神威
残酷な描写があります。
更新が遅くなって、すみませんでした。
先ほどまでは人のカタチをしていた黒い影が薄く発光し、人とは思えないほどの大きさと異形へと変貌した。爛々と血走る目がスッと細くなったかと思うと、私の周りの闇が彼の意を汲み私を束縛した。
ここは彼の座、彼の思い通りになるホームグラウンドの空間なのだ。
絶望的な気持ちで薄く発光し続ける彼を見た。人の倍はある体格、太く筋肉質な肉体、空間ですら思うままに操る彼は、この座においては神にも等しい。
「殺してやる」
彼は明確な殺意を口にし、私から千切った腕を二口で食べた。下顎から生えた二本の牙が異様に白かった。
「わたしは死んだのに、お前は生きている。狡い。殺してやる!」
妬ましい。妬ましい。妬ましい。
膨れ上がった怒りを爆発させるように彼は吠えた。
幸せになれるはずだったのに、突然奪われた。その絶望が胸を焼く。やるせない思いが彼を堕とした。
私は危険を感じ、体が後ずさろうとするが、ガッチリ足を掴まれていて、体制を崩し、お尻をつく。
「わたしと同じように殺してやる!」
彼は私の隣に膝をつき、頭を乱暴に地につけた。私の体の、丹田の辺りを自身の拳で穿った。あまりの痛みに私は喉の奥から叫んだ。
内蔵が飛び散り、私の顔にべっとりと血がついた。
「次は脚をもがないと。その次は脳をぐちゃぐちゃに潰す」
彼は歪んだ顔で笑った。
「おんなじに、なっても、救われないよ」
私は絶え絶えに返した。声が酷くひび割れていた。
「わたしの気が晴れるかもしれないだろう?」
彼は酷薄に笑い、右脚を握り潰し、叫びながらのたうちまわる私の頭を鷲掴み、馬乗りになって地面に押し付ける。
恐怖が痛みを凌駕したのか、感覚が麻痺したのか、今の痛みが今私が感じているものなのか、それとも彼とリンクしたときに記憶とともに受け止めた痛みなのか、よくわからなくなってきた。
「……神様、助けて、下さい。お願い。お願い、します…!」
私だけじゃない。この哀しい彼も救って下さい。
「神などいない。居たならこんな残酷なことは起こらない」
ギチと頭蓋骨が悲鳴をあげる。
神様、助けて。この人をどうか助けて下さい。
『覚えておきなさい。どうしようもなくなったときに身命をかけてお唱えしなさい。必ずお力になってくださるはず』
祖父の言葉が脳裏に蘇る。
「一心に、祈り奉る」
昔から毎日何度も何度も唱えていた不動尊祈経を口にすると、彼は顔色を変え、頭を掴んでいた手を首にやり、締める。
「その口を閉じろ!」
首が絞められて苦しい。声が出しにくい。残された左手で必死に彼の手を外そうとするが、彼の手はびくともしなかった。
「香の、煙、は、かすか、なれども」
「やめろ! 殺してやる!」
きつく首を絞められ、もしかしたら声にはならなかったかもしれない。それでも続ける。
「天、に、通、じ、て」
ギリっと首から音がなり、私は苦しくてもがく。
「あ……ま……く………」
そこからあやふやな記憶しかない。意識など、とうにない。けれど、幼少期から体に叩き込まれたお経は言葉にならずとも淀みなく続けられる。
終盤に差し掛かり、彼の手が緩んだ。やめろ! と苦しそうに足掻く彼を私は左足で彼を蹴り、息を吸う。急に入ってきた酸素に体がついていかず、息を吸いたいのに吸えなくて、ものすごく苦しい。だが、途切れるわけにはいかない。
「天も感応 地神も納受 諸願も成就」
ここまで一気にお唱えし、一度息を吐く。すると自然に息を吸えた。私は何が起こるかわからず、それでも馬乗りのままの彼を凝視した。
「やめろ! 消滅は嫌だ! 会えなくなるのは嫌だ!」
「御籤はさらさら 御籤はさらさら」
唱え終わると私達は急に強い光に包まれた。目があまりの眩しさについていかない。
気がついたら私は一人だった。気が狂わんばかりの痛みはなく、私は私の体の輪郭をなぞる。
もがれた右腕、右脚も付いていたし、穴の開いたお腹も塞がっていた。圧倒的な力ある空間で、あまりの神々しさに目が開けられない。違う。多分、開けてはいけないのだ。
これは神威だ。
純然たる圧倒的な力に善悪などない。
目を開けたら間違いなく私は死ぬ。誰に教えられるまでもなく私は悟り、目を閉じ正座をして沙汰を待ち考える。
恐らく、この場所は先ほどまでいた彼の座。一瞬で神威溢れる場所にしたということは、彼は浄化消滅したということだろう。成仏することなく、未来も終わりもない。存在そのものを抹消されたのだろう。
私が望んだのは、こんな結果ではなかった。
助けてほしかったけれど、それは私だけではなく、彼も助けてほしかった。生き返らせるのは無理でも、きちんと成仏して欲しかった。大事な人の幸せを見届け、新たな自分の幸せを掴んで欲しかった。私は幽霊としての彼の、これからをすべて奪ったのだ。
私はひとを殺してしまった。
重すぎる罪に涙が出そうになる。
私は甘すぎた。神に助けを求めるということは決死の覚悟で、すべてをなぎ払うという事だ。
正しく命をかけるという事なのだ。
神にとって私たちなど取るに足らない存在だ。一々ジャッジなどしない。
私たちが夢見る都合の良い神様などいない。それも弁えず、覚悟もないのに助けを願って殺してしまった。それは私の甘さが引き起こしたものだ。
泣くものか。
私は唇を噛んだ。泣いて赦しを請うには罪が重すぎた。もちろん、彼は現実には死んでいた人だ。実際に私が罪に問われることはない。だけど、私が私の罪を知っている。
死神とはよく言ったものだ。
ふふ、と自嘲したとき、ふん、という鼻息と共に何が背中を押した。目を閉じたまま促されるまま歩き進むとだんだんと神威が緩む。ほとんど神威を感じなくなった所で、何が足を止め、私の前に周り込み、私の顔に頬を寄せた。
私はびっくりして反射的に目を開けた。
「牛、くん?」
肉づきの良い、きれいな神牛は穏やかな目で見つめ返した。肩から背に続くなだらかなフォルム、優しい眼差し。間違いない。私の大好きな座牛だ。
「来てくれてありがとう。送ってくれてありがとうね」
神牛は私に頬を寄せた。
「神様にもありがとうございましたってお伝えしてね」
もう、神に助けは願えない。
「さようなら、牛くん」
私は神牛の顔を撫で、そのまま手を振る。神牛は背を向けてスッと消えた。神牛が消えると神威も消えた。
私は目を閉じ、自分の体の繋がりを探す。これからどうしたら良いのかわからないけれど、とりあえず現実に戻るのだ。
彼のいまわの際の思い、痛み、記憶すべてが私の中にある。私はその業を背負って生きる。
記憶は罪。呪いそのものだ。
お読み下さり、ありがとうございます。
更新が遅くなった言い訳コーナーでございます。
途中まで書いて あれ? 祖父母、神主&巫女って聞いてたけど なんで私、不動尊祈経教えられてるの? あれ? でも、大幣あったし、注連縄あったし? でも不動尊の印とかお経あったし、祝詞全集とかもあったし、と迷子になってしまいました。私にとっては普通の事だったので、新しい発見でした。
色々調べてみて、神仏習合の中で何かがあったのでしょう。沼が深すぎてわからなくなりました。
どなたか詳しい方が教えて下さると嬉しいです。
それでは、またお目にかかれることを祈っております。
ありがとうございました。