11(10)
「さて……私もそろそろ行きますかね」
道のど真ん中で、マリアネは塊然と立ち尽くす。
帰る場所はない。残り一週間、マリアネは野宿をし、人助けをしながら過ごすしかない。
魔王としてふさわしくない行為、魔王としてあり得ない行為。それは百も承知だが、マリアネという魔王は『こう』なのだと、半ば開き直るように自信を持った。
今日も一日、人のために働こう、人のために全力を尽くそうと、マリアネは改めて決意した。
だがその時、マリアネは心臓を強く圧迫されるかのような、突然の恐怖に襲われた。
「───ッ⁉」
いざ足を前に出そうとした瞬間、マリアネは背筋も凍るほどの高エネルギーを感知した。それは常人が出せる魔力量ではない。気分が悪くなるほど禍々しい魔力であり、マリアネにとって、あまりにも身近に感じたことのある魔力だった。
魔力の気配は次第に強まり、確実にこちらへ接近している模様。膨大な魔力の主は、肉眼でその姿を確認できるほどに迫っていた。
マリアネは魔力を感じる方向を凝視する。その姿は、案の定だった。
「あれは……バリオン⁉」
上空を飛翔してきたのは、なんとバリオンだった。
マリアネは慌てふためきながらも咄嗟に木の陰へ身を隠す。バリオンとの距離は、およそ数百メートル。幸い、まだマリアネの存在には気づいていないようだ。
「一体なんで……。どうしてバリオンがここに!」
突然のことにマリアネはパニックに陥る。
どうしてバリオンがここに来たのか、全く思い当たる節がない。
マリアネは最大限に魔力を抑え込んでいる。バリオンの魔力感知に引っかかるはずはない。仮に感知できたとしても、バリオンがマリアネを探しに来るなど、まず有り得ないことだ。
「バリオンは何をしに……」
バリオンはそのまま上空を通りすぎていくかと思いきや、少し離れた林で、突如として急降下した。それに伴い、大地が崩れるかのような破壊的な轟音が辺りに鳴り響く。降下したその場は一瞬で炎の海と化し、草木が焼き尽くされていった。
「ひ、ひどい…………」
林から炎が燃え移ってくるのも時間の問題だろう。
マリアネはすぐさまバリオンから距離を取ろうと、道を外れて林に身を隠しながら駆けた。その時、何者かが道を駆ける音が耳に入った。
「ま、まさかバリオン─────⁉」
マリアネは畏怖に満ちた表情で背後を振り返る。だが、走ってきたのは一頭の馬だった。
「う、馬……?」
マリアネは目を凝らす。どこかで見たことがある毛並み、色だ。必死に記憶の底を探る。
「────ッ⁉ あ、あれって!」
記憶へ続く鍵を見つけた瞬間、映像が浮かび上がるように、あの馬のことを思い出した。
あれは、配達仕事をしている老人の馬車を引いていた馬だ。
バリオンは任務とは関係なくとも、人間と見るや躊躇いなく焼き殺す趣味を持っている。そんな魔王だ。
そしてバリオンは飛んでいた最中、突如降下し、辺り一帯を炎の海にした。続けてその方向から馬は怪我を負いながらも必死に逃げてきた。バリオンは馬なんかに興味はないはず。結果、この二つの事実から推測できるのは、一つ。
「─────おじいさんッ!」
マリアネは意を決して転回し、自ら炎の海と化した方向へ稲妻のごとく駆けだした。
汗を滲ませ、必死に走った。炎が広範囲に燃え盛り、黒煙が上空高く立ち昇っている。このままでは人目につくのも時間の問題だろう。
「おじいさん……、おじいさん!」
マリアネは走りながら涙を流していた。老人が今どうなっているか、考えたくもない。その光景を見たくもない。それでも、マリアネはその場へ行かなければならないという使命感に駆られていた。たとえそれがどれほど辛い結果であろうとも。
燃え盛る炎を目の前にし、一度マリアネは足を止める。焦りの表情で目を凝らすと、揺らめく灼熱の炎で視界は朧気だが、一人の男が誰かの首を掴んでいるのが見えた。
マリアネは迷いなく炎へ飛び込み、その場へ向かう。そこにはバリオンと、首を掴まれている老人が。推測通り、野菜売りの老人だ。
「お、おじいさん!」
「………あぁ? マリアネ……なんでてめぇがこんなとこに」
バリオンは眉間にしわを寄せ、どうでもよさそうな表情でマリアネの方に目を向ける。彼も何故ここにマリアネがいるのか、状況が整理できていない。
「うっ、お姉さんや………。逃げるんじゃ、危ない………」
「そ、そんなわけには!」
「あ? お姉さん? おい、なんでてめぇがこの女を知ってやがる」
「ぐぁ……」
バリオンは掴んでいた老人の首をさらに強く握りしめ、なぜマリアネを知っているのか問い詰めようとする。
「や、やめてくださいバリオン。その人はなにも悪い事してないでしょう!」
「は? 何を言ってやがんだ。こいつは人間だぞ。殺す他ねえだろ」
バリオンの言い分は、魔王としては誤りではない。だが、マリアネにとっては違う。彼女にとって人間は宝であり、何よりも守りたい尊い存在だ。
老人はこの状況下でも、苦しげに笑みを浮かべてマリアネに言う。
「に、逃げるのじゃお姉さん……ワシはいいから」
「……そんなわけにはいきません! 私はあなたを助けなければなりません!」
「………助けるだと。まさかお前……人間と関わりを持っている……のか……?」
「ッ……!」
マリアネは無意識に、魔王として有り得ない発言を放った。
そうだ、忘れていた。魔族は人間と関わってはいけない。その絶対の掟が、頭から抜け落ちていた。彼女の頭には、『人間を守らなければ』という一心しかなく、魔族の掟など眼中になかったのだ。
やってしまった。今、ようやく自分が大罪を犯していたのだと改めて自覚した。
「……フフッ、フハハハハハ! そうかそうか。てめぇはこの一週間、そんな事してたのか」
「…………」
「……チッ。ふざけんなてめぇ! このクズ野郎がッ!」
バリオンは掴んでいた老人の首を投げ捨てるように手放し、荒々しい勢いでマリアネに接近する。マリアネの胸ぐらを服が引き裂けんばかりの勢いで掴み、自分の方へ引き寄せる。
「お前、自分が何をしたか分かってんのか……。てめぇは魔界王第二位……いや、魔族として取り返しのつかない事をしたんだぞ! あぁ!?」
「うっ……」
マリアネは言葉も出ない。ただ神妙にバリオンの言葉を受け止めるしかなかった。
「俺……少し期待してたぞ。お前が任務を達成できるってな」
「…………」
「あんなにも追い詰められてたら流石にお前も働くだろって思ってた。ドマンナもあんなに応援してたしな。だがそんな事は無かったみてぇだな! 期待してバカだった。てめえは相変わらず無能でクソな野郎だ。役にも立たねえ。おまけに人間と関わるだと……お前はどこまで役立たずなんだ! あぁ!? 答えてみやがれ!」
マリアネは返す言葉もない。バリオンは血眼になって怒り狂っている。彼女が犯した罪は、決して許されるものではなく、今更深く反省したところで許容されるはずもなかった。
するとバリオンは、消沈したマリアネの顔を見て、さらに殺気を露わにする。
「あぁ!? このくそったれがッ!」
「────なっ!?」
バリオンは手に炎を召喚すると、無防備な老人めがけて放った。老人は一瞬で塵となり、姿を消す。あの一撃だけで、老人の命は儚く消え去ってしまった。
「お、おじいさん………っ」
マリアネは地に膝を突き、虚ろに涙を流す。何もかもを失ったかのように絶望した。
バリオンはそんなマリアネを見て、さらに苛立ちを覚える。
「なに泣いてんだてめぇ!」
バリオンはマリアネの髪を荒く掴み、引っ張って体を揺さぶる。
しかしマリアネは虚脱状態で、一切の表情を浮かべず、返事すらしなかった。
とうとうバリオンも呆れたようにマリアネを蹴飛ばすと、顔も見ずに告げた。
「この事は大魔王様に報告する……。後に……お前は魔王城に帰ってこい。その後の事に関しての保証はしない。……断罪を受けるがいい」
バリオンは失望と侮蔑の入り混じった表情で言い放つと、空高く飛び去っていった。
一人残されたマリアネは燃え盛る炎の中心で膝を突きながら、手で顔を覆い隠すようにして泣き崩れる。
今更ながら、自分がしでかしたことの重大さに打ちのめされ、猛省した。
正直、マリアネは最初から分かっていたのだ。魔王が人間を助けるなど、人間を幸せにするなどできるわけがないと。でもマリアネは信じたかった、魔族と人間が楽しく関われる世界が実現する事を。
だが、畢竟幻想に過ぎなかった。
その絶望のさなか、マリアネは新たな気配を感知した。
「なんだ、この火事は!」
「魔物の仕業か!?」
バリオンが引き起こした破壊的な轟音と、天を焦がす黒煙が、ついに町の人々を呼び寄せたのだ。遠巻きに集まってくる野次馬。町の衛兵。そして、グランディール国からひときわ練度の高い気配……冒険者たちだ。
炎の海と化した林の縁で、群衆がざわめいている。その最前列に、一際目立つ二つの影があった。
「ひどい有様だ……。この威力……尋常じゃねえな……」
凄まじい剣幕で男──勇者が炎の中心を睨み、生存者がいないか必死に探している。どうやら不朽の栄光のリーダーも、この騒動に黙っていられなかったらしい。
「……あそこに、誰かいます」
勇者の隣でそう呟いたのは、まだ十歳ほどの少女だった。不釣り合いなほど精巧な刀を腰に下げ、雪のように白い髪をなびかせている。
「ですが……あれほどの業火の中心にいながら、平然としている……。とても人とは思えませんが……」
少女の言葉に、勇者は息を呑んだ。
炎の中心で膝をつく、小さな人影。あの姿、あの雰囲気。間違いない。
「マリアネ……!? なぜ君がこんな所に……!」
勇者の胸が騒ぐ。
この大火事は彼女が? いや、違う。
勇者の鋭敏な感覚が、この場に残る魔力の残滓が、彼女本人のものとは似ても似つかない、もっと凶悪で禍々しい別種のものであることを捉えていた。
勇者はマリアネの無事を確認し、どうにか声をかけたい衝動に駆られた。だが、隣には事情を知らない少女がいる。彼女に『知り合いだ』などと、どう説明すればいい。
勇者が苦悩し逡巡している間に、少女は冷静に状況を分析していた。
「……応答する意志がないみたいですね。話が通じるのか……。ひとまず危険です。これ以上は近づくべきではありません。もし攻撃をしようものなら、私が先制をとり、あの首を取ります」
少女の制止も耳に入らないほど、勇者の目は炎の中のマリアネに釘付けになっていた。彼女が深くうなだれ、絶望している様子が伝わってくる。
「いったい何があったんだ……!」
勇者が思わず一歩踏み出そうとしたその時、虚だったマリアネの肩がビクリと跳ねた。顔を上げると、炎の向こう側、人間たちの最前列に、見間違えようのない姿があった。
「あれは…勇者……さん……!?」
マリアネの頭が混乱で真っ白になる。
(やめて……見ないで……! 私は、魔王なのだから……あなたの前に……もうこれ以上……いられない……!)
彼がいる。あの勇者が、私を見ている。
もうここにいてはいけない。罰を……受けなければ。
「行かなきゃ……」
しばらく絶望に打ちひしがれていたマリアネだったが、最も会いたくなかった相手との再会が、皮肉にも彼女の最後の決意を固めさせた。
早く魔王城に帰り、事を洗いざらい話さなければならない。
「あっ……!」
マリアネはふらりと立ち上がる。
勇者が何かを叫ぼうとするより早く、炎の中心にいたはずの少女が、陽炎のように揺らめき、その場から掻き消えた。
「……消えた? 転移ですか」
勇者はマリアネが消えた空間を呆然と見つめる。少女がその勇者の横顔を訝しげに一瞥した。
「……どうしました。まるで……彼女を知っているような素振りですが」
「……いや……違う。とても悲しそうだったから疑問で」
白々しい嘘をついた。だが、少女はそれで納得したのか、それ以上追及はしない。
「……何が起きたかは分かりませんが……あの女、やはりただ者ではないでしょう。勇者。急ぎ、ギルドと国に報告を」
「……ああ。だが今は、生存者の捜索と消火が先だ」
勇者は苦々しく顔を歪め、マリアネがいた場所を睨みつけたまま答えた。彼の脳裏には、最後に見たマリアネの絶望に満ちた横顔が焼き付いて離れなかった。
一方、マリアネはすでに魔王城への道をひた走っていた。
嚮後どうなるかなど、考えたくもない。それでも自分の失態による罰を深く受け入れる義務がある。逃げるわけにはいかない、友のためにも、仲間のためにも。
そうしてマリアネは魔王城に戻った……。
「……それで。お前はなんの成果も得られぬまま、このように帰って来たと。人間と友好的な関係を築いて……か」
マリアネは帰還の報告をグレイに告げる。だが、グレイはバリオンの報告により、マリアネが人間と関わったことを委細承知している。
大魔王は深い溜息をつき、やれやれと首を振る。それでも尚泰然たる態度だったが、少し眉間に皺を寄せ頭を抱える。
「まさかマリアネ……そんな事してたなんて。バリオンから全部聞いたよ! 流石にそれは……」
「……見損なった。お前はそこまでひねくれたやつだったのか」
部屋の隅にいるシバニー、ガインナーも呆れた表情で冷視する。
まさかマリアネが掟を破るなどと想像だにしなかったため、呆然とするほかなかった。
「本当に、不肖者で申し訳ありませんッ………」
マリアネは深く頭をこの場にいる全員に下げる。
許容範囲を大きく超えてしまっているのは当然、だが謝らないわけにもいかない。必死な思いで頭を下げ続けた。
すると一人の少女が、悲痛な面持ちでマリアネに近づく。胸の前で祈るように手を組み、儚げな声で名を発する。
「マリアネ………」
「ど、ドマンナ」
いつもマリアネを支えてきたドマンナだが、人間と関わりを持ったという事実を知り、彼女もまた、例外なく衝撃を受けていた。
沈痛な面持ちでドマンナはマリアネの手を取る。
「なんでなの……。私、しっかり応援したのに……。応援が足りなかったからマリアネは違う道へ行っちゃったの……? 私のせいで──────」
「違う、それは断じて違うッ! ……違うんですよドマンナ……。私が、私が悪いんですよ……!」
二人は共に涙を流す。
反省すべきはマリアネであり、ドマンナは何も悪くない。全て、自身の甘さが導いた結果である。
ドマンナはガインナーに背中をさすられ、手を握られて共に退く。
「お前は大罪人だ。魔王としての自覚もない、プライドもない! 魔界王第二位……聞いて呆れるな。お前はもう魔王、いや魔族として失格だ」
「はい……」
いつも冷静なグレイが声を荒らげる。
人間とは関わっていけない。これは魔族共通の掟であり、背く事は許されない。魔王以前の問題だ。
そしてグレイはマリアネに、最後の言葉を告げる。
「断罪する。貴様を『無限牢獄』へと投獄する」
「ッ……」
その時、透明の壁がマリアネを囲うようにして生成される。
玉座の間との空間が隔てられる。透明な障壁だというのに、まるであちら側が別世界のように遠く感じる。
「ふん……当然の報いだ。素直に断罪を受けやがれ」
バリオンは部屋の片隅でマリアネに謗るように呟く。
自分の行いに対して、適切な罰……もはや反論する余地もない。
「マリアネ……」
「……頭を一人で冷やしておけ」
シバニー、ガインナーもこの断罪が妥当だと思っている。
仕方がない事だ。もう自分は大罪人なのだから、これくらいの罰を受けて当然なのだ。
だが。
「マリアネ……マリアネッ!」
「ちょ、ドマンナってば!」
一人だけは違った。
ドマンナはガインナーに握られていた手を振りほどき、慟哭して透明の壁を叩きつけた。
だが壁は微動だにせず、破壊不可能。これは大魔王が展開する魔法。四神魔界王ですら破壊できるわけもない。
それでもドマンナは泣き叫びながら壁を叩き続けた。
「いやぁ! マリアネ! マリアネぇぇぇぇ!」
その悲痛な叫びは、マリアネの胸を締め付けた。
泣き叫び、顔を歪ませるドマンナの姿に、流石のマリアネも耐えきれず雨のように涙を落とす。
「ごめんなさい、ごめんなさい……。ドマンナ、こんな私をいつも支えてくれて、本当にありがとう……!」
「────いやぁ! マリアネぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
ドマンナの嗄声のような叫びを最後に、マリアネは透明な檻に拘禁されながら、瞬時に姿を消した。
─────そこから約一年の日が過ぎた。
マリアネはその時から、この祭壇のような場所で封印され続けている。
もう時間の感覚など、封印により漠然としていた。この場でずっと、何も変わらない風景を眺め続けている。
しかし、マリアネはいつも考えていた。
なぜ、グレイは自分を殺すという手段を選ばなかったのか。私に与えた力を奪おうともせず、封じることを選んだのか。まだ……なにか企んでいるのか。
といっても、何を考えようがこの封印の中では何もできない。眠って起きては上の空、そんな毎日だった。
今日も静かに目を閉じ、忘憂するようにして眠りにつこうとした。
もう少し、もう少しで眠れそうだった。
それなのに、マリアネは寝付ける事ができなかった。
ある物音、雑音……声がし始めたからである。
「……みたいだね。うん、うん、うん……。でも人間ではなさそうだね」
(人の……声。何故……?)
突如、ある声が耳に入る。
それは若々しく、元気のある女の声だ。
誰かいる、そう思ったマリアネはゆっくりと開目する。
視界がぼやけ、数秒後には目に映る映像がしっかり認識できるようになる。
そこには、何やら考え込んでいる人間の少女が一人、ぽつんと立っていた。
「如何にも封印されているって感じだね。何をやらかした魔族なんだか……。うん、うん、うん……え? まてまて、全盛期の三割以下でSランクを更新してるって? 全盛期ならバケモンじゃんか! Sランクってこの世界の最高値なんだよね? 僕も流石に記憶あるよ?」
少女は独り言にしては妙に流暢に、あるいは忙しなく舌を回している。
マリアネは不思議に思いながらも次第に興味が湧き、恐る恐るその少女に話しかけてみた。
「……だれ?」
「………!? げっ……ま、まさか目覚めた……?」
「あなたは……誰? ……人間?」
to be continued………




