テレビマン
テレビは嫌いだったけどやっぱり見ないわけにはいかなかった。なぜなら学校の友達であるヤッ君やトオルは毎日登校してリュックを机の金具に引っ掛けると、早速昨日見たテレビのことをペチャクチャペチャクチャケラケラケラケラと話し続ける。「そこでバーン! とか弾けてさ、みんな超驚いてんのー」ケラケラ。「それウケるー、マジでウケる」ケラケラ。そんでもって一通り話が終わると今度は僕の方を向いて、「昨日なに見てたー?テレビ」とか訊いてくる。「見てないよー寝てたー」とか言うと、二人はどっちらけ。「ふーん」と言って、もう僕に興味はないと、違う生徒に話しかけにいってしまう。こうなったら適当に番組を一つでっち上げてしまおうかとも僕は思うが、見破られるのは何より怖いのでやめておく。でもしかし、別の生徒と楽しそうに話す二人を見ると、僕はもう島流しにあったみたいに孤独でやりきれない気持ちになる。だからなんとしても今日こそはテレビを見なきゃいけなかった。このままじゃ僕の学校生活、ひいては人間関係が危ういのだ。
僕のお母さんはかなり温和で穏やかな人なので、小さい頃から僕によく本を読ませた。「トム・ソーヤーの冒険」、「チャーリーとチョコレート工場」、「ムーミン谷の仲間たち」などなど……。でもそのおかげで、僕は全くテレビを見なかった。それにテレビが面白いと感じることもほとんどなかった。今こうしてブラウン管の前に座っていたって、どきどきわくわくする思いなど胸に一欠けらとしてない。むしろおっくうだ。本当は今すぐベッドに横たわって、最近読んでいる「車輪の下」の続きを読みたい。
だがそういうわけにはもちろんいかないので、僕はリモコンを手に取って、「よっ」とスイッチを入れた。淡い光がゆっくりと薄暗い夕方の部屋に浮かび上がる。
「――それではこの辺でお別れいたします。さようなら」
ちょうどニュースが終わったところだった。シックなスーツを着込んだ男達が画面の中で深々と頭を下げ、視点が上の方へと上がっていく。「ご覧のスポンサーの提供でお送りしました」はい、さいですか。
ここでふと思い立ち、CMの隙をついて僕はキッチンに向かった。朝にお父さんが新聞を読んだはずだからきっとあのままテーブルの上に置いてある。……ビンゴ! 二つに折られた今朝の新聞が無造作に置かれている。僕はそれを手に取って大きく広げ、番組覧に目を走らせた。7時――「笑いの殿堂」、「プロ野球G対Y」、「解明スペシャル!ミイラの謎に迫る」、「田舎生活」、「超戦士びーだまん」。NHKはなんともマイペースな番組がずらりと並ぶので避けておくことにする。さて、と僕は唸った。果たしてあの二人はどの番組を見るだろうか。同じ歳の子たちの考えてることもわからないなんて、急に自分が20年くらい老け込んでしまったように思える。
「わはははは……」
テレビのある居間から声がして、僕は顔を上げた。点けっぱなしのテレビがあっという間に陽の落ちた暗い部屋で光り、笑い声が漏れている。どの番組だろう? とりあえず新聞を持って居間に戻り、リモコンで画面表示をプッシュ。画面に映っていた映像を配信していた放送局は0チャンネル。0チャンネル? もう一度画面表示をプッシュ。映ったのは0チャンネル。おいおい、0チャンネル?
「少年、少年」テレビは何やら喋り続けている。
僕はテレビの内容など目に入らず、思いっきり混乱していた。テレビに果たして0チャンネルなんてあっただろうか。いや、あったかもしれない。なんせ僕はほとんどそれほどの注意を持ってテレビに目を向けたことがないからだ。あるいは最近出来たのかも。もしかしたらよく学校で耳にする、あの2チャンネルとかいうのと関係があるのかもしれない……。
「おい! 少年!」テレビが叫んだのでハッとした。あわててボリュームを落とすが、テレビは変わらずもう一度叫んだ。「私を見たまえ、少年!」
一体どんな番組なんだろうとテレビを見たら、思わず「えっ」と声が漏れた。テレビには戦隊モノの原色スーツを着込んだ男が腰に手をあててこちらを見ている。日曜の朝にトリップしてしまったのだろうか。んなバカな。男が呼んでいるのはもしかして僕のことなんじゃないか、と思った。
バッチリ、そのとおりだった。
「そうだ、君だ」とテレビの男は言った。僕の目を見て男は少し頷いた。「君に話しかけているんだよ」
冷や汗の波が全身の毛を逆立たせ、僕は画面に釘付けになった。what happening? ついに来るべき恐怖が来た! 僕はなぜだかそう思って、0.0001秒でも早くテレビを消すために、親指に全身の力を込めた。あらん限りの力でリモコンの赤い電源ボタンを押す。恐怖が消える。いや消えない。男はまだブラウン管の中で平然と腰に手をあてて佇んでいる。僕はもはやおしっこを漏らしそうだった。
「少年、驚くのは仕方ない」画面の中の男はどこか残念そうに言った。「ただし私は君の味方だ」
男の表情は全身を覆ったいかにも戦隊モノのスーツのせいで読み取れない。首を振ったり、頷いたりするだけだ。口の動きもないので、声だってどこから聴こえてくるのかいまいちわからない。
「少年、何か言ってくれ」男は呆然とする僕に待ち疲れたように言った。「一言でいい」
言われたとおり僕はおそるおそるではあるが声を出した。「あ……」
「あ、じゃわからん。もう少し何か言ってくれ」と男は言う。「本当に君の味方なんだ。信じてくれ私は君を救おうと――」
「――あれ? タクちゃん帰ってたの?」男の声を遮ったその声は紛れもなくお母さんの声だった。振り向くとお母さんは、キッチンの方からこちらに顔を覗かせて買い物袋をテーブルに載せている。次の瞬間、僕は泣いてお母さんに走り寄っていた。「怖かったよーお母さーん」とお母さんの胸に顔をうずめてマジ泣き。「何? 何かあったの?」とお母さんは当然困惑。僕は今起こったことの全てを説明した。
「――ほんでね、テレビに……テレビに変な奴が出てきた」居間を指差し、Tシャツの袖で涙を拭う。本当にめちゃくちゃ怖かったのだ。
「テレビ?」拍子抜けしたようにお母さんは復唱した。「テレビって……あそこのテレビに?」
「……うん。お母さん見てきて」
お母さんは不思議そうに僕の顔を見たあと、言われたとおりにテレビのある居間に移動した。僕もその後をつける。お母さんの服を掴んで、いつでも隠れる準備はオーケイ。だが男はいなかった。テレビの中には真っ黒な闇しか映し出されていなかった。
「タクちゃん何見てたの?」お母さんはリモコンを手に取って、スイッチを入れた。笑い声が漏れて、僕はぞっとした。でもよく見るとそれはどの局にもありそうな普通のバラエティ番組だった。
「わかった。ここでお昼寝しちゃったんでしょう、タクちゃん」
お母さんは優しく温かい腕を僕の首に巻きつけ、あやすように言った。僕はその腕をどけて 「違うよ」と言った。
「見たもん。ヒーローみたいなテレビマンがいたもん」そうは言ったが、正直ヒーローなのかはどうかはわからない。でも見たもん。絶対。
お母さんは優しく微笑んだだけだった。僕の頭を撫でてキッチンに戻り、買い物袋からネギやらじゃがいもやらを取り出して夕食の準備に取り掛かってしまう。僕は悔しくてテレビを点けたり消したり、チャンネルを変えたりしてみた。でもあのテレビマンはもう映らない。ああ、なんだよもう、テレビマン。わけのわかんないときに出てきてわけのわかんないうちに消えちゃって。おかげで僕が嘘つきみたいだ。
それから僕は学校でのヤッ君やトオルのご機嫌とりなどおかまいなしに、学校が終わると即座に家に帰ってテレビの前に座り続けた。今日こそはテレビマンが出てくるはずだと信じて、ちかちか光るブラウン管をひたすら眺める。お母さんは目が悪くなるよと言ったけど無視。テレビマンをもう一度呼ばないことには僕の汚名は晴らせないのだから。
だがテレビマンは一向に現れなかった。そのかわり、僕は学校で一番のテレビ通となった。なんせ毎日ころころとチャンネルを変えては全ての番組を見てるのだ。そしてつけられたあだ名が「テレビマン」。まさかこの僕がテレビマンを襲名するなんて。ってことはテレビマン2号か? それとも2代目? とにかく一つ言えることは「テレビマン」というあだ名が僕にとって果たして利益か損害かと言ったら断然損害にあたるということだ。小学生にとって語尾に「マン」をつけられるのは大概いいニックネームではない。もちろんヤッ君やトオルと話が合うことになった点ではすごく有益だったと思う。しかしそれも束の間のことだった。ヤッ君やトオルだって小学生なのだからそうしょっちゅうテレビばかり見ているわけじゃなくて、たまには外に出て遊んだりもする。僕はその日見たテレビのことを知りすぎていたのと同時に喋りすぎていた。もしかしたらだけれど、ヤッ君やトオルは僕にちょっと嫉妬めいたものを感じていたのかもしれない。今さらながらに、ちょっと調子に乗りすぎたかな〜と僕は思ったりする。ヤッ君やトオル、はたまた他の児童と話せることが嬉しくて僕は普段の5倍は話した。そして暗に自慢していた。へへん、俺はテレビのことなら何だって知ってるんだぞ。
バカだ。僕はバカだった。空き樽は音が高いっていうじゃないか。
こうなると僕はどうしたらいいのだろう? テレビを見なければいいんだろうか? でもテレビマンの正体は未だにちょっと気がかりだ。でもテレビマンなんてあだ名が中学校に入ってまで定着したらと思うと背筋が寒くなる。はぁ、助けてくれよテレビマン。
そう言えばテレビマンは僕の味方だと言っていた。それから僕を救いたいと言ってさえいたような気がする。なら今こそ助けてくれ! と僕は思う。後からじゃ遅いのだ。僕のイメージがまだぼんやりとした状態である今の内に手を打っておかなきゃ、後からいくら考えたところで解決する策なんてきっと思い浮かばない。
そういったことを頭の中に巡らせながら、やっぱり僕はテレビの前にいた。こうなったらテレビマンを信じるしかないのだ、と僕は自分に言い聞かす。テレビの前で座禅を組み、お母さんがやっていたヨガの呼吸法でどうにかこうにか自らを高めるような気分に持っていく。スカアーサナ。ようし、なんかテレビマンが現れるような気がしてきた。どんな気だ? いや、構わない。僕は真っ黒なリモコンを握り、溝に埃の溜まった電源ボタンを静かに見据えた。テレビマン様テレビマン様お願いします僕のために出てきて下さい言ったとおり僕を救って下さいテレビマン様お願いします……




