雨降り地蔵 2
道を進むとやがてパチ、パチパチ、という焚き木の音が聞こえ出し、枯れた背の高い杉の木々に吸い込まれていた人々の静かなざわめきもぱらぱらと耳に入ってくる。寺の入り口にある最後の鳥居を越えると、カバ一頭分、猫30匹分ぐらいの大きな焚き木を人々が囲んでいて、僕と哲平もなんだか釣られて言葉少なでそこに並ぶ。火は近くで見てもやっぱりどこか神秘的で、でもキャンプファイヤーなんかとはまた違って、火に同調するんじゃなく一方的且つ無償的に暖められているような気分になり、僕は鼻水をすすりながら、自分でも掌握できない込みあがる感情に胸を打たれる。隣にいる哲平もスンスンとやはり鼻水をすすっていて、瞳にはゆらゆらとした炎が映し出されている。
「今日呑めんのかなー、甘酒」と思い立ったように哲平が言って、僕は一瞬きょとんとする。甘酒? あー、あれね。「呑みたいの?」と僕は訊く。哲平は手の甲で完全に鼻水を拭いきって頷き、「そりゃ呑むっしょー、ここまで来たら」とまた燃え盛る焚き木に両手を突き出す。
しばらくして、「でも甘酒出るのかなー」と僕はぼんやり呟く。「出る出る。ぜってぇ出る」「なんで?」「うちのばあちゃんが言ってたもん」「ふーん」「和尚さんおもしれー人だから多分俺達にも呑ましてくれるな、きっと」「無理でしょ。だって俺ら去年の」「いやいや無理じゃないって。マジで」「なんでよ」「すんげーいい人でしかもおもしれーんだってば、和尚さん。聞く聞く? その話」「あ、うん聞く」
それから哲平はふふっと肩を震わせて「ぬはは。ゴメン、思い出して笑っちゃった」と一人で軽く悦に入ってから、記憶を手繰るように焚き木から少し目線を上げ、にやりと笑って僕に振り向いた。「やっぱダメだ。後で話す」
「えー、それなしでしょー。タチわりぃよー」
「いいからいいから。後で話した方がぜってー面白れーから」
哲平は含み笑いを交えながらそう言うと焚き木に手を伸ばし、また一人でくすくすと笑う。
僕は「教えてよ」と言いかけるけど止めておく。哲平の言った「後から話した方が面白い」という言葉を一応はまあ信用しておくことにする。
そろそろ朝の5時くらいにはなったかなー、と僕は思うけど空は暗いままで、相変わらず僕らは焚き木の前で両手を突き出したままだった。そうこうしている内に、焚き木の前から段々と人々が姿を消し、寺の本堂、賽銭箱の周りにぞろぞろと集まっていく。「甘酒呑みてー」と呟きつづける哲平の横でぽかんと本堂を見やっていると、やがて賽銭箱の前にマイクスタンドが置かれ、ピー、ガコン、という耳障りな音と共にどこかで見たことがあるようなないようなおじさんがそのマイクスタンドの前に立って一つ咳払いをした。
「皆様、どうもおはようございますー」
アンプを通したダミ声が響き渡り、賽銭箱の前に集まったお参り客からおじさんに拍手が浴びせられ、田舎臭い「よっ」「待ってました」などの掛け声が耳に届くと、「ほえ?」と間抜けな声で哲平も振り向く。
「市長さんの話でしょ」と僕は言う。
すると哲平は興味を失って「あー、長い話ね」とまた鼻水をすすって焚き木の方に向き直ってしまった。
「えー、今年も寒さ厳しい中お集まりいただきまして誠に感謝いたします。おかげさまで山ノ神祭りも今年で八十を数えるまでになりました。といってもそもそもは百年以上も昔から語り継がれた行事なんでございましてね。名称こそ明治の年に変わりましたが、今でも神仏混交の姿を残す民俗学的にもたいへん貴重な行事です。皆様もまだ記憶に新しいとは思いますが平成6年には山ノ神祭りのあとで実際に、市の畑が長い日照りから救われました。言い伝えどおり、雨降り地蔵は今も農作物を干ばつの被害から守っておられるのでして――」
「おい、もう行こうぜ」と突然哲平に腕を引かれて僕はよろける。「行くってどこに」と僕は言うけど、哲平は眉をしかめて人差し指を口元にあて、「シー、いいからついてこいって」とまた僕の腕をぐいぐい引っ張るので、僕はその力に逆らわずに哲平の後についていく。
本堂の前に群がる人の間を子供ながらのフットワークですり抜け、僕らはこそこそと寺の裏側に回り込む。何何なんなの? と僕は哲平に引かれるままでいたのだが、哲平が「見ろよ」と囁くような声で言って僕は言われたとおりにする。目を凝らすと寺の裏手の、林なんだか寺の敷地なんだかよくわからない薄闇の中で、二、三人がごそごそと動いているのがわかった。
「何これ」と僕は哲平に囁く。
「待って。たぶん和尚さんいると思うから」
哲平はそう言ってから僕の腕をすらりと離し、注意深い足取りでそのごそごそ動く怪しい人達に歩み寄っていく。
「和尚さん、いる? 和尚さーん」
哲平がおそるおそる囁き、一人がおもむろに顔を上げる。
「あんら〜? テツくんか〜?」
とその人がどうやら和尚さんのようで、それがわかると哲平はデヘヘと笑って頭の後ろで手を組んだ。
「テツじゃないよ〜。哲平だよ〜」
「こんなとこで何してんだ?」
「ん? お参り」
「さっちゃんは来とらんの?」
「お母さんは家で寝てる。ねえおしょーさーん、それより甘酒ちょーだーい」
「甘酒? おう、いーよう、てっちゃん。ここにあるから持ってけ」
「やっほーぅ。ほらほら、くれるって、こっち来いよ」
マジで? そんなにあっさり飲めちゃっていいの? と僕は心の中で自問しながらも、哲平よろしくやっほーぅ、ってな気持ちの方が強くて、うきうきわくわくしながら子供らしからぬ媚びた足取りでひょこひょこと和尚さんの方に歩み寄る。哲平はかけつけ一杯とばかりに早くも一杯流し込み、「かー、うんめー」と天を仰ぐ。和尚さんも和尚さんで一杯やっちゃって、水戸黄門みたいにカッカッカッと笑う。そしてこの僕も一杯。やっぱり僕も「うんめー」とか言ってみるけど、内心は違う。おえええ、何だよこれ、ゲロマズ〜。というのが子供の本音でありつまり、僕らは大人を気取っているだけであって本当に甘酒がおいしいと感じることなど無いわけなのだ。何もおいしくて飲んでいたわけではなくて、僕らは背伸びして『酒を呑む』という行為に酔っていたわけで、『甘』って漢字はこの際排除して、便宜的に『酒』ってことにしちゃったまでなのだ。子供ながらに分別があるんだかないんだか。




