第1章 『獄門島狂想曲』 30話 「運命のクジ」
刑務所内のロビーでは、長蛇の列ができていた。
誰もが黙り、静かに列を作ってはいたが、それでも伝わる不埒な邪念にアートンはうんざりしていた。
自分たちが並ぶ列に向けて、銃口を向けている看守たち。
そんな状況下でも、どこか浮かれている感じの囚人たち。
異常な状況だ! アートンは心の中で強く憤る。
アートンは自分の人差し指を折り曲げて、第一間接辺りをガブリと噛んでみる。
彼が無意識にやる、女々しさを感じさせる悪癖だった。
週に一度開催されるローフェ神官の説法会への、参加資格を獲得するための抽選会が催されていた。
この抽選会では鉄の掟が存在した。
「ひとつ! ローフェ神官への下心を絶対に見せないこと!」
「ひとつ! 列を待つ間に一言でも言葉を発しないこと!」
「ひとつ! 怪しい動きをしたものは、即退場!」
「ひとつ! 以上のひとつでも破れば、今後いっさいの参加権を剥奪するものとする!」
アートンは実にくだらないことだと、列待ちの不満とが合わさり内心憤慨していた。
囚人の肩を持つわけではないが、若くて綺麗だと噂されてる唯一の女性と会えるチャンスを用意しておいて、ありとあらゆることを禁則し、囚人たちを雁字搦めにして拘束してるのだ。
どう考えても、看守側のサディズム以外の何物でもない。
アートンにとっては、本当にこんな行事はどうでもいいことだった。
ため息をつきながら、長い行列が前に進むのをひたすらアートンは我慢していた。
彼は仕方なしというか、止むに止まれぬ事情で今回この列に並んでいた。
本来なら、ひっそりとした房の中で読書でもしていたかったのだ。
ふと視線を前方に移すと、前を並ぶチノが、こんな時だけオールズ神に祈っているのが見えた。
「オールズさま、どうかお願いだから……。今夜こそは、ローフェ神官に会わせてくれ! ひと目でいいから!」
チノの心からの下心を耳にして、アートンはウンザリする。
チノはクジ運が悪いらしく、まだ一度も当選して噂のローフェ神官に会ったことがないのだ。
チノの中のローフェ神官については、伝え聞く噂話や、同じ刑務作業現場のドスケベ四人組の猥談を耳にして、彼なりの幻影ができあがってしまっているようだった。
それでも、以前はここまで必死なヤツではなく、むしろ当たればラッキー程度の軽い感じだったチノ。
やはり、何かここのところ様子が変だなぁ、と改めて思い、心配する同房のアートン。
「おい、チノ。声が漏れてるぞ、気をつけろって」
銃を装備した看守たちの視線に気を配りながら、アートンはチノに小声でささやく。
チノは慌てて我に返り、黙りこくる。
(ああ、それにしても面倒だな……。この待ち時間が、一番嫌なんだよな……。だから参加なんか、したくないんだよ)
アートンは、ヨーベル説法会に参加したい囚人たちの異様な熱気にクラクラしながら、この苦業を耐えていた。
噛んだ指の部分がヒリヒリする。
列はまだまだ長く、順番が来るまで相当時間がかかりそうだ。
異様な静寂に包まれた空間。
そんな時、先頭の囚人から歓声が聞こえたと思った瞬間、看守の怒号が飛ぶ。
聞き覚えのあるこの怒声の主は、メビーだった。
当たりクジを引き当てた囚人が、メビーや他の看守に土下座をしてまで、謝罪してるのが見えた。
(それほどまでして、会いたいものかね……)
その惨めな光景を眺めながら、アートンはそう思った。
その間も、他の囚人は緘黙を継続していたが、内心は手に取るようにアートンはわかる。
「ああ、バカだな、せっかくのチャンスを自分で潰しやがって……」
アートンが思っていた通りのことを、チノが嘲るようにいう。
慌ててアートンがチノをつつき、注意を促す。
驚いたように口を手で押さえてチノは黙る。
さいわい、さっきの独白も運良く看守の耳には、届かなかったようだった。
先頭を見ると看守に脇を抱えられ、歓声を上げた囚人が、牢屋に戻されているのが目についた。
その表情は生気がすべて抜け落ちて、顔色も土色に変色していた。
それを眺めながら、当選のチャンスが一枠増えたと、内心で喝采を叫ぶ列の囚人たち。
「この説法会って、看守たちが自分たちの支配欲を満たすために、やってるだけの茶番だろ?」
「だから、そういうこというなって……。そんなこと、俺だってわかってるよ……」
今度はチノが、アートンの腕を小突く。
この催しが看守どもの趣味の悪い戯れであることは、さすがにチノでも理解はしていたようだった。
列が少し進み、向こう側の通路が見える場所に来たアートン。
そこで彼は、ねっとりとした気味の悪い異様な視線を感じる。
自分を見つめている数人の囚人が、向こうの通路にいるのにアートンは気づく。
そいつらは同じ作業場にいる、六人組の屈強な男たちだった。
寒気を感じたアートンが、同時にめまいに似た感覚を覚える。
時間は、今日の昼に戻る。
森の開拓工事をしていた現場、昼食時での話しだった。
昼休み中、アートンはそこで同房のチノから、とんでもない事実を知らされるのだ。
チノの言葉で、持っていた昼食を思わず、落としそうになったほどだった。
青天の霹靂とは、まさにこのことだった。
「お、俺がホモだって?」
アートンはチノから告げられた、根拠の無い突然の疑惑に衝撃を受ける。
「ああ、おまえがヨーベルちゃんに興味ないから、けっこう噂にはなってるんだぞ。その噂、俺らの棟でしか広まっていなかったが」
チノはそういうが、そんな噂が広まっていることもアートンは初耳だった。
「どういうわけだか、別棟のヤツらにも伝わったみたいでな……」
チノが後ろをゆっくりと振り返る。
アートンも、そっちを見てみようとする。
「そんなジロジロ見るなって。気をつけろ、向こうはガチだから」
チノにいわれ、アートンはおそるおそる、そちらをチラ見してみた。
そこには、六人の屈強な男たちがいた。
やけに身体を密着させ、いちゃつくように昼食を摂っている筋骨隆々の男たち。
「あいつら、思いっきりおまえのこと、狙ってるみたいだ」
「おいおい……、勘弁してくれよ」
チノの言葉にアートンがすくみ上がる。
「おまえに、その毛がないってことは俺は知ってるが、噂は尾ひれがついて広がるもんさ。とにかくだ、今のままじゃおまえマズいぞ。メビーのサド野郎、男同士の友情は推奨してるっていうしな。時々ある囚人移動の件、それ関連が大きく関係してるって話しだ。ヤツらの考えそうな、囚人いびりの一貫だろうよ、ああいうのを放置してるのも」
チノの言葉にアートンは考え込む。
向こうの六人の男たちの熱視線が、アートンに注がれているのを強く感じて、めまいが起きそうになる。
彼らは胸元を大きく開け、ピチピチの囚人服をあえて着て、鍛え上げた肉体を誇示している。
突然の事実にアートンは、食事も喉を通らなくなる。
「あ、あいつら、昔はそんな関係じゃなかったよな……」
「この仕事を通じて、友情が愛情に発展したんだろうよ」
「あ、愛情って……。どういう突然変異なんだよ……」
絶句するしかないアートンだった。
とてもじゃないが、アートンには理解不能の世界だったのだ。
「単純に、目覚めたってことなのかもな」
チノの言葉に、アートンは狼狽を隠せない。
そのせいで、今までは気にもしていなかった同僚六人を、アートンは異常に警戒してしまうことに。
この話しを聞かされるまでは普通に接していたが、まさか自分をそんな目で、見ていたなんてと絶望する。
いつぐらいから、意識していたのかが逆に気になってしまい、アートンの昼食後はニヘイ現場監督が心配するほど精彩に欠けてしまったのだ。
そんな出来事があり、ホモ疑惑を自ら払拭するために、この抽選会に参加することを決意したアートンなのだった。
そのきっかけとなった六人の男たちが、通路の向こうからアートンを見つめていた。
何故か、悔しそうな表情を浮かべている感じがするのは、アートンの気のせいなのかもしれない。
「おい、さっさと前に行けよ!」
後ろの囚人が小声でいうと、アートンを小突いてくる。
気がつけば列が少し前進していた。
慌ててアートンは、列を詰めるために前に進む。
横から受ける、ねっとりとした視線を感じながら……。
紙で作られた、質素なクジの先端には「赤い印」がついていた。
後列の囚人たちが、目を丸くして驚いている。
看守たちがクジを引いたアートンの行動を、じっくり監視している。
抽選箱の前にいるメビーが、不快そうな表情でアートンの反応を待つ。
「……これ当たり?」
アートンが抽選所にいたメビーに、声を出さずに口の形だけで尋ねてみる。
「見ればわかるだろ、さっさと向こうのバスに乗り込め」
メビーが舌打ちをひとつすると、つまらなさそうにアートンにいう。
チラリと後ろを見ると、抽選に外れ、落胆しながら帰路についていたチノの驚愕の表情と目が合ってしまう。
アートンは片手を軽く上げ、チノに「すまない」という意を込めてからバスに向かう。
そのアートンの背中を、チノが恨めしそうに眺めていた。
彼の握りしめた拳が、プルプルと震える……。
「当たりを引いたヤツは、こっちだ!」
「モタモタせずに、さっさと集まれ!」
赤い腕章をつけたメビーの部下が、警棒を構えてバスの前で怒鳴っている。
ここではじめてアートンは気がつく。
(そういや、この抽選会を仕切ってるのって、メビー一派どもなんだな。今まで参加したこともなかったから、気づきもしなかったな……)
すぐ側にいる赤い腕章がついている看守は、メビーの腹心のデブのバイドンだった。
列を威嚇していた連中も、何人か同じモノをつけていた。
それ以外の看守連中もいたが、現場を仕切っているのは、メビーで間違いなさそうな気がしたアートン。
(あの男なら、やりそうな気がするな……。こんなことしてまで、囚人をいびりたいんだろうな。メビーの小物っぷりには、ほんと感心させられるな)
アートンはそんなことを忌々しげに思いながら、待機している当選者の列に加わる。
毎回説法会に参加できるのは、二十人限定らしい。
今やってきたアートンを含めて、集まっているのは十人ほどだった。
(俺で半分、まだまだ待たされるのかよ……)
アートンはうんざりしながら、また人差し指を噛む。
横の囚人を見ると、うれしさを必死に噛み殺していた。
他の囚人も、似たような表情をしている。
ここでようやく、アートンも気持ちを入れ替えてみることにした。
(噂のヨーベルちゃんが、どの程度の美人なのか俺も期待してみるか。チノ、土産話しは持って帰ってやるよ。これで、変な噂も消えてくれたらいいんだがな……)
切実な願望を託しつつ、囚人たちのアイドル「ヨーベル・ローフェ」という女神官との出会いを、とりあえずアートンは期待することにした。




