10
凄まじい轟音と粉塵。ツルカは自分がどれだけ落下したのかも分からなかった。光の奔流で無理やり穿った穴は、グレイの追撃の魔光によってさらに大きく拡張され、まるで奈落の底へと続くかのようにツルカの身体を飲み込んでいく。
「う──────ッ!」
受け身も取れずに全身を強かに打ち付け、瓦礫と共に転がり落ちる。そして先ほどまで全身を灼くように巡っていた熱い光の感覚が、急速に潮が引くように消えていく。
《ま、マスター!? ご無事ですか!》
アイナの切羽詰まった声が頭に響く。
「……っ、げほっ、ごほ……! だ、大丈夫……なんとか………」
ツルカは瓦礫の山から這い出し、荒い息を繰り返す。光の加護が消えた途端、先ほどの戦闘で負った打撲や切り傷が現実的な痛みとして一斉に牙を剥いた。
「……ッ! そりゃ、大魔王相手じゃ耐性もクソもないかぁ……。最強のツルカさんでもこりゃ骨が折れるよ……」
体中に走る激痛に膝が折れる。立ち上がるのもやっとだ。
辺りは完全な闇だった。上を見上げても、もともといた階層の光は遥か遠く、星のように瞬いているだけだ。どうやら、とんでもない深さまで落ちてきたらしい。
「……逃げ、きれた……のか……? ここは……」
《……地殻……いや、もっと深いですね。上層部の構造とは全く異なる、天然の鍾乳洞……いえ、地下大空洞の一部に落下したようです。……魔力反応……は、特にありません。追手は今のところないようです》
アイナの分析を聞きながら、ツルカは身体の傷を魔法によってさも当然のように回復していく。だが、あの超常的な光を失った身体は、先ほどまでの戦闘が嘘だったかのように重く、疲労を訴えていた。
闇に目が慣れてくると、ぼんやりと周囲の景色が浮かび上がってきた。天井からは巨大な鍾乳石が牙のように垂れ下がり、足元は水浸しになっている。絶え間なく水が滴る音が反響し、不気味な静けさを際立たせていた。
「それよりマリアネは! 転移は成功したのか?」
《……はい。転移は完遂しています。ですが……》
「ど、どうしたんだい」
アイナの声に焦りが滲む。ツルカの心臓が嫌な音を立てた。
《……ですが、ここらの複雑な地層と強力な魔力鉱脈が干渉し、正確な座標が掴めません。ただ、転移の際に生じた魔力の残滓が、この洞窟の奥へと続いているのを感じます。幸い、魔王マリアネの転移先は、マスターが今落下したこの階層の近くだとは推測していますが……》
「なら、それを追うしかないね……!」
ツルカは瓦礫の山から滑り降り、探索を開始する。
湿った空気が肺を満たす。ただの洞窟かと思えば、床や壁の一部は明らかに人の手で切り拓かれたような直線的な通路を形成している。自然の洞窟と、人工の遺跡が融合したような不気味な場所だった。
「……なんなんだろう、ここは……」
《さあ……。ですが、強力な魔力が残滓を感じます。古い……非常に古い術式の痕跡のようです。ひとまずマスター、今はマリアネさんの救助を》
「それもそうだ……!」
ツルカはアイナの指示に従い、暗い洞窟を駆け出した。
走りながら先ほどの戦闘が頭に過ぎる。グレイの圧倒的な力。マリアネの敗北。そして、自分の内から溢れ出したあの正体不明の光。
「ねえ、あの力は一体なんなの……? グレイは僕を『光の子』と呼んだ。アイナ、君は何か知ってるんじゃないのか?」
聞きたいことは山ほどあった。自分が何者なのか。なぜこんな力を持っているのか。だが、アイナの答えは非情だった。
《……今は、マリアネの命が最優先です。無駄話はほどほどに》
「……なんなのさ」
ツルカは歯噛みする。アイナが何かを隠しているのは明白だった。だが、アイナの言う通り、今はマリアネだ。
洞窟は迷路のように入り組んでいた。時折、壁に奇妙な楔形文字のようなものが刻まれているのが見えるが、それが何を意味するのかも考える暇が無い。不気味なほどの静寂。魔物の気配すらない。それが逆にツルカの焦燥を煽った。
道中は、まさにいろいろなことの連続だった。腰まで浸かるような冷たい地下水脈を横切り、足を滑らせれば奈落の底へ落ちてしまいそうな僅かな岩棚を慎重に渡る。光る苔がぼんやりと照らす広大な空間に出たかと思えば、次の瞬間には一人がやっと通れるほどの狭い岩の裂け目を這って進まなければならなかった。
《マスター。次にかなり開けた場所に出ます。そして……何か自然のものではない、強烈な魔力反応の残骸を感知しました》
「残骸……?」
狭い通路を抜け、その光景にツルカは息を呑む。
そこはドーム状の巨大な地下空洞だった。だが、その中央に鎮座していたのは、自然の造形物ではあり得ないものだった。
「……あれは……門……なのか?」
数十メートルはあろうかという、黒曜石を削り出したかのような巨大な二本の大柱。それは天上の岩盤に突き刺さるようにそびえ立ち、かつてはアーチを形成していたであろう上部は無残に崩れ落ちている。柱の表面には、ツルカには読めない複雑怪奇な文字がびっしりと刻まれているが、そのほとんどが風化してひび割れていた。
しかし、本来なら空間がぽっかりと空いているはずの門の中央に、黒い靄のようなものが渦巻いている。廃れてなお、その機能をかろうじて維持しており、まるで瀕死の心臓のように弱々しく明滅を繰り返していた。
《……これは…………っ!?》
アイナが驚愕の声を上げる。
《……旧世代の……空間転移ゲートです。エネルギー反応は極めて希薄……ですが、まだ辛うじて機能している……? 接続先座標を解析…… ッ! これは……!》
「ど、どこに繋がってるんだい」
《……魔界です。座標パターンが、大魔王グレイの固有魔力と酷似しています……。間違いありません、これは……魔界への扉です》
ツルカは思わず後ずさる。
魔界──大魔王の統治せし地。およそ、今のツルカが足を踏み入れていい場所ではない。
《ですが、ご覧の通り、ほぼ機能を停止しています。朽ち果てている、と言っていいでしょう。この空間の歪みも、魔力が漏れ出ているだけでしょうか。しかしながらマスター、このゲートは危険すぎます。マリアネさんがグレイの封印を解いた場所と、この魔界の扉が繋がっていた……偶然とは思えません。マリアネの気配は強くなりつつあります。先を急ぎましょう》
「そうだね……」
崩れかけたゲートを横目に、ツルカは再び奥へと続く通路へと飛び込んだ。
しばらく直線の道が続き───そしてツルカは足を止める。
「……血だ……」
鼻腔を突く、生々しい匂い。間違いない。視線を落とすと、岩盤の床に、点々と黒い染みが続いていた。それは今しがた流されたばかりのような、生々しい血痕だった。
「……まさか……」
嫌な予感が全身を駆け巡る。ツルカはすぐさま血痕を追った。
それは数十メートル続き、一つの開けた小部屋のような場所で途切れていた。
「あ……っ!」
声が出なかった。
小部屋の奥には、壁にぐったりと寄りかかるようにして一人の女性が倒れていた。艶やかな紫色の髪は夥しい量の血で濡れそぼり黒ずんでいる。身にまとっていたドレスは引き裂かれ、腹部にはまるで抉られたかのような致命的な傷が開いていた。
浅く、速い呼吸。かろうじて上下する胸。それは、紛れもなくマリアネの姿だった。
「マリアネッ!」
ツルカの声に、マリアネがゆっくりと顔を上げた。その紫色の瞳はすでに光を失いかけて濁っている。
「……ツルカ、さん……? ご無事……だったのですね……」
「喋らないで! すぐに手当てを……なにか治療法は!?」
《ダメです、マスター……。グレイの力は漆黒による消失。これは……物理的な損傷ではありません……。喰らったが最後……復元は不可能なのです……》
「……そんな……。せっかく……グレイから逃げられたのに……こんな……」
ツルカの膝から力が抜ける。絶望が全身を支配する。
「……ふふ……。あなたは……本当に……お人好しですね……」
マリアネが、血の泡を吹きながら、弱々しく笑った。
「……もう、いいんです……。私は……ここまで……。それより……早く……ここから脱出して……」
「何を言ってるんだ! 僕が助けるって言っただろ!」
「……無駄……ですよ……。……ここまで来たということは……道中のゲート……見ましたか……? あれは……グレイが……私を……封印する前から……用意して…いた……グランドシオルと魔界を繋いだ裏口……。グレイの配下は……グランドシオルの……あらゆる場所で……ゲートを建て…ている………。ですが……あのゲートはもう……魔界に繋がるほどの力はありません……」
マリアネは最後の力を振り絞るように、ツルカの服を掴んだ。
「ここはかつて……魔族が拠点としていた……洞窟……。あのゲート……には……おそらく地上へと……行ける……一方通行の転移ぐらいは……できる力がある……はず……。この洞窟は……古すぎて……もう……地上への入り口も……時代の変遷とともに……塞がれている……。いくら洞窟を彷徨っても………道が塞がっていて……脱出は……できない……」
マリアネは途切れ途切れの息を吐きながら、かろうじて動く右手をツルカの頬に向かって伸ばした。
「……あなたは地上に出て……。『光の子』……。あなたのその力だけが……グレイを……止められる……! 私に、構わず……生きて……」
「光の子ってなんなのさ! それに……君が死んだら意味ないだろ!」
ツルカは自暴自棄になったかのように叫んだ。目の前の命が消えかけているのに、訳の分からない使命など知ったことか。
「……ツルカさん……。あなたは……グレイを……止めなければ、ならない……。唯一……グレイがいつも口にしていた……光の子という言葉……。伝承の通りだった……! 見て……分かった……。それは……大魔王に……太刀打ちできる力……!」
その言葉と共に、マリアネの伸ばされた右手が淡い闇のオーラを放ち始めた。それは彼女がグレイと戦った時に纏っていた、あの暗黒の魔力だ。
「……これは……私に与えられた……魔界王第二位としての……力の全て……。私では……扱いきれなかった……『権能』……」
マリアネはそのおぼつかない手で、ツルカの胸に触れた。
「……っ!?」
───冷たい。先ほどの光とは真逆である、全てを凍てつかせるような絶対零度の虚無が、ツルカの身体に流れ込んでくる。
「……グレイは……この力を……私に託し……『壮大なる計画』を……企てていた……。何かは……分かりませんが……それだけは……させては……ならない……!」
「ま、待ってくれ、マリアネ! 諦めないで……!」
「……どうせ……もう……っ……助かりません……。なら……この力……あなたに……託します……」
マリアネの瞳から、最後の光が失われていく。
流れ込んでくる闇の力は、ツルカの内で眠る『光』と激しく反発し、身体が引き裂かれるような激痛が走る。
「ぐっ……マリアネ……!」
「……光と……闇……。ですがあなたなら……。きっと……。……その力を……世界のために──────」
それが、彼女の最期の言葉だった。ツルカの胸に置かれたマリアネの手が、力なく地に落ちる。息はもう、していなかった。
守ると誓ったはずの彼女が今、腕の中で冷たくなっていく。彼女の温もりも、苦しみも、覚悟も、全てが消えていく。
ツルカの内に宿った、熱い『光』と、冷たい『闇』。二つの相反する力が、怒りと悲しみに呼応するかのように荒れ狂う。
「──────あぁぁぁぁぁッ!」
絶叫と共に、ツルカの身体が内側から弾けるように闇の覇気を噴き上げた。それはマリアネから強引に託された、制御不能な暗黒。ツルカの絶望と怒りを喰らい、増幅された暗黒の覇気が空間を圧し潰さんとばかりに膨れ上がる。
ビリビリと大気が震え、足元の岩盤が絶対零度の冷気に凍てついて砕けていく。ツルカ自身の意志とは無関係に溢れ出す禍々しい魔力は、空間を汚染するかのように渦巻いた。ツルカは自らが放つ力に意識を奪われ、その瞳が虚無的な暗黒に染まっていく。
《まずい……! まさかこの身に理の全てを封じ込む羽目になるとは……! マスター! 落ち着いてください! 絶望感を抱いてはなりません! マスター!》
アイナの悲鳴のような声が、闇に染まりゆくツルカの意識にかろうじて届く。だが、絶望に託された力はツルカの精神を猛烈な勢いで侵食していく。
【まさか……キサマとワレが……ココに集うトハな……】
《なっ……!》
アイナと同じように、精神に干渉するかのように響き渡る声。アイナは思わず言葉を失う。まるでそれが何かを知っている。しかしその声はその一度限りで、もう聞こえることはなかった。
《くっ……意思疎通は無理か……! 強制的にマスターの精神を封じ込めるしかない!》
アイナは即座にツルカの深層意識への侵入を試みる。だが、マリアネから譲渡された魔界王第二位としての権能は、アイナの介入を拒絶し、激しい抵抗を見せた。
《この闇、抵抗が強すぎます……! ですが、ここでマスターを失うわけには……!》
アイナは処理能力の限界を超え、ツルカの内にわずかに残る『光』の残滓を強引に励起。それを鎮静剤とするように、暴走する『闇』へと叩きつけた。相反する力がツルカの内で激しく衝突し、その肉体を限界まで苛む。
《……抑え込め……ッ! 二度とその力に屈服するものかっ……!》
最後の力を振り絞るようなアイナの声と共に、荒れ狂っていた暗黒の覇気は急速にツルカの体内へと吸い込まれていった。力に耐えきれずツルカの意識はプツリと途切れ、マリアネの亡骸の傍らで深い眠りへと落ちていった。
《……強引ではありましたが……なんとか……なりましたか》
暗涙をこぼしながら深く眠りにつくツルカ。意識が覚醒するまでには時間がかかりそうだった。
《……さあ……これからどうするべきか。まったく、私に託された天命は凄まじいものになりそうです……》




