甘い甘いコーヒー
マーシャラー×グランドスタッフ
ねえ、サンタさん? もしほんとにいるのなら、今すぐ北海道の猛烈な吹雪を止めてよ。
それから、優しい彼氏を今すぐ一体、私のところに寄越してちょうだい。今すぐに、よ。来なけりゃ赤鼻のトナカイに大型旅客機を牽引させてやる。動物保護団体に怒られたって知るものか。
そんな風にサンタさん(と、トナカイ)に無茶振りと八つ当たりをしている私は、某空港某航空会社のカウンター業務を担当しているスタッフ。今日は、到着地の吹雪により、フライトに大きく遅延が発生していた。欠航が出るかもしれない。
機体のトラブルやヒューマンエラーでの遅延であればお叱りの声を戴くのはごもっともで云い訳のしようもないけれど、悪天候だけはどうしようもない。コントロール出来ないものなのにと私たちスタッフはそう思いがちであるものの、当事者であるお客様はそうは思わない。きっと、自分がお客様の立場であれば同じように憤ると思う。旅行だったり、結婚式だったり、出張だったり、それぞれに飛行機に乗る理由があり、『ちょっとその辺へ足を延ばす』のとは訳が違うから。
何故飛ばないのか、何処までなら飛ぶのかと、今日は、カウンターで熱心にお尋ねになるお客様が特に多い。でも、それも仕方ない。だって今日は一二月二四日――クリスマスイブだから。ホワイトクリスマスは非常に盛り上がるけど、出来れば空港や駅周辺を除いて欲しいとため息を吐いてしまう。もしくは最終便が出た後、翌日のフライトに影響がない時間と積雪量でひとつお願いしたい。滑走路の路面凍結はとりわけ避けたいところだ。
カウンターでお一人お一人の要望に出来るだけ寄り添えるように自分の出来る最善を尽くしながら、ご納得いただけないお客様に厳しいお言葉を頂戴して自分のサービスのふがいなさに泣きたくなりながら――こればかりは何年たっても慣れることはない――、私の二四日の夜は過きてゆく。相手もいない今年ははじめから店の予約などしていないし、イブだからとはしゃぐ年でもない。そして早番の勤務時間はとっくに超過しているものの、お客様を多く残しているこの状態でチーフの自分が上がれる筈もない。内心愚痴るぐらいのことは許して欲しいと切に願った。
奇跡が起きた。
到着地の猛烈な吹雪が、ぴたりと止んだ。私を含む、空港で働くスタッフたち全員が、その連絡を受けて「うっそぉ!」と思う中、遅延を詫びつつフライトの再開を告げるアナウンスがロビーに柔らかく響く。向かい側の航空会社のスタッフと目が合うと、お互いほっとした笑みが漏れた。
空港各所で過ごされていたお客様が続々とカウンターに集まり始めたので、希望の便へとご案内をする。
何便か欠航になってしまった――それを数名に厳しくご指摘いただいた――ものの、多くのお客様は晴れ晴れとした顔をお見せになった。きっと大切な人に贈られるのであろう、大きな包みや小さな包みを、皆さん大事そうに抱えながらそれぞれのゲートへと向かって行かれた。
「ふう……」
スタッフの休憩室で大きくため息を吐いた。
くたくただ。いいや、正直に申告すればくったくた!! ……だ。
年若いスタッフの模範になるべく、ぴしっと整えていた髪も少し乱れ、スカーフも緩んでいる。早番の自分はもう上がってよしとの判断を下されてもうタイムカードは通した。あとは着替えて帰るだけ。表に出ることもないから、緩んだスカーフを首から引き抜いた。光沢のある生地は、くたびれた自分と違って少しもその輝きが衰えない。
その赤が、今日という日を思い出させた。……帰りに、チキンを買うのは無理そうだから焼き鳥屋さんにでも行こうかしら。やってたらだけど。下手をすると早い店は暖簾を下ろす時間だ。それでも、到着地の吹雪が止んでお客様が皆搭乗出来たおかげで自分も上れたんだから御の字かな。
突然の天候変化は、自分へのプレゼントのようだと思った。サンタさんとトナカイへの無茶振りを思い出して思わず微笑む。さすがに、今すぐ彼氏、は、無理だったわね。
冷たいテーブルに頬を寄せ、目を閉じていた。重たい足音が廊下から休憩室に近づいてくる。内勤のスタッフではない靴音だから、ブーツを履いて作業する飛行場の方の誰かかな。……あの人、かな。だといいなと、淡く期待した。ちょっとへこんで、大分疲れた今日みたいな日は、ご褒美に気になる人を見られたらうれしいのに。
働く人間が多くて、二四時間ではないにせよシフトがいくつも混在するここでは、なかなかその顔を見ることはない。
足音は一旦止まって、それから自販機の方へ向かった。キュキュッと云う音は、やっぱり安全靴っぽい。
迷わずにボタンを押す音。そして漂う匂いで、コーヒーだなって分かった。コーヒーを取り出して、そして何故かまたボタンを押す音と、漂うコーヒーの匂い。誰かもう一人、後から来るのだろうか。
目を開けて、顔を上げて、「お疲れ様です」って云って、誰だか確かめたい気持ちと、こうなったらぎりぎりまで目を瞑って推理してやると思う気持ちがせめぎ合って、後者が勝った。
足音が、近づく。
ことんとテーブルに紙コップを置かれた音と、すぐ近くに人のいる気配で目を開けた。いたずらがばれた子供みたいな顔をして、笑うその人。
「杉田さん、お疲れ様」
「……お疲れ様です」
コーヒーを置いたのは、屋外の飛行場で飛行機の誘導を行っているマーシャラーの小池さんだった。とても親しいという訳ではないけど、こうして顔を合わせれば挨拶を交わす程度の交流はある人だ。
ビンゴ、と声に出さずに呟く。心に小さな蝋燭が一つ灯されたように、暖かな気持ちになる。
小池さんはテーブルに置いたのと別の、もう一つのコーヒーを手に持ち、口に運びながら立ったまま私に話しかけてきた。
「今日も大変だったな、お互いに」
「ほんとですね」
互いにと云うが、どう考えても空調の利いた空港内より、飛行場で働く小池さんの方が大変だろう。飛行場は広く、風や雨を遮るものはない。夏は照り返し、冬は路面からの冷えと、厳しい職場環境だ。
「お疲れさまでした」
今日、ここは吹雪かなかったものの、風が随分と強かった。一日冷たい風に吹かれてさぞ冷えたことだろうと思っていたから、素直に労いの言葉をかけた。
「サンキュ」
小池さんもそれをきちんと受け取ってくれた。短い感謝の言葉には、嬉しさが僅かに滲んでいるみたいだった。……気のせい、かな。じゃないといいな。
「飲んだら?」
私にと買ってくれたらしい、テーブルの上のコーヒーを指差す。
「お砂糖も、クリームも、たっぷり入ってるよ」
ちょっと戸惑いながらも嬉しくて、そのコップを両手で引き寄せた。
「ありがとうございます。いただきます」
たまたま小池さんと休憩時間が重なって、ここで二人ともコーヒーを買って飲んだのはもう何カ月も前になるけれど、あの時のやり取りを思い出すといつも心の中に炭酸が弾けるような気持ちになる。
四カ月前の真夏日の終業後、紙コップのコーヒーを買った。いつものように私は砂糖とクリームの増量ボタンを素早く押す。毎回のことなので手慣れたものだ。
その一部始終を、ブラックでしか飲まないらしい小池さんが動きを止め、信じられない物を見る目で凝視していた。
カップベンダーから出てきた見るからに甘いコーヒーは、もうもうと勢いよく湯気が出ていた。夏でも冷たいものを飲まない癖に猫舌の私には、熱くてなかなか飲み進まらない。それに付け加えて猫手なので同じ手で長いこと持ってもいられない。あち、あちと云いながら、持つ指を次々に交代させて、ふうふうと息を吹きかけながらようやく啜った様子をずっと見ていたらしい小池さんは、ようやく一口飲んで思わずにっこり笑った私を目の当たりにしてとうとう噴き出した。
『何で笑うんですか、小池さん!』
『わ、悪い、……何か、杉田さんて普段隙がないし、甘いもんとか飲まなさそうなのに、そんなの飲んで、しかも熱いの駄目とか子供みたいでつい』
そう云いながら、笑いは止まらない。
『“そんなの”って、ひどいじゃないですか! 人が何飲もうと自由です』
つんと澄まして云えば、そのギャップにますます笑いが止まらなかったらしい。
『ご、ごめん、……ぶっ、あっはっは!』
普段無口で滅多に笑わない小池さんの方こそ、こんなに笑うなんて子供みたいじゃないか、と私は怒りながらちょっとだけ嬉しく思ったんだった。
それがあってから、廊下ですれ違う時に他の人よりほんの少しだけ親しみを持って挨拶を交わしたり、交わされたり。
休憩室で私がコーヒーを飲んでいるとやっぱり噴き出されたり、それを私が怒ったり、宥められたり。
いつの間にか、私にとって嬉しい存在になっていた。
あの夏の日と同じように二人で、それぞれのコーヒーを啜った。もちろん私は小池さんの五倍くらい時間をかけて。
ふっと、小池さんは自分が口を付けていたブラックのコーヒーから目線を上げて、私を見た。
「そう云や、杉田さんが武装解除してるとこ初めて見た。珍しい」
「……もう、勤務時間じゃないですから」
言い訳するように、外したスカーフを弄る。髪を撫でつけようとしたらそのまま、と請われた。
「だらしなくはないから。……ちゃんと、奇麗だし」
「ちゃんと奇麗って」
その云い方は可笑しい、と笑いながら、正直な頬は赤くなった。
「奇麗なお姉さんなのに、こんなコーヒー飲んじゃうんだもんな」
「こんなコーヒーって! 失礼です小池さん!」
「悪い悪い」
「絶対悪いって思ってない、その口調」
小池さんといつものやり取りをしているうちに、私の心はやっぱり炭酸がぱちぱちと弾けるように楽しい気持ちでいっぱいになった。
「思ってるよ、お詫びに食事でもどう?」
そんなことをさらっと投下された。
「……今からですか?」
小池さんからの誘いが嬉しいくせに、リアリストな自分は翌日の勤務時間を思い出すとその申し出に飛びつくことは出来なかった。
「それもそうだな。んじゃ、都合のいい日、教えてくれるか」
「はい。でも、とりあえず着替えてからまたここに集合しませんか? 手帳見ないと予定、分からないから」
「ん、そうしよう」
作業着にブーツ姿の小池さんが、一日外で立ち仕事をしていたとは思えないほど疲れを感じさせない動きで廊下を歩き出す。その後ろ姿を少し見送ってから、私も自身のロッカールームへと急いだ。一日立ちっぱなしで疲れていた足は、知らずに楽しげに運んでいた。
二四日にギリギリ間に合うタイミングで、もしかしてもしかしたらサンタさんはもう一つのお願いも叶えてくれるのかしら。
――優しい彼氏は、私のコーヒーを笑う人だといいな。
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