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ただいま。おかえり。

会社員×会社員

 カートをごろごろ転がしながら、夜の街を歩いた。

 邪魔くさいのは分かってる、すまん。だが、君らがクリスマスのイルミネーションを愉しみに来たそこは俺の職場のすぐ近くなんだ。



 南方の国からひと月ぶりに帰ってきたので、寒さがひとしお身に染みる。

 今日の午前に成田に着いて、そのまま会社へ出社した。色が黒くなっただの少し太っただの失礼なことを散々云われながらお土産を配って、直接のやり取りでないと処理が進まなかった仕事にようやく手を付けた。


「お前、もう今日は帰ったら?明日からまた普通に忙しいんだし」

 七時を回る頃同僚にそう云ってもらって、ありがたくそうさせてもらうことにした。

 カートを他人の足にぶつけないように操縦しながら駅を目指す。会社の入っているビルから駅までは通りを渡ればすぐだが、イルミネーションなんちゃらのおかげで道はめちゃくちゃ混んでいて、なかなか進めない。

 信号待ちで若いカップルにカートを嫌そうに見られて、肩身の狭さを覚える。スクランブル交差点をなんとか渡れて、風が吹き込んでこない駅のコンコースで一息ついた。そしてようやく君にメールする。


 帰りました。


 もっと、気の利いた言葉を送れればいいのに。もっと頻繁にメール出来ればいいのに。君との付き合いの中で、俺はいつも反省ばかりだ。

 今回、出張の前にちょっと喧嘩をした。あの程度なら大丈夫だと思える位の付き合いだけど、もしかして万が一、そのまま自然消滅になってしまったら、と思う気持ちは消えなかった。俺の側にその選択はない。けれど、ひと月はまあ滅多には無いにしても月の半分が出張でこちらにいないことはざらにあるし、その分我慢を強いている自覚はある。

 そしてその我慢を軽減する何かを、俺はきっと彼女に与えていない。


 ICカードをタッチして、ひと月ぶりに電車に乗る。

 定期的にきちんと運行する電車、マナーの良い人々、乗り心地の良いそれ。海外から帰って来ると、日本のいいところばかり沢山目につく。すぐに当たり前になってしまうけれど。

 吊革につかまって、日本語だらけの車内広告を見る。下卑た文言と目に痛い配色さえ嬉しい。パソコンは持って行っていたけど、当たり前だが昨日まで生活していた街中には日本語の文字はなかったので、飢えているのだ。

 飢えで思い出した。

 帰りに、スーパーに寄らなければ食料がまるでない。彼女が、ひと月前奇麗に使い切ってくれたから。

 いつも、長期で家を空ける時にはそうしてくれる。俺は料理は一応する程度で、とても食材を使い切るとか使い回すとか云う技は習得していないから、いつもぎりぎりまで野菜や肉が残る。今回はひと月と云うことで、特に念入りに食材を消化した。どうしても使い切れなかった分は、彼女が持ち帰ってくれた。


 ありがとうと、どういたしましてを交わしてキスした。

 ここまではいつもと同じ自分達だったのだけれど。


「ここにきて、いない間お掃除とかしたいな」

 綺麗好きでもある彼女から、そんな言葉をもらった。でも。

「俺は君を家政婦代わりにしたくはない」

 正直なところ、家のメンテナンスをしてもらえるのはとても助かる。でも、彼女は恋人で、メンテナンスするのが恋人の条件なんかじゃない。別に『他人に物を触られたくない』だなんて思う方ではないけれど、我慢ばかりさせている彼女にこれ以上何かを背負わせたくなくて、何度目かの申し出も今までと同じように拒否した。

 ハウスキーパーでも頼んで来てもらうか。そうすれば彼女が負担を申し出ることもなくなる。あとで各社の価格帯を調べようと思っていたら、「外注とか考えるのやめてよね、無駄遣いだからそれ」と、考えを読まれた挙句にばっさりと斬られた。

「無駄とか云うなよ」

「だから、私がやるって云ってるのに」

「しなくていい」

「もう、石頭!」

 そう云い捨てて、怒ったまま彼女は帰って行った。――合い鍵を置いて行くことなく、持ち帰り食材を忘れることなく。

 そんな彼女が愛おしいのだと伝えられないまま、日本を離れた。本当に自分は駄目だなとまた反省して。

 現地では忙しさを理由に彼女のことを考えないようにしていた。でも何を見ても『ああこれは彼女が好きそうだ』とか『似合いそうだ』とか『見せてやりたい』とか思ってしまって、自分の中にどれだけ彼女が侵食しているんだろうと呆れた。屋台で食べる酸っぱい甘い食べ物を美味しく戴いても『食べさせてやりたい』と、それに飽きれば『彼女の手料理、食べたい』と思う始末だ。

 こんななのに、もし振られていたらどうしよう。会社が用意してくれた現地のマンションに夜な夜な出没するデカイゴキブリより恐ろしくてたまらなかった。


 ――向こうにいる間、彼女からのメールはなかった。

 俺からも、出来なかった。



 最寄駅に着いて、さてスーパーへと思っていたところでメールが来た。――彼女だ。

『お帰りなさい』と云うタイトルと、『食材ならもう明日の朝のパンまで買ってあるから、そのまま帰ってきてね』と書かれた本文に目を通して、ようやくああ自分は捨てられなかったんだと心底ほっとした。

 まったく、彼女には敵わないな。

 疲れている脚も重いカートも、現金なもので一気に軽くなった。


 マンションに着いて、エントランスに入る前に自分の部屋を見上げると、明かりが付いていて涙が出そうな気持ちになる。郵便受けはDMなんかで溢れているんじゃないかと思ったけど、そこはすでに空だった。彼女が部屋へ持って行ってくれたらしい。

 エレベーターを呼ぶ。さっき駅で日本の技術とサービスについて素晴らしいと思ったばかりなのに、もう『来るのが遅い』だなんて毒づいてしまう。やっと来たエレベーターに乗り、三階を目指す。降りて、一番端っこの自室へ。エレベーターから遠いのがもどかしい。走り出したいのを堪えて、あまりカートの車輪の音が廊下に響かないようにと気を付けた。

 ドアを開ける前にもういい匂いがする。今日は寒いし、鍋か。そう当たりをつけて、ひと月ぶりに鍵を使って、開ける。そこにある彼女の靴に笑みが漏れた。

 こちらに向けて揃えられていたスリッパを履き、がちゃりとダイニングのドアを開いた。

「――ただいま」

「お帰りなさい」

 ひと月前喧嘩したのが嘘みたいに、ヒマワリみたいに君は笑う。


「お疲れ様、寒いでしょう、日本は」

「うん」

「向こう、どうだった?」

「暑かったよ」

「いいなあ」

 鍋の煮え具合を確認しながら彼女が云う。

「よくないよ、交通ルールは車線に入ったもん勝ちだし、飯は安くて旨いけど一週間もすると君の作ったご飯が恋しくなるし、君はいないし」

 そう捲し立てて冷蔵庫からビール――これは腐らないので常備したままだった――を出して扉を閉める。

 彼女はコンロの方を向いてこちらには背を向けたまま、「そう」と気のない返事を寄越した。でもその耳が真っ赤だ。

 ああ、かわいいなあ。――しみじみとそう思った。


 それから着替えやら荷解きやらをして、鍋が頃合いになると呼ばれて二人でそれをつついた。俺はビールを飲むが、コップ半杯で頭が痛くなる彼女は冷たい緑茶を飲んだ。つみれ鍋に舌鼓を打って、後半に投入されたうどんで汗を掻き、腹を満たす。

「おいしいね」

「うん、おいしいな」

 それだけの会話が、やけに幸せだ。

 食べ終わると片付けまでする勢いだった彼女を手で制して自分でシンクまで皿や鍋を運び、洗った。その間、彼女には現地で買った、彼女が好きそうな籠バッグやお八つやら、色々渡したものを見てもらっていた。どれもとても喜んでもらえて、いつか二人でそこへ行けたらきっと楽しいだろうな、なんて思う。

「ありがとう、嬉しい」

「せっかくクリスマスなのにそれっぽいのは用意できなくて、ごめんな」

 こちらを発つひと月前、成田空港の免税店に慌ただしく寄ってはみたものの、香水は付けず、ファンデーションや口紅も低刺激の決まった銘柄しか使わない、ブランド物を好まない彼女にクリスマスのプレゼントとしてあげられそうなものは残念ながらなかった。愛煙家でもないので煙草も買えない。

「んーん、どれも私の好みのストライクで嬉しい、ほんとにありがとね」

「こっちこそ。――喧嘩したのに、掃除に来てくれたんだろう?」

彼女が「ばれたか」と笑う。

 平日は仕事に行く彼女が、今日仕事の後に買い物を済ませてやってきて、ひと月分の掃除をしてから夕食の支度をしてくれたとは考えにくい。

 家の中はぴかぴかだった。そして、ソファ前のテーブルには輪ゴムでくくられた郵便物がいくつか。洗い物を終えた俺が手を拭き、ソファに腰かけてそれを手にすると、「勝手にごめんね、差し出がましいとは思ったんだけど、ひと月溜めておくのも不用心かと思って」と肩を竦めた。

「云われてみるまで気付かなかったけど、そうだよな。ありがとう、何から何まで」

 こんなによくしてもらってるのに気の利いたこと一つ出来ていないと、また苦い思いが胸の中に蘇る。すると、俺の正面にやってきてしゃがみ、「そんな顔しない」と眉間の皺を押し上げられた。眉毛が引っ張られて、困った顔にされてるのが分かる。彼女はぷっと噴き出して、「変な顔」なんて云う。

「変な顔で、悪かったな」

「うそうそ、好きだよ」

「どこがだよ」

 ソファで足を組み替えてふんと鼻を鳴らしたら、ソファの背面へ回り込んだ彼女から、ポンポンと頭を叩くように撫でられた。

「頑張り屋さんで生真面目で、私のことだーい好きで、大好きすぎて家の世話なんて頼めないなんて思ってて、私がやっちゃうといちいち罪悪感なんか持っちゃうあなたのことが好き」

 きっとまたしゃがみこんでる。首筋に、彼女の息が掛かる。

「でもね、罪悪感なんかいらないんだよ? 私がお世話したいの、それだけだよ。……ねえ」

 ポンポンしていた手が止まる。

「一緒に暮らそうよ。そうしたら、私が自分の面倒見るついでにあなたの面倒を見てあげられるよ。それなら、罪悪感、感じないでしょう?」

「でも、それは」

 俺の言葉尻を奪うようなことを、普段はしない癖に聞こえないふりで続ける彼女。

「あなたはどうせいないことが多いんだし、いないのにお部屋借りてるのって無駄じゃない。だから一緒に。ね?」

 それじゃあ、俺の都合が良いばかりで彼女の側に利点はない。そう思って、苦い顔になる。

「……そうすれば、あなたがいない時だって、あなたの物に囲まれていられて、私も寂しさが紛れるんだ」

 ぽつりとこぼされた本音に、ドミノが、一つ倒れた。

「そんなこと云っても、君の都合だってあるんだし」

 今までみたいに『そんなのは駄目だ』って強く云い切れなかった。彼女はそれを契機とばかりに攻め込んでくる。

「私は、どうせ今でも普通に自分の家とここと行ったり来たりしているから。むしろそれが一か所になる方が負担が減るんだけど?」

 ドミノが倒れる、二つ、三つ。

 それでもまだ、抵抗を試みた。

「出張は今日明日には無くならない。出張が減る、上のポジションになるにはあと数年かかる。それまで今の生活を強いることになるし、それでも出張がなくなりはしないんだ、よく考えて」

 諭す自分の方が追い込まれている気がするのは何故だ。

「考えたよ、あなたがいない間よーく考えた。ネットでそう云うカップルの悩みとかもいろいろ読んだ。メリットもデメリットもそれなりに理解した。その上で云ってる」

 そう冷静に告げる通り、彼女は『大好きな人との時間を作れるし、彼の役にも立てるから同棲はいいことづくめ!』って浮かれているだけじゃない。

 俺は、もうこれはただの悪あがきだって分かりながらも素直になり切れずにまだ諭す。

「結婚してもだな、小さい子供の面倒を君が一人で見なくちゃいけないし、病気でも傍にいてやれないんだぞ」

 それを、君はからからと笑い飛ばした。

「そんなの、旦那さんが単身赴任の人とかみんなそうでしょう? 辛い時には実家に行くなり来てもらうなりするし、それが出来ないならシッターさんを頼んだりすればいいんじゃないかな」

 ああ、俺のドミノは全部倒された。

「そこまで想定しておきながら拒否するとか、何なのよ、聞きなさいよ、私にも」

「ごもっとも」

 ぽかぽかと頭を緩く握られた拳で殴られる。もちろんちっとも痛くない。マッサージみたいだ。でも。

 ――今まで長期の出張が原因で何回振られてると思ってんだ。自衛したくもなるだろうよ。

 これは云わなくていいことだろうとしまっておくことにして、勇気を出して聞いてみた。

「じゃあ、『結婚を前提にした同棲』で、いいのか?」

「散々そうしましょうって云ってんじゃん」

 こっちのなけなしの勇気はことごとくへし折られる。

 へし折られて、まとめてギュッと抱き締められる。

 彼女の胸が背中に当たって、それだけで気持ちいい。

「あなたがね、出張から帰って来るでしょう? ちょっと色が黒くなって……」

「ちょっと太って?」

 会社で云われたことをむくれながら云うと「少し太るくらいの方がいいんだよ、ガリガリ君で体力ないんだから」と云われてしまう。

「それでさ、二週間ぶりとかひと月ぶりに見るとさ、ああやっぱり私この人が好きだわーって思うわけ。いつも、新鮮に」

「――」

「だから、出張は寂しいけど、毎回帰って来るたびにときめいて、しあわせ」

 それ以上聞いていたら溶けてしまいそうで、大急ぎで体ごとふりむいて「俺もだ」って囁いてから後頭部を引き寄せ、キスで口を塞いだ。


続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/13/


13/12/21 誤字等、一部修正しました。

13/12/27 誤字脱字等、一部修正しました。

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