2
《さあ! それよりマスター、お腹が減ったのでは!? まずは食料の確保と安全な町の探索が最優先事項です! 私の分析によれば、このままではマスターは栄養失調で倒れます!》
ツルカが核心を突こうとした瞬間、アイナは被せるように言った。
「そこまでじゃないけど? あからさまに話を逸らしたな……」
《気のせいです。ですが……あの少女が使った技。あらゆる概念を覆すかのような危険な技。今度遭遇したら、即時撤退を推奨します》
「……うん。わかったけど……」
アイナがそこまで言うのなら、今は深入りすべきではないのだろう。ツルカはあの少女の虚ろな琥珀色の瞳を思い出し、小さく身震いした。
「……はぁ。地上に出られたと思ったら、いきなり化け物みたいなのに立て続けに会うなんて……。グランドシオル、恐ろしいところだね……」
《安心してください、マスター。この森の平均的な生態系は、あのレベルではありませんから。……多分》
「多分ってなに? 怖いなぁ」
ツルカは軽口を叩きながらも、警戒を解かずに再び歩き始めた。小川に沿って下ればいずれ人里に出るかもしれない。
ひとまず、あの無感情な少女が去ってくれたことに安堵し、強烈な空腹感を思い出す。
「あー、もう本当にお腹減った……。なんか木の実とか……」
その時だった。森の静寂を切り裂いて、数キロ先と思われる方向から、地響きを伴う強烈な爆発音が鳴り響いた。
「うわぁっ!?」
ツルカは思わずその場にしゃがみ込む。遅れて、驚いた鳥たちが一斉に森から飛び立っていく。
「あのさ!? 僕ってばいつもこういう変なことに巻き込まれるよね? なに? 僕って疫病神なの? さてはアイナさんの差し金か?」
《なにやら……戦っているような感じですね。近くで冒険者が魔物と戦っているのでしょうか……。あと、私の差し金なわけないでしょう》
「わ、わかったわかった。ごめんって」
ツルカが音のした方向を睨むと、木々の隙間から断続的に眩しい閃光が明滅するのが見えた。金属が高速で激突する音と、何かが地面をえぐり、薙ぎ倒される破壊音が立て続けに響いてくる。
《……多大な力が荒々しくぶつかり合っていますね。感知……。複数……三つ、いや……戦闘しているのは二つ……? もう一つは傍観しているのでしょうか》
「戦闘……? ってことは、対人戦……?」
《分かりません。ですが、双方の出力が尋常ではありませんね。かなり手練れた人でしょう。危険かもしれませんし、この場を離れて反対方向へ行きますか》
ツルカは逡巡した。確かに危険だ。だが、もし人間同士の戦い、あるいは冒険者が戦っているのなら、彼らはこの土地の情報を知っているはずだ。先ほどの少女のように、問答無用で攻撃してくる相手とは限らない。
「……アイナさん。僕、ちょっと様子を見たいなぁーって」
《……うん? マスター? 言語通じてます?》
「通じてるよ! いやいや、だってこの森のこと、何もわからないままだし。もしあの人たちが、さっきのよく分からん女の子みたいにヤバい奴らじゃなくて、普通に冒険者とかそういう人たちだったら、情報を聞けるかもしれないし」
ツルカの提案に、アイナは数秒の間を置いた。
《……確かに。ただし、絶対に見つからないことが条件です。あの出力レベルの戦闘です。もし敵対勢力であった場合、マスターでも勝てるか……」
「え、そんな強いの? 僕ってば、なかなかの最強魔法使いだよね?」
《もしの話です。ですから、最大限の隠密行動で接近してください》
「……隠れて様子を見るだけさ! 少しだけ! この森のこと、知りたいし!」
ツルカはアイナの許可を得て、音を立てないよう慎重に、しかし速足でそこへ向かい始めた。
数分ほど進んだだろうか。木々がまばらになり、少し開けた広場のような場所が見えてきた。そこは、すでに戦場と化していた。
「…………なんだ……あれ……?」
ツルカは巨大な木の陰に身を潜め、息を呑んだ。
広場の中央で二人の人物が対峙していた。いや、対峙しているというより、一方がもう一方に猛攻を仕掛けている。そして、少し離れた場所で腕を組みながらその光景を眺めている男が一人。
「────ふむ、やはり一筋縄ではいきませんね。まあいいでしょう。私の全力をぶつけるだけ。魔力も使えない、刀ひとつで突き進んできた私の道。あなたに通用しないわけがない。傲慢なその力、一体いつになれば消えてなくなるのでしょう」
攻撃を仕掛けているのは、小柄な少女だった。まだ成長期の真っ只中であろう、十二歳ほどの体躯。身に纏うのは、動きやすいように改良された武装巫女装束と、その上に羽織った簡素な羽織。腰には彼女の小さな体には些か不釣り合いなほど、長い刀が一振り帯びられている。
光を失ったかのように静かな漆黒の瞳。まるで潮のように波立つ長髪は清らかに輝き一束にまとめられているが、その色合いは白というより銀に幾分近い。
少女なのにも関わらず、その言動、立ち振る舞いは妙に大人びており、何事にも冷静沈着。寡黙な雰囲気とは裏腹に、不思議なほど威厳に満ちていた。
対して攻撃を受けているのは、十八歳ほどの青年。
激しく燃え盛るような紅の頭髪と、同じ色の瞳。矢を射るかのような鋭い眼差しは、常に激しい剣幕を帯びており、まるで心からの笑顔というものを忘れてしまったかのようだ。
彼は、ポケットに両手を突っ込んだまま、心底面倒くさそうに、あるいは退屈そうに、あくびさえ浮かべてそこに立っていた。
「─────どうしたのですか。避けもしない、防御もしない! それで私に勝ったつもりですか!」
少女はその可憐な見た目からは想像もつかない、やけに尊大で大人びた口調で叫びながら、凄まじい剣技──否、抜刀術を繰り出していた。
鞘に納めた刀の柄に手をかけたかと思うと、次の瞬間には不可視の斬撃が空間を疾走する。先ほどの爆発音は、彼女の斬撃が地面をえぐり、木々を薙ぎ倒した音だったのだ。
ツルカには少女がいつ刀を抜き、いつ納めているのか、その動作さえまったく見えない。ただ空間が歪むほどの速度で放たれる無数の斬撃が、青年に殺到していることだけが分かった。
「てかよぉ? もう終わりか、チビ。俺、腹減ってんだけど。お前の攻撃、さっきからちっとも痛くも痒くもねぇんだよ」
青年は、迫りくる死の斬撃を前に、挑発的に笑う。いや、その口元は歪んでいるが、目は一切笑っていない。
「ふっ。そのふざけた態度、今ここで叩き直してやりますよ」
少女が激昂し、羽織を翻す。彼女の威厳に満ちた雰囲気が、怒気によってさらに張り詰めた。少女の一閃が、今度こそ青年の首筋に寸分違わず吸い込まれた。
(あ……!)
ツルカが息を呑む。だが、まるで分厚い鋼鉄に阻まれたかのような甲高い音が響き渡り、火花が散った。少女の刀は青年の肌に触れた瞬間、見えない何かに弾き返された。
青年は微動だにしていない。指一本動かしていない。ただ、立っているだけだ。
「……はぁ。だからよぉ、無駄だって言ってんだろ? てめぇみたいな雑魚が、俺の領域を貫けるわけねぇだろうが。何回やったら学習すんだよ、この脳筋チビ」
「口だけは回るようですね。……理屈は知りませんが、当たらぬなら当たるまで斬るだけです」
少女は再び刀を鞘に納め、居合いの体勢で闘志を高める。冷静沈着な仮面の下で、その漆黒の瞳が悔しげに燃えている。
《……異常ですね。あの青年、魔力による防御障壁とは少し異なります。物理法則そのものを改変しているかのような……彼自身に『攻撃は当たらない』という概念が付与されている……みたいです。一方、あの少女の剣技も尋常ではありません。彼女は一切の魔力を扱えない……。ですが、凄まじい鍛錬のもと、刀一筋であそこまでの技を繰り出しています。空間そのものにすら干渉し、斬撃の威力は万物すら切り裂くでしょう。どちらも規格外です》
アイナの冷静な分析が、ツルカの混乱した頭に響く。
「二人とも、とんでもない化け物ってことか……」
まさに少女が次の一撃を放とうとした、その時。
「────はい、そこまでー。お疲れさん」
のんびりとした、間延びした声が響いた。それまで腕を組んで傍観していた、もう一人の男が、ゆっくりと手を叩きながら二人に近づいてきた。
茶髪に黒い瞳。少し派手な、貴族趣味のフリルや刺繍が施された衣類を着ており、この緑深い森の中では非常に際立っている。その胸元には、枠に剣と盾、そして杖がバランスよくデザインされた、見事な勲章がつけられていた。
「やれやれ、やっぱり今日も決着つかねぇか。せっかくガリロルザ領まできたのにな~。アハハ、まぁ分かってたけどさー」
男の声を聞くと、あれほど荒れ狂っていた少女はピタリと刀の柄から手を放し、不満そうに顔を歪めながらその男を睨む。
「ちょ、吹雪さん? そんな顔で俺を見ないで? 怖いよ」
「……はあ、納得いきませんね。なぜこの私が、こんないつも寝ぼけているような半端者に勝てないのか」
あれほど爛々と輝いていた少女の漆黒の瞳から、スッと殺気が消えた。
「……興が冷めました」
少女は、それだけをぽつりと呟いた。その威厳ある態度は崩れないが、やはり明確な不満と退屈さを滲ませている。少女は男二人にも目もくれず、すっと羽織を翻した。
「勝てねぇもんは勝てねぇんだよ。バカなやつだ」
青年は相変わらずポケットに手を突っ込んだまま、その鋭い紅の瞳で少女を睨みつける。
「これ以上の茶番は無意味です。……私は失礼します」
その姿は森の木々の中へと音もなく溶け込み、まるで最初から何もいなかったかのように颯爽と消え去っていた。
「んだよ、逃げんのか~? てめぇの剣なんざ、何年やっても俺には届かねぇって、いい加減学習しろ」
青年は忌々しげに舌打ちをしてガシガシと紅の頭髪をかきむしると、少女とは別の方向へドカドカと足音を立てて去っていった。
「…………」
あっという間に、破壊の痕跡だけが残る広場に一人の男だけが取り残された。
「やれやれ。相変わらず我が強いっつーか、協調性ゼロっつーか……。あんなんでよく『冒険者』やってるよな、アイツら……。そんでもってあいつらが未だ決まらない、『一位候補』ってのも……」
男はまるで独り言のようにぼやきながら、のんびりと首をストレッチしている。
ツルカは木の陰で、息を殺し続けていた。
「凄かったな……まあ、もう行っちゃったし、どっか行こうかな……」
《そうですね。静かに去りましょう》
これ以上ないほど気配を殺しているツルカ。だが、広場に立ち尽くす男はツルカが隠れている方向とはまったく別の方向を向いたまま、はっきりとした声で言った。
「……そこの茂みのキミー」
「ッ!?」
ツルカの心臓が、喉から飛び出るかと思うほど激しく跳ね上がった。
男はツルカの方を一切見ない。ただ、派手な服についた勲章を指で弾きながら、世間話でもするかのように続けた。
「いやー、うるさくして悪かったな。アイツら、どっちが強いか未だ決着がつかないからさー。それにしても、びっくりしたろ?」
ツルカは指一本動かせなかった。
(バレてる……。いつから? いや、最初から……!?)
男は飄々とした口調で続ける。
「キミも冒険者かい? 運が悪かったな。あんな最強格の片鱗を見ちゃったら、冒険者怖くてやっていけないよね~」
「…………?」
「ま、俺ももう行くけどさ」
男はようやくツルカが隠れている茂みの方へ、ちらりと視線を向けた。その黒い瞳はツルカの全てを見透かしているかのように笑っていた。
「……ここから東に半日も歩けば、そこそこデカい町がある。『ナドラナ』って町だ。キミみたいな子でも、冒険者ギルドに行けば何かしら仕事はあるだろさ」
それだけ言うと、男は軽く手を振った。
「……あ」
ツルカが何かを言う前に、男は口笛でも吹きそうな気軽さで森の奥へと歩き去っていく。その背中はあっという間に木々の間に消え、今度こそ本当に広場にはツルカ一人だけが残された。
「…………」
ツルカは男の気配が完全に消えるまで数分間待ってから、ようやく木の陰からへなへなと座り込んだ。
「……全部、バレてた……」
冷や汗が背中を伝う。
あの三人は一体何だったのか。少女の威圧感、青年の理不尽な防御力、そして、すべてを見透かしていた男の底知れない知覚能力。
「……アイナ……。すっごい人間がいるんだね?」
《……ええ。これがグランドシオル。凄まじい力を持った人たちがたくさんいる世界です》
ツルカは立ち上がり、服の泥を払った。絶望的な地下大空洞を抜け、地上に出たと思えば、立て続けに規格外の存在と遭遇する。
「……でも、情報は貰えたね」
ツルカは男が指し示した東の方角を見据える。
「ナドラナって町……。行くしかないよね!」
《はい、マスター。まずは体勢の立て直しを。そこから、全てを始めましょう》




