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帰郷  作者: 913.6
4/4

4話

神社が見えなくなるまで走った後、あたしは足をもつれさせながら祖父母の家まで歩いた。相当な全力疾走をしていたらしい。事情を知らない人が傍から見れば、何事かと思っただろう。

その足のもつれも息の乱れも、帰りつくころには解消されていた。

頭の中にあるのはさっきの少年の顔だった。

あたしは、少しだけ胸が痛んだ。

あの子が何なのか分からないが、見た目はいたいけな少年だった。それに対してあたしは拒絶の意思だけをぶつけて逃げてきたのだ。罪悪感がないと言えば嘘になる。

しかし、あれでよかったのだとも思う。

子供のころは何も考えずに一緒に遊んでいたが、大人になってみればその危うさが分かるものもある。そういったものは経験や知識でしか判断はできない。そして、子供に代わってそれを行い、事前に取り払うのが大人の役目でもある。今度のこれもその一つだったのだ。

しかし、脳裏にはりついたその顔が消えない。

あたしには、もう何がなんだかわからなかった。

あの子が何なのか、あたしの判断は正しいのか、これで全ては解決したのか、そういった諸々が全てごちゃまぜになってあたしを苛んだ。

帰りついた頃にはすでに日は落ちていて、祖母は夕餉の支度に追われていた。

「………ただいま」

いつもの習慣で、戸を開けるとそう言った。だが、大きな声を出すのも億劫で、ぼそぼそとつぶやいたようなものだった。

案の定、祖父にはあたしが引き戸をがらがらと開けたことさえ伝わっていなかったが、まだ耳は達者な祖母が「おかえりぃ」と声を上げてこちらを見たので、祖父もそれに倣っておかえり、と言った。

「遅かったがね。どこに行ってたの」

「ん。ちょっと商店まで買い物。でも買いたいものなかった」

まさか、少年の幽霊が真代ちゃんに手を出さないように説得するためでかけていたとも言えない。あたしは用意しておいた言い訳をならべた。

祖母はさほど気にしてもいないようで、そうね、と言ったあとそれ以上は突っ込んではこなかった。

「でも、あんまり夜歩きはいかんよ。女の子の一人歩きは危ないからね。……このあたりは、でる、しね」

出るもなにも、ついさっきまで会っていました。でも、そんなことはおくびにも出さず、あたしも話を合わせる。ついでに夕餉の支度を手伝おうと食器に手を伸ばす。

「出るって言っても、そんなに怖いのでもないんでしょ?」

半ば本音混じりでそう返す。だが、祖母はかぶりを振った。

「いんやぁ。村の子供が一人は引っ張られたし。あの辺りで溺れた子も何人かいるから、最近は親御が近づけさせんよ」

「引っ張られた?」

「最初の子があそこで死んでからよ。溺れる子が次々に出たのは。それで、一人は帰ってこんかった。知らない子に遊びに誘われたって言って、家を出たらそれっきりよ。

次の日の朝に浮かんでるのが見つかったわ」

背中が総毛だった。

死神の誘う手が目の前をちらついていたのかと思うと、寒気が止まらなくなりそうだった。それでも、表向きの平静を保つ。多分、もう終わったことなのだから。

「両親がおらん子だったから、供養がおざなりになってたのも悪かったのかもしれんねぇ。

六年前にあの子があの川で死んでからだもんねぇ。変なことばっかりなのは」

煮物を盛るための平皿を手に持ったままで、あたしはぴたりと動きを止めた。

今、祖母は変なことを言わなかったか?

「お婆ちゃん。何年前って言った?」

「六年前よう。真代ちゃんが生まれる一年前だから間違いないわ」

計算が合わない。

あたしがあの少年と会ったのは二十年近く前のことだ。

「そういえば真代ちゃんは起きてこないねぇ。よっぽど疲れてたのかね」

あたしは皿を落として寝室に走った。そこに真代ちゃんの姿はなかった。ぺしゃんこに潰れた綿飴の袋と、しぼんでしまった水風船だけが残されていた。

寝ていたはずの布団も触れてみるが、そこに人の温度はない。

玄関に走る。真代ちゃんの靴は………ない。

祖母が何か叫ぶ声を背中に聴きながら、あたしは裸足で外に駆け出していた。


夜の橋は静けさと冷気に包まれていた。この気温の低さは川の近くだからだろうか?

周囲にはかすかな水音しかない。田舎ではそこかしこに小さな生物の気配や音があるものだが、今日は全てが息をひそめているようだった。

昨日は街灯の明かりだけで十分に明るいと思っていたそこは、闇の靄がかかったように薄暗かった。そして、その闇に半ば溶けかかっているかのような二つの小さな人影が見えた。

あたしは走りすぎて息も絶え絶えだったが、汗で張り付いた髪の間の視界に見える人影を真代ちゃんだと確信して声をあげた。

「真代ちゃん!」

二つの影が止まる。

丁度、橋を挟んでこちら側と向こう岸とで向かい合う形になった。

「おねえちゃん?」

真代ちゃんが不思議そうにつぶやく。

よかった。間に合った。

あたしはもう一声叫んだ。

「こっち!帰っておいで!」

だが、真代ちゃんはかぶりを振った。

「ううん。あたしね、今から遊びに行くの」

こんな時間に。どこへ。何をしに。聞くのも馬鹿馬鹿しいような問いばかりが浮かぶ。

隣の子の顔は見えない。街灯は確実にその子も照らしているはずなのに、どんな背格好をしているのか見えない。真代ちゃんとつなぐ手と、体の輪郭だけがぼんやりと見えている。

あたしは一歩橋の上に踏み出した。力づくでも連れて帰る。

途端に、すうっと男の子の顔が見えた。青白い顔だが、どこにでもいそうな男の子。だが、その顔の鼻から下は顎が無く、代わりに無数の触手が垂れ下がり、蠢いていた。

あたしは踏み出しかけた足をひうっと飲んだ息とともに引っ込めてしまった。

今度は橋から退いても顔が見える。男の子は虚ろな視線をあたしに向けていた。

「じゃあいってくるね」

だめ。行っちゃだめ。帰って…!

声を振り絞ろうとするが、喉が引き絞られているかのように声が出ない。

真代ちゃんは手を引かれて歩き出す。

橋の向こう側は今や全き暗闇と化していた。向こうは人の行っていい場所ではない。あたしはもう一度足を動かそうとしたが、根を生やしたようにびくともしなかった。

あたしはいつ知らず涙を流していた。

神様。お願いです。あたしはどうなってもいいから、真代ちゃんを助けて…

その時、視界の端に人影が見えた。

あたしの腰ほどまでしかない背丈。いつもの着物と切りそろえられた髪の毛。草鞋を履いたその小さな足は、あたしが踏み込むことのできなくなった橋の上を、いとも簡単に歩いていく。

「ねぇ、ぼくとあそぼ?」

真代ちゃんが立ち止まった。

向こう側に消えたはずの少年がまた、こちら側に顔を見せる。さっきまで虚ろだったその目には、明らかな怒りの色が宿っていた。

「きみも。ぼくとあそぼうよ」

少年は無言のままで、かぶりを振った。

「ね。いっしょにあそぼうね」

昔のままの、物腰は柔らかいけれども強い意思の感じられる口調。あたしの方からは見えないが、きっと顔にはあの柔らかな笑みを浮かべているはずだ。

少年がいやいやをするように首を振る。だがそれを意に介さず、近づいて行くと、真代ちゃんとつないでいる手にそっと自分の手を重ねた。

「だめだよ」

そう言うと、さして力をいれたようにも見えなかったが、二人の手がほどかれた。

男の子同士が手をつなぐ。少年の顔はいつの間にか、普通の男の子の顔になっていた。目を真っ赤に泣きはらし、親にきつく叱られた時のように唇を震わせていた。

「じゃあ、いっしょにいこうね」

そのまま、あっという間もなく、二人は闇の向こうへと消えた。

途端に、あたりがふっと明るくなった。夜の暗さはそのままだが、街灯の明かりと月が周囲を照らし、思い出したかのように虫の声と蛙の声が合奏を始める。

取り残されたように立っていた真代ちゃんの体が、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

あたしは声にならない声を上げて、真代ちゃんに駆け寄った。


財布の中を覗き込む。

定番である五円玉は見つからず、代わりに五百円が出てきた。あたしは少し迷ったが、御利益のことを考えて、賽銭箱に放り込んだ。小市民と笑わば笑え。バイト苦学生の懐事情はかくも厳しいものなのだ。

結局のところ、真代ちゃんは全くの無事だった。

倒れたのも気を失っていただけで、朝一番で病院に連れていったがどこも問題はないとのことだった。昨夜の記憶もその前と同じく、真代ちゃん自身は一切覚えていなかった。

祖父母はあたしの荒唐無稽な話を聞くと、逆に納得したように頷いた。

「やすひらさんに助けてもらったなぁ」

祖父がそう言った。

「やすひらさん?」

「そうだ。あそこの神社の神様だ。この村ができる前からあそこに祀られとって、村の子供たちをずーっと見守って下さってる神様だ」

あたしは今日も一人で神社に来ていた。

鳥居から入ってすぐの所に神社の来歴を書いた立て札がある。古くなって変色した木に墨で字が書いてあるので読みにくいが、祀られている神様の名前はなんとか読める。

「水別泰平命」みずわけやすひらのみこと。

あたしは、昔あの子とよく遊んでいた。

そして最後に、今度会う時はもう一度遊ぶ約束を交わした。

きっとあの子はそれを覚えていたのだろう。

小さくて遊びたがりの神様。

だが、あたしはそのことをすっかり忘れて、ひどいことを言ってしまった。

今日の午後の列車であたしはまた街に戻る。その前にせめてお礼と謝罪をしたいと思ってここに来た。

本殿に手を合わせ、願い事をする。それから後ろを振り向くが、そこに期待していた姿はない。

仕方がないかもしれない。あの時は真代ちゃんを助けるために姿を見せてくれたが、あたしの方を振り向くことはなかった。あたしが先にあの子に絶縁を叩きつけたのだ。怒っていても当然だ。

あたしはあの銀杏の木を見上げた。まだ夏の銀杏は青々とした葉を枝いっぱいに張り、天に向かってその腕を広げていた。

あたしはあの時そうしていたように、幹に両腕をつき、額をのせて目をつぶった。

すると、誰かがあたしのお尻を撫でた。

あたしはびくっとして、慌てて後ろを振り返った。そこには誰もいなかったが、本殿の影に、すっと隠れる着物の裾だけが見えた。

どうやら、またあたしの負けだったらしい。

あたしは、くつくつと笑いがこみ上げてくるのを抑えられなかった。

「また遊ぼうねー!」

またの日の約束。返事はなかったが、きっと聞こえているだろう。

今度はここを訪れる時は真代ちゃんも連れてこよう。

きっと神様は、友達が増えたことを喜んでくれるだろう。




今回のお題が神社と神様と少女だったので、こんな話になりました。

次回はどんなお題で書こうかな。

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