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白日夢 2

 いくらか呑んでうとうとしかけたところで、電話が鳴り、五月蠅いので保留を押す。しかしまたすぐに掛け直ってくるので、ぶしつけな野郎だ一体誰だ? と画面を覗くと、そこには西尾智英と文字が浮かび上がっており、そうこいつはあの白日夢で呑んだくれている中の一人だ。仕方ねぇ、と体を起こし、肘をついたところに尖った食べかすなんかがあって、やっぱり今日は心持ちがわりぃなあと思いながらも俺は電話に出た。

 するとどうも白日夢での呑み会は早々と切り上げられたらしく、「やっぱりセンちゃんがいないとどうにもまとまりがなくてさあ」などと西尾は言って、嘘を申せ、嘘を、と自分は思うのだが、「で、今から来ない?」と言うので、まあいっか、「わかった。着替えるからすぐじゃねぇぞ」と返事をした。

 でも着替えなんてないや。まああれは言葉のあやというかなんというか、時間に遅れても問題ないように仕掛けた保険。弱者は対応力に優れてない分、後々のことまでしっかりと考えているのだ。といってもせめて見据えられる後先はせいぜい二日か三日がいいとこだけど。そもそも将来を見据えることが出来ていたらこんなところで油を売っているわけがない。俺のど阿呆。


 商店街を抜けて駅を逸れ、家だらけの中に見つけたるは西尾の住むボロアパート。俺が不思議なのは、奴がどうして家賃を払えているのかということだった。まあ多分、親の脛でも齧っていやがるんだろうな。あの馬鹿野郎。バーカ馬鹿馬鹿。あいつはそういう奴なのだ。

 ドアをごんごんと拳で叩き、すぐに中からのしのしという足音が聞こえ、扉が開く。

 「いらっしゃい。ノックなんかしなくてもいいのに」

 にやりと笑って俺を出迎えた西尾の顔は黒くすすけていて嫌らしく、俺はその瞬間に来たことを後悔した。ああ、なんであんな電話なんかに出ちまったんだろう畜生め、と俺は思わずして自責の念に駆られた。電源切っときゃあよかったんだ。どうせ俺に用のある人間なんてろくなのがいやがらねぇんだから。俺はここへ来りゃあ少しくらいは心持ちが好転するんじゃないかと見込んでいたのだ、これでも。だが、予想は外れ、結果、西尾の乱杭歯やぼさぼさの浮浪者髪がより一層俺の気分を沈ませた。俺はこんな連中と付き合って自分を満足させているのだ、ということを改めて気づかされた。つまりは俺もこいつと同類ということなのだ。

 おう、と声を返して中に通され、またもやうんざりする。ひどいもんじゃねぇかよ、おい。俺んちよりひどい。俺だって定期的にゴミ袋は外の収集所へやってるし、生モノは冷蔵庫に放り込んでる。しかし、これはなんだ? これじゃ朝のゴミ収集所まんまじゃねぇか。パンパンに膨れ上がった数多のゴミ袋、口の開いたままカーペットに倒れた醤油、壁に張り付いたガム、部屋干しされた干し柿みたいなトランクス、それにこの、もわっとした胸が焼きつくようなひどい匂い。おえっ。ここに比べれば、あるいは公衆便所の方が幾らかはましなのではないだろうか。俺はもう奴への嫌悪が一杯になり、今度は自分を呪い始めてしまった。俺はどうして負け犬なんかに成り下がっちまったんだろう。俺はせめてもう少しくらいはまともな人間だったはずなのだ。きっと。


 しかしあからさまに嫌な顔をするというのもモラルに反するし、なので俺はぐっとこう息を止めて、足の踏み場がない台所をひょいっ、ひょいっ、と片足ずつ器用に下ろして、居間へ着いてから一気に空気を吐き出した。居間には西尾だけでなく、連れの奥田英朗と石平康平もいる。俺は咄嗟に身を引いてしまった。何故というのも、そこにある独特の雰囲気が俺を拒絶させるのである。世にも下らない、卑猥な冗談を言い合ってげらげらと笑い、無精髭に缶の口を持っていってビールをがばがばと呑む連中のこの光景。ああ、やってしまったのだ、俺は。先刻、敗北の酒を呑むなんざ御免だと言い切ったのはどこのどいつであろうか。もう駄目だ。俺はもう本当に糞。ここまできたら糞以下やも知れん。

 しかもこいつら、何を言い出したかと思えば、今現在小説家になろうと目論んでいる、とへらへらしながら俺に言う。いつか印税で生活するんだ、と言う。しかも全員が全員だ。そんなことが幼稚で軽薄な望みだということがこいつらにはわからないんだろうか。そして俺にその原稿とやらを見せ、他人の目も時には大事だとかなんだかとか言いやがり、つまりは俺に酷評されても気にはしないよ、という心の保険を掛けやがった。負け犬の典型的な自愛、自尊心に自己至上主義。だから俺は徹底的に言ってやることをせず、こう言った。

 「まあいいんじゃねぇか。売れる売れる」

 すると保険を掛けやがった石平が、ふふんと自慢気に鼻を鳴らし、壁に寄りかかって薄ら笑いを浮かべながら腕組みをする。どうやらこれは石平が書いた小説のようだった。けったくそ悪い。やっぱりぼろくそになじってやるべきだった。

 西尾と奥田は途端に石平に羨望の眼差しを向け、どうやら糞だめの中にも僅かながら優劣関係が出来上がったらしい。しかもずぶの素人である俺の言葉を買ってのことだ。こんな奴らが小説家になどなれるはずがない。いつか印税で生活するだと? 馬鹿馬鹿しい。いつかなどと言ってる内、そのいつかは存在しない。「自分の行いについて、無知であることほど恐ろしいことはない」「行動が全てだ。栄誉に価値はない」「望んでいたものを手に入れたと思い込んでいるときほど、願望から遠く離れていることはない」──ゲーテを読め、ゲーテを。

 しかし何を言っても無駄なのだ、こいつらにはもう。しかも今の散文、なんという駄文であろうか、主人公が高校生だと? 吐かせ、阿呆。あんな高校生はおらん。背が187センチで美少年、スポーツ万能で成績は常にトップ。で、そのストーリーというのがまた実に珍妙で白痴。その気取った高校生が雨の帰り道を歩いていると、捨て猫を拾った同じ学校の女子生徒が雨に濡れながら歩いている。そしてそれに胸を打たれた主人公が声をかけて相合傘で一緒に帰り、やがて仲良くなり、主人公は心の温かさを取り戻していく。阿呆。

 阿呆の一言に尽きる。どれだけおめでたい話だ馬鹿野郎。大体が猫を拾う奴なんて偽善者にそれ相違ないのであって、家に帰りゃあ蚊は殺すはゴキブリは叩き殺すは、命の重みなんてわかっていない野郎なのだ。命に基準なんてものは無し、そもそも命に重みという概念すらない。だって、世界中の人間が菜食主義でなければこれ、採算が合わんじゃないか。まずは処理場でバラバラになる前の牛を助けるシーンから始まって欲しいね。

 そして大きく欠如しているのは現実味であって、これにはまるで人間臭さや現実臭さがない。これじゃ俺の聞いたうんこJ−POPCDと同じじゃねぇかよ、と俺は思う。それからあのテレビでやってるドラマやなんか。果たしてあんなものを見ている人間がいるのかと、俺はいつも信じられなかった。視聴率なんてテレビ局がうまいこと誤魔化しているようにしか思えない。

 しかしそれとも、とここで俺は思う。

 やはり、俺が駄目なのだろうか。俺が駄目だから、見るものが全てつまらなく映ってしまうのだろうか。俺がつまらない人間だから。……

 こうなるともう、いよいよ俺は俺の城に籠もるしか道がなくなってしまう。俺はこれ以上自分を傷つけたくない。想像を遮断し、俺は俺の中に籠もらないわけにはいかなくなってくる。それが連中に言った、自己至上主義だとわかっていてもやめられない。俺は所詮、こいつらと同じ敗北者なのだ。


 その後で俺の尻ポケットに「城」が挟まっていたことからカフカの話になり、さきの事で勢いづいた石平は調子に乗って「カフカなんて全然面白くない。つまんない」と言い、それは聞き捨てならん。カフカは決してつまらなくなどない。俺が本を読めないのは俺がつまらない人間、何かしら先入観を抱いているからであって、もしくは本がお堅いと思い込んでるだけであって、断じてつまらないということはない。そもそもつまるつまらないという批評なぞないんである。つまり、また石平の自己至上主義。自分のちっぽけな栄誉を守るために必死で、もはや盲目なのだ。大馬鹿。こういう奴は心に巨大な城を持ってる。何事も自分の都合のいい方向に丸め込んでいってしまう。あらゆる可能性をもぎ取り、世界全否定の自己満足に終わる。俺が悪いんじゃない、あいつが悪いんだ、といった具合に。しかしそれも自分の中だけであるのだから、現実は何も好転しない。自分が劣っていることを認めた人間だけが、またその階段を上ることを許されるのだ。


 しばらくして「で、俺に自作の小説を見せるために呼んだのか?」と俺は言い、奴らは「そうだよ」なんて言いやがるから、俺はもう完全に頭にきた。

 立ち上がって後ろも見ずに、そこらのゴミを蹴飛ばしながら歩いて玄関を出てやった。連中にどう解釈されたところでかまうもんか。やはり追ってくる奴はいない、臆病の集まりだからな、ふん。他人の振り見て我が振り直せ、とは正にこのことだと思い、俺は決めた。もう連中とは付き合わない。俺には色々と考えることが必要だ。いや、その前に何より行動が必要なのだ。こんな時のために読んでおいてよかった、ゲーテ格言集。行動とは成功や失敗のためにあるのではない、少なくとも今の自分には。

 じゃああいつらは一体いつになったら気がつくんだろう、と俺は思う。互いを褒めちぎり合い、グループマスターベーションを延々続けている。俺はもう御免だ。本気で御免だ。絶対、二度と繰り返さない。こうなると、城とは個人だけが有するものではないのかもしれない。あるいは共有も。

 ……ああ、そうか、なるほど。あいつらも白日夢の中にいるんだ。夢の中にいすぎて、もう現実と錯誤しちまってるんだ。

 俺はもう電話が掛かってこないように電源を切り、道をずんずん歩いて来た道を戻った。しかし、家に戻って何をしよう。ランニングでもするか? なんて考え、それでもいいな、うん。健康にもいい。だが家に帰ってもし俺という野郎がビールに手をつけちまうことを考えると、少々肌寒い。まず自分をよく知れ、思い出せ。となると今帰るのは絶対によくない。俺はそれで駄目になるんだ、いつも。

 じゃあどうする? よしこうしよう。

 要は連中のところに行かなければいいのだから、別の友人宅にお邪魔しよう。しかしこうなると、その数が相当に限られてくる。なにせあの馬鹿な連中とばかり毎日飲んだくれていたわけで、高校時代の友人などとはほとんど縁が切れてしまったわけである。ふむ。となるとやはり、村上しかいない。でもあいつんちになんか行って何すんだ? 

 ええい、ままよ、ってんで俺は決断する。行かないよりはまし。行動が全てだ。さ、行こう。


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