スケープゴート 1
石田はあの奥行きのない瞳で高見美穂を見つめていた。いや、見つめるなんてものじゃない。それはもはや立派なストーキングだった。それにあの石田の目、と僕は思う。石田の目は冷え切っているのにどこかおぞましく、常に静かな狂気といったものを宿している。今もそう、見つめる先に何かしら巨大な思惑でもあるみたいに僕からは見える。その演出に一役買っているのは彼の前髪の長さで、その間から覗く目の玉がまた恐い。漆黒の底から覗く白目が恐い。恐い恐い恐い。僕だってあんな目に四六時中監視されていたくはないと思う。
だがしかし、僕は彼を監視し続けている。彼の考えていることを、彼の心の内を少しでも把握したいと願っている。でもやっぱりそう思うのはどうやら僕だけらしくて、現に高見美穂は恐怖に震え上がっている。
視線に気づいたらしきグループの一人が標的となっている彼女の耳元に口を寄せ、囁く。
見てるよ、あいつ。
言ったかどうかは知らないが、高見美穂はからくり人形よろしく、恐怖のあまり震えているのか首をぎこちなくねじった。瞬間、二人の視線が宿命的な様を帯びて繋がる。しかし石田に向けられた高見美穂の視線は、恐れでも訝しさでももちろん愛しさでもなくて、それこそ圧倒的な怒りに見えた。そりゃ怒りになってしまうだろう、と僕も思う。監視されるなんて誰も好かないし、そもそも自分がふった相手にしつこくそんなことをされては気味が悪い。
そして石田はといえば、顔色を変えず、何も言わないまま、幽霊が消えるようにして教室に入っていく。
「やばいっしょあいつー。そのうちレイプとかすんじゃねーの?」と僕の隣に立った正樹が言う。正樹の顔は呆れきっているし、声には微かに怒りも含まれている。
「しないしない。そんな勇気ないよ、石田には」と僕は呆れた風を装って言う。
「俺さあ、もう一発びしっと言った方がいいと思うんだよね、マジな話。じゃないと絶対これからもエスカレートするよ、あいつ」
「まあいいじゃん。そのうちやめるって」
そんなはずはない。たぶん石田の高見美穂校内ストーキングは、高見美穂と石田が学校に通い続ける限り続くだろう。ひょっとするとその後だってまだ延々続くかもしれない。それをわかりきった上で僕は石田を擁護する。それは別に傷心した彼をいたわってやるとかそんなことでは全然なくて、やっぱり僕の好奇心から芽生えたものだ。
ミホチンこと高見美穂はそれなりにかわいくて(ちょっとチークが濃すぎる気もするけど)、学年の清潔な界隈に入る女子だった。石田が彼女に告白したのは去年の暮れで、その噂はたちまち学校全体に広がった。少なくとも、同じ学年で知らない生徒はいないと思う。なぜそこまで広がったかというと、それは彼の――石田の一風変わった風貌からだった。石田には入学以来一人も友達がいないどころか、発言回数はそれこそ数えるほどで、高校生活が始まって3ヶ月も経つのに未だ、思いっきり謎の人物だった。初めのころこそ積極的に話しかける生徒もいたけれど、時間が経ってグループが出来上がると共に彼は完全に孤立していった。孤立することが具体的にどういった心的ストレスを生むのか僕にはわからない。僕は割かし、そういった環境に恵まれていると言ってもいい。でも想像するからに、それは果てしなく虚しい、寂しいものなんだろうと僕は思う。無人島で一人になることよりも辛いことなのかもしれない。一人だけクラスの輪に馴染めないなんて嫌だ。親戚一同が会して集まったおばあちゃんの何回忌かなんかでも、僕はそんな風だった。ひどく退屈で、気が滅入った覚えがある。
しかし彼はそう言った面をあまり見せなかった。少なくとも、僕が高見美穂を監視する彼を監視している間では一度も憂鬱な表情を見せたことはない。あるいは、彼は強い人間なのかもしれなかった。でもやっぱり僕を含め生徒達がひしひしと感じてしまうのは、彼の持つそこはかとなく不穏な空気、冷静さの裏側にある陰謀の影だった。もしかすると、そんなものは彼の中に存在しないのかもしれない。けれど、みんな得体の知れないものは初め、とりあえず恐れておくものだ。
そして時間が経ち、石田の漂わせる空気にもみんなとりわけ違和感を感じなくなっていた。たぶん、みんな慣れてしまったのだ。実際何も起こっていないわけだし、そんなことを考えていても仕方ない、と。僕も同じだった。石田は打ち捨てられた銅像や、廃墟の中の忘れられた運河も同じだった。その頃の彼には、「あいつはあれでいいんでしょ」とか「何か抱え込んでると思われたいんだよ」という言葉がぴたりとくる。それが実際そうであったかどうかはわからないが、彼はやっぱり無言無表情のままで、周囲もそう考えるしかなかったんだと僕は思う。ごちゃごちゃとわからないことに考察を続けるよりかは、いっそこじつけてしまった方が僕ら周りとしては楽なのだ。それがいささか乱暴な見解だったとしても。
しかしそんな石田が突然ミホチンに愛の告白をしたことで事態は急展開を迎える。簡潔に言ってもちろん高見美穂の答えはノーだったわけなのだけれども、学校は水面下で騒然とした。封印したはずの壺が開かれたみたいに、生徒の話題はもっぱら石田のことになり、生徒達の石田を見る目もまた変わった。どちらかと言えば、それは漠然と恐れから蔑みに変わったのだと思われる。みんなはようやくして、彼という人物に一つ納得する要素を理屈づけることに成功したのだ。よって、石田を巡る石田の考察についてはこれで終幕を迎えるものと思われた。みんなが納得し、蘇るかと思われた不穏の末に平穏を獲得し、校内の均衡がまた元の状態に戻り、全ては石田が一人傷ついて終わるものだと思われた。
だが石田は高見美穂に付きまとった。いや、その言い方は正しくないかもしれない。正確には付きまとっていないし、ただ見ているだけだ。ただ影から見つめ、影から見つめ、影から見つめる。一体どういった心境で石田がその行為を続けているのかは誰にも少しもわからなかったけど、それが普通でない、陰鬱で歪んだ恋であることにどうやら間違いなかった。果てしないほど不気味なその行為は、健全な高校一年生達の心に強烈な苛みを与え、まるで胸にぐりぐりと拳をねじ込まれたような不快感をもたらした。
そして石田は一斉に生徒の非難を浴びることとなる──というのが現状である。なにせ恐れはもう取り払われてしまったのだ。まだ誰も何も本人には言わないけれど、憎しみは黒い渦を巻いて存在する。なめられちゃいけません。なめられたらお終いなのだ。だから石田は高見美穂なんかに告白するべきじゃなかった。
けどふられた挙句に高見美穂に付きまとう石田を見て僕の苛みの中に予想だにせず生まれたのは、翻ってある種の尊敬だった。
すげぇじゃん、石田。お前すげぇよ。
僕は心の中で密かにこう思っていたのだ。なぜなら普通そんなことはできないから。そんなことで延々傷つき続けるぐらいなら、適当な誰かに乗り換えた方がましだと僕なら思ってしまうから。だけど石田はとりあえず凄い奴なのだ。ある意味で恐れを知らない。




