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叫喚  作者: 澄川あや
2/3

普通

残酷なシーンがあります。

「ねぇ、知ってる? A先生、今度、結婚するんだって」

「あんなぽっちゃりでタキシード着れるのかな!」

「袴なら大丈夫なんじゃない?」

「タヌキっぽいから似合いそう!」

 三人できゃーと盛り上がる。高校受験のために入った塾だが、こんな他愛のない会話をすると少し気分が上がる。いつの時代も恋話は女子の大好物だ。夜も遅いので早く帰った方が良いのは知っているが、このガヤガヤした時間も大切なのだ。

「失礼なこと言ってないで、早く帰りなさい」

 A先生が戸締まりのための鍵を持って扉に立っていた。

「で、先生何着るの?」

「黒のタキシードだよ」

「服入るの?」

「失礼だな!」

「黒!痩せて見えるっていうし、良かったね!」

「「「先生、おめでとう! お幸せに!」」」

 失礼なことをいう女の子達から祝福されるとは思っていなかったのか、一瞬びっくりした顔をして、優しく笑った。

「ありがとう。幸せになるよ」


 その夜はひどく雨が降っていた。仕事はいつも通り23時頃に終わり歩いて帰る。交差点を越えれば自宅まではあと数分だ。

 三週間後の結婚式の確認をしなくてはいけない。

 授業の計画もしなくては。頑張っている子達を応援するのだ。

 いつも通りの日常。

 幸せになれると思っていた。


 近くで車のスリップ音がした。

 眩しいと思ったら強い衝撃が来た。車がこんなに恐いものだとは思わなかった。車の前に付いている金属はカンガルーバーというものだっただろうか、それが無性に気になった。

 


 私は社会人になって一人暮らしを始めた。小さな1Kのアパートを借りた。寝るだけの場所でも、親と一緒にいなくて良いのは気が楽だった。

「神様のお部屋がないのが普通なんだから、それに慣れないと!」

 祖父が亡くなった後、気持ちの悪い感覚から微妙に波長をずらす事は出来るようになった。普通の社会人として生きていくために普通の生活をしなくてはいけない。普通は見えない物を見えると言ってはいけない。そんなことを言ったら、頭のオカシイ人間だと思われてしまう。

 昼間は引っ越しで忙しかったからか、あまり気にならなかったが、御守りも神棚もないのは心細かった。疲れていたし、あまりにも怖かったので早々に寝る事にした。


 遠くで水音がした。水琴窟のようなきれいな音だった。音は段々近づいているような気がする。近づくにつれ、音が濁っているような気がする。


 目を醒ませ!


 私の本能が警鐘を鳴らす。


 私は目を開けた。そこは私のアパートではなかった。寝ていたはずの布団もなかった。無限の闇が広がっていた。びっくりするほど静かで、何もなかった。私は夢を見ているのだろうか。私の内側から焦る気持ちがそれを否定する。


 ベチャッ


「何?今の音?」

 蛙を潰したらこんな音になるかもというくらい気持ちの悪い音が響き、ドブの臭いもしてきた。その瞬間私の全身の毛が逆立った。



『覚えておきなさい。これが良くないものの気配じゃ。目を合わせてはいかん。波長を合わせたら連れて行かれる』

 突然、祖父の声が蘇った。これは、まだ祖父がなくなる前、祖父とどこか恐い所にお出かけをしたときに教えられた。近づくのが恐いという私に、わしももう浄められんから、ここから先は行かんよ。と祖父は塩をかけて言った。

『その感覚を大事にしなさい。それはお前を害するものじゃ』


 

 これは良くないものがいる。

 ……と、思う。多分。自信はないけれど、多分、絶対に。

 起きなければ! ここから離れなければ! とそこら中を走り回るが、砂浜のように走りにくい。何度も足を取られる。逃すまいという悪意に満ちた感覚だ。下は怖くて見られない。

 暗闇ならいい。これが手がひとつでも、ましてやたくさんあったりしたらホラー以外ない。


「見ぃつけた~」

 私の後ろの方から何かの気配を感じたと思ったら、男性が私の耳元で囁き、私は絶叫した。

 私は反射的にしゃがみ、前に逃げ、距離を取ってから立ち上がった。

「驚かせてごめんね」

 良くないものは推理ものの漫画や映画の犯人みたいに真っ黒で、暗闇の中なのに輪郭と目と口だけは見えるんだなと冷静な自分に笑えた。笑うことで少し落ち着けた。

 落ち着いたら、頭に流れてくる悲惨な映像が彼の最期に見た光景、魂の記憶なのだと受け入れられた。


 彼は私を気にする事なく続ける。どこまでも穏やかで朗らかだった。それがとてもミスマッチで恐い。

「わたし、死んでないのにみんな死んだっていうんだよ。体は焼かれて帰れないし、結婚式の日は過ぎるし、困っていたら君を見つけたんだよ。だから」

 体、頂戴。

 私は後ずさり逃げようとするが、何かが足を掴まえた。

「ダメだよ。先生の言うことは聞かないと。まずは右腕をもらうね」

 彼は私の腕を掴み、一気に引きちぎった。

「うあぁぁ!」

 あまりの激痛に膝を付き、なくなった腕の付け根を左手で押さえる。痛みでどうにかなりそうだった。そんな私を見ることなく彼は楽しそうに話す。

「わたしはね、これから幸せになるはずだったんだよ。見てご覧。一見すると問題ないように見えるけど、ツギハギだらけだろう? こんなボロボロのわたしだと、奥さんが悲しむからね。君というボンドで補強しないと。

 奥さんを大事にして、こどもも二人は作って、普通に幸せな家族になるんだよ。これから奥さんを迎えに行くんだ」

 楽しそうに語る彼を見て、私は思い違いをしていたことを知った。

 話せばわかると思っていた。成仏して欲しいと思っていた。だけど、根本的に違うのだ。

 彼は危険だ。超えてはいけない境界も理性も倫理観もない。彼は自分を縛る鎖を引きちぎり、どこまでも無敵でどこまでも自分本位なのだ。

「わたしの現実の体はもうないし、脳も体もバラバラになったから、次は脚をもらうね。その次は頭かな」

「…無理、だよ」

 私は痛みと失血でふらつく足を気合いで立たせた。どうせこのまま膝をついていたら、脚を引きちぎられるだけだ。

「あなたはもう死んでいる。私の体を奪っても蘇らない」

 それどけ言うと私は逃げ出した。片腕がなくて走りにくい。気合いと恐怖で動けたが、どこに行けば助かるのか全くわからない。暗闇で先が見えない。

 自分のものでない感情が私の中に強制的に流れ込んで涙が溢れる。

 

 普通の幸せ。

 普通に喧嘩して。普通に仲直りして。それを繰り返して普通の夫婦になる。普通に年を重ねて。普通に死んで。

 そんな当たり前の未来を一瞬で奪われた!

「おまえまで、わたしの幸せを邪魔するのか!」

 抱えきれないほどの怒りと悲しみと絶望が入り混じった慟哭だった。


 認めない。赦さない。憎い、憎い、憎い!

 彼の叫びに消されるように、小さく水音が聞こえた。


 彼は、もう戻れない所まで行き着いてしまった。 

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