とんでも学校クライシス 3
教室の前の廊下を歩いていると、「モモちゃ〜ん」と叫ぶ声は明海ちゃんだった。彼女は私のところまで走ってきて、それほど走ってもいないのにわざとはぁはぁ息をつきながら、うるうるした媚びるような上目づかいで私を見る。
「今日モモちゃん達とゴハン食べてもいい〜? ずっと探してたんだけどモモちゃん帰ってこないから心配したよ〜」
「え……ってかもう涼子とかあたし放っといて先に食べてるよ、多分」
それを聞くと彼女は一瞬驚き、驚いたにも関わらずごまかすような笑みを浮かべて、私の腕を取った。
「いいのいいの、今からでもいいから一緒に食べよ、ねっ」
ねっ? ねっ? を連発する明海ちゃんを断れない私は腕を引かれるままに教室の中に引きずり込まれる。私よりずっと背の低い彼女に引かれると思わずこっちはこけそうになるっていうのに、能天気で、はっきり言って勝手な彼女はそのことにすら気づいていないみたいに、自分の席を引いて私を座らせる。こういうところには気を使うのだ。抜け目のない子であり、ちょっと人間の裏側を覗ける能力を持った大人な人間にとってはあざとい子。
明海ちゃんは傍から机を一つ持ってきて私の座ってる明海ちゃん本人の机とくっつける。しかも向かい合って。あたしはもう高校生だっつーの! と言いたいのをぐっとこらえ、お約束どおり明海ちゃんが私のカバンを勝手に開けて持ってきた私のお弁当を明海ちゃんの机の上で開ける。
どうなの? これって。
「見て見て〜、今日自分で作ったの〜。ミートボールあるんだけどいる〜? あっ、モモちゃんのお弁当箱かわい〜萌え萌え〜」
最近の明海ちゃんは萌え萌え〜、がお気に入りだとさ。けど明海ちゃんのお弁当箱ははっきり言って私の年季の入ったキティーちゃんのお弁当箱よりは全然かわいらしい。明海ちゃんの弁当箱の柔らかなピンク色に大して、私のキティーちゃんは一番擦れる顔の中心部がほとんど剥がれてしまっているだけでなく、もう全体的に廃品物のオーラが漂っている。でもこの子にはわからないのだ。過剰なお世辞が時に皮肉として解釈されることを。
それから始まったのは、彼女の周りで起こった様々な出来事をしかも彼女の意見まで含めて克明かつ大胆を旨として私に延々と伝える話。彼女の会話は一方的すぎて、私は相づちを打つ暇もない。
「でね、もうマジできんも〜とか思って。しかもそいつあたしのこと追いかけてくんの〜! 髪が超長くて絶対オタでさ〜、もうあたしモモちゃん助けて〜! とか思っちゃったも〜ん。あっ、あと土曜日に美容師の人と遊んだって言ったじゃん? その人なんだけど――」
大体の話は明海ちゃんのそれとない自慢話か、誰かをけなすような話。あたしあの子と仲良いけどホントは嫌いなんだ〜、とか、この前遊んだ人の家に行って***しちゃった〜、とか。一体この子は何がしたいんだろう、と私は思う。秘密を共有することで私とのパイプを繋げたいのだろうか。そんなどす黒い友情関係やらなんやらを聞かされて私がいい気分でいる思ってるんだろうか。あたしが明海ちゃんのことをもっと大事にしようと思うと目論んでるんだろうか。
……やっぱりこの子も玉木さんと同じくらい謎。もっとも全然タイプは違うけれど。
ようやく明海ちゃんから解放されたのは5時間目開始のチャイムが鳴ってからだった。これほどまでにチャイムがあたしを救ってくれたことはないんじゃないか? 明海ちゃんは、「嫌だ〜モモちゃんと離れたくない〜」とマジなんだかふざけてるんだかわからないぐらいの勢いで、私の制服を引っ張りながら言う。私は私で「はいはい、戻って戻って」とか笑顔で言って、咄嗟すぎてわけのわかんないお姉さんキャラになってるし! なんなんじゃあーこりゃー! と本当は叫びたいけど色んな事情が世の中の人にあって世の中の人がみんな結局はまともな行動をとるように、私も自分の席に戻って授業を聞くともなしにシャーペンを指の間でくるくると回している。後ろの席には私が席につくより前に玉木さんが座っていた。一体いつ教室に戻ってきたんだろう、と思うけど、きっとあたしが明海ちゃんの世間話に手一杯になっているときにするりと私の視界をかいくぐったんだと思う。なんといっても彼女には先天的に備わった人目につきにくいという能力があるのだから。私は耳を澄ましてみるけれど、もう彼女のシュー、シュー、という鼻息は聞こえてこない。一体本当にあれはなんだったんだ? 図書室で会った彼女はまるで別人だった。それとも向こうの玉木さんが本物の玉木さんで今は仮面を被っているだけなのか? 人とのコミュニケーションを上手くとれない子が社会から疎外され、やがては自ら集団を拒絶するように? もう私は何もわからない。どうしてそんな行動に出るのかもまるでわからないのだ。ノート一杯に殺すと書いていた後ろの玉木さんはあの時どんなことを考えて鼻息をシュー、シュー、とさせていたんだろう。妄想の中で誰かをいたぶり、腕を切り落として脚を切り落として脳みそを棒でぐちゃぐちゃかき回すぐらいのことはやっていたんじゃないかと私は思う。私にだって誰かを心から殺してやりたいと思ったことぐらいはある。あたしは世間知らずのバカな女の子じゃない。あのシャーペンの芯で胸の中心をぐりぐりえぐられていくような心の痛みは忘れたくても忘れられない。
やっぱり玉木さんも誰かに苛められてるんだ、と私は思う。だってやっぱり、ノート一杯に殺すなんて書くこと、誰かを憎んでいなきゃできないもん。




