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帰郷  作者: 913.6
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1話

「かすみお姉ちゃん、ここがおじいちゃんち?」

「まだだよ。ここはえーき」

足元で跳ねるようにはしゃぎながら、たずねてくる五歳児に、私はいつもなら絶対出さない声色で答える。

「じゃあ、おじいちゃんちってどこ?まだ?」

ここに来ることを楽しみにしていた少女にとって、目的地に着くまでの列車の旅は少々長すぎたらしい。降りた途端にこのハイテンションだ。女の子の方が男の子よりもおとなしいものだと言われているが、女の子でこれなら男の子の場合はどんなにエネルギーの塊なのだろうかとめまいがする。

「おじいちゃんちはね、まだ向こうの方だよ。大丈夫、おじいちゃんが迎えに来て、すぐつれてってくれるからね」

しゃがみこんで視線を合わせてそう話すと、少女はうん!と大きく首を縦に振った。

しかし、祖父の姿はまだ見えない。駅とは言っても辺りは吹き抜けの停留所だ。もし到着した乗客を待っている人がいるならば、隠れる場所などない。

私があたりを見回すと、向こうからのんびりと走ってくる白い軽トラックを見つけた。自転車の方が速いのではないかと疑ってしまうほどに、ゆっくりとした調子で駅にたどり着いたそのトラックの窓があき、麦藁帽子をかぶった祖父が満面の笑みで手を振る。

「香澄!真代ちゃん!よく来たなぁ」

その小柄な体から出たとは思えない大きな声。耳が遠くなり始めた頃から祖父の声のボリュームは大きくなる一方で、電話で話すのは一苦労だ。

私が思わず身をすくめるその声にも真代ちゃんはにこにこしながら

「こーんにちはーっ!」

と負けない大声で返す。

祖父はかっかっかっと笑い、

「いーい挨拶だぁ。真代ちゃんはいい子だなぁ」

と相好を崩していた。孫の私にだって甘かった祖父だ。曾孫ともなればその甘さにも拍車がかかるのかもしれない。

「香織はどうしとったね。元気だったね?」

「元気にしてたよ」

「はぁ?」

一人だけ普通のトーンで話す声は祖父の耳には届かなかったらしく、コメディ御用達の仕草でそう聞き返された。あたしはすうっと息を吸い込み、

「元気!だったよ!」

破れろ鼓膜!といわんばかりの叫びを祖父に浴びせる。しかし祖父の鼓膜は堅固で、意にも介さずにこにこ笑いながらうなずいた。

「そうかそうか。爺ちゃん耳が遠くなったからなぁ。大きな声じゃないと分からんのよ」

知ってるわよ。ついでに言うなら、都合が悪くなるとその耳がやたらと遠くなってしまうことも知ってる。祖母が夫婦喧嘩の時の技が一つ増えたとぼやいていたからだ。多分聞こえているのだろうと薄々分かってはいても、ツッコミ辛いのがこの技のズルイところだ。

そのことを言っても、それこそ件の技を食らう羽目になるのは分かっていたので、あたしは苦い愛想笑いをした。

「じゃあ乗らんね。香澄は後ろでいいね?」

後ろと行っても荷台だ。何度か乗ったことはあるので慣れている。下に敷いた方が汚れそうな座布団が一枚載っているが、それはパスして隅っこを軽く払った。幸い、堆肥などを運ぶのにはあまり使っていない荷台は土汚れだけで、払うだけで十分座れそうな程度にはなる。

「いいよ!ゆっくり行ってね!」

あたしは大きな声で釘を刺す。トラックの荷台にクッション性なんて優しいものは存在しない。もし普通の車のスピードで段差でも越えようものなら、乙女のお尻に年齢不相応な蒙古斑ができあがる。

「おねえちゃんいいな~!真代も乗る~!」

「真代ちゃんはダメ。危ないでしょ」

いくら祖父の運転が安全第一だとしても、さすがにシートベルトはおろか座席すらない荷台に子供を乗せるわけにはいかない。

真代ちゃんはちょっと不満そうな顔を見せるが、すぐにはぁいと返事をして、大人しく祖父の隣に座る。この辺りの素直さに関しては姉さんのそだて方に尊敬を覚える。願わくば、小学校に上がり、思春期になってもこのままの天使でいてほしいものだ。

祖父がいくぞうと遠くに叫ぶ。おそらくあたしへの合図なのだろうが、駅員さんがわざわざ顔を出してこちらを伺うので、あたしはお騒がせしましたと頭を下げた。

軽トラはゆっくりと走り出す。

強い直射日光があたしを照らす。UVケアはしているが、この日光には無効だろう。暑さは我慢して、素肌の見えているところに持参したタオルをかける。サンダルも少し気になったのでハンカチを乗せて完全防備だ。日焼けしやすいあたしの肌は、油断するとお風呂も辛くなりかねない。

こんなちまちまとしたことを気にしなければならないのは面倒くさいが、田舎の夏の空気は好きだ。

ごとごとと大きい振動を伝えてくる運転席の後ろの壁に、軽く体重をあずける。入道雲が遠くに見え、鼻をつくのは強い緑の香り。暑さも匂いとなって感じるような気がする。透明な水は強い日差しを照り返しながらさらさらと流れ、けたたましい蝉の声がそこかしこからこだまする。世界が生きていると自己主張しているようなその空気が、あたしは好きだ。

初めての田舎にはしゃぐ真代ちゃんの声を背中に聴きながら、あたしは久々に田舎に来たんだなぁと実感していた。


真代ちゃんとあたしが二人だけで田舎に行くことになった理由は、労働者の悲哀というやつだった。元々、あたしの姪っこである真代ちゃんとあたし、それと姉夫婦でしばらくぶりに祖父の基を訪れようというのが今回の企画だった。

姉夫婦は都会で暮らしており、二人とも建築士。仕事が次から次へとやってくるらしく、門外漢のあたしが傍から見ていても分かる忙しさだ。その姉夫婦がどうにか時間を作り、さあ週末は旅行だ、と意気込んでいたところに一本の電話が入った。

「はい。早苗田建築事務所です。

ああ、栗林さん。その節はどうも。こちらも無理を聞いて頂いて助かりました~。

はい。はい。そうです。

………えっ?」

たまたま横で絵本を読んでいたあたしと真代ちゃんは、姉の不穏な空気を含ませた「えっ」

に思わず顔を上げた。

そこから先は泥沼だ。困ります、でも、いやしかし、その話は解決したはずで、こちらにはそんな連絡は……

大体そんな言葉の羅列が漏れ聞こえれば、会話の内容も推測がつこうというものだ。姉夫婦は緊急ビジネス会議を開き、結論が出ると同時にあたしと真代ちゃんに対して深々と謝罪の意を示してきたのだった。

それなら旅行の計画はご破産としようかとしたが、祖父の田舎は遠く、こんな機会はなかなかない。すでに電車のチケットはとってあるし、あたしはあたしでバイト先のスケジュールも調整してある。祖父もあたし達が訪ねてくるのを首を長くして待っているだろうに、すっぽかすのも申し訳ない。

かくて、あたしと真代ちゃんだけの二人の旅行が決行されることとなった。

「真代~ごめんね~ママたち行けなくなっちゃって…」

「ううん!パパとママはお仕事がんばって!さみしいけど…大好きなかすみお姉ちゃんと一緒だから大丈夫だよ!」

その健気な台詞に早苗田一家+一名が抱き合って感動したことは言うまでもない。


どんなに日中の日差しがきつくても、少し日が落ちて風があれば涼をとれる。それが田舎の不思議よね、とあたしは縁側に座って涼みながら、そんなことを思っていた。

真代ちゃんは縁側に面した部屋の畳で座布団を枕にすぅすぅ寝息をたてている。肩には冷えないように、タオルケット代わりのバスタオルが一枚かけてある。

一時間ほど前までは見るもの全てにはしゃぎ回っていたのだが、今日は移動も長距離だったし疲れが出たのだろう。電池が切れるように、こてんと横になってしまった。

その寝顔もそのまま天使だ。

生まれたばかりの真代ちゃんの寝顔を見に行った時のことを思い出す。あの時は小さいベッドに、今と変わらぬ無邪気な寝顔を見せていた。寝息も小さすぎて、かすかに上下するおくるみを見なければ、生きているのかどうかも分からないほどだった。

いつもはバリキャリでびしっと化粧を決めている姉が、すっぴんに髪も乱して横に寝ている。でも、その顔は出産一日目にしてすでに母親の美しさがあった。

あたしは、声をだして真代ちゃんが起きてしまうことを恐れ、無言で姉に目配せをした。

姉は小さい声で

「触れてあげて」

と言った。

あたしはおそるおそる指を近づけた。まだ柔らかそうな額にふれることは躊躇われ、あたしの指とちょうど同じくらいのサイズの掌にそっと触れてみた。

すると、寝ていると思っていたその手がきゅっとあたしの指を捕まえ、真代ちゃんが満面の笑みを浮かべた。単なる幼児特有の反射だろうなどと言う輩は、天に召されてしまえばいい。あたしはその小さな握手に、心を完全に鷲掴みにされてしまったのだった。

以来、姪大好き叔母となってしまったあたしは、ちょくちょく姉夫婦の家を訪ねた。迷惑かとも思ったが、仕事にどうしても振り回される姉たちとしては、まだ幼い娘の面倒を見てくれるあたしを結構重宝してくれた。

あたしは、真代ちゃんのほほを少しついてみた。少しむずがゆそうな顔を見せる。

夕食の支度まではまだ間がある。起こすのも可哀想だから、これ以上ちょっかいを出すのはやめておこう。

「香澄ちゃん。ちょっとお使いを頼んでもいいね?」

台所から出てきた祖母が、前掛けで手を拭きながらあたしに声をかける。

「いいよ。なあに?」

「お醤油。買い置きがあったと思ったんだけど、なかったみたいなのよ。角のお店分かるよね?悪いけど買ってきてくれんね?」

ここから歩いて十分程度の距離だ。十年以上前の記憶だが、ほとんど一本道だし、このへんの地理もほとんど変化していないから問題はない。

あたしは祖母から五百円玉を受け取ると、サンダルをつっかけて久々のお使いに出かけた。



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