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それは今でしょ

塾講師×高校生

 先生、好きです。――俺もだよ。

 漫画みたく、拒否されたり辛いことのないまま、私と私が通っている塾で講師をしている先生はあっさり思いを伝えあった。所要時間は五秒弱。……大変なのは、むしろ両想いになってからだった。


 告白のやり取りの後、呆然としている私が現状を認識する前に、先生は模試の結果と解答のアドバイスをしてくれるよりも事務的に告げた。

「俺の気持ちはさっき云った通りだけど、一八歳以下に手を出すことはもちろん出来ないし、塾生にお手付きがバレた時点でクビだ。よって、おまえが高校を無事に卒業するだけでなく志望校に合格するまでは手ぇ出さないし、うちにも連れ込まない。互いに学業と仕事が最優先。俺は土日もコマを担当しているからデートもそんなには連れて行けない。おまえが卒業するまであと一年と七か月がある訳だが、どうする?」

 先生は『古文はもっとじっくり取り組んだ方がいいと思うけど、短期講習どうする?』みたいに聞く。

「どうする、って……?」

「それでも我慢できるって云うなら、付き合うけど?」

「! 出来るよ好きだもん!」

 よく考えもせずに勢いで云う私を咎める事もない。わしわしと頭を撫でられてそれだけで幸せになった。

 先生は優しく笑うだけで、考えなしの私の張りぼてな決意を疑う言葉一つ云わないでくれた。


 ――あれから四か月弱で、もうメゲそうになってる。


 分かってるよ、仕事だもん。仕事しなくちゃ食べていけないし、一二月は受験生に大事な時期だって、分かってる。通常の講座に加えて、受験生向けの冬期講習も始まるし。

 だから、『今月はデートなし』って一行メール一本で済まされたって我慢出来――出来るかあ!!!!!

 コドモ舐めんな! 責任ないからいくらだって前言撤回出来るわ!

 一二月だよ! クリスマスムード漂わないのは塾の教室の中くらいだよ! 事務の女の人のいるカウンターでさえ、ちっちゃなツリーを飾ってるよ!

 別にクリスマス当日に会いたいって云ってないじゃん会いたいけど、ほんとは!


 先生のストーンヘッド! とか、せっかく買ってあるマグカップいつ渡せるのさ! とか、メール本文見ながら散々愚痴った。



 会いたい。


 ほっとくと頭の中それだけになっちゃうから、忘れたくて勉強したり、先生が褒めてくれた髪をバッサリ切ったり、した。急に切ったら首がスースーして思わず竦めてしまう。

 切ってから初めて塾に行けば、ここで知り合った他校の友達が「柏木(かしわぎ)ちゃんどしたのー急に? でも似合う―!」と云ってくれた。少し私を見た後、おずおずと「……まさか失恋?」って聞くので苦笑いになった。

「ちがう……と思うけど」

 襟足を撫でる。きれいだって褒めてくれた髪は、もうない。

「分かんないや」

 どこで誰に見られるか分かんないから、手をつなぐのはたまーに連れて行ってもらえるデート中の、先生の車の中でだけ。メールは注意事項か連絡事項以外、向こうからはほとんど来ない。電話はまず来ない。恋人らしいことは、何一つない。キスすら。


 そんなんで、付き合ってるって云えるのかな?

 開いたテキストに目を落とした。分かりやすい筈の解説はちっとも頭に入ってこないまま、扉が開いて私の好きな先生が入ってきた。

 いつもならわーい見放題!ってお楽しみタイム――後から「見過ぎ」って一行メールが来るくらい――なのに、何だかその日の講義中は、先生の顔が見れなかった。


「柏木、ちょっと」

 帰り支度をしていたら、先生に呼ばれた。

「はい?」

 何だろ。先生がここでプライベートモードで接してくることはないから、何か親向けの配布物渡されるとかかな?

 友人にばいばいと手を振り、そのまま先生の後ろをついて相談室に向かった。

 ぱたんとドアを閉めるのに体をひねって後ろを向いていたら、襟足を撫でられた。そんなところに触れられるとは思ってもみなくて、びくっとしてしまう。

「何で、切った」

 振り向く時、先生の手から体を遠ざけた。そしてにっこり笑う。

「似合いません?」

 平気な振りして返したら、ため息をそっと吐かれた。地味に傷つく。

「似合ってるよ――そう云う事を聞いているんじゃない、質問されたことにちゃんと答えなさい」

「イヤです」

 コドモじみた自分の態度に、泣きたくなる。

 こんなんだから、ちゃんと相手してもらえないんだよ。

 先生がもう一度そっとため息を吐いた。また一つ泣きたくなる。

「――里香(りか)

 あ、ズルい。そう呼ばれると強がりが解けて嬉しくなっちゃうじゃないか。

 振りほどいた筈の先生が、そっと近づいて今度は頭を撫でる。駄目だ、こんなことされたら口が脳みそを裏切る。

「だって、会えないって云われるし、」

「うん」

「そんな事云われてもこっちは会いたいし、」

「うん」

「でも会えないって分かってるし、」

「……うん」

「それなのに先生事務の女の人とよく楽しそうに喋ってるし、」

「それはただの仕事の話なだけ――続けて」

「先生が私のこと好きかどうか分かんなくなったし、」

「好きに決まってる」

 頭を撫でてない方の手が、ギュッと拳を作ったのが見えた。

「……でも分かんなかったから、どうやったら先生が私を見てくれるかなって思って、それで……」

 皆の前で私だけ贔屓出来る訳ない。とくべつな目で見れば、勘のいい子はすぐにわかるんだろうし。

 だから髪を切った。そうすれば、今日は私を見てくれるでしょ?

 皆もそれを、髪が理由だと思うでしょ?

 先生は、わしわしと自分の頭を乱暴に掻いた。大きなため息。

「そ、それ、やだ」

「……それって?」

「ため息、吐かないでよ……。わ、私がコドモだから、呆れてるんでしょ」

 ない、ない。リュックの中身を大捜索してティッシュを出そうと思うのに、黒いナイロンの内布の壁は暗ったいし涙が邪魔でちっとも探せない。

 もういいと手でぐいぐい拭いてたら、スーツの胸元に頭を抱き込まれた。

「それから?もうこの際、全部吐いとけ」

 その言葉が、甘やかしなのか最後通牒なのか分からないまま、私は素直に従う。


「私、我慢出来るって云ったのにやっぱり出来ない」

「うん」

「卒業してからとか合格してからとか一八になってからとかじゃ無理なの」

「うん」

「今なの、今がいいの、今じゃなきゃ、やなの!」

 ずっとずっと我慢してた言葉。

 それが嫌なら別れるか? って、付き合い始めのやり取りをなぞるみたいに冷静に云われたらと思うと怖かった。

「コドモで、ごめんなさい……」

 好きですって云って俺もだよって云ってもらってうれしかった。

 こんなムリムリなことしなくたって先生ならあの事務の女の人とか、付き合おうと思えばもっと楽な相手がいくらでもいる筈だ。なのに、不自由な思いしているのは私と同じで、何でそうしているかと云えばそれはきっと私の事を好きでいてくれているからこそだ。

 って云う事が、すっかり見えなくなってた。

「謝るな。それ云ったら俺もだろ?」

 短くなった私の襟足に、先生の手が滑る。きもちいい。

「融通の利かない大人でごめん。不安にさせてすまなかった。ため息ついたのはおまえに呆れてたからじゃなくて、おまえに似合わない態度取らせたり、あんなかわいい理由で髪の毛切らせた俺が不甲斐ないからだよ――里香のせいじゃない」

 両手で頬を包まれた。

「彼氏が普通の、高校生だったり年上でも大学生くらいだったらしなくていい我慢をいっぱいさせてるの、分かってる。これからも我慢させる。でも、俺はおまえを手放さないよ――覚悟を、しなさい」

「はい」

 やっぱりよく考えなくて、嬉しい気持ちだけでそう答えれば苦笑された。

「ん、その方が里香らしい。分別のある里香は、らしくなくて気持ち悪かった」

 包まれていた手で、びにょーんと頬を広げられた。

「いひゃい!」

「約束してくれ、これからは、どうしても我慢が出来なくなったら一人で何とかしようとしないで、ちゃんと云う事――たまには、これ位の時間は作るから」

「たまになの?」

 解放された頬を撫でながら不満を漏らせば「調子に乗るな」と笑われた。

 今日、この相談室は私から勉強の進め方に悩んでいるという相談を受けたと云う名目で三〇分の予定で借りてくれたらしい。


 やっぱりキスはしてもらえないけど、私は嬉しい言葉を聞けてもう天にも昇る心地だった。でも、それも明日になれば萎んでしまうって分かってる。

 好きって、いつも実感できたらいいのにな。喋るのもお仕事のくせに口のうまい星人じゃない先生に、毎日ラブラブメールを送れと云うのはミッションインポッシブルだし。

 そう思っていたら、先生が「里香、ボールペンかシャーペン一本、貸して」と云ってきた。

「どうぞ」と赤地に白の水玉の、かわいいボールペンを差し出した。

「サンキュ。しばらく借りてていいか?」

「いいけど、そんなかわいいのでいいの?それに出が悪くなってきてるんだけど」

「いいよ、文字を書くのに使う訳じゃないし」

 じゃあ何に使うの? と云う問いはすぐに答えが示された。

「――いつもここにこうして入れておく。これがおまえだと思って」

 そう云って、やさしくボールペンの頭をスーツの胸ポケに人差し指でそっと押し込んだ。

「大事にするよ」

 ぽんとポケットの上から優しく抑えられたけど、それはペンをなの? 私をなの? 

 聞けないまま、「はい、相談終わり」と部屋を追い出された。


 それから約束通り、私が見る限りいつもそのボールペンは先生のスーツの胸ポケにいた。

 ダークスーツに赤×白水玉のボールペンはとっても目立つ。だから、よく先生はその存在を指摘されてた。

「せんせー、それ似合わねーよ」

「そうか?好きなんだけどな」

 さらっと、返したり。


「先生、それちょっと貸してよ」

「貸さないよ、お気に入りなんだから」

 突っぱねたり。


 模試を受けている時にふと目をやった先で、試験監督をしている先生は目も合わせないくせに、ペンのお尻をなんどもトントンと唇に付けてたり。


 もう。

 嬉しいけど恥ずかしくて――でもやっぱり嬉しい。

 この攻防は私が一八歳になって、卒業して、志望校に合格するまで続く。所要時間はあと一年と三か月。このままやられっぱなしは性に合わない。

 どうやって反撃しようか、じっくり考えなくっちゃ。覚悟しといてよ、先生。



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