第五話 『喰入祁魚』
お久しぶりです。
一度書くのを止めてしまうと、中々続きが書きにくいものですね。
仕方なく、枢はクゼを抱えて、久留島の屋敷のある港の方へ急いだ。
あの場所ならば何らかの、現世へ渡る手掛かりが見つかるだろうと踏んでのことだ。
途中、一人も人影を見なかったのが不思議といえば不思議だった。
(おかしい…己は今頃、二親と久留島の方々を助けて、久瀬の頭首を追い詰め、講和を結んでいるはずだった。それが何だ?現世に連れて行け、などという妄言に誑かされたか)
「速いのねー!これならすぐに着きそう、安心したわ。──人払いの術は、範囲が広いほど効き目が切れるのが速いから」
「…何だと?」
「何でもないわよー」
くすくすと一人笑うクゼ。どうにも躁の気があるようだ。
「そなたも辰術を使うのか」
「まぁねー。当然の嗜み、じゃない?私ってば、大魔女の片割れだし」
(大魔女?それは確か、月の……)
そこまで枢が考えた時だった。
二人の目の前に、波濤轟く断崖が現れたのだ。
「何故だ?某は、確かに久留島の屋敷へ向かっていたはず…!」
枢は、はっとして腕の内のクゼを見遣った。真面目な顔をしている。
「クゼ。そなた、まさか某にも術を──」
「もういいわ、降ろして」
枢は憮然として、返す言葉もなく彼女を下ろした。
すろと、クゼは海に向けて柏手を三拍打ち、振り向いて神妙な面持ちでこう言った。
「大海津見神を呼んだ。あなたはその力で、瀲界に行くの」
それを聞いて、枢はにがり切った顔をした。
「まるで訳が分からん。大海津見神などと……それはお伽話の存在ではないか。大体、行くのはそなたではなかったのか」
「あれは嘘。そうでも言わないと、私をここまで連れてはこなかったでしょう」
クゼは枢を、優しく窘めるようにいなした。
「そろそろね」
彼女がそう言って見据えた先の海は、いつの間にかひどく静まり返っていた。
「本当に、現れるというのか……」
枢が半ば呆然と、そう呟いた。
やがて雲が割れ、いつの間にか凪いだ鈍色の水面に月の光が差し込んだ。
光は海面で跳ね返り、段々に黒白の体の、滑らかな鱗を持つ龍の姿を取った。頭には一本の渦巻く角を備えている。
「これが、喰入祁魚……」
枢は完全に雰囲気に飲まれている。
龍は一度気怠そうに頭を振ると、クゼの方を向いた。
“久方振りに逢いましたね、救世の。
もう呼ばれはしないのかと思っていました”
頭にわんわんと直接響く声で、龍が語りかける。
「あなたは、呼べば贄を寄越せと言うから。こちらにはそんな手駒がないことを分かっているでしょうに」
“違いありません。しかし今日の妾は機嫌が良い。そのようなもの、無くとも構いませんよ”
感情の伺い知れない眼で龍が言う。
「それは本当?だったら、この子を瀲界に送り届けて欲しいのだけれど」
クゼは僅かに喜色を滲ませた。
“おや、その只人──まあ良いでしょう。此方に来なさい”
何故か急に不機嫌そうになった龍だったが、枢にはそんなことを気にしている余裕はない。
何故なら。
「あの顎に、飲まれよというのか……!!」
他ならぬその龍が、彼に向かって大きく口を開いたからだ。
「そうよ。──じゃ、行ってらっしゃい」
そう言って、クゼはありったけの膂力で枢を突き飛ばし。
彼はあえなく、龍の口中に姿を消したのだった。
大分駆け足な展開になっている気がします……