第2話:転落の悪役令嬢(後編)
『ざまぁwwwww』
『いい気味だ! そのまま野垂れ死ね!』
『リリィ様を泣かせた罰だ』
『同接8万人突破! 歴史的瞬間だぞこれ』
目の前に浮かぶ半透明のウィンドウには、滝のような勢いでコメントが流れていた。
読めないほどの速度だが、その大半が私への罵倒と、死を願う言葉だ。
ダンジョンの薄暗い通路を歩きながら、私はその光景をどこか冷めた目で見つめていた。
(……すごい熱量ね。これだけの人間が、平日の夜にわざわざ他人の不幸を見に来ているなんて)
普通なら発狂するかもしれない。
かつて私が教育した新人社員なら、この文字の暴力だけで胃に穴が空いて退職届を出しているだろう。
けれど、私は違う。
前世、私が勤めていた会社は「お客様第一主義」を掲げるブラック企業だった。
SNSでの炎上対応、理不尽なクレーマーへの謝罪行脚、深夜2時に鳴り止まない「死ね」という抗議電話。
それに比べれば、このコメント欄は「無音」に近い。直接怒鳴り込まれないだけマシだ。
「……ふう」
私は一つ息を吐き、ヒールの折れた靴で湿った地面を踏みしめる。
問題はメンタルではない。フィジカルだ。
(お腹、空いたわね……)
処刑ダンジョンに放り込まれてから、数時間が経過していた。
ドレスはすでに泥と埃で汚れ、自慢だった金色の巻き髪も湿気でペタンとなっている。
何より、喉の渇きと空腹が限界に近づいていた。
王太子の誕生日パーティー中だったから、夕食もまともに食べていない。
最後に口にしたのは、ウェルカムドリンクのシャンパン一口だけだ。
『おい、動きが鈍くなってきたぞ』
『そろそろ限界か?』
『魔物まだー?』
『右の通路にゴブリンいるぞ、そっち行け』
視聴者たちは、まるでゲームのキャラクターを操作するかのように無責任な指示を飛ばしてくる。
私はそれらを無視し、壁に手をつきながら慎重に進んだ。
私の「悪役令嬢」としての魔力はそれなりにあるが、攻撃魔法は得意ではない。
遭遇したら逃げるしかないが、この空腹状態で走れるかどうか。
その時だった。
通路の先に、ほのかに光る魔法陣が見えた。
「……セーフティゾーン(安全地帯)?」
ダンジョン内に数箇所だけ存在する、魔物が入ってこられない結界だ。
私は最後の力を振り絞り、その結界の中へと倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……」
冷たい石畳に座り込む。
安全は確保できた。だが、根本的な解決にはなっていない。
水も食料もないこの状況で、座り込んでいるだけでは緩やかな死を待つだけだ。
『なんだよ休憩かよ』
『つまんねー』
『もっと苦しめよ』
コメント欄の勢いが少し落ちる。
エンターテインメントとしての「私の苦痛」が足りないからだ。
視聴率(数字)が落ちれば、打ち切り(死)だ。何かアクションを起こさなければならない。
そう考えていた矢先。
ダンジョン内に、軽やかなファンファーレの音が響き渡った。
『ピロリーン♪』
無機質なシステム音ではない。
王宮の舞踏会で流れるような、優雅で、そして残酷なほど場違いなチャイム。
直後、配信用の魔法の鏡が、空中に巨大なホログラムを投影した。
そこに映し出されたのは、豪勢な料理が並ぶテーブルと、ワイングラスを傾けるヘリオス王太子。
そして、その隣で悲しげな表情を作っている聖女リリィだった。
「……!」
ダンジョンの天井を見上げ、私は目を細める。
安全で、暖かくて、食べ物に溢れた地上からの高みの見物だ。
『あ、リリィ様だ!』
『リリィ様ぁぁぁ!』
『天使! 女神!』
『悪女との対比がエグいwww』
コメント欄が一気に色めき立つ。
リリィは潤んだ瞳でカメラを見つめ、鈴を転がすような可憐な声で語りかけてきた。
『マリアンヌ様……見ていらっしゃいますか?』
わざとらしい。
見ているに決まっている。この配信システムは一方通行ではないのだから。
『貴女が暗いダンジョンで苦しんでいると思うと、私、食事が喉を通らなくて……。いくら罪を犯したとはいえ、かつてはお友達だったのですもの』
リリィは涙を拭う仕草をした。
隣でヘリオス王太子が「君はなんて優しいんだ」と感動しているのが見える。茶番だ。
『そこで、私、陛下にお願いして「慈悲の差し入れ」をお送りすることにしましたの』
差し入れ。
その単語に、私の社畜センサーが反応した。
(……怪しい)
このタイミングで?
私を憎んでいるはずの彼女が?
「食事が喉を通らない」と言いつつ、彼女の口元には微かに肉料理のソースがついているのを、私は見逃さなかった。
『ダンジョンにアイテムを転送いたします。……どうか、これを食べて生き延びて、罪を償ってくださいませ』
リリィが手を振ると、私の目の前の空間が歪んだ。
転送魔法だ。
光の粒が集まり、一つの「物体」を形成していく。
『うおおおお! 聖女様の慈悲!』
『パンか? 水か?』
『優しすぎるだろ……』
視聴者たちが固唾を飲んで見守る中、光が収束し、その「差し入れ」が実体を現した。
「……え?」
私の喉から、素っ頓狂な声が漏れた。
そこに現れたのは、焼きたてのパンでも、新鮮な果物でもなかった。
ドサッ、と重たい音を立てて落ちてきたのは、
黒く、ドロドロと脈打ち、強烈な腐臭を放つ――正体不明の「黒い塊」だった。
鼻をつくアンモニア臭と、生ゴミを煮詰めたような匂い。
結界の中の空気が一瞬で汚染される。
『……は?』
『なんだあれ』
『泥……?』
『うわっ、画面越しでも気持ち悪っ』
コメント欄が困惑で埋め尽くされる。
私はハンカチで鼻を覆いながら、その物体を凝視した。
間違いない。これはただの泥ではない。
ダンジョンの下層に生息し、死体や排泄物を栄養源とする汚泥魔物。
通称、『マッド・スライム』の死骸だ。
毒性があり、触れるだけで皮膚が爛れると言われる厄介者。
食用など論外。間違っても人間の口に入るものではない。
画面の向こうで、リリィが「あら?」とわざとらしく口元を押さえた。
『いけない……! 私としたことが、転送するアイテムを間違えてしまいましたわ! 倉庫の「廃棄予定」の箱と取り違えてしまったみたい……!』
白々しい。
あまりにも白々しい「うっかり」だった。
彼女の目は笑っていた。
「お腹が空いているんでしょう? なら、そのゴミでも食べなさいよ」と、雄弁に語っていた。
私は、その黒い塊を見下ろした。
普通の令嬢なら、泣き叫んで気絶するだろう。
けれど。
(……なるほどね)
私の唇が、自然と弧を描いた。
そう来たか。
上等じゃないの。
前世の接待で、取引先の社長自慢の「密造酒(どう見ても泥水)」を笑顔で飲み干し、「故郷の味がします!」と絶賛して契約をもぎ取った私を、舐めないでほしい。
仕事の始まりだ。
(第2話 完/第3話へ続く)
【次回予告】
目の前にあるのは、食べ物ではありません。産業廃棄物です。
震える手、引きつる頬。これを食べれば尊厳死、食べなければ餓死。
聖女様の「うっかり」に、国民は大爆笑。
でもね、私知ってるんです。理不尽な接待で出される料理ほど、残してはいけないってこと。
次回、『メニュー名:ヘドロの塊・悪意ソース添え』。
――さあ、狂気の幕開けです。




