雨降り地蔵 4
とんでもないことになった、というのはわかりきったことで、僕らは走って走って杉林の中でとうとうへたり込んで、互いに黙っている。事の重大さを口にした所で、万事は解決しないのだ。地蔵の首も元には戻らない。僕は意識を集中し、解決策を考える。糸口は必ずあるはずで、焦っているから見えないだけなのだ。確証はないけど、いつだってそうだったはずなんだから。多分。多分多分多分。
今すぐ家に帰って瞬間接着剤を持ってくるってのはどうだろう? もしくはコンビニでアロンアルファを買ってくるとかどうだろう? 僕はそう考えて、やっぱりダメだと思う。時間が足りない。家まではどう見積もったって3キロはあるし、コンビニはもっとずっと遠い。田舎のバカヤロー。あと30分もしない内に、本堂に集まっていた人の群れがこっちにやってくるのだ。池にあるはずの雨降り地蔵をみんなが拝みに来るのだ。
何も解決策が浮かばないまま、僕の心臓は早鐘を打ち出す。こいつはせかして欲しくない時に限って僕をせかす。哲平は僕の方に顔を向けず、すんすんと鼻を鳴らしている。僕にはしばらくして、それが泣いているのだとわかった。
「哲平」と僕は呼ぶ。「泣いたってどうにもならないよ」
「んぐっふ、う、うるへー」と泣きながら哲平が言って、僕は何かに目覚める。このままではいけないということに気づく。藁にでもすがった人間が、何かを最後まで成し遂げることができるのだ。
「地蔵に祈ろう」と僕は言う。「地蔵に雨を呼ばせて大人達に足止め食わそう」
「そっ、それで、ふっ、どう、なるんだよ」
「その間に俺らがアロンアルファ買ってくる」
「んぐっふ、無理だよ、ふっ、そんなの……俺達、ふっ、もう終わりだよ……」
「じゃあいい。一人でやる」
僕は土を平らにならし、地蔵をまず立たせ、その上に首を慎重に載せる。それから地面に両手をついて地蔵に口元を寄せ、息を吹きかける。
僕のその奇妙な行動に気づいて哲平が顔を上げ、泣くのを中断する。
「……何やってんの?」
「地蔵の体感温度上げてんの」と地蔵に息を吹きかけながら僕は言う。
哲平は僕の言ったことの意味がよくわからなかったみたいで、ぼんやり僕と地蔵に視線を注いでいた。それは多分、とてつもなく阿呆な光景だったんだと思う。でも僕はその時その瞬間、この世の誰よりもマジだった。人間、本当に必死な時は常識に囚われたりなんてしないのだ。特に、それが年端もいかない子供であったりした場合なんかには。
「……俺もやる」と哲平が涙を手の甲で拭い、その目には何かしらの決意があり、もう絶望の気配は感じられなかった。
そして僕らは二人して地蔵の前に両手をつき、ふーふーと出来るだけ熱い息を吹きかけ続けた。およそ現実離れしたことをやっているのにそれは奇妙なほど現実味たっぷりで、僕らの間には必然的に笑いが存在しなかった。フレダイコの音が近づくに連れて心臓は飛び跳ねるし、杉林もしんと黙りこくっていて気味悪く、もはやどこにも笑える要素なんて見当たらなかったのだ。
けど哲平より先にふーふーを続けていた僕には、彼より一足早く、この行動の無意味さと阿呆さ加減が嫌でもわかってくる。あーこんなことやってて大人の俺が見てたらきっと笑うんだろうなー、とかぼんやり思い始めてきて、「もうやめようか」と哲平に言おうとする。
しかし、その時にそれは起こった。
「あっちー」
僕らはびくっと体を震わせて互いを見やり、瞳を震わせた。
「今、……なんか言ったよね?」と哲平が囁く。
僕らは少し後ずさる。恐い。今、確かに地蔵がそう言ったのだ。なんだかんだで、地蔵がホントにしゃべっちゃったらちょっと不気味だよなー、とか今さら遅いけど、そんな考えが僕の頭を巡り、事実それに直面してるんじゃないか? とさらに客観的に悟って僕は肌寒くなる。おいおい。
「聞き間違え?」と哲平が言って、僕は首を振る。聞き間違えなんかじゃない。地蔵はちゃんとしゃべったのだ。
するとガサッという音と共に地蔵が立ち上がり、僕らは目を見開いて硬直する。それは奇跡と呼ぶにはあまりに生々しかったし、不穏だった。暗い杉林の中で、苔に覆われた地蔵が立ち上がり、天に祈ったのだ。目を開けて、しかも関西弁で。
「日干しはアカンゆうとるやろがー。雨や、雨。雨降らそ」
僕らはもう、その場に根が生えたみたいに動けなかった。地蔵はそう言い終えるとまた目を瞑り、ぴくりとも動かなくなった。
「……見て」と哲平が震えた声で言って、ハッとする。「空が」
僕はばっと顔を上げる。瞬間、雲ひとつなかった空に雷鳴が轟き、綿飴を作る機械みたいにぐるぐるーっと雲が空の中央に集まり出したかと思うと、バケツをひっくり返したような雨が本当に降ってきた。僕と哲平は息を飲んで声もないままに歓喜して、それから雨降り地蔵を見つめた。それはもうれっきとした奇跡だった。雨降り地蔵は雨の中でこれ以上ないほど幸せに見えたのだった。めでたしめでたし。
というわけにはもちろんいかず、僕らは大雨の中を急いで駆け出し、杉林を抜け、鳥居を抜け、「テツくんどこいくん〜?」と呼びかける和尚さんの声も無視して、ついでに「だから哲平だってば」という哲平の声もおざなりにして、瞬間接着剤を求めて城武市を太陽よりも早く東から西へと一直線に走ったのだった。思惑通り、予期せぬ大雨で足止めを食った市長さんと他多数の大人達は本堂の前で世間話をしていて、今がチャーンスだった。
それから僕は自分んちに着いて哲平を外で待たせ、窓からこっそり入って、床がびしょびしょに濡れるのも構わず、居間の引き出しからアロンアルファを取ってきた。それをポケットにねじ込み、準備完了、哲平と走って池に戻りながらまた面白くなってきて、ぶぶすっと笑いながら鳥居を抜けて杉林を元の場所まで駆け戻る。
雨降り地蔵は杉山の中腹であの、天に祈りを捧げたままの恰好で立ち尽くしていた。その顔に、もはや神秘的な何かは存在していない。赤い前掛けをした背の低い、ただの地蔵でしかない。僕らはアロンアルファをにゅーっと出して地蔵の首に塗りたくり、慎重に慎重に、1ミリのズレも許さず、胴体とバッチリはめた。許せ地蔵、悪いのは和尚さんだ。
それからアロンアルファ万歳。コニシ株式会社ありがとう!
なんてことを僕が言ったので哲平はケラケラ笑い、そこにもう緊迫した空気はない。僕らはしばらく雨に打たれながら泥んこまみれでケタケタ笑っていた。地蔵はやはり目を瞑り、僕らに何か一声かけてくれたりはしない。元の地蔵だ。雨降り地蔵はあの瞬間だけ雨降り地蔵だったのだ、と僕は思う。
そして雨で滑りやすくなった坂をズザザーっともう一度降り、僕らは墓石を抜けて池に地蔵を戻す。雨に業を煮やした大人達が、辛抱できずにフレダイコを鳴らして、雨の中をやってくる。僕と哲平は慌ててぐるっと杉林を半周して行列の最後尾に割って入り、人の間でもみくちゃにされながら二人で含み笑う。この行列の人々はもちろん、僕ら以外の誰一人として、雨降り地蔵伝説が現実に起こったことを知らないのだ。この雨はただの雨じゃない。雨降り地蔵が降らせた雨なのだ。うしし、僕らだけの秘密。
僕が「またやろうね」と哲平に言って、哲平が泣きそうな顔で笑う。「もうカンベン」
今回の雨は一体いつまで降り続けるのだろう? 雨降り地蔵はやっぱり雨降らしの神なのだろうか? いや、土着の神である雨降り地蔵は人々の願いの偶像であり、そして仮の姿なのだ、と僕は思う。本当の雨降り地蔵はもっと別の場所にいる。似たようなケースで、僕としてはジブリの「トトロ」を思い出してしまう。トトロもやはり、会いたい時にいつでも会えるわけじゃなく、サツキとメイが本当に困った時にだけ、決まってひょっこり現れる。人々もやはり、真摯な祈りを捧げるからこそ、雨降り地蔵のいる、本当の場所に辿りつくことができるのだ。
信じる心があればよし。信じることは決して弱くなんかないのだ。時には弱さや情けなさを見せられる人間の方がずっと強いに決まってる。僕は哲平の肩をがっしりと抱いて、哲平も僕の肩に腕を回す。肩を組んで大勢の間をゆらゆら歩き、僕らはまた「丘〜をこ〜え〜、ゆこ〜およ〜」と歌い出す。
行列は熱を持ち、うにょうにょと蛇のように山を登っていく。遠く雨雲の向こうでは、もう朝日が淡く透け始めていた。




