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白日夢 3

 メゾネットタイプ。と云うのか知らんが、まあ簡単なところ、平屋をぶった切って二つに分けたようなアパートで、村上はその左側に住んでいる。俺は錆びて茶色くなった心許ない階段を上り、またドアをごんごんと拳で叩いた。しかし人の気配がない。どこかへ出かけてしまったのだろうか。けれどもこの村上という男、質素というか得体の知れない貧乏臭さがあって、自分もあまり知らないのではあるが、アウトドア派にはどう考えても属さない。

 なんだろう、部屋でこっそり死んでるんじゃないだろうな、だったら嫌だな、なんて思いながらドアに耳をあてていると、ばぃんといきなりドアが開いて、出てきたのが仄暗い瞳をした村上。あたた。

 俺がしこたまぶつけた鼻を手で押さえていると、奴はドアを半分開け、ぴくりとも笑わずに冷たい無感動な目で「……何やってんの?」と言う。

 「いやさ、行くとこねぇからよ、お前んとこ来た」

 「じゃいいよ。上がんなよ」

 言われた通り玄関に入り、靴を脱いで村上の後を追う。台所は随分と小ぢんまりしているものの、簡素でまあ清潔。しかしこれ、貧乏を絵に描いたような家の中で、本当に何も無い。しかも日用品なんかが要所にきちんと整頓されているから、余計にがらんとした印象を受ける。床もなんだか心許なく、俺と村上が踏むたびに、にし、にし、と軋むのである。

 「泥棒がげんなりして帰っちまうような家だなあ。風呂はねぇの?」

 俺が言うと村上は振り向いて顔半分だけ覗かせ、また向き直る。「ない」

 村上に通された部屋には飾り気というものが全く皆無で、部屋の中央に四角い白のテーブルがあり、上にノート型のパソコンが一台、様々な袋の飴が丸い綿棒の容器に似た円筒型の透明プラスティックに詰め込まれている。味気ねぇなあ。呟きながら俺は部屋の中をついぞ見渡すが、やはりこれ以外に目のつくものがない。天井はやはり低く、所々雨漏りの痕が黒ずんでいて見る影もない。もう木が腐りかけている。

 「お前んちテレビもねぇのかよ」と俺が言うと、村上は特に気にもしない顔で「ないよ。飴食べる?」と俺に訊く。要りません。俺が邪険に手を振ると奴は容器をぱかっと開けて中から小さな袋をつまみ、袋を剥いで飴を口に放り込んだ。

 「お前いつもこの部屋で何やってんのよ、一人で」と自分はうすぼんやりと村上に尋ねた。

 というのも、こんな部屋にいたのでは気が滅入ってしまって仕方がないのではないかと自分は思ったのだ。これなら幾らか散らかっていた方がましかも知れん、というのは駄目な人間が思うもんなん? 少なくとも俺は駄目。散らかってないと居心地悪いもん。えへ。

 だが村上はやはり呆けた顔で、雨を口の中で転がしながら「別に」とかったるそうに言う。

 「別にって。何かあるべよ、せめて本読んだり、なんか雑誌とかよう」と自分はそこらの床を見渡し、ほらあった、本があるじゃねぇか。とそこには見知った名前。「あっ、なんだこれ、カフカ?」

 「変身」と奴が言い、飴をごりごり噛み砕いて胡坐を掻く。

 本は使い込まれた歯ブラシのようにページが外を向いていて、村上がどれだけ読みふけったかがわかる。ほらね、やっぱりカフカはつまらなくなどないのだよ、と俺は自分に半分、阿呆の連中に半分、頭の中で呟いた。まあ読んだのは俺じゃねぇけども。

 「俺も持ってんだ、今日。ほら城」

 尻ポケットから文庫本を引っ張り出し自分が言うと、村上はそれほど興味なさそうに目を細め、また視線をそこらへ投げやった。その後で今度は自分の足の爪を指先で何やらいじりだす、と思ったらきったねぇ、爪の垢をほじくり出してるんじゃねぇか。

 ったく、と俺は一人で呟いた。こっちもこっちで随分とまたやくざな部屋じゃねぇか。

 村上がそうして俯いていると、奴の顔はほとんど髪に埋もれる。村上の髪は真っ黒で前髪が特に長く、まるで頭から醤油をかぶったみたいに見える。そして襟の伸びきった白いTシャツ。腕や脚は俺以上に白く、すらりと伸びてはいるが木の枝のように細い。

 「お前さ、あいつらが何やってるか知ってる?」と話題もないので俺は言う。

 「あいつらって誰?」

 爪をほじくりながら村上が言い、俺はポケットから煙草を取り出して火を点けた。

 「西尾と奥田と石平」

 「あの三人が何かしてるわけ?」

 俺はふふんと笑って薄ら笑いで煙を吐き、出来うる限りの皮肉を込めて言った。「あいつらさ、小説書いてるんだとよ」

 「俺も書いてるよ」

 「えっ、なんじゃそら」

 と自分が頓狂な声を上げると、村上は俺をちらと一瞥してから灰皿に爪の垢をまぶし、小指で耳の穴をほじりながら言った。

 「知らないよ、そんなの。でもこの前あいつらに書いた小説見せた」

 「……はあ? ってことは何? お前に影響されて書いてるわけ? あの馬鹿共」

 「知らないよ」

 どこまでも軽率な野郎共である。して俺は言う。

 「お前何か言わねぇのかよ、ふざけんなとか、やめろとか」

 「どうして?」

 あっけらかんと村上に言われ、そう言えばなんでだ? と俺も思う。なんで奴らが真似しちゃいけねぇんだ?

 「ムカツクだろうよ、だって」と俺は言う。

 「そんなの自由じゃん」

 ふいにくしゃみが出る。えっくしゅん。他人の噂話をしている時になぜくしゃみ? 俺はずずず、と鼻水を啜りながら考えた。そらまあ、村上の言っていることは正論だ。世の人々は俺も含め、何かしらに影響を受けた上で活動している。じゃけどさ、やっぱり他人のお株を易々と真似てみせるなんざ失礼千万、白痴というものじゃないのだろうか? それともやはり村上にはそれ相当の自信があって、余裕綽々なのであろうか。俺だったらどうする? きっと一喝するに違いない。だって気に食わないもん。あんな自己完結の間抜け野郎共に思いつきで真似されたんじゃなんだかこっちのやる気が出ない。でもそれってやっぱりエゴかしら。そこは常識人として何も言わず乙に澄ますべきなのだろうか。でも釈然としないよやっぱり。

 村上は爪をほじくり終えると座椅子に座り、テーブルに胸をひっつけてパソコンを立ち上げる。左手で耳をほじくりながら、マウスをクリッククリック。マイクロソフトなんたら云うのを開いて、出てきたるは傍線のみ引かれた白紙。村上は何やら神妙な顔でその四角い画面と睨めっこを始める。

 「何始めんのよ」と俺は村上に尋ねる。

 「……いや、執筆」

 村上は画面を睨んだまま俺に言い、突然キーボードを打ち出す。カタカタカタカタ。そしてふと手を止め、また睨み合ったかと思うと、カタカタカタカタ。

 仕方がないので俺は寝転んで天井をしばし見つめ、その後でカフカの「城」を手に取ってまた開いた。でも駄目だ。他人の家じゃなおさら読書なんて出来やしない。ナイーブなのだね、俺は。投げ出した足の先では村上が変わらず睨めっこを続けていて、時々ふと何かの意志に駆られるみたいに、カタカタカタカタッと凄い速さでキーボードを叩きだす。そんな作業を延々と続けていくのである。しかもその執筆とやらに集中している時の村上には静かな迫力のようなものがあって、なかなかどうして声をかける隙がない。

 小説を書くことの何がおもしろいやら、俺には見当もつかない。ま、そういうのはきっと書いてる人間にしかわからねぇんだろうなあ、とは思う。しかしなんだろう、俺が思うに、村上の目指す目的地と石平共の目指す目的地はやはり別なんだと思う。誰かをちょいと真似して成功を手にしようなんて思う人間が本当に成功できるはずもない。まず連中の目指すところは金だ。金と金と金だ。それからどうこうという話じゃなく、ただ目的が金なのだ。とは言っても、やはり村上の目的地にもあるいは金が関連しているのではないかと俺は思う。しかしそれだけではないはずだ。人は心から喜びを感じないことに自ら打ち込むことは出来ない。村上にあって連中にないのは独自性だ。何かを作ろうとしている人間はその完成にしか目がいかない。それは駄目人間の俺がようくわかってる。つまるところ、人は漠然とした金のためにここまで真剣になることができるのだろうか、ということ。ちょっと俺には想像がつかない。あるいは可能かもしれないが、よほど金に貪欲でなければ出来ない、とも俺は思う。

 「順調?」と俺は訊く。

 ややあってから素っ気なく、「まあね」と村上は答える。

 「どんぐらい進んでんのよ」

 「原稿用紙だったら多分300枚くらい」

 「ふーん。でもさ、それって出来上がったらどうすんの? どっかに送るん?」

 「送る。出版社に」

 「送ってどうすんだよ」

 「世に出してもらう」

 「で?」

 「また次のやつを書く」

 「そうか」と俺は言った。

 どうやら村上には目標があり、道が存在しているらしい。俺はなんとも云えぬ感情が満ちてくるのを腹の辺りに感じた。悲しみとも違うし、悔しさともまた違う。音もない空洞にすっぽりと身を入れたみたいだ。あるいは虚しさなのかもしれない。いや、虚しさだってきっとまた違う。俺は何も感じていないのだ。何も感じていないし、何も考えていないのだ。

 「おう、なんか飲み物くれよ」と俺は言った。

 「冷蔵庫に入ってる」

 果たして冷蔵庫なんかありましたっけ? と思いながら台所に行ったら、玄関の死角にちょうど人間が丸くなったぐらいの大きさの小型冷蔵庫があった。開けるとコカ・コーラのペットボトルがあったのでこりゃいいな、と思って流し込んだら背中に寒気が走った。

 「おまっ、これ腐ってるじゃねぇかよ!」

 「違うよ。それ中身がコーヒーなんだよ」

 村上に言われて匂いを嗅ぐと確かにそれはコーヒーだった。あまりに想像した味と違うもんだからびっくりしたのだ。

 「何だよ、何か一言いってくれりゃあよかったのにさ」

 「ごめん」

 と言いつつもやはり村上はパソコンを睨みつけたままだ。

 コーヒーを飲みながら俺は思った。俺は一体何をしているんだろう? 何しにきたんだっけ、そもそも。つまり人生のメタファーとして、さ。

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