第1話:転落の悪役令嬢(前編)
「マリアンヌ・オルブライト! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
王城の舞踏会場。
シャンデリアが煌めく広間の中心で、第一王子ヘリオスの怒声が響き渡った。
オーケストラの優雅な演奏はピタリと止まり、華やかなドレスや軍服に身を包んだ貴族たちの視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
私、マリアンヌ・オルブライト公爵令嬢は、扇子で口元を隠し、わずかに目を見開いてみせた。
「……殿下? 今、何とおっしゃいましたの?」
声は震わせている。完璧だ。
周囲からは、突然の宣告に動揺する哀れな令嬢に見えていることだろう。
けれど、私の脳内は北極の氷河のように冷え切っていた。
(ああ、やっぱり来たわね。予定調和通りの展開。これだから新人研修あがりのボンボン上司は扱いにくいのよ)
私の視線の先には、ヘリオス王太子の腕にすがりつき、わざとらしい涙を浮かべている小柄な少女がいた。
ピンク色のふわふわした髪に、庇護欲をそそる上目遣い。この国の「聖女」リリィだ。
「とぼけるな! 貴様がリリィに対して行ってきた数々の非道な行い、知らぬとは言わせんぞ!」
「非道な行い……? 身に覚えがございませんわ」
「まだ言うか! 教科書を隠したこと、階段から突き落とそうとしたこと、お茶会でドレスにワインをかけたこと! 全てリリィから聞いている!」
ヘリオスは顔を真っ赤にして捲し立てる。
やれやれ、と私は心の中で溜息をつく。どれもこれも、リリィの自作自演だ。教科書は自分で焼却炉に捨てていたし、階段では自分で転んで私に抱きついてきたし、ワインに至っては私のドレスの方が被害を受けている。
だが、この場の空気は完全に「悪役令嬢マリアンヌ」を断罪する流れで固まっていた。
これは、よくある「会議室での吊るし上げ」と同じだ。結論ありきで呼び出され、こちらの弁明など議事録には残らない。
「殿下、お待ちください!」
リリィが涙声で叫んだ。
「マリアンヌ様を責めないでください! きっと私が、マリアンヌ様の癇に障るようなことをしてしまったのが悪いのです……っ!」
「おお、リリィ。なんて健気なんだ……! 貴様のような心清らかな聖女を傷つけるなど、やはりこの悪女は許しておけん!」
ヘリオスはリリィを抱き寄せ、私を汚物を見るような目で見下ろした。
「マリアンヌ、貴様には極刑が相応しい。だが、慈悲深いリリィの願いにより、命だけは助けてやる」
彼はニヤリと、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「その代わり――貴様を『処刑ダンジョン』へ追放する!」
会場がどよめいた。
処刑ダンジョン。それは王都の地下深くに広がる、凶悪な魔物たちの巣窟。
そして、ただの追放ではない。
「さらに、貴様のその無様な最期を、この国の全新・魔法配信システムを使って、国民全員に生中継してやる! 自身の罪の深さを噛み締めながら、魔物の餌になるがいい!」
(なるほど。公開処刑ショーってわけね)
現代日本で言うところの、全社員が見ている前での懲戒解雇&土下座強要ライブ配信、といったところか。
貴族たちは「なんて恐ろしい」「ざまぁみろ」と囁き合っている。
衛兵たちが私の両腕を掴んだ。
抵抗はしない。ここで騒げば、実家の公爵家にまで迷惑がかかる。それは私の流儀ではない。
「……謹んで、お受けいたしますわ」
私は背筋を伸ばし、最期の矜持として優雅にカーテシー(お辞儀)をした。
その瞬間、床に転移魔法陣が展開される。
「ごきげんよう、皆様」
視界が歪む。
煌びやかなシャンデリアの光が遠ざかり、代わりに湿った闇が私を飲み込んだ。
***
「……くさっ」
転移が完了した瞬間、最初に口から出たのは、令嬢らしからぬ言葉だった。
そこは、石造りの冷たい通路だった。
天井からは水滴が落ち、足元には何かの小動物の骨が転がっている。空気は淀み、カビと腐敗臭が鼻をつく。
ドレス一枚の身には、肌を刺すような冷気が堪えた。
私はパンパンとドレスの裾を払い、大きく息を吐き出した。
「さてと……誰も見てないわよね」
私は顔を上げた。
そこには「私」しかいない。
公爵令嬢マリアンヌ・オルブライトという「役」を演じる必要のない空間。
私の瞳から、令嬢としての光が消え、代わりにドス黒く濁った光が宿る。
それは前世――日本という国で、ブラック企業の営業職として酷使され、過労死した「社畜」の目だった。
私の前世の名は、佐藤サトミ。享年27歳。
連日の終電帰り、休日出勤当たり前。理不尽なクライアント(神様)の要求には笑顔で「YES」。セクハラ上司の寒いギャグにも爆笑で応え、飲み会では泥酔した専務の介護係。
その結果、深夜のオフィスでカップラーメンにお湯を入れたまま、意識を失って死んだ。
目が覚めたら、この世界の公爵令嬢だったわけだが――。
「まさか、二度目の人生でもこんな泥仕合に巻き込まれるとはね」
私は虚空を見つめた。
そこには、小さな光る球体が浮いている。
『魔法の鏡』の端末だ。これがカメラとなって、私の姿を地上へ配信する仕組みらしい。
球体のランプが、赤く点灯した。
配信スタートの合図だ。
同時に、空中に半透明のウィンドウが現れる。そこに猛烈な勢いで文字が流れ始めた。
『きたああああああああああ』
『ざまぁwwwww』
『悪役令嬢の死に顔楽しみ』
『早く魔物に食われろ』
『リリィちゃん泣かしたクズ』
『同接5万人突破www国中見てるぞwww』
国民からのコメントだ。悪意の奔流。
普通の深窓の令嬢なら、この罵詈雑言を見ただけで精神が崩壊して泣き崩れるかもしれない。
でも。
(……ふーん。結構なアクセス数じゃない)
私は冷静に分析していた。
前世、自社の製品が大炎上した時のクレーム電話の嵐に比べれば、文字だけの罵倒なんて可愛いものだ。
「死ね」? 言われ慣れている。「無能」? 挨拶みたいなものだ。
私はボロボロのドレスの胸元を直し、乱れた髪を指で整えた。
装備なし。食料なし。水なし。
あるのは、この身一つと、前世で培った**『鋼の営業スマイル』**という名の演技スキルだけ。
状況は、絶望的だ。
けれど、納期直前にデータが飛んだ時よりはマシだ。
酔っ払った社長に「裸踊りしろ」と言われた時よりは、まだ尊厳がある。
私は深く息を吸い込み、カッと目を見開いた。
スイッチを入れる。
「公爵令嬢マリアンヌ」という名の、最強の営業モードへ。
私はカメラに向かって、慈愛に満ちた聖母のような微笑みを向けた。
「国民の皆様、こんばんは。マリアンヌ・オルブライトですわ。……ふふ、こんな姿をお見せしてしまって、お恥ずかしい限りです」
声色は完璧。恐怖など微塵も感じさせない、落ち着いたトーン。
コメント欄が一瞬、その異様な落ち着きに『?』と戸惑いの反応を見せる。
さあ、仕事の時間だ。
この最悪なデスゲーム(プロジェクト)、定時(生還)までに終わらせてやる。
(第1話 完/第2話へ続く)
【次回予告】
ダンジョンの底で始まった、孤独な配信。
視聴者たちは私の死を今か今かと待ち望み、コメント欄はアンチの嵐。
でも、数字(視聴率)が取れているなら、それはビジネスチャンスです。
極限の空腹の中、地上にいる聖女リリィ様から届いた「慈悲深い差し入れ」。
それは救いの手か、それとも悪魔の罠か。
次回、『聖女の慈悲は、腐ったドブの匂い』。
そろそろ、胃袋の準備をしておいてくださいね。




