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カウントダウン・ベイビー(前)

バーのマスター×大学生

「寂しい。ヤダもう。誰もあたしのことなんか、好きになってくれない……」

「ソンナコトナイヨー。ワカナハトッテモカワイイヨー」

「誰も抱きしめてくれない……」

「ダイジョウブダヨー」

「誰も女として見てくれない……」

「ソンナコト……ああもうウザいなあ! 若菜(わかな)! ウダウダ落ち込むのやめて! 暗いのがうつる!」

麻友(まゆ)ちゃんが冷たい……」

「マスターこいつ何とかしてよ」

「俺が?」

 あ、マスターの、声。

 カウンターで俯せていたあたしの耳に、そのいい声が飛び込んできたから、耳、幸せ。


 一年前に振られた。

 ほっとかれるの苦手で、彼氏には甘え倒したい方。目が溶けるんじゃないかって思う程泣いたら悲しい気持ちが冷めるのはあっという間で、振られて一週間もするともう彼氏が欲しくなった。

 でも、学校でもサークルでもバイト先でも教習所でも合コンでも、きっかけも出会いもフラグも何もなかった。なあんにも。


 ――要らない存在、なのかな。

 飲み過ぎて悪い方に思考が転がって、絡み酒になった。

 いつも麻友ちゃんと二人で行く小さな飲み屋のようなバーのようなそこで、やらかした。麻友ちゃんは最初っからおざなりな慰めをして、いきなりキレた訳じゃない。最初の三〇分くらいは頑張って励ましてくれていたんだけど、何を云ってもあたしは悪い考えがループしてるって気が付いて、実のない言葉になったってだけで。

 マスターも他の常連さん達を接客しがてら、心配そうにあたしを見ていた。

 ああ、駄目だなあ……散々、麻友ちゃんやマスターや、周りの人に迷惑かけてばかりだ。

「――若菜ちゃん、起きてる? 大丈夫?」

「だいじょぶじゃない、駄目、酔ってる」

「大丈夫そうだね」

 酔っていても大丈夫な時ほどダメって云うし、べろんべろんな時ほど大丈夫って云う、面倒くさいあたし。でもその面倒くさい癖でマスターは大丈夫だと判断したらしい。今日の感じだと、悪い呑み方した割に記憶はありそうだ。

「大丈夫ならほら、起きて」

 その低い声と、大きな手で揺さぶられた肩。右肩、幸せ。だって久しぶりに誰か男の人に触ってもらった。でもこれじゃ足りない。もっと、

「触られたい……。」

 呟いてみれば、マスターの揺さぶる手が止まった。

 あ、そうだ。いいこと思いついた。

「クラブ行ってこよう、そうしよう」

 この界隈にはコンビニくらいクラブが乱立している。ここから最寄りは表に出て三〇秒の距離だ。

 ふらふら立ち上がろうとすれば、両肩に大きな手を置かれて、強く上から押さえられた。――左の肩も、幸せ。

「行って、どうするの」

 質問のふりして、怒ってるマスターの声。

「ナンパされてくる―」

 いかにも一晩限り! って感じでも、行けば大体いつも声はかけられるから。いつもは躱すけど、今、その一晩でもいいから欲しい。

「だーめ」

「なんでー」

「どうしても」

 やーだーとかはなしてえとか騒いでいたら、呆れ果てた麻友ちゃんが「タバコ買ってくるから、若菜黙らせといて」って外に行ってしまった。


「何でそんなに焦ってるの。若菜ちゃん、まだフリーになって一年だろ?」

 まだじゃない、もうだよ。もう一〇月なのに、恋の予感すらないんだよ。

「……だって、誰かに甘えたいんだもん。ぎゅーってされたいし、かわいいって云われたいし、クリスマス一緒に過ごしたいし、」

 スノボ一緒に行きたいし、年越しのカウントダウンのキスだってしたいし、バレンタインだってホワイトデーだってお花見だって、とにかくいっぱい一緒に過ごして一緒に遊びたい。

 この、べったべたな甘え体質なのがいけないのかなあ。

「クラブで声掛けてきてロクに避妊もしない、一回抱いてポイ捨てするような男が、そんな事してくれるわけないだろ」

「そうじゃない人もいるかもでしょ?」

「いるかもしれないけど、でも駄目」

「だって、一晩だけでもいいから優しくされたいんだもん……」

「一晩で、いいの? ほんとに?」

 上から押さえつけていた手は、肩のまぁるいところを包み込むようにふわりと置かれている。……いつもにこにこしているマスターが、怒ってる。そうするとすっごいおっかない顔なんだね。

 あ、何か涙出てきた。

「やだ」

「じゃあ、どうする?」

「マスターにいい男紹介してもらう」

「――俺は、紹介できないなあ」

「じゃあ常連さんにお願いする」

 そう云って、狭い店内にいる数名の男性客を見れば、こぞってふるふると横に首を振られた。

 あ、また涙出てきた。

「……やっぱりあたしなんか」

「って云うの、やめない?」

 マスターが珍しく人の言葉をぶった切った。

「今の若菜ちゃんがいいと思ってる男に、それ失礼じゃない?」

「だってそんな人いないし」

「いるのかもよ。声を掛けるタイミングを探してたり」

「いないよ、いたら喜んで付いてっちゃう」

「そんなのは駄目」

 何を云っても否定されて、また涙が出る。

「じゃあ、どうしたらいいかマスター教えてよ」

「教えません」

 かちん、とガスのコンロを付けた音。それからマスターが戻ってきて、あたしの前に肘を付いて目線を合わせてくれる。のっぽさんがするから背中をうんと屈んで、真冬なのに襟ぐりが大きく開いた長そでTシャツを着るマスターの鎖骨が綺麗に見えて、潤んだ眼のまま見惚れてしまう。

「そんなもの欲しそうな目で、好きでもない男の体を見るのも駄目」

 見せつけておいてそんなことを云う。だからあたしも、つい子供っぽく膨れてしまう。

「駄目駄目って、駄目ばっかり」

「そうだね、でも、若菜ちゃんが自分で考えないといけない事だからね」

 出来の悪いくせにやる気もないコに勉強教える教師みたいね。諭すような、でも押しつけがましくないマスターの態度、甘やかされてるみたいな気がして、幸せ。

「誰でもいい、は一番駄目。好きって云ってくれるだけで付いていくのも駄目。じゃあ、若菜ちゃんはどうしたらいいと思う?」

 しゅんしゅんとお湯が沸く音がする。この音は実家を思い出すから、幸せ。

 かちんと火を止めたマスターが背を向けて、カップを取り出している。グラスもマグカップも、マスターが選び抜いた素敵なものばかり。薄―いワイングラスは乾杯するとすっごいいい音だし、マグはファイヤーキングを始め、どれも優しい雰囲気なのがすっごくいい。

 今日は、万年筆のインクみたいな黒に近い紺に、白いラインが入ったマグ。ティーポットの次に暖め用のお湯を注ぐ。その手間暇の掛け具合がまた、幸せ。


 指の付け根がごっつごつのマスターの手に見惚れながら、――見惚れちゃ駄目って云われても目が勝手にいっちゃうんだもん――考えた。

「……自分が、ちゃんと誰かを好きにならないと、駄目?」

「正解」

 笑いながら横を向いて、マッチで煙草に火をつける。

 俯くと、長い前髪で目は隠れてしまうのは残念。でも横向いてると喉仏が見えるのはいい感じ。

 火が煙草に移って、用無しになったマッチは、マスターがぴっと一回手首を振ると簡単にその火が消える。――さっきまで、自分はその用無しのマッチみたいだって思ってた。でも、誰だってそんなのになりたいわけじゃない。あたしだって。

 いつだっておいしそうに口にされる一本のその煙草になりたい――

 そう思って、はっと気が付いた。まるでマスターのこと好きみたいじゃない。

 赤くなる頬を両手で押さえて俯いてたら、「どうしたの?」って、マスターが咥え煙草でお茶を淹れながら聞いてきた。

「何でもない」

 そっぽ向いて云っても、「そう」と、聞いたくせにマスターは追いかけてもくれないのに。

 あたしみたいなのが駆け引きめいたことを仕掛けてみたって、無駄だ。

「今日はもうお酒は打ち止め――はい、ジャスミンティー」

 カップをことんと置かれた。その手があたしにまた触らないかなって期待が生まれて、すぐ消えた。

「いい香り」

 両手でカップを包んでいたら、外で煙草を買い終えた麻友ちゃんが「お、若菜落ち着いたね、ありがとマスター」って隣の席に滑り込んできた。


 ほんとはね、うんと欲張りなことを云えば、マスターが、いいな……と思ってる。ずっと。

 元彼と付き合っていた時だって、片隅でそう思ってた。あ、だから駄目になった?

 でも大丈夫、釣り合うとか思ってないし。

 聞き上手で話し上手で、誰でも居心地良く居させてくれる不思議な人。お酒が大好きで、お店が大好きで、でもどこか、糸の切れた凧みたいにふわーってどっかいっちゃいそうな、普通の人の持つ執着が色々ないような。音楽とグラス類には凄く執着するけど、それさえもあっさり手放すときは手放す、みたいな。

 世慣れてる感じとか、女慣れしてる感じは、怖い。あたしの放るノーコンなストレートは躱されそうで。でも他に投げるボールなんてないし。向こうは消える魔球とかいっぱい持ってそう。

 つまりちっとも対等じゃない。若さなんて永遠じゃないし、若くて物を知らないから太刀打ちできないのは悔しい。

 だから見てるだけで充分。子供は子供の方が似合うでしょ。

 ただ、つい見過ぎてしまうことは否めない……。

 また、意識しないで見ていたら、鼻の先をパーマンのコピーロボットみたいにつんてされた。――そんなんでも、幸せ。

「こら」

 マスターが柔らかく叱る。あたしは痛くもないそこを大げさに押さえた。

隣にいた筈の麻友ちゃんは、奥の常連さん達の方にグラスを持って行ってしまっている。気まぐれな蝶々さんめ。

「何するのマスター」

「俺の云いつけを守らない悪い子にお仕置きだよ」

 うわ、マスター云う事が卑猥、てな声が遠くの席の、と云っても小さな店内で取り立てて遠くでもないけど、常連さんの方から聞こえる。それに顰め面してみせて、自分のウィスキーを煽るマスター。

「……そんな目で、何とも思ってない男を見たらいけない。勘違いされるよ」

「勘違い」

「そう」

「じゃなかったらどうするのマスター」

 ウイスキーのグラスを上から持って、回す手が止まる。

「……嬉しいね」

 どこか悔しげに云うので、マスターのどこに触れてしまったか分からないままあたしはしてやったりな気持ちになる。

 マスターはその悔しさのかけらもすぐに隠して、にこやかに笑う。でも、目が笑ってない。ちょっと怖い。でもだいぶセクシー。

「せっかく、見逃してあげようと思っていたのに」

 何を?

「……カワイイ兎が、自分から気まぐれに狩場に飛び込んでくるような真似をしたら、後で『冗談です』なんていくら云ったって、無駄なんだよ?」

 たとえ話が分からない。兎って何、誰かのことなの?

「空になったね。おかわりいる?」

 まだほかほかのカップを手から抜き取られて、返事を待たずに二煎目が入る。

「俺はね、」

 カウンターがあるから、これ以上近づけないって分かってる。なのに、すっとマスターが上体を屈めて来たので、思いきりびくっとしてしまった。すると、ふ、と笑われて、抜かれた時と同じ形のままでいた両手の間に、そっとカップが差し込まれた。

「遊びで誰かを抱いたり、しない。本気の子だけだよ」

 それはなんて素敵な呪文だろう。甘い響きが、血液に乗って全身を駆け巡った。

「……本気で好きな子がいて、その子は俺の事を気になるくせに、俺に本気で向かって来ようとはしない。なのに、よく考えもせずに俺の思いを逆撫でするような事ばかりする。大して好きでもない男と付き合ってみたり、別れてみたり、泣いてみたり、合コンに出てみたりナンパされようとしてみたり」

 ……それでようやくわかった。これは、あたしのことを云われている。――ってことは、え? えええ!?

 びっくり眼で見つめてしまったら、じっと見つめられて動けない。視線で絡め取られただけなのに、蜘蛛の糸に巻きついちゃったみたいだ。

「あいてる穴の形を、どうでもいい男で塞ごうとするなよ」

 うわ、やっぱりマスター云う事が卑猥、てな声がまた常連さんの方から聞こきて、マスターがじろりとそちらを見るとピタッと止んだ。

 だからね、と、掠れた声が静かに耳元に響く。

「ちゃんと俺に抱かれたくなったら、ちゃんと自分から誘いなさい」

 その後、なんともない顔をしていたから、これはきっと空耳だ。うん、そうにちがいない。そう決めつけて、なかったことにしようと思っていても、ぎくしゃくしてしまう。

「ちょっとマスター、若菜が固まってんだけどー?何云ってくれちゃってんの?」

 いつの間に麻友ちゃんが戻ってきたのかもわからないくらい動揺してた。その麻友ちゃんが煙草のフィルターを噛みながら云えば、マスターはああごめんと笑った。

「ちょっとセクハラ発言かな」

「!」

 そ、空耳じゃなかった……!

「ああなるほど」って、なんでソレ麻友ちゃんも普通に受け止めてるかな! さらっと受け流せない私が子供なの?

 ああ、でもちょっと前までの足元を炙られているみたいなヘンに焦った気持ちは、マスターにドキドキさせられたせいでどっか行っちゃった。


 マスターに云われたことを、考えた。

 ジャスミンティーには酔い冷ましとリラックス効果があるって本当だ。おなかの中は温まって、だけど頭がクリアになってる。


 あれは、覚悟もその気もないのに本気の人を煽るなってことだよね。

 本気……マスターが、あたしを? そんなことってあるの? 小娘なのに?

 信じられない、って思いながら、あの目でまっすぐ届けられた言葉を疑うのは失礼だって思った。

 どうせムリだからってどこかでセーブしてた。これ以上見ちゃ駄目、みたいな。手が届かないと思ってたら、手を差し伸べられた。――ただし、すぐに引っ込められた。あの手が欲しいなら、きちんと向き合う、自分にもマスターにも。まずは名前から教えてもらわないと。

「ねえ、マスター……」

 そうやって、初めて名前を聞いたのが二カ月前。


13/12/23 誤字修正しました。

13/12/27 誤字修正しました。

14/10/13 一部修正しました。

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