表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/28

スケープゴート 7

 事件が起こったのは僕が石田の家に招かれた日からちょうど一週間後のことだった。僕と石田は学校では以前のままで、互いに目も合わせないし口もきかなかった。正樹には、石田は裏門に来なかったと僕は言った。そのとき僕がどうして嘘をついたのか自分でもよくわからなかったけど、たぶん僕は少しだけ石田よりの人間になっていたのだ。それはやはりニヤリのせいじゃないかと僕は思った。人が本当の意味で分かり合うということが可能なのかどうか僕にはわからない。けれど限りなく近づくことはきっと可能なんだろう。僕と石田にあの瞬間起こった不可解な出来事は、現象を越えたある種の形而上学的なシンクロニシティだったのではないかと僕は思った。

 「ミホチンがいなくなった」

 その話を聞いたのは昼休み、正樹の口からだった。

 「石田が誘拐したくせー」と彼は続けた。

 「馬鹿でしょ。そんなわけないじゃん」

 正樹は首をゆっくり振って、何か考えるように廊下の先を睨みつけた。危惧していた災いがついに起こったみたいな形相で。

 「家出じゃないの、どーせ」と僕は言う。

 「女子が朝からずっとその話してる」

 「じゃあ普通に家出でしょ」

 「違うよ。石田がさらったって話してんだよ、女子が」

 「はあ? 何それバカみてぇ」

 「石田最近なんか変なとこなかった?」

 「知らねぇって。そんなこと」

 ふーん、と正樹は言った。僕が石田の家に本当は行ったんじゃないかと疑っているのだ。

 「たぶん今頃女子が石田んとこ行ってるよ」とどうでもよさそうに正樹は言った。

 「えっ、マジで?」

 「マジだよ。昼休みに行くって言ってたもん」

 「嘘じゃないよね?」

 「嘘じゃないよ。嘘ついてどうすんだよ」

 俺を試そうとしてるってこともありえるじゃん、と僕は心の中で思った。

 「ちょっと俺見てくるわ」と僕は言って、立ち上がった。

 正樹は黙って僕の顔を見つめていた。けれど僕が行かないわけにはいかなかった。

 やばいじゃん。いよいよ石田やばいじゃん。


 その声は教室の外からも聞いて取れた。僕は教室の引き戸を背にする恰好で、気配を忍ばせていた。

 「じゃあ昨日どこにいたの?」

 固く、責め立てるような声色は、騒がしい昼の廊下にも耳に際立って響いた。僕が我慢できなくなって中を覗くと、そこには教室の角に置かれた机を取り囲むように立った三人の女子が見えた。もちろんその中心に座っていたのは誰であろう石田だった。石田は顔を上げず、ほとんど身動きせずに中心にいる人物のちょうど腰あたりを見つめていた。もしくはその先にある不透明な何かを見ていたのかもしれない。石田には女子達が見えていないような気がした。石田の視界に入っているはずの三人は、石田の目に捉えられていないような気がしたのだ。

 だが女子達は別だった。全然別だった。彼女らの目には――特に真ん中の子には――揺るぎない怒りがあり、今まさにそれがぶつけられようとしているのだと僕にはわかった。

 よりによって酒井裕子かよ、と僕は思った。酒井裕子は女子間で問題があるたびに登場する阿呆だ。自分が学校のドンだと勘違いしている阿呆。虚栄心の塊みたいな女。自己顕示欲が強く、人の意見を聞き入れないことで有名だった。だから本当は女子達の間でも嫌われている。いや、周りだってずるい。こんなときだけ酒井裕子を利用するのだ。活動的な馬鹿より恐ろしいものはない。──ゲーテ曰く。

 「ほんとのこといいなよ。うちらあんたがやったってわかってんだから」

 神経質に靴底で教室の床を叩きながら、冷たい声で酒井裕子は言った。だがその声はいくぶん上ずっている風にも聞こえる。それに目が据わっていない。どうやら彼女は石田に半分怯えてもいるようだった。石田は今まで酒井美穂が相手にしてきたような連中とはわけが違うのだ。彼女は自分を勢いづけなきゃ何も出来ないみたいだった。そりゃそうだよな、と僕は思った。怖気づいてなかったら初めから一人で来るっつーの。

 石田は黙っていた。というより、特に何も感じていない風だった。目をつむったり背けたりすることはなく、変わらずにがらんどうの瞳をスカートのゴム紐あたりに向けている。石田はこういう時、一体何を考えているんだろう? と僕は思った。

 その時、石田を取り囲む女子達の真ん中に立っていた威勢のいい彼女が、ターンと靴底で思いっきり地面を叩いた。僕を含め何人かがびくついた。それを見て、僕には教室にいる何人かが僕と同じように聞き耳を立てているのがわかった。

 その後で真ん中の女子は「怒りを通り越して呆れた」という風に小さく首を振って演技がかったため息をつくとおもむろに腕を組み半開きの瞼から石田を冷たく見下した。

 「別に何も言わないならそれでいいけどさ、あんたマジでどんな目に会うかわかんないよ。言っとくけど美穂彼氏いるんだからね。多分このこと知ったら彼氏キレるから。そこんとこよろしく。どうせ美穂に彼氏いるって知らなかったんでしょ? マジでお前バカだな、バーカ」

 ひっでぇ、と思わず僕は音もなく呟いた。そこまで言うことねぇじゃん。まだ疑惑の段階なのに。

 言い終わると、教室が一瞬だけしんとした。底冷えしたような沈黙が辺りに漂い、僕は首筋に嫌な汗を掻いていた。女子は怒りを吐き出し終えると、行こ、と隣の子に軽く笑いかけて教室を後にする。ずるずると仲間をつれて。僕はその白々しい態度に心底うんざりした。

 出たよ、と僕は再び音もなく呟いた。余裕を気取った作り笑い。小心隠しの下手な嘘。現場からすぐに立ち去ろうとするのがそのいい証拠だ。強がりやがって、内心ハラハラのくせに。途中から口調が激しくなったのもそれが虚勢だってことを裏付けているわけだ。引き下がれないとわかって強く出た弱い人間の典型的な過ちだ。僕にはわかる。あのときの僕と同じなのだ。正樹を廊下に突き飛ばしたときの僕と同じ。

 僕はその三人を見ているとあまりの嫌悪感に窒息しそうになった。胃がむかむかする。まるであらゆる忌みごとがこの場に集結したみたいな空気だった。めまいがして、吐きそうになった。錆びたなまくらのナタやノコギリで骨を削られているみたいだった。思わず廊下の床にくず折れそうになったぐらいだった。

 だが石田は何もしなかったし、やはり最後まで何も言わなかった。彼女らが立ち去ると彼は何事もなかったかのように机の中から教科書とノートを取り出し、筆箱を開けてペンを机の脇にそっと置いた。そして最後に、教室に蔓延した重たい沈黙を一つにまとめあげるみたいにカチリと筆箱を閉めた。この数秒の石田の行動に題をつけるとしたら、「平生」がふさわしかったと僕は思う。石田にとっての今の出来事は、道端で犬に吠えられたそれと変わらないように見えた。あるいは彼の中にはブラックホールみたいなものがあって、時と場合によってそれを有効利用できるのかもしれない、と僕は思った。石田は自分を意識的に無感覚の仄暗い泉に──あるいは境地に──浸すことができるのかもしれない。ただ僕にわかるのは、石田が並じゃないということだった。やっぱり石田は普通じゃないのだ。いくら僕がリアリティーを附着させることに成功したからといって。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ