第十八話 『邂逅』
アリシアの首飾りの反応を頼りに、半ば道のない道を進んでいくと、突然、広場のようなぽっかりと開けた空間に出た。
中央には泉が湧いていて、傍らには丸太でできた簡素な小屋がある。
枢は訝しんだ。このような場所に、一体誰が──
「どこから迷い込んだ、坊や」
直後、枢の背後から声がした。
すかさず振り向いた彼の先にいたのは、妖艶な女性。
物々しい内にも優しさの窺える口調だったが、物腰に隙というものがおよそ感じられない。
身に纏った薄手の滑らかなストラは、紫紺。
長くそり返った睫毛と、腰まで伸びた艷やかな髪は、夜空の青。
そして瞳は──月の白。
「……クゼ?いや──」
我ながら、何故その名が出てきたのか、枢には分からなかった。しかし、それを聞いた女は、
「どうやら、本当に遠くから来たようだな。月の裏側にでもいたのか?」
「厶……確かに、この世界の者ではないが、月の裏などでは──」
「おや、知らないのか。懐かしい名が出たから、とうとう使いが来たかと喜んだのに──まあ、いい。いずれ、我が同胞には違いないのだ。歓迎しよう、名乗れ」
隙が無いのは臨戦態勢だからだと枢は誤解したが、どうやらこれが女の常態らしい。
枢は、喰入祁魚を眼にした時の畏怖というものを、二度味わった。
「戦士としての敬意を払う。某は久峨岑──久峨岑枢だ。
常世、由埜英の波残寿の生まれである」
「よろしい。挨拶は合格としよう。──私はシュリエ。シュリエ・モートゥネイ。“月輪の円卓”の首魁にして、月の御子狩りを為す、大魔女の分け身である」
枢は愕然とした。
あれほど恐れられる大魔女の根城が、王都のこんな膝元にあるとは。
そして何より、アリシアの命を狙う敵の親玉に、こんなにもあっけなく遭遇するとは。
「ふふ。どうだ、お前の名乗りをなぞってみたぞ。苦手なところをわざわざ推してやったのだ、褒めよ」
女は、まるで喝采を受ける舞台上の俳優のように、しなりと大きく両手を広げ、陶然と眼を閉じてみせまでした。
「な、何を──」
想定外の言動に、動揺する枢。
「諧謔の分からぬ奴だな。私は悲しいぞ」
しかし、本当に悲しんでいるように見えたので、彼は何が何だか分からなくなって来てしまった。
「お前は、我らの敵ではないのか……?」
「つまらぬことを話す男は嫌いだ。お前たちは、我ら“月輪の円卓”に、本気で勝てる気でいるのか?あのか弱き幼子を、戦いの中で守り切ることが、本当にできると思うのか?」
「──」
枢は絶句した。大魔女とは、戯れで人の命を奪える化け物なのだ──そう信じてこそいたが、まさかこのような、無垢という名の邪悪とでも言うべき精神性をしているとは、夢にも思っていなかったのだ。
「本当は、ひと一人に分け与えられる程度の加護など、どうでも良いのだ。ヴァーディズィのやつがうるさいから、刈り取っているだけ。あの幼子も、お前が望むのなら、見逃してやってもいいぞ?」
「う──煩い。何を企んでいる」
「お前のことは気に入った。円卓に席を作ってやろうか。しばらく、夏の早月の座が空いていて困っていたのだ。どうだ、悪い話ではないだろう」
「誰が敵の組織になど──」
言いかけて、枢は気付いた。オーセオンで帰りを待つ者たちを除けば、己はこの女と敵対せねばならない理由は一つもないのだと。しかし、それは──
「──某はあの子を守ると誓った、二言はない。出会うのが少し早ければ──運命は違ったかもしれないがな」
枢は目交の険を解いて、初めて冷静に女を見やった。
「……そうか。本当に残念だ。戦いの果てに、お前の血の記憶は目覚めるだろう。その時に、再び相見えよう」
言い終えると、女は広場の中央にある泉に近づき、何事か唱え出した。
詠唱が終わると、泉の水が渦を巻きながら舞い上がり始めた。
そして、女を完全に包み込むくらいの高さまで広がると、上昇は止まった。
最後に、彼女は枢の方に振り返り、こう言った。
「餞別だ。小屋の中のものは、好きにして良いぞ。ではな」
そう言うと、宙に生まれた水の渦に足を踏み入れた。水は女を包み込み、回転の速さを増していく。
最後に、ヒュウ、という風を切るような音がすると共に、大魔女はその場から消え去り、水面はまた、元の静けさを取り戻した。