シャイニーでシマリーでブライト
書店員×販売員
キラキラしてるのが好きなの。カラスかよって云われるけど。
お店の閉店後、まぶたも唇も、私はいつもキラキラにしてる。
「んじゃ、三須さん、よろしくー」
「はーい」
ヒールを脱いで、縦に長細い扉から、肩幅あるかないか程度の奥行きのウインドウに中腰で滑り込んだ。
今日は一二月二五日で、当たり前だけど明日は二六日。閉店後に百貨店は、クリスマス仕様を脱ぎ捨てて一気にお正月モードになる。当然、フロアの社員総出での早替えだ。クリスマスデート? 何それおいしい? って感じ。
自分とこはあんまりクリスマスクリスマスしたとこじゃない――『六階、寝具・台所用品・タオルの売り場でございます』――ので、早々にディスプレイ替えは終わって、一番の戦場と化している一階に下りてきた。そこで、前に同じフロアでお世話になったエレガントな主任さんに声を掛けられた。
「あら三須さん、いいところに」
「お疲れ様です。どうしました?」
「悪いんだけど、お店の横のウインドウ入って、片づけてくれない?」
「あ、了解です」
こっちこっちと手招きされて、その中に入る事となった。
あー、一年ぶりこれ。
普段、六階・暮らしのフロアの私がここまでする事はない。でも今日は「一階なのに」「六階の人間が」とか云ってられない。なのに。――皆、スカートなんでしゃがめなーいとか云っちゃってさあ。
去年はたまたまパンツを履いてきた。そしたら直属の上司だった主任にとっ捕まってあのウインドウを片付けるよう云われた。今年もそうなんだろうなと思ってたから、分かってて履いてきましたよ。ミニスカの脚を見せたい人もいない事ですし。
ちなみに、この作業はもちろん残業代が付くけれど、制服のままだと汚れが気になるし何と云ってもタイトスカートは動きづらいので、私服に着替えてやっている。エレガント主任も、やぼったい紺の制服を脱ぎ捨てて、シックなビジュー付ニットに細身のパンツ姿だ。相変わらず、素敵。
それにしても、狭っ! まっすぐ立てる程の高さもないところからライトにガンガン照らされているから、エアコンも入ってないのに頭と顔ばっかり暑いったら。
大通りに面しているメインウインドウと違って、サイドの小さなウインドウはシンプルに設えてある。今は、某ブランドのお靴、三〇万円が雪に見立てた綿の上に飾られている。それを、汚さないよう傷つけないよう屈んでそっと持ち上げる。よし。そのままそろそろと後ろ歩きで退場。
「主任、これお願いします」
「はいありがとう」
「後、どうします?プライスカードとか綿とか諸々は」
「綿は使い回せないからゴミにして。他の装飾品とプライスカードはこの箱に入れて片付いたら私に渡してね。それで中を軽く掃除、その後、お馬さんのスカーフを飾ります」
「分かりました」
今度は手渡された箱を手に、横向きに歩いて、また中に入る。
……さっきの靴、素敵だったなあ……。スワロフスキーが一面にちりばめてあって、キラッキラだった。でも、社販使ってもたかだか二割引き。二十四万円のお靴だなんて、二〇代で、セレブじゃない自分には分不相応極まりないって分かってる。無理すれば買えない事もないけど、靴だけ立派でも仕方ないし。他にも欲しいもの、あるし。
ただ、一瞬手にしたその余韻に浸った。
それから、靴の周りにランダムに配置してあったオーナメントのボールや、綿や、黒字に金のプライスカードを回収した。元々そんなに広くないそこは、あっという間に何もない空間になる。
壁も床も白いディスプレイ内には、うっすらと埃が積もっていた。それをさっとハンディモップで払ってから、猫足スタンド付の小さなボディにお洋服みたいにアレンジされたスカーフを、中に入れて飾った。奇麗にプリーツが寄せられているけど、ちゃんと来年の干支のお馬さんプリントは見えるように、主任の手によって工夫されている。値をスカーフのものに直したプライスカードを渡されて、もう一度中に置く。主任を呼んで、ディスプレイの外側、通りの方からチェックしてもらい、もっと右に、とか、少し戻して、とか、そんな指示をガラス越しに受けつつ動いた。
「お疲れお疲れ。普段しない作業なのに、三須さんは手際いいわねえ」
「どうも、です」
憧れている主任に褒められて、デヘ……と照れてしまった。その一方、体は筋肉痛の予感でいっぱいだ。
あの中では方向転換もままならない。体をぶつけないようにゆっくり動いて、狂言の人みたいに膝を曲げたまま歩いたから、立ち仕事と云えども普段使わない太腿が悲鳴を上げている。インナーマッスル鍛えられてるといいけど。
「次、何しますか」
未だ煌煌と灯りのともされた店内をぐるりと見渡しながら聞くと、「あ、多分もうすぐ全部の作業終るから、ゴミ拾うくらいにしときましょ」と云う返事が返ってきた。
周りの、手持無沙汰にしている社員にも同じように声を掛けつつもうしゃがんで拾っている。
「早いですね」
「残業代の抑制を経理課から強く云われてるからねぇ」
いや、そうでなく。主任は主任格だから、あれしろこれしろって云えば、皆手足になって動くのに、この人は指示しながら自分もよく働くんだよなあ。半年前まで直属の上司だったその人の手が自分よりてきぱきと動くのを視界に捉えて、負けないぞ! と私も資材をまとめていたビニールや、エアパッキンやゴミを拾う。
一〇分後に店長から全作業終了を告げられると、皆で拍手した。
「お疲れ様でしたー」
大通りの真裏にある社員通行口で挨拶して、そこで同僚と別れた。私だけ、地下鉄の入口が別方向でなおかつ遠いから。本当は百貨店の建物沿いの大通りに出て左の方へ行くのだけど、その手前で足を止めた。自分がやったディスプレイをしっかと眺めてから帰ろうと思ったのだ。
通行口のある側と、角を曲がって小さなディスプレイに面した通りは、普段からあんまり人通りがない。ついでに云うと、今の時間は周りのお店も閉まってて、やけに暗ったい。
その中で、そこだけ柔らかく光るディスプレイは、やっぱりキラキラで嬉しい。
今日は崩れてもいないのにお化粧直しするのはやめて早く帰ろうと思っていたので、キラキラ成分が足りていない。でもここで充電出来たような気持ちになった。
ん、満足満足と、踵を返して帰ろうとしたら、「すいません」とどうやら私に話しかけているらしい、聞き覚えのない男性の声が聞こえてきた。なんだ? と目つきが悪いのは自覚しながら振り返る。すると。
「ああ、やっぱり、さっきの人」
知らない男の人にいきなり親しげに微笑みを向けられて、一気に警戒態勢をとった。
ストーカーならこのまま一一〇番通報しようと、コクーンコートのポケットに入れていた携帯のボタンをいつでも押せるように、そっと指を忍ばせた。するとその人は慌てて「違います」と云う。
「さっき、あなたあの中に入っていたでしょう」
あれ、とディスプレイを指差される。
「それを、こっちから見てたんです」
立てた人差し指を後ろに示す。そこは、シャッターのしまったお向かいの本屋さん。たまに雑誌を買いに行くとこだ。
「突然すみません。僕は、この書店で副店長をしております、永嶋と申します」
そう云って、ひょろ長い体を折って私に向かってお辞儀をした。確かに云われてみれば見覚えがある顔で、半分くらい警戒を解いた。コートのポケットに突っこんでいた手も出す。
それにしてもお辞儀については未だに軍隊程厳しく指導されている百貨店勤務の自分が見ても奇麗だなと思えるお辞儀だった。染めていない髪と、黒縁の眼鏡と、カジュアルだけどちゃんと大人っぽいコーディネート。……悪くは、ない。って、上から目線か。何様自分。
「……あの」
「はい?」
何、早く帰りたいんだけど。
「……あなたに、ひとめぼれしたって云ったら困りますか?」
顔はうっすら知ってるし迷惑行為を働かなければ困らないけどおなか減ってんだよぉ。
答えを待っているようだったので、「今のところは」ととりあえずは困っていない意志を示す。すると、ほっとしたような表情を見せた。
「こっちでディスプレイ替えの作業をしている間ずっとガラス越しに見ていたあなたが、ご自分の手掛けたウインドウの前にいるのを見て、恥を忍んで声を掛けさせてもらいました」
なるほど。警戒を、残りの半分だけ解く。
もしよかったら、ここは寒いですし少しだけお茶でもしませんかと、すぐ近くのクラシカルな喫茶室に誘われた。全然知らないお店だったら時間も時間だし怖くて行かない。でも馴染み、とはいかなくても何度かランチやお茶に行った事があるお店で、そこが怪しかったりいかがわしかったりしない全うな喫茶室だって知っているし、警戒もだいぶ解いたし、何より疲れていた。
これ以上立っているのはしんどい。何時間も水分すら取っていなかったので喉も乾いている。早くしないと呑み屋じゃない飲食店は終わる時間だ。という訳で、まんまと行く事になった。
席についていきなりお冷を飲み干す。たん、とコップを置けば、店員さんがすぐに注ぎに来てくれた。お礼を云って、そのまま注文する。食べ物のラストオーダーに間に合ったので、サンドイッチも頼んだ。
「僕も」と続けて注文する真正面の人を見て、ようやくその存在を思い出した。そうだ、この人に声掛けられたんだっけ。
「すいません、お昼から何にも食べてなくて」
「ああ、デパートの人は、この時期は大変ですね」
「本屋さんも、大変でしたでしょう」
たくさんたくさん、プレゼント包装をする事だろう。
私もタオル売場の人に駆り出されて、クリスマスプレゼント用やら、お年始に配る用やらのタオルを随分包んだ。うん、私の担当するところの寝具は、クリスマスだからとかお正月だからとかあんまり関係ないのでね……。
「クリスマスに本を贈られたら、素敵でしょうね」
そんな洒落たプレゼントをもらった事はない。親からは自分の希望より予算優先のもの――たとえばリカちゃんの大きいおうちはもらえなくて、やってきたのはハンディに持ち運べるタイプだった――、友人とはリクエストを聞き合って、マグカップやクッションやその時欲しい雑貨を、直近で恋人だった人からは、ピアスやネックレスや、キラキラ物を戴いていた……一年前までの事だけど。
つらつらと回想していると、「そう云って戴けると、出し易いです」と、永嶋と名乗った人は深緑の平たい薄い包みをこちらに滑らせた。金色の、いくつも蝶ちょ結びを重ねたような丸いリボンが、右上にポンと一つ付いている。
「高いものではないので差し上げると云うのも恐縮ですが、僕の大好きなクリスマスの絵本です。どうぞ」
「え、そんな、戴けないです」
慌てた。だって、別に催促した訳じゃない。
「無理にとは云いませんが。……今日の、とても素敵だったあなたに、出来れば受け取って戴きたいんです」
ぐいと押しつけるでもなく、しつこく粘るでもなく、テーブルにそれを置いたまま、その人は眼鏡のブリッジを中指ですいと押し上げながらぽつぽつと話し出す。
「九時を少し回る頃でしたか。ご存じのとおりこの当たりは人けがなくなるのが早くて、うちの店もその頃は数えるほどしかお客様がいなかったので、出来るところはやってしまおうと開店中にクリスマスの飾りを外し始めていました。僕は、クリスマス特集だったウインドウを担当して、絵本を棚に戻したり、ウインドウのスノウスプレーを落としたりしていました」
そこで丁度、互いが頼んでいたものがやってきた。サンドイッチとブレンドが私、オペラとロイヤルミルクティーがあちらの。……チョイスが男女逆転しているような気が。
その人は、ロイヤルミルクティに角砂糖をぽちゃんと落とし、くるくるかき混ぜながら再び話し出した。
「ウインドウを拭きながら見るでもなしに見ていたデパートのウインドウに、突然あなたが登場して来ました。あの小さな枠の中でゆっくりと靴を大事そうに持ったり、スカーフを飾ったりするあなたの動きは、まるで映画の一コマを観ているようにキラキラと、輝いていました」
「……そんないいものじゃないですよ」
むず痒い思いをブレンドと共に飲み下した。ゆっくり動いていたのは狭くて動き辛かったからだし、靴を大事に持っていたのは素敵だなーって云うのもあるけど単純に三○まんえんのお靴に傷や汚れを付けたらヤバイからだ。
「それでも、構わないんです。僕は魔法をかけられたみたいでした。あなたが退場してしまうと夢から醒めたような寂しい気持ちになりました。偶然会える当てもないし、うちの店にいらした時には私的に声は掛けられない。それでももし渡せたらと思って、閉店間際に買い求めたのがこれです」
すっと示した指が、ちょんちょんと金のリボンをつつく。
「ちなみに、このリボンを作っているのも僕です。ラッピングも」
「え! ほんとに?」
「はい」
「ええー、カワイイ!」
やばい、残り四分の一警戒していたのも忘れてうっかり素で喜んでしまった。
奇麗なラッピングとお手製のポンポンリボン……多分私よりお包みうまい、この人。
すぐ、こうして何でも仕事目線で物事をジャッジしてしまうのはどうよ。それが恋愛事ならなおさら。
それでも、素直に尊敬できると思った。
本を好きなその人が差し出してくれた本に乗せられた気持ちを、物語を通じて見てみたいと思った。
差し出されてからずっと、二人の間に横たわっていた深緑。
警戒を解いて、それを持ち上げたのは私の手。
「じゃあ、頂戴しますね」
「紙袋も用意してありますけど、どうしますか」
「ありがとうございます。使わせて下さい」
「はい、どうぞ」
私に向けた二回目のその笑顔に、今度ははっきりと好意を寄せた。
最初に話しかけられた時のつんけんした雰囲気――私が一方的にそうしていたのだけど――が嘘みたいに、穏やかな空気だ。
静かなこの人は、私が手渡された紙袋に本を仕舞って傍らの椅子に立て掛けると、ようやくオペラとロイヤルミルクティに口を付けた。
「おいしいですか」と問えば、眼鏡の奥の目が優しく細められて「おいしいです」とやっぱり静かに返ってきた。この感じの良さはマル、と、やっぱり上から目線。
他の喫茶店より少しだけ遅くまで営業しているそこが閉店時間になるまで、話をしてしまった。でもまだ足りないとか思ってしまう。
「それじゃあ、遅くに引き留めてすみませんでした」
喫茶室を出たところで、また奇麗にお辞儀をされた。
「いいえ。こちらこそ、本を戴いただけでなくご馳走にまでなってしまって」
「僕が、そうしたかったので」
少し俯きながら話すその姿に見入っていたら、「では」とあっさりと歩いて行かれようとした。
「え?」私が思わず云えば、
「え?」その人が戸惑いながら振り向く。
二人して相手の意図がよく分からないまま見つめあった。私が先に口を開く。
「……永嶋さんは、人をその気にさせておいて、私の名前も聞かないんですか?」
悔し紛れにそう呟けば、三度目の嬉しそうな微笑。
「僕のフルネームと連絡先は、その本に添えたカードに書いてあります。気に入ったらご連絡ください。では、遅いので気を付けて」
気に入ったらって、本? それとも永嶋さん?
ぽーっとしているうちに、今度こそ彼の姿は一番近くの地下鉄の階段に消えた。
そのダッフルコートの後ろ姿をうっかり見送っていた私もハッ! と正気に戻り、自分が利用する地下鉄を目指して小走りで夜の街を行く。
家に帰りつくと、早速自室でそっとその包みを開いた。中から出てきたのは、ユーモラスな絵とちょっと不思議な物語の絵本だった。人の夢を見ているようで不条理な展開もありつつ、最後にはちゃんとほんわかと締められていた。
好きだと思った。この本を。
この本を選んだ人の事は、まだそこまではっきり好きかどうかはわからない。とりあえずもう一度会って、お話ししてみたいとは思う。
心の中が、キラキラしているのが分かる。小さなラメも、大きなガラス玉も、特大のミラーボールも、一斉に輝きだしたような、そんな気持ち。
私は、高揚したまま携帯を取る。そして。
『気に入りました。三須より』
そう一言メールすれば、それだけで通じる筈だ。
続きはこちら→ https://ncode.syosetu.com/n7313bz/8/