか行けないし」

「俺も苦手。裏通りとか、公園とかいっぱい行こう」

 やくそく、と指切りを強制的にされた。

「車酔いするから、あなたつまんないかも」

「より一層、安全運転を心掛けるよ」

 ハンドルを握るゼスチャー。

「あとは?」と、優しい目で促された。

「……香る柔軟剤とか、香水、苦手」

「俺も。気が合うね」

「でも、お香の匂いとルームフレグランスがうっすら漂うお部屋は、好き」

「じゃあ今度買いに行こう」

 もう一つ約束、と指切り。私からも、おずおずと指を絡めた。

「うるさいのは嫌い。音楽聞くのは好き」

「うっすら?」

「そう、うっすら」

 分かってもらえるのが嬉しくて、笑いかけたら笑い返してくれたから、もっと嬉しい。

「お酒は何が好き?」

 あなたが色々挙げてくれたけど、居酒屋にあるものくらいしか飲んだことがない。

「いっこずつ、試そう」

 あなたにそう云ってもらって、私から約束、と絡めたままだった指をきゅってした。

「あとは?」

 絡めた指を口元に持って行かれる。乾いたくちびると、指にかかる息。

 不意打ちの攻撃に言葉を失っていたら、「降参?」ってあなたが囁く。だいぶ降参だけど、意地だけで首を横に振る。力なく。

「がんばるね」

 唇から離された途端、ようやく息が出来る。――ずるい、こんなの。睨んでるのに笑わないでよ。

「弄ばれるの嫌い。大嫌い」

 云いながら、体育座りのままずりずりと横移動する。でも、すぐそこは壁だった。

「そんな風にするつもりはないよ」

 移動した分だけ、あなたも同じに動いた。それ以上追い詰めないあたりに、温情と余裕を感じる。

「からかわれるのも嫌い」

 ふんて壁の方を向いた。

「そんなつもりじゃないよ」

 こっちを向いて、とお願いされたから、半分だけ聞いてあげることにして、正面を向く。ホテルの分厚い白いテーブルクロス越しには、あんなにまばゆいシャンデリアの光も、シックなクリスマスツリーの電飾も、ここには届かない。でも真暗闇でもない。床からクロスの端までのほんの数センチの隙間から光が射しこんでいる、テーブルの下の居心地の良い薄闇に私たちはいる。

「横顔も、かわいい」

 鼻先をちょんとされた。

「――だから、どうしてそう云うこと云うの」

 ほとほと困り果てた。

「全部伝えたいから。今、俺が分かってる君の好きなところ。――もう、いいかい?」

 片足は投げ出して、片足は立てて。立てた膝を抱えた腕。覗き込む顔は笑ってる。スリーピースを身に纏った大人の男の人なのに、そうしていると子供みたい。

「まだ」

 まあだだよ、と返せる余裕はない。

「がんばるね」

 苦笑された。

「……面倒くさい女だから、私、多分」

「俺、面倒見いいよ。まかせて」

 V、ってした指は長くて関節がごつごつ。私の指と全然違う。

「こんなの、慣れてないし」

「俺だって、いつでも誰彼かまわず声掛けてるわけじゃないよ」

 ほんとに? すごく慣れていそう。こんな、クリスマスのパーティーだとか、赤の他人とその場だけのノリでそこでだけ仲良くするとか。

 そう伝えたら、「まあ、仕事柄出る機会はそこそこあるし、パーティー慣れはしているけど、だからって刹那的に肉体関係を結ぶとかないなあ」

 明け透けに云われて、顔が赤くなる。

「そこまでは聞いてない」

「そう? でも大事なことでしょ。とにかく、そんなつもりはほんとにないから」

 ふざけた様子を全部引っ込めて、あなたが真顔になる。体勢を変えて、緩く胡坐を組むようにして。

「君を一晩のお遊びの対象にしたつもりもないし、詐欺の対象にしたつもりもない。ついでに云えば愛人にも二番目にするつもりもない。一番で、たったひとりだよ。――まだ、不安?」

「だって、」

 ――私たち、ほんの数時間前までは知らない者同士だったのに。


 たまたま代打で頼まれた、チャリティーパーティーへの出席。

 ――会費はもう払ってあるし、勿体無いから行ってもらえると助かるんだけど。

 尊敬している同性の上司にそう頼まれたら、予定もないのに断れやしない。一人でのこのこやってきて、不慣れなパーティー会場で、着いたとたんに泣きたくなった。社交的で社外にたくさんつながりを持つ――このチャリティを企画した人もそのうちの一人――上司なら、一人で来ても知人がいるだろうし、もしいないとしても初対面の人とすぐに打ち解けて楽しめるだろう。でも、自分はそうじゃない。


 ――このパーティーの会費は、諸費用を除き途上国の子供の為のワクチン代になります。

 恐らく主催の長の挨拶だろう言葉をBGMのように聞きながら、スピーチの後に乾杯したら、もうここを出ようと決意した。

 程よい長さでスピーチが終わり、シャンパンを飲み干す。――おいしい。

 こんなにおいしいならあと一杯、何かお料理を少しつまみながら飲みたかったなあとちょっとだけ名残惜しい気持ちでテーブルにグラスを置き、逃げようとした。

 そしたら、同じテーブルの隣にたまたまいたあなたが「あの、これ二つもらってしまったので、よかったら一つ飲んでもらえませんか?」ってシャンパンを差し出してくれた。

「いいんですか?」

「おいしいうちに、是非どうぞ」

 いたずらっぽく微笑まれて、ちょっぴりホッとして、嬉しくもなった。

 人と話すのは苦手だけど、人が嫌いな訳じゃない。折角普段の自分とは縁のない世界――一流ホテルのパーティールーム、立食パーティー、素敵なたたずまいの紳士淑女が沢山いる所――にやってきて、泣きたくなりながらも心は密かに躍っていたのだ。楽しむことは出来なくても。

 明日上司に「昨日はどうだった?」ときっと聞かれる。その時に、バカ正直に楽しくなかったと云ってしまう程子供ではない。でも、楽しかったと嘘を吐くのはせっかくの機会をくれた上司に悪いなと思っていたから、素敵な男性からシャンパンを戴きましたと云うのはいいトピックになる。

 その人の笑顔を思い出して笑っていたら、「おいしそうに飲む」とほほ笑まれた。

「おいしいです。それに、もう一杯飲みたいと思っていたから、嬉しかったです」と伝えると、不思議そうな顔をされた。

「なぜ、もう一杯だけ? まだ飲みたいのならおかわりすればいいのに」

「……もう、帰ろうと思っていたので」

 そう申告すると、「――連れがいなくて、慣れていないパーティーは楽しくないでしょうからね」と、少し私を観察しただけで完璧に状況を読まれた。

「お料理は?」

「まだ、一口も」

 それも素直に伝えてしまう。すると、「俺のおすすめをよそってきてもいいかな?このホテルのパーティーの料理は、結構おいしいんですよ」と食べ慣れているような言葉が返ってきた。嫌いな食べ物もないし、その言葉に甘えてお任せすることにした。

 ラザニアも、マグロのカルパッチョも、生ハムもパンも、本当に全部美味しくて、あんなに緊張していたのが嘘みたいにパクパク食べてしまった。それを、取ってきてくれたその人はにこにこしながらグラス――いつのまにやら赤ワインに変わっていた――を傾けて、見ている方が食べるよりもずっと長かった。

「俺のことは気にせず。元々、酒が入るとあまり食べないんです」と、何とも絶妙なタイミングでフォローのような言葉が投入される。

 タイミングのいい人なんだな、と思った。

 シャンパングラスを渡された、そのきっかけのタイミングにしても、食べ物をすすめるタイミングにしてもそうだ。

 こうして食べながら話していて、すごく自然にあなたは私の言葉を拾い上げて、おしゃべりを続けてくれる。喋り倒すでもなく、さりげなく。大人だからかな? それとも、人柄?

「初めてお会いした人と、こんなに楽しくおしゃべりできたの、初めてです」

 嬉しくてそう告げると、「俺も」と意外な言葉が返ってきた。

「またまた」

 お世辞だと思って流したら、「いや、ほんとに。――なんていうか、こう」

 あなたは少しの間言葉を探して、「タイミングがいい、気がする」と独り言のようにぽつりと云った。

「私もそう思いました、『この人はなんてタイミングがいいんだろう』って」

 また嬉しくて、珍しくはしゃいでしまう。

 そんな私を見てあなたは目を細める。

「じゃあ、タイミングのいい俺たちは、ちょっと移動しよう。邪魔が入りそうだ」

 そう云って、ぱぱっと周りを見回して、壁際に置かれていた円卓のテーブルクロスをめくり、忍び込んだ。

「こどもみたい、こんなの」

 私が小声で話すと、「ほんと、バカみたいだ、俺なんかいい年して」と可笑しそうに笑う。

 ああ、その顔が好き。

 気が付いたら、自然にそう思っていた。

「そう云えば、邪魔って?」

「向こうから知り合いが来た。話の長い奴で、そいつに捕まってる間に君が逃げたらやだなと思って」

「そんな、逃げるだなんて」と慌てるけど、そう云えば私逃げようとしていたんだったと思い出した。

「ね? 思い当たる節があるでしょ?」

 また笑われる。そうされるたびに、一つ、心が嬉しくなる。


 テーブルの下でようやく自己紹介をし合った。

 あなたが云う『話の長い奴』は、このパーティーを主催する団体の事務局長で、あなたの高校時代の同級生。私の上司はその事務局長の知り合いだった筈。そう教えたら、「じゃあ、その上司の人に俺は感謝しなくちゃいけないな」と云われた。

 分からないでいると「君に会わせてくれたから」と分かり易く告げられた。――さすがに、意味が通じた。

「えっと、あの、」

「大丈夫、落ち着いて。別に今ここで取って食べたりはしないから」と宥められた。

「――まあそれはおいおい」

 何か今怖いことを聞いたような。

 一瞬見せた捕食者の顔を上手に引っ込めて、私が好きだなって思う顔で笑ってみせる。――ずるい。まんまとどきどきしてる、私。

「回りくどい云い方はしない。――俺の、恋人になってください」

「どうして」

 人ってほんとにこういう時、こう云うんだ。なんて、思った。

「好きだから」

「まだ、そんな風に云ってもらえるほど分かってないと思うんですけど、お互い」

「なら、教えて? 俺も教えるから」

 ああ、ずるい。結局いいようにリードされてる。『まんまと』って、あなたのためにあるような言葉だ。くやしいから、そんな風に思ってないくせに『資産家じゃないし』だの、あなたを疑うような言葉で始めた。


『まんまと』乗せられて、あれが好きとかこれが嫌いとか云って、俺も好きと云われればそのたびどきどきして、約束が増えれば増えた分だけつながりがあるように錯覚する。

 だめだ。こんなの、きっとまやかしだ。

 私は非日常のシチュエーションで酔っている。明日になったら馬車がかぼちゃに戻るみたいに、きっといつもの私に戻る筈。

「だめだよ」

 冷静になれ自分、と思っていると不意に咎められた。

「怖いのは分かる。でも、俺だって怖いんだ」

「――あなたが?」

 あなたみたいに何でも持っていそうな、何でも知っていそうな人が怖いことなんてあるの?

「今、君に逃げられたら怖い。運よく繋がったとして、気に入られなくて手放されたら怖い。『年の差なんて埋められる』って云えるほど若くないから、ジェネレーションギャップはやっぱり怖い」

 それも明け透けに云う。しかもそれは、こっちが逃げる理由にしようとしていたものと同じだ。

「タイミングのいい相手を手放して、次にいつ巡り合えると思う? 一生ないかも知れないよ。しかも自分以外のそんな相手がいたらと思うと胸糞悪くない?」

 そんなフランクな文言で、ダイレクトに気持ちを表す。うん、でも、本当にそうだね。


 年上の人とのお付き合いはよく知らない。そもそも人との社交さえよく知らない。そうカミングアウトすれば、「俺を練習台にすればいいよ。踏み台でもいい、存分に使ってくれ」なんて云われた。

「練習台にも踏み台にもしないよ」

「――どうしても、俺では君に釣り合わない?」

 落胆した声。あ、初めて私があなたに勝てたかも。でも、そうじゃないよ。

 ゆっくりと、震えないように噛まないように云う。

「私の恋人になってくれる人を、そんな風に出来る訳な――」

 云い終る前に抱き締められた。

「――本当に?」

 肩口でうん、と頷く。

「嬉しい。仕事で大事なプロジェクトを一つやっつけた時くらい、嬉しい」

 うーん、それはよく分からないな。私はただの事務屋だし。

「変な意味じゃなく、早く君とちゃんと繋がりたい。連絡先を教えてくれる?」

 もちろん、とさっそく赤外線通信。

「ああ、俺浮かれてる、だめだこんなんじゃ」

「だめなの?」

「そう、だめなの」

 かわいいな。ちゃんと聞いてないけど多分ずっとずっと年上のあなた。だって、『話の長い同級生』は、オジサンだった。でもあなたはちょっとちがう。ダンディさん? こんな風に思うのも惚れた欲目?

 もうなんだっていいや。好きは、好きだ。それ以外の何ものでもない。


 こんな風に出会えるなら、ワンピースを着てくればよかった。仕事着のパンツスーツじゃなく。

もっとかわいい自分を見て欲しかったからそう告げると、「でも俺は、君のその姿に惚れた訳だし、いいと思う、似合ってるんだし」とあっさり今の自分を認められてしまった。

「次に会う時まで、楽しみに取っておく、君のワンピース姿」

 しかも、ちゃんと着たかった気持ちさえ掬い上げてくれる。『まんまと』嬉しくさせられてる。


 ずるいひと。こんなに好きにさせて、あなたなしでは生きられないようにされる予感でいっぱいだ。

 でもずるくてもいい。私が欲しいタイミングで欲しいことを叶えてくれる人だから。

 あなたにとっても私がそうならいい。――あげられる『物』は、比べたらきっと上等じゃなくても気持ちは対等に。


 ステージで歌手がクリスマスソングを歌い出し、会場の灯りが落ちたのを見計らって、何食わぬ顔をしてテーブルの下から立ち上がった。すっと差し出された手に手を預けて、最初からペアで来たみたいに。私一人なら挙動不審になっちゃうけど、慣れたあなたがしれっとしているから、私も平気でいられた。


『恋人が、出来ました』

 ――明日、上司に報告出来るのは、嘘でもちょっといいでもなく、とびきりのトピックになった。



続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/18/


13/12/27 誤字脱字等、一部修正しました。

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