雨降り地蔵 3
そうして10分も経たない内に、酔っ払いもどきが二つ出来上がる。哲平が「俺酔っ払っちまったよー」とふらふら鳥居の前を歩き、僕もおよそ自然でないシャックリを交えながら「つまみ欲し〜つまみくれ〜」などとだんまりな杉林に無理難題を突きつけたりする。
本堂の周りには相変わらず人が集まっていて、市長さんの長い話は未だに続いている。
「和尚さん面白かったべ〜」と哲平が言う。「あの人マジうけるよ〜」
「うん、面白かったー。ってかそろそろ教えてよ、和尚さんのおもろい話」
「何? そんなに聞きたいの? 明日じゃだめ?」と哲平が言って、僕は内心ムッとする。
「あったりまえじゃん。しかも哲平、後で話すって自分で言ったし」
「あーわかったよ、もう。教えるけど絶対誰にも言うなよ」
「俺に関係ないことだったら言わない」と僕は言う。
「それじゃだめ。そんなんだったら教えられない」
「わかったよー、言わないー」
「よし。じゃあついてきて」
えっ? どこに? と言う間もなく、哲平は急にシリアスな顔つきになったかと思うと本堂を一瞥してから林道を駆け出し、僕もあわててその後を追っていく。哲平は鳥居のある入り口を抜けて右に折れ、真っ暗闇の杉林に突進する。
「ちょっ! どこ行くんだよー!」と僕が叫ぶが、哲平に振り向いて「いいから!」と力強くたしなめられて、僕は黙ってしまう。
地面の固い土には霜が降りていて、一つ踏み込むたびに、ザクッという音がする。しかも林はでこぼこしている上に、急な坂や、時々誰かがイタズラして作った落とし穴なんかもあって危ないのだ。しかし、僕も哲平も走っている内にお互い突然、計ったみたいに笑い出す。ぶぶぶっ、ぶはは。僕はもう何がなんだかわからないのに楽しくて仕方がない。僕がふと思いついて「丘〜をこ〜え〜、ゆこ〜およ〜」と歌いだすと、哲平がはぶぶすっと笑ってから「くち〜ぶえ〜吹きつ〜つ〜」と息を切らしながら続ける。
で、結局どこに向かってるんでしょう? と僕が冷静さを取り戻したあたりで哲平が止まり、僕の方を振り向いてにやりとした。
「誰もいないか一緒に見て」
「はい?」
「いいから」と哲平は僕の腕をぐいっと引き、それから身を屈めて林の奥に目を凝らした。 「あそこに池があんの、見えるべ?」
「あー、去年校外学習で来たとこ?」
「そそ。あそこに和尚さんの秘密が眠ってるわけよ」
「っていうかそれあからさまに雨降り地蔵のことじゃん」
「あっ、バレた?」と哲平が僕に笑いかける。
「バレるよそりゃ〜」
「まあいいんだけどさ、和尚さん、雨降り地蔵の首折っちゃったんだって」
「はあ? それマジで?」
「ぶぶっ、マジマジ。んでうちのばあちゃんに相談したらしい」
「で? どうなったの?」
「知らん。だから見に来た」
おいおいそれってけっこうやばいんじゃないの? と僕は思い、走って火照った体に冷たい汗が貼りつく。
「じゃあ誰もいないみたいだし、行こっか」と哲平が言って身を起こし、ジャージについた腐葉土を手で払って僕に手を差し伸べる。
しかし僕はその手を掴まない。「ホントに行くの?」
「行くよ。行かなきゃアカンでしょ、ほら」とまた僕は哲平に腕を掴まれ、否応なしに引き起こされる。あう。
哲平は踵に重心を置いて坂をズザザーっと下り、僕は何度も転びそうになりながらもなんとかその後をついていく。運動神経はそれなりにいいはずなのに、緊張も相まって見事にぎこちない僕の足取り。何も首の折れた地蔵を確認するっていうのだけが恐いんじゃなく、他にももっと色々あるのだ。だって、池の傍には墓地があるわけだし、池まで行くにはその墓地をとおらなきゃいけないわけだし、しかもいくら朝だからと言ったって、まだこんなに暗いわけだし。
けれど哲平に僕の心中を察することなんてそもそも出来るはずもなく、彼はスイスイススイと立ち並ぶ墓石を抜けて淀んだ真緑の池に辿りつく。僕は息を震わせて哲平にさりげなく寄り添い、彼の真っ黒ジャンパーを掴んで離さない。寒い。ここは二つの意味で寒いよ、阿呆の哲平さん。
「ほら、見てみ」
哲平が池の中を指差し、僕はおそるおそる覗く。たらいほどの小さな池の中に、コケシ大の地蔵が沈んでいる。
「……あれ? でも首はちゃんとついてるよ」と僕は言う。
「アロンアルファでつけたんだな、きっと」
アロンアルファで接着したかどうかまではわからないが、確かに地蔵の首はちゃんとズレもなくついている、ようには見える。哲平がふと屈みこんで池の中に手を入れ、僕は仰天して思わず小さく叫ぶ。
「ちょっと、何やってんだってばよ!」
「だってちゃんと見なきゃわかんねーじゃん」
「バカ、まずいって!」
「大丈夫だよ。ほら、けっこうしっかり……」
と彼が言って地蔵をその手で掴み上げた瞬間、この世全体のあらゆる不吉な予感がこの場に収縮し、万力でプラスチックが捻り潰されていくみたいに僕の心はバラバラになってもはや遠くの寒空に投げ出されてしまっていた。僕はその瞬間、ショックのあまり一度死に、そして逃れられるはずのない責任やらなんやらのおかげでまた即座に息を吹き返した。
ころころころりん、ころころりん。そう、地蔵の首がポキッと折れて、哲平の足元にころころと転がったのだ。
僕らは声を失い、仰向けになった首だけの地蔵をしばらく見つめていた。それから互いを見合わせ、哲平が震えた声で僕に言った。
「……俺のせいじゃないよね?」
僕は頷く。とりあえず頷く。哲平が何百年も続く伝統ある行事の主役である地蔵の首を折ってしまったということになれば、その場にいた僕だってもちろん無実で済むわけがないのだ。何時間後かには、僕らの想像もつかないお仕置きが待っているに違いなかった。
「くっつけて!」と僕は咄嗟に叫んだ。「早く! 今ならなんとかなるかも」
「くっつけるってどうやって!?」
「首持ってよ、そんでほら、胴体にくっつけてよ」
「無理だよ。瞬間接着剤でもないと」
僕は地蔵の首を拾い上げ、哲平から胴体を奪い取ってはめこむ。でも全くダメだった。はまるはずもない。しかも地蔵は苔がぬめぬめして気持ち悪い。それになんか臭いし、おえっ。
あっ! と僕はその瞬間、今度は別の恐怖にとりつかれ、哲平の腕を取る。
「ねえ、行こう。移動しよう。もう少しでみんな来るよ。祭りの最後は神木とここでしょ」
「あ、そっか」と哲平も途端に焦りだして、僕らは地蔵を手に元来た道へと駆け出す。




