第6話:奇跡の演技力(後編)
最後のひと欠片を、私は愛おしそうに舌の上で転がし、ゆっくりと飲み込んだ。
喉を通る瞬間のザラつきと、胃袋に落ちた時の鉛のような重み。
口の中に残る後味は、錆びた鉄とドブ川そのものだ。
けれど、私はその余韻を噛み締めるように、そっと瞼を閉じた。
ツー……と、一筋の涙が頬を伝う。
これは演技ではない。
あまりの不味さと、胃袋からの猛烈な拒絶反応による生理的な涙だ。
だが、今の私(女優)にかかれば、この涙さえも最高のスパイスになる。
私はゆっくりと目を開け、潤んだ瞳でカメラを見つめた。
「……素晴らしい」
震える声で、吐息交じりに呟く。
「なんて芳醇な、大地の香り……。まるで、幼い頃に母に抱かれた時のような、温かくて懐かしい味がしますわ」
泥の味を「母の味(大地)」と表現する。
嘘は言っていない。泥は大地そのものだからだ。
私は指先についた最後の黒い雫を舐め取り、とろけるような笑顔で締めくくった。
「リリィ様。……本当に、ごちそうさまでした」
その瞬間、ダンジョン内の空気が変わった。
いや、変わったのは「画面の向こう側の空気」だ。
コメント欄の流れが、完全に異質のものへと変貌していた。
『……あれ?』
『なんか、めっちゃ美味そうに見えるんだけど』
『俺だけ? 画面から甘い匂いがしてきた気がする』
『チョコだろあれ。絶対高級な生チョコだろ』
『深夜にこんなもん見せやがって……腹減った……』
『コンビニ行ってくる』
『マリアンヌ様のあの涙……本物の感動じゃなきゃ流せないよ』
集団幻覚だ。
私の「美味しい」という演技の熱量が、画質の荒い魔法配信の映像補正と相まって、視聴者の脳をハッキングしたのだ。
人間は、他人があまりにも美味しそうに食べているのを見ると、ミラーニューロンが働いて自分も同じ感覚を共有してしまう生き物だ。
ましてや、食べているのは「悪役令嬢」とはいえ、腐っても公爵家の令嬢。
そんな彼女が涙を流して感謝するほどの食材。
「実は我々が知らないだけで、ダンジョンの奥深くには幻の珍味があるのではないか?」
そんな馬鹿げた妄想が、事実として上書きされていく。
『俺も食べてみたい!』
『聖女様、どこで売ってるのこれ?』
『通販希望!』
『飯テロ配信乙』
画面の向こうのリリィが、パクパクと鯉のように口を開閉させているのが見える。
彼女の計算では、今頃私はゲロまみれになって泣き叫んでいるはずだったのだから、理解が追いつかないのも無理はない。
その時だった。
『キン、コン、カン、コォォォォン!!』
聞いたこともない、荘厳な鐘の音がダンジョン内に鳴り響いた。
システム音が告げる。
『スペシャル・サンクス!』
画面全体が虹色の光に包まれ、黄金のバラの花吹雪が舞い散るエフェクトが発生する。
それは、魔法配信システムにおける最高ランクの投げ銭。
王族ですら滅多に行わない、国庫予算レベルの超高額支援だ。
コメント欄が一瞬で停止した。
全員が息を呑む中、支援者の名前とメッセージが、画面中央に刻まれる。
【支援者:紫の公爵】
【支援額:10,000,000 ギル(金貨1万枚相当)】
【メッセージ:『見事だ。泥を黄金に変えるその演技力に、投資しよう』】
「……!」
私は目を見開いた。
金貨1万枚。平民なら遊んで暮らせる金額であり、公爵家の私ですら二度見する額だ。
何より、「紫の公爵」という名前に聞き覚えはないが、そのメッセージ。
「演技力」と見抜いている。
この国中の人間が私の演技に騙される中、ただ一人、この人物だけが「泥を美味いと錯覚させる芝居」の価値に金を払ったのだ。
(……いるのね。どこの世界にも、こういう物好きな『太客』は)
私は前世の営業魂に火が点くのを感じた。
最高のクライアントを見つけた。この人を逃す手はない。
私はドレスの裾をつまみ、カメラの奥にいるであろう「彼」に向かって、今日一番の女優スマイルでカーテシーを送った。
「過分なご支援、恐悦至極に存じます。……『紫の公爵』様」
コメント欄が爆発した。
『うおおおおおおおお!』
『一千万!? バグだろ!?』
『公爵って誰だよwww』
『すげぇぇぇ! 大逆転じゃねーか!』
『マリアンヌ様万歳! 飯テロ万歳!』
手のひらを返したような称賛の嵐。
私は心の中で、冷ややかに、しかし力強くガッツポーズをした。
(見たか、リリィ、ヘリオス殿下。……そして元弊社の上司たちよ)
これが、死ぬ気で磨いた「社畜」の底力だ。
(第6話 完/第7話へ続く)
【次回予告】
アンチコメントが消え、称賛と空腹の声が溢れ出す。
「ごちそうさまでした」その一言が、世界を変える合図。
謎の太客『紫の公爵』もご満悦。
さあ、形勢逆転。美しい嘘は、真実をも凌駕する。
次回、『大バズり! 聖女様、顔色が優れませんこと?』。
――さあ、反撃の狼煙です。




