第十話 『救貧院にて (三) 』
書いていて段々苦しくなってきたので、ここからはペースダウン……の予定です。
「そうですか……しかし、双界に渡って存在して始めて用を成す“遺物”が、何故その力を振るえたのか……疑問は尽きぬばかりですな」
救貧院に戻った枢が事の一部始終を話し終えると、メルバーユはそう言った。
「“グレミニオー”……正しくは“巨鬼の双牙”って言うんでしたっけ……持ち去られてしまうのですか?」
アリシアが物寂しそうに口を挟んだ。
「何、某が持っていることが知られただけで、そなたの持つ“善なる右方”は大丈夫だ。それを二親探しの手掛かりにする、という目算はまだ生きている」
「“巨鬼の双牙”に“善なる右方”……何だか、頭がいたくなりそうです」
少女は急に増えた情報の処理に、ややもすると目を回しそうになっていた。
「レイフィールドに目を付けられたのが運の尽きでしたな。奴もあれでどうして堅物、融通の利かないところは変わっていないとみえる」
「メルバーユ殿、彼とは知己なのですか?」
枢が問うた。
「あれに辰術の手解きをしたのが私でしてな。あんな血生臭い生き方を選ぶなら教えん方が良かったやも、と後悔するばかりです」
そう言って瞑目したメルバーユの口元は、しかし微笑んでいた。
「奴も辰術を使うのか……ところで、二人で何の話をされていたので?」
「ああ、そのことですか。実は……」
言いかけた所で、アリシアがメルバーユに眼で訴え掛けた。己が言う、ということらしい。
「実は、かなめ様に私の辰術の訓練を手伝って貰ったらどうか、って話をしていて……あの、もし良ければですが……!」
少女は深く頭を垂れた。悪い気はしない枢だったが、
「そうしたいのは山々だが、某の扱うは辰術の深奥、血盟式。初歩であるとされる汎用式を飛ばしてそちらの習熟に専心して来たゆえ、そなたの手解きはしようにもできないのだ」
と、渋々ながら断らざるを得ない事情があった。
「そう……ですか。分かりました」
少女が目に見えて元気をなくしてしまったので、枢は何か策はないかと思案した。
「メルバーユ殿が教えてみせる訳にはいかないのですか?」
枢の思案はごく妥当なところに落着した。
「それがどうも上手くいかない。精霊との契約は済んでいるのに、経絡が開けていないようなのです」
「ほう……?ちなみに、何と契約したのです?」
「それが……“巡賛会”のお歴々の採決によるところなのですが……“月の女神“となのです」
「“月の女神”……!?それは、余りにも酷でしょう……」
現世の辰術周りの事情にはさして明るくない枢でも、そのことは理解できた。
月の加護を持つ者は、御子狩りの大魔女に狙われる運命に必ずある。
それは、惨たらしい死を約束されたも同然のことだった。
「経絡が開けなければ、辰気の流れを辿った大魔女に自らの存在を察知されることもない──そう、暗に理解してのことやも知れません。某も、そのままで良いかと愚考します」
慎重に言葉を選んだつもりの枢だったが、どうあがいてもアリシアを傷付けてしまうことには気付けていなかった。
「私は──……」
不意に、アリシアが口を開いた。
「私、ずっと誰かに助けて貰ってばかりだったから……やっと、誰かを助けてあげられる力が手に入るんだって思ってたのに…」
「アリシア……」
メルバーユが申し訳無さそうに眼を伏せる。
「……」
枢は腹の底がふつふつと煮えたぎるような感覚に駆られた。
この子が何をした。故郷と離れ、両親と別れ、友と呼べる者もおらず、それでも立ち上がろうとするこの健気な子の、一体何が悪だというのだ。
「アリシア」
「……?」
泣くまいとして必死に嗚咽を堪える少女を、枢は強く抱き締めた。
「某は何処にも行かぬ。某がそなたを守る。そなたに何の力が無くとも──某が、そなたの剣となる」
「──あ……っ」
その涙が少女の頬を伝うのと同時に、ピキリ、という音が幽く響き渡った。
少女の首元で光っていた首飾りに、ひびが入っていた。
「魔を祓う緋金のお守り……これは──?」
「母様が私に遺したもの──ですけれど……え?」
「そうか……緋金の辰気を跳ね返す力が、月の女神との経絡を阻害していた──?」
メルバーユが考え込む様子を見せた。
「可能性の話ですが、有り得ます。しかし、随分と丁度良く……」
「何らかの呪が込められていた、ということも考えられるが……いずれにせよ、憶測の域を出ない。今は先のことを考えましょう」
「先のこと、ですか……?」
ようやく事態の成り行きを飲み込み始めたアリシアが問う。
「そうだ。当座の面倒は、現れるであろう大魔女の刺客をどうするか、ということに尽きる。三人では些か戦力不足だな」
「レイフィールドに応援を頼むというのはどうでしょうか?民草の安全を守るのは彼らの役目でしょう」
枢が提案する。
「それも良いな…よし、私の名義で頼んでみることにしよう」
「私、結局守られてばかりです……!」
アリシアは、常とは違った心持ちで、常と同じ我が身を嘆じていた。