後編
ドンドンドン!
ひどく乱暴なノックの音に、私はため息をついた。ビーフシチューをかき混ぜていた手を止め、ついでに火を止め、ドアを開ける。
「ねえ!あんたのところのあの魔法使い!」
乱暴なノックがするときに、ドアの向こうに立っているのはたいてい一人なのだが、今日は大勢で押し掛けてきていた。私は、一番前で怒りのオーラをまとっているおばさんに聞いた。
「今日は何でしょう?」
「今日は何でしょう?あんたもあんたよ!一回ぐらい、すぐに、すみませんとかいう言葉を使ってみたらどうなのよ!それに、いつも涼しそうな顔しちゃって!」
「謝るのは、ちゃんとお話を聞いてからです。顔については生まれつきなのでどうしようもありません」
「はあーっ!もうっ」
きっとシェリが悪いのだろうが、どういうことなのか話そうとしないおばさんを放っておいて、私はおばさんの後ろに視線を向けた。
「誰か、他に状況を教えてくださる方はいらっしゃいませんか?」
すると、若い女性の声がした。おばさんがまだ私の前に立っているので姿は見えない。
「シェリスカさんが、きっと子どもたちがせがんだからなんだと思うんだけど、飴を空から降らしたり、そのええと・・・マギーさんの家をお菓子の家に変えちゃって。・・・マギーさんの家は、壁が気の毒なことになってるのよ」
「飴を止めて、家を元に戻させればいいんですね?あと、もちろん謝罪も」
「当たり前でしょ!家がなくなれば私はどこで生活すればいいのよ!」
目の前のおばさんが青筋を立てながら怒鳴った。
「マギーさん、ちゃんと本人を連れてきますから。皆さんのところにもちゃんと連れて行きますから!」
私は叫ぶように言うと、家を飛び出した。
探し回るまでもない。シェリは、家のある通りの中で一番高い建物である、教会の屋根の上に座って空に向かって右手の人差し指をくるくる回していた。それに合わせるようにして、空から飴が道路に向かって落ちる。道路には子どもたちがぽかーんとした様子で立っていた。最初でこそ喜んだものの、いつまでたっても落ちてきて、しかもどんどん道路につもっていくのでどうすればいいのかわからないのだろう。
「シェリ!」
私は大きな声で名前を呼んだ。でも、シェリは指を回すのを止めようとしない。聞こえていないし、下の様子を見ていないのだろう。様子を見ないなんて魔法使いとしてどうかと思うが、聞こえていないのなら、シェリの元へ行くしかない。私は、大きく深呼吸すると、そばにあった梯子を教会の一番低い屋根にかけた。ぎりぎり届くという長さだが、他に代わるものはなさそうだった。梯子をかけると、次に男の人を二人連れてきて梯子を支えてもらえるように頼んだ。ただし、今日は短いメイド服を着ているので下を向いていてくれるように頼むのも忘れなかった。
屋根の上にのぼるのは日常茶飯事というほどではなかったが慣れてはいた。そして、屋根の上を歩くのも平気だった。風もそこまで強くなく、肩までの髪はそんなに乱れない。
「シェリ!」
シェリは、私が今立っている屋根よりももう一つ上の屋根に座っている。
くるくる回る指は止まらない。それでも、私の声は聞こえたらしい。
「アドミラ?」
「そうです!私です!」
「そんなに大きな声出さなくても・・・ちゃんと聞こえてるよ」
「空から降る飴を何とかしてください。それから、マギーさんの家もちゃんと元にもどしてくださいね」
道路につもった飴は、子どもたちの腰の高さまでになっていた。動けないことで泣きだしている子もいる。
「あ、やりすぎたかー」
シェリは、指を止めた。
「ええ、やりすぎです。マギーさんの家もね」
「怒られるんだね・・・僕は」
しゅん、と肩を落としたシェリがこちらに降りてくるのを待って、
「覚悟しておいてください」
私は、一番気の毒なマギーさんの顔を思い浮かべながら言った。
あの後、マギーさんをはじめ、街の人々に説教されまくってふらふらになったシェリを家に連れて帰ってきて夕ご飯を食べさせ、洗い物を済ませて私が自分の部屋に戻ろうとしたとき、すぐに部屋にこもるシェリがテーブルでシルクハットを回していた。
「それ、アレン氏の忘れ物ですか?」
「うん。忘れていったみたいだね。まあ、取りに来たければ来るんじゃないのかな」
「届けなくてもいいんですか?」
「いいよ。アレン氏にとってはもうどうでもいいかもしれないし」
意味がわからなかったが、私はとりあえず納得することにしてシェリからシルクハットを取り上げた。
「でしたら、取りに来られるかもしれないときのためにきちんとしまっておきますね」
「まあ、そうだね。じゃ、おやすみ。アドミラ」
額へのキス。シェリの顔が近付いてくるときから離れるまで、私はいつも目を閉じている。なんとなくだけど、シェリのあの瞳を見てはいけないような気がするのだ。
「おやすみなさい。シェリ」
私からシェリにキスすることは、当然ない。命じられたことも、頼まれたこともないからだ。だいたい、雇用主にキスをせがむ家政婦がどこにいるのだ。シェリだって考えたことないだろう。
私は、アレン氏のシルクハットをクローゼットの中にしまいこむと、自分の部屋のベッドにもぐりこんだ。まっすぐでうらやましいと美容師が言っていた黒髪が布団の上に広がる。
シェリは、もう眠っているころだろう。寝付きはいいけど、寝起きは悪いのだ。シェリは。
私も目を閉じた。
彼は、息をついてから目を開けた。 隣の部屋の彼女はもう眠っているころだろう。眠りを邪魔しないためにも、どんなささいな音でも立ててはいけない。
(いつまでもごまかせないか・・・)
昼間の客。魔法庁の内部からの使い。
(彼らこそ、気づくべきなんだけど)
あがめるものはいないと。
しかし、彼らが彼を欲しているのはもう明らかだった。
理由でさえ、明らかだ。
(シェルサードの血がそんなに必要なのか)
しかも。
(ブランジェットは、もう僕ひとりしかいない。それに・・・ああ)
いまは、やめよう。
彼は眠りに落ちるために、再び目を閉じた。
夜が明ければ、また彼女が起こしてくれる。トーストとコーヒーを作ってくれる。
その日常が崩れることはない。
いや、決して崩すようなことはさせない。
そう誓って。