第一話 『山から鬼が降りて来る』
続くか分かりませんがつれづれに書いてみます。
春嵐吹き荒ぶ宵闇に、松明の赤が靡く。
足音が門扉から屋敷の内部へと雪崩込み、喊の声を響かせる。
それは、有り体に言って修羅場だった。
倒れている屋敷の者の白い夜着に、鮮血が黒々と染み渡っている。
「久峨岑の者どもを探せ!殺さずに捕えろよ!」
首謀者と思しき男の、粗暴な声が闇にまた響く。
「はっ!」
応じるのは、それよりも幾らか若いらしい男の声だ。
足音が屋敷の裏手へと伝っていく。
そこには、黒の着流しの上に白い羽織を纏った壮年の男が、断崖を背に立っていた。
真っ直ぐに伸びた鼻筋は頑丈そうで、その芯の強さを表しているかのようだ。
強い髪は黒く、やや短い乱雑な揃い方をしている。
眼差しは鋭く、瞳は鳶色である。
男の周囲には、彼によって討ち果たされた下手人が累と転がっている。
彼は新たな手合いがやってきたことを察すると、拳を引いて構えを取った。
「久峨岑の次期頭首、枢殿と見受けた。ここは大人しく、縛に就いて頂きたい!」
先程の首謀者の男の声に応じた配下が中央となって、五人の男がじりじりと包囲の輪を縮めてゆく。
「知ったことか。家の者に手を出した以上、お前達は、紛うことなき某の敵だ」
やむを得ん、と配下の頭は胸中で呟いて、他の者に合図を送った。
五人は獲物の峰を枢と呼ばれた男に向け、飛び掛かる。
「──"發"!」
枢の怒号が響き渡った。
陣の中央で成す術なくその一撃を貰った一人は、体をくの字に曲がって強かに吹き飛び、転がる敗者の群れに加わった。
「どうした。頭首でなくては相手に不足か」
不気味なほど感情の読めない低い声音で、枢が告げる。
それはまるで、猛禽が久方ぶりの獲物を見つけて漏らした、喜びの唸りのよう。
「話では、次期頭首はまだ"四津音"を体得していないと…」
「全ては、な。一の音など序も序よ。才の無さ故、三の音までの套路であるものの…お前達を平らげるには、些かばかり過分だ」
「ひ…!」
怖気付いた追っ手達は、背を向けると一目散に逃げた。
「さて…どうしたものか」
枢がそう呟くのと、
「やれやれ…」
などとぼやきつつ、中年の差し掛かりだろう、髪を額の中央で五分に分けたやや小柄な男が、泰然と枢の方に歩み寄ってくるのが、ほぼ同時だった。
所変わって、久世の御三家が一、久瀬家の離れ。
「まさか、飛翠さんの御母さまが…」
そう誰にともなく零したのは、物忌みの白服に身を包んだ、烏羽色の髪の、年頃の女子だった。
「斎の催しを妨げるとは…雷が落ちるぞ!」
声を荒げたのは、白んだ髣髪を後ろに撫でつけた、矍鑠たる老爺。
「まあまあ、御父さん。私達も勝手をした事ですし」
柔和な声でいなすのは、烏羽の女御によく似た涼しい目をした、妙齢の婦人だ。
建物の入口は、いずれも男達が槍で蓋をしている。
「侑理は何をしておるか!ここで、役立ってこその娘婿だろう!」
「まあ、どうかお気を鎮めて…」
婦人が鷹揚に宥める。
「御父さまはどうされたかしら、本当に…」
三人の穏やかならぬ胸中は、婦人の夫の侑理に託された。
「侑理さん!ご無事でしたか」
小柄な男へと駆け寄った枢は、開口一番破顔した。笑顔は年相応に愛嬌がある。
「枢くんも、ね。大層喧嘩をしたようじゃないか」
そう言って、彼はその柔和な眼を細めた。
「お恥ずかしい。世話になった乳母が切られるのを目前にして助けられず、自らの至らなさを当たり散らしておりました」
悔恨を述懐する枢。
「首謀者は鶴羽さんらしいが……どこまで事を大きくするつもりなのやら」
侑理は、そう言って似つかわしくなく眉根を寄せた。
「やはり、許嫁の契りを交わした事が怒りを買ったのでしょうか」
「そうだろうね。尤も、言葉通りの意味のみで済まないのが、我々の悲しい運命さ」
軽く溜め息を吐いて、侑理はゆるゆると首を振った。
話しつつも二人は久峨岑の屋敷を出て、島の中央、久瀬の屋敷のある方へ向かっている。
久峨岑は島の南端の山岳部の麓に、久瀬は島を南北に貫く波残寿川の畔に、そして侑理が婿入した久留島は島の北端、本土に続く海路の要衝に屋敷を構えている。
「誓いを反故にして頭を下げれば、今回の事は落着するのでしょうか」
枢が思案げに尋ねる。どうも彼は、事の起こりが飲み込めていないようだった。
「どうかな。ただ、我々が近付き、島の力の均衡が崩れることを嫌っているのは確かだ」
二人は天狗足で一路征く。
じきに久瀬の屋敷が見えて来た。
「やはり厳重に固めていますね」
枢が厳しい視線で侑理を見た。
「突破と殿は私に任せて、枢くんは先に、ね」
眼を合わせて頷くと、侑理は辰術を使うのに丁度良い場所を探し始めた。
読んで下さって有難うございます。
どう展開していくのか私自身分かりません…