奥行(第六回目投稿の修正前)
第六回目に一度投稿しましたが、ボツにしたネタです。
これも良いと言ってくれた方もいましたので
完結に伴い載せました。
壁に掛っているカレンダーに目を向けた。今日は一月四日。まだまだ正月気分が抜けない頃だ。
桜は今、社長の家に招かれて、居間にいる。
事の顛末は、昨夜に遡る。
風呂上がりの桜がベッドに横たわっていた。
ぼんやりしていると、机の上で携帯が振動を始めた。
振動パターンから電話だと察知すると、すぐに起き上がった。
携帯を開くと、ディスプレイには「杉村幸雄」の名前が表示されている。社長の名前だ。桜は普段から、名前では呼ばず役職で呼ぶ為、本名にはあまり馴染みが無い。
「はい、香川です」
「こんばんは、杉村です。夜分遅くに申し訳ないが、今大丈夫かな?」
相手が誰であろうと丁寧で腰の低い態度だ。こういった所にも好感が持てる。
「大丈夫です。丁度ゆっくりしてた所ですから」
社長は、そうか、ならよかった、と安心した口調で言った。
新年の挨拶を済ませ、本題に入った。
「早速なんだが、明日は予定はあるかな? こないだ話した麻雀でも打とうと思ってね」
去年の仕事収めの際、車中で交えた会話の中で、麻雀をやると約束した。まさかこんなに早く、その機会がやってくるとは思わなかった。
もしかしたら、休みに退屈をしてしまったのかも知れない。それでうずうずして、こんなにも早くお呼びが掛った。そう思うと、口元が緩んだ。
午前中は母の所に行く為、十三時半から空いているという旨を伝えた。
「ちなみに、場所はどこになりますか?」
「私の家を予定してるけど、どうかな」
一瞬戸惑ったが、思った通りを口にした。
「正月早々お邪魔するのも悪いと思うのですが……」
「ああ、それなら問題無い。妻と娘は外出で遅くなるんだ」
社長は更に、家には私と息子しかいないから大丈夫だと付け足した。
「そうですか、わかりました」
そこまで言われたら断る理由も無い。素直に応じ、必要なやり取りを終えて電話を置いた。
そして今に至る。
桜は今、置物のように座っている。今日の面子は、息子さんとその友人を加えた四人でやるらしい。
しかし肝心の二人は不在である。その為、座って待ちぼうけの状態だ。
手持ち無沙汰の桜は、部屋を見渡した。
ゆったりとした広さだな、と思う。白い壁紙がより一層開放感を増している。
キッチンに近い場所には長方形の大きなテーブルがある。
そして、それとは別に正方形のテーブルが目の前にある。麻雀には丁度いいサイズだ。恐らく、その為に選んだ物だろう。そしてその横にはミニテーブルが置かれている。
テーブルだらけの部屋に少し滑稽さを感じた。
相当好きなのだな、と考えを巡らせていると、社長がお盆を持って近づいてくる。それをテーブルの上に置いた。
お盆の上には飲み物と皿が乗っていた。皿には桜が持参したお菓子が盛られている。
「どうぞ、お持たせだけどね」
社長はそう言って、目の前に置いた。そして隣に腰かけた。
「お持たせ」とはなんだろうか、素直に聞くべきか、後で調べるべきか迷った。
それを察したのか社長が口を開く。
「あ、『お持たせ』ってあまり聞かないか」
とうっかりした様子だ。
「持ってきてもらったお土産を出す時に使う言葉かな」
「なるほど、そういう意味だったんですね。勉強になりました」
社交辞令などではなく、本当にそう思った。何かを知るという事は面白い。
しかし、桜は物覚えの良い方では無い。何度も忘れ、その都度調べ直す。一見すると非効率的だが、自分にとってそれが一番の近道だと思っている。
そして、ようやく覚えた言葉を手探りで使う。
これから行う麻雀も似たようなものだ。何度も失敗しながら覚えていく。
それにしても懐かしいな、と思う。久し振りの麻雀、しっかりと打てるか心配だ。
「待たせてすまないね」
「いえ、大丈夫ですよ。先に用意しておきましょうか」
他人の家というのは、落ち着かないものだ。
何か作業をしていれば多少は気が紛れる。
「それもそうだな」
社長は腰を上げ、玄関の方へ歩いて行った。
一体どこに収納されているのだろう。いらぬ事を考えていると、すぐに戻ってきた。
両手には麻雀セットが抱えられている。
桜は、お盆をミニテーブルに移動させた。そして麻雀牌を受け取る。
社長がマットを敷いた。その上に麻雀牌をぶちまける。
そこまで準備したところで、玄関が開く音が聞こえた。ようやく着いたらしい。
数秒もしない内に居間のドアが開かれ、二人が入ってくる。
外との気温差の為か、顔全体が赤らんでいる。
二人は開口一番、遅れた事を詫びた。
そして、二人はすぐにコートハンガーに上着をかけ、テーブルに着いた。その瞬間、ほんのりと纏った冷気が桜の領域を侵す。
右隣に座った男は、一度だけ写真で見たことがある。メガネを掛け、ほっそりとした輪郭を持ち、理知的な顔をしている。もう一人は、対面に座った。一見すると幼い顔付きをしているが、眼光には鋭いものがあった。
二人が腰をおろし挨拶をする。
「杉村悠木です。宜しくお願いします」
「平塚です」
桜も挨拶をした。
「香川です、よろしくね」
ようやく四人で卓を囲む事ができた。
本来なら席決めを行うが、誰一人として頓着が無い為、自然と座った位置で始まった。
社長が口を開いた。
「今日は一位を一回取るごとに五百円進呈しよう。お年玉奮発だ」
おー、と若者二人が沸き立つ。桜はその光景を見て笑った。
麻雀は打つ人間の性格を表す。それが面白い所だ。
ざっと見た感じ、三人とも牌の扱いに慣れている。
久々に牌に触る桜は、少し戸惑っていたが一局二局と進めていくと、少しずつ感覚を取り戻した。
そして牌を握る楽しさも。
桜は、麻雀というゲームが割と好きだ。
人を選ばないゲームだと思っている。覚えてしまえば、老若男女楽しめる。
そして極端な話、ルールを覚えたての小学生がプロに勝つことも充分にありえる。
ただ、麻雀のプロは明確な数字で示せるものではない。
それだけ運の要素が強く、誰にでも勝てると言う点も面白さの一つである。
結局、麻雀の上手さというのは、運という不安定要素をどれだけ排除できるかに掛っている。
当然、排除しきれないほどの運を持った人間が勝つのは道理だ。
一回戦目は特に大きな動きも無く終局を迎えた。誰でも上がれば一位になる。
マラソンで言うと最後の最後までもつれた結果、ゴールテープぎりぎりまで競った状態だ。最後の数歩を頑張った者が勝つ、と言った具合だ。
これまで打った感じでは、社長は攻守のバランスが優れている。悠木君は無駄が無く、効率重視と言った所。
そして残る平塚君に関しては、イマイチ掴めていない。印象としては、のらりくらりと遊んでいる様に見える。
遊びの範疇故に、勝敗そっちのけで楽しみながらやっているのかもしれない。
そうだとすれば、年齢の割に随分と落ち着いている。
自分がその年齢の頃は、遊びであろうと全力で勝ちに向かい、負ければ悔しがる直情的な人間だった。
そう考えると、自分は年齢相応にガキ丸出しだったなと少し気恥ずかしくなった。
そんな中、社長が、上がれる形であると宣言する「リーチ」を掛けた。
続いて平塚君もリーチを掛けた。
「私の勝ちかと思ったけど、そうは問屋が卸さないみたいだ」
「自信の無いリーチですけどね」
悠木君と桜は蚊帳の外、こんな時は二人で大きくため息をつくのが麻雀の醍醐味だ。
殴り合いの様な打牌を続けた二人に終結が訪れた。
平塚君が持ってきた牌を舐めるように指でなぞり、マットにそっと置く。
「ツモ」
持ってきた牌を「ツモ牌」という。それであがった場合は「ツモ」と宣言する。「ロン」とは他者からのあがりを宣言するものだ。
「あー、先にやられたかあ」
満面の笑みの平塚君と対照的に、苦虫をすりつぶしたような表情になる社長。
社長は麻雀打ちの性とも言える行動を取った。
「どれ、次の私のツモ牌は……あー、私も次であがってたよ、ほら」
そういって悔しそうに手牌を開いた。
ほんの数牌の差が命運を分ける。そしてそれは無情にも、覆ることの無い事実。
今のあがりにより、一回戦目は平塚君の一位で終わった。ここまで大体約二時間。
会話をしながら麻雀。コミュニケーションツールとしても優秀だ。
それに加え、どこかの老人ホームでは認知症防止の為、導入しているそうだ。
終始、和気藹々とした雰囲気で進み、二回戦目は社長が一位で終了した。
次が最終戦となった。時間にして四時間、次が終われば六時間が経つ。
ここまで打つと結構なボリュームがある。
開局一発目、平塚君に違和感を覚えた。気負いであろうか、ほんの一瞬だけ表情が変わった。
難易度の高い手が出来上がったのだろう。
表情や仕草からも相手の状況が窺えるので、それらも当然駆け引き材料の一つだ。
気付かないふりをして、意識を向けていると、不穏な動きを見つけた。
注視していなければ気付かない。牌をすり替えていた。
あっ、と思った瞬間にはもう遅かった。後の祭りだ。
とにかく彼の余裕の出所を知ることができた。
これは麻雀の悪い所、イカサマも老若男女問わず。
気になることがあった為、咎める事もせずにゲームを進行させた。
すると調子に乗ったように、二度三度と繰り返し、牌をすり替えている。
そして「ツモ」という声がかかる。それだけすり替えれば当然の結果だろうな、と心の中で呟く。
桜に怒りの感情は無かった。ただ危惧の念を抱いた。
悠木君まで同じ穴の狢という可能性。
社長は、悠木君が勝率を伸ばした事を成長と捉え喜んでいた。
ところが、ここにきて雲行きが怪しくなる。
不正で勝利数を稼いでいたとなると、社長は憮然とするだろう。
それは裏切り行為に他ならない。
どうかそうであってくれるな、と祈りながら麻雀を続けた。
しかし、祈りもむなしく、悠木君にも同じ行動が見られた。
手慣れた平塚君が試す。そしてそれが見破られないようなら悠木君にサインが出される。
どうやら常習犯のようだ。
本来なら気付いてもおかしくない動作である。
しかし、こんな身内麻雀でイカサマなんてするわけがない。
その思い込みが作用して、見過ごしてきたのだろう。
麻雀終了後に問いただせば済む話かもしれないが、少し痛い目を見た方が効果的だろう。
目には目を歯には歯を。
ただ賞金を貰うわけにはいかない。
その為、相手を蹴落としながら、自分の順位は上げない必要があった。
下準備しとして、社長のあがりを誘発させ、一位に押し上げた。問題の二人からも点数を奪う。
そして、いつでも二人を迎え打てるように、自らが積んだ牌をある程度記憶した。
終盤に差し掛かろうというタイミングで悠木君が不穏な空気を見せた。
ここで大きなあがりを物にして一気に浮上しようという目論見であろう。
その通りには行かせない。
桜も大きく動いた。記憶した牌を必要な分だけすり替え、あがれる形まで作り上げた。
そして更に布石を用意した。
それから少しすると、悠木君が声を上げた。
「リーチ」
声に張りがある。そして笑みを隠しきれていない。
恐らく次のツモに自らの当たり牌を仕込んでいるのだろう。
リーチには二つの意味がある。点数の上乗せ、他者への威嚇だ。しかし、弱点もあり、リーチを宣言すると同時に、一切手牌を入れ替える事ができない。だから不要な牌は全て捨てるだけになる。
そこに付け入る隙がある。
社長と平塚君は無難な牌を捨て、桜の番が回って来た。
桜は、一切の強張りを捨てた。ツモ牌に向け、滑らかに手を伸ばした。
そして少し間を置いて口を開く。
「オープンリーチ」
自らの当たり牌を宣言するリーチの事だ。
他者からのあがりは一切望めず、自ら当たり牌を持ってくるしかない。
デメリットが大きいが、本来のリーチより点数が上乗せされる。
悠木君は多少驚きはしたが、自らのあがりを確信している為、余裕を見せている。
そして、仕込んだあがり牌目掛けて、力強く腕を伸ばした。
予定調和のごとく、高らかにあがりを宣言しようとした彼の顔が引きつった。
「え?」
思わず声が漏れてしまったのだろう。
面を喰らっている。何が起きたのか理解できていないのだろう。
多少混乱している様子ではあるが、あがり牌だったはずのそれを捨てた。
「ロン」
桜は声を上げた。
通常では滅多に無い展開だろう。当事者の二人以外は、その珍しさから感嘆の声を上げている。
桜は白々しい態度を取った。
「いやあ、こんな事もあるんですね。自分でもびっくりしました」
彼は未だに、何が起こったのか理解していないようだ。
今のあがりによって、彼は持ち点を大幅に失った。その後は怪しい動きを見せる事無く三回戦を終えた。
社長は二回も一位を取り、満足そうにしている。
未だ釈然としない彼をよそに、片づけを終えた。
彼らに一言言える機会があれば良いと考えていたが、計らずともその機会はやってきた。
社長の宅を辞した今、悠木君と平塚君と歩き出している。
悠木君は友人を送るという名目で一緒に来た。
少し歩いた所で、桜が口を開く。
「いつからやってるの?」
二人は訝しげな表情を桜に向けた。
単刀直入に言う。
「イカサマ」
予想だにしなかったのか、二人は立ち止り、表情を強張らせた。
その問いかけは、しばらくの沈黙を生んだが、観念した様子で、悠木君が口を開いた。
「ばれてたんですか……」
「うん、余裕で」
本当はいつからやられていたのかわからなかったが、そう言った方が効果的だろうと判断した。
「平塚君が先導役って感じかな」
「そこまでお見通しですか、お手上げです」
平塚君は、反省しているようで、感心しているようだった。
こんな事を見破ってもなんの自慢にもならないけどね、と心の中で呟く。
「俺もあまり偉そうなこと言えるような十代じゃなかったけど、少しだけ言わせてもらうね。今回、身内だけの麻雀だったから、お説教だけで済むけど、他人とだったら大事になってるよ」
二人は素直に頷いた。
「まあ、俺もやり返しちゃったけどね」
「あの時ですか?」
「うん。あ、やるなって思ったから逆手にとってやろうと思ってね」
「やっぱり……。あの時は本当に面食らいましたよ」
「何の話ですか?」
蚊帳の外にいた平塚君が口をはさんだ。
桜は一部始終を説明した。
「なるほど、だからあれ以降大人しく打ってたんだ……」
「天網恢恢疎にして漏らさずだ」
「なんですかそれ?」
「悪い事は誰かしら見てるって意味かな」
二人はどこかすっきりとした顔をしている。
桜はもう一言だけ添える為に口を開いた。
「まあ、勝つには手段を選ばないって気概は良いと思うけど、本当にやったら駄目だ。ばれるばれないじゃなくて、誰に見られても恥ずかしくない行動を取ってほしいな。麻雀だけじゃなくて全てにおいてね」
更に付け加えた。
「それに君達は馬鹿じゃないだろうし、いずれは気付く事だと思うけどね」
だが、早いに越したことは無いだろう。
転機なんて偉そうなものじゃないが、考えるきっかけを与える事が出来たのかもしれない。
大袈裟に言えば、それを生かすも殺すも本人次第と言ったところか。
本人達も、少しは思う所があったらしく、思案気な様子を見せている。
そして悠木君がおもむろに口を開いた。
「あの、あれどうやったんです?」
「ん?」
一瞬何の事か考えたが、イカサマの事だと思い当たる。
知りたいという欲求は、反省とは別の所にあるのだろうか。
このまま教えないと言うのも生殺しの様な気がする。
素直に種明かしをした方が却ってすっきりするかもしれない。
「イカサマですよ。僕のあがり牌が香川さんのあがり牌にすり替わっていたヤツです」
「反省してる? そんな事知ってもなんの得にもらないよ」
「充分してますけど、気になって……」
「仕方無い。金輪際一切イカサマはしないと誓えば教える」
「はい、誓いますから、お願いします」
イマイチ信用に足らない言葉だ。
まあ、もったいぶるような事でもないな、と教えることにした。
「まず一牌隠し持っておく。手持ちと合わせると十四牌だ。それであがりの形を作っておく。君がリーチを掛けたら、君のツモ牌と俺のあがり牌をすり替える」
「どうすり替えたんですか?」
「ツモる際に手の内に一牌忍ばせておく。それで俺と君のツモ牌を取る。君のツモ牌だった場所に忍ばせておいた一牌を置く。それだけ」
なるほど、という声が二方向から聞こえた。
こんなもので感心してないで、先ほど言った言葉を噛みしめてもらいたいところだ。
「もうすっきりしただろう。くだらない事をしてないで闘う場所を選んでくれよ」
「ところで、なんでそんな上手いんですか」
少し間をおいて、俺もやっていた事がある、と答えた。
「まあ、ある日ばれたけど」
「ばれてどうなりました?」
興味津津に問いただされた。
右の拳を握りしめ、自らの右頬に当てるジェスチャーをして言った。
「思いっきりぶん殴られた」
二人は笑った。
それを見て、桜も笑った。
そして、別れの挨拶も程々に、二人とは違う道を歩き出した。
世の中何が役に立つかわからないものだ。
案外人生とはそんなものかもしれない。
しかし、あの男から買った『力』は一向に役に立つ気配が無い事に気付いた。
役に立ちそうで立たない。それも人生か。
そんな事を考えている自分がおかしくて、吹き出してしまった。
最近はよく笑う。
日々、少しずつ、ゆっくりと、凝り固まっていたものが解れていくのを感じている。
まるで雪解けの様に。