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「いやまあ! 倒せたんだし一件落着! 死なずに倒せてよかったー。ふぁっ」
ツルカは大きなあくびをひとつすると、無意識のうちに扉のあった場所へと歩みを進める。
《相変わらずのんきですね。さっきの敵はSランク冒険者ですらちょっと手こずる敵でしたのに……まったくうちのマスターといったら》
「倒せたのにそんなネガティブになるなよー。終われば全てよしなのさ」
《んーまあ、そうなんですけど》
「だが……どうやら僕が感じてた嫌な気配は、さっきの敵からじゃなかったみたいだ。本番はここから……」
ツルカはピタリと足を止めると、先ほどの巨大な扉を重々しい表情で見上げた。
「どうやら気配の元凶はこの先にいるらしい……。あんな小細工があったんだ。何があろうと僕たちを中には入れたくないみたいだが……」
《いく? いっちゃう?》
「そんな軽いノリで済ますな! ちょっとビビってるんだから!」
《しかしまあ、やはり気配は弱々しいですね。何がいるのか分かりませんが、道はこの先しかありません。逆に外からどうやってここに入るのかが疑問ですけど……》
ツルカはごくりと喉を鳴らし、意を決して扉に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、扉に刻まれた複雑な紋様が、まるで血脈のように淡い光を宿して脈動を始めた。光の筋は瞬く間に扉全体を駆け巡る。
「わわわっ! 勝手に開くなよ! まだ心の準備がぁぁぁ!」
重厚な扉は音もなく、まるで陽炎のように揺らめきながら掻き消えた。その奥からは、これまでとは比較にならないほど濃密で不気味な気配が溢れ出した。
「くぅ……がんばれツルカ。ぼくはツヨイ……そう、サイキョウさっ……!」
ツルカはゆっくりと一歩を踏み出した。足元に広がるひんやりとした冷気は、踏みしめるたびに微かに響く自分の足音を際立たせる。
異様に広い部屋には、崩れた大柱や石机が墓標のように点在し、壁際には蝋の溶け落ちた燭台がいくつも並んでいる。まるで忘れ去られた祭壇のようなその場所は、壁を這う蔦や分厚い苔が、永い時の流れを雄弁に物語っていた。
だが、ツルカの視線はそんなものには留まらなかった。
「なんだ……あれ。女の人が囚われている。人間……なのか?」
部屋の中心、空中に浮かぶのは球型の魔力結界。その中には一人の女性が閉じ込められていた。天から伸びる無数の茨のような魔力線に絡めとられ、それは彼女を強固に封じ込めていた。
《どうやらマスターが感じ取っていた気配はあの女性からのもののようですね》
「……みたいだね」
女性は魔法結界の中で、膝を抱え込むようにして眠っていた。
膝まで届く柔らかな紫色の髪が、まるで水面のように広がる。二十歳を少し過ぎたばかりだろうか。その安らかな寝顔は、周囲の闇にほんのりとした優しい光を灯しているようだった。だが、穏やかなその寝顔とは裏腹に、拭いきれない悲しみが彼女の周りを漂っていた。
服装は夜空のような深い紺色のドレスを身につけ、胸元には奇妙な生物を象ったかのような繊細な刺繍が施されている。
「うん……。でも人間ではなさそうだね」
《そうですね。アイナの知る限りあれは……》
ツルカの視線が、彼女の頭に生えた二本の黒いツノに注がれる。それはまるで樹の枝のように滑らかで美しく、異形の存在とは思えないほど自然に彼女に馴染んでいた。
「魔族……か」
ため息かのように、その言葉がツルカの口から吐き捨てられた。
────それはこの世界の敵である存在だからだ。
「如何にも封印されているって感じだね。何をやらかした魔族なんだか……」
《解析中……。魔力、規格外。危険度……Sランクを遥かに更新。ただし現段階での力は、全盛期に比べ三割以下です。どうやら力の大半は衰弱している模様です》
「まてまて、全盛期の三割以下でSランクを更新してるって? 全盛期ならバケモンじゃんか! Sランクってこの世界の最高値なんだよね? 僕も流石に記憶あるよ?」
《ですね。つまり、この魔族は最高位の存在。或いは……》
ツルカは全身が粟立つのを感じた。部屋全体に満ちる、粘りつくような魔力の淀み。もしこの女性が目覚めれば、厄介な相手になることは間違いないだろう。
「……だれ?」
「………!?」
その時、穏やかな声が部屋に響いた。しかし何かに遮られているかのようなおぼろげな声。思わずツルカは頭上を見上げた。
「げっ……ま、まさか目覚めた……?」
魔法結界の中で眠っていた女性の瞳が大きく見開かれていた。現れた真紅の瞳がまっすぐにツルカを射抜き、その表情は驚きに彩られていた。まるで、神話の中の生き物でも目にしたかのように、純粋な驚愕がそこにはあった。まさかここに人が来るなど思ってもいなかったのだろう。
「あなたは……誰? ……人間?」
「あー……えっとー……ほな帰ります。お疲れした~」
「……え? ちょ! まってぇぇぇ!」
そんな言葉に意にも介さず、ツルカは颯爽と部屋の出口へ歩いて行く。女性は魔法結界を叩きつけながら必死にツルカを止めようとしていた。
「な、なんだよっ! 大体、どっからどう見ても封印されているお前となにを喋ればいいんだよっ! いかにもやべえやつじゃん!」
「そ、そうかもしれませんが! ですが、私にはあなたに何もできません! たとえできたとしても、あなたに危害を加えるつもりは毛頭ありません!」
「へぇ? 口では何でも言えるんだぜっ、お姉さん?」
「信用ゼロすぎませんか!?」
強すぎるツルカの言葉に、魔族の女性はぐったりと肩を落とした。その潤んだ瞳は、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
ツルカは思わず足を止め、気まずそうに頬を掻く。目の前の女性からは世界の敵と聞いて抱くような禍々しい気配や敵意が、不思議なほど感じられない。むしろ、その必死な姿には哀れさすら覚える。
「わ、悪かったよ……。ちょっとくらいならお話ししてもいいかなぁ……?」
次の瞬間、彼女の瞳が宝石のように輝いた。こぼれ落ちそうなほどの笑みを浮かべ、その姿がツルカには眩しすぎた。
「それにしても君は何者なんだい? 明らかに封印されているみたいだけど、昔に何かやらかしたのかい?」
いきなり核心につくような質問に、女性の表情はまた曇り始めた。
「そう、ですね。確かに私は封印されています。罰……として、でしょうか。魔界で大罪を犯してしまいまして……」
「ま、魔界で……?」
《ええ。名の通り、魔族が住む世界……この世界の裏側に存在する別次元、と言うべきでしょうか。いにしえの時代には我々の世界と繋がっていたとされますが、現在は特殊なゲートか高位の魔法でしか行き来できない、闇の世界です》
(そんなところで罰を犯してここに……一体何をやらかしたんだ……)
魔界での大罪。その言葉の重みとは裏腹に、彼女の表情はただただ悲しみに満ちているだけだった。どう言葉を続ければいいのかわからず、ツルカの視線は女性の頭部に生えた、美しい黒の角へと自然に吸い寄せられていた。
「……やっぱり君は魔族なんだね。その角を見た時からそう思ってた。だからちょっと怖くて」
「す、すみません。私ったら自己紹介もせず……。この角を見れば人間が恐れるのも無理はない……。人間と魔族は……決して相容れぬ存在。それは、変えようのない事実なのですから……」
諦観を滲ませた声でそう言うと、彼女は自分の角にそっと触れる。
「ごめんなさい。一人で喋っちゃって。あなたのお名前は何と言うんですか? 差し支えなければ是非教えていただきたいと……」
「あ、僕から? えっと、ツルカ、ツルカ=ハーラン。魔法使いです……? うん、そう」
「ツルカさんですか。まだ体も小さいというのに立派ですね。私も魔法が大好きなんです。魔法が使えれば人を助けることができる。弱きものを救うための大切な力……」
不可解だった。やはり彼女からは世界が言う『魔族』というイメージを根底から覆すような、柔和な雰囲気しか感じられない。本当に、このような魔族が存在するというのだろうか。
「あ、すみません。私の自己紹介ですね」
魔族の女性は軽く咳払いすると、ドレスの裾をそっと指先で持ち上げる。
「はじめまして。魔界にて第二位の魔王の位を賜っております、マリアネと申します。ご挨拶申し上げます」
彼女は、伏せられた長い睫毛の下で、静かに挨拶の言葉を紡いだ。その動作は流れるように滑らかで、彼女の優美な人柄を物語っていた。
「魔界王第二位か~……魔界王……うん?」
背筋が凍った。軽く聞いたものの、発せられた彼女の言葉はそう簡単に流せるものではない。
《詳細分析……。個体名、魔王マリアネ。漆黒の覇者と呼ばれし大魔王により、第四代目、魔界王第二位の位を賜り魔王に君臨。……彼女の話が本当ならば、今マスターの目の前にいる者は、魔界の覇者と言われる大魔王に次いで、力を持つ魔王です》
(ああ、もう……とんでもない貧乏くじを引いちまったや、こりゃ)
ツルカの口元に引きつった笑みが浮かぶ。目の前の状況が現実離れしすぎていて、もはや笑うしかなかった。




