9 ダンジョンのオアシス
手頃な岩の上に立ち、広いホールを見渡してみる。
腕を組んで、私はうーんと考えた。
冒険者たちがここを訪れたくなるようなアイデアはないものだろうか、と。
酒場か娼館でもあれば人が寄ってきそうだ。
男どもは特にな。
でも、酒はないし、女も私しかいない。
嫌だぞ、私は。
汗臭いマッチョの男が30センチ未満の距離で見つめてきたら手が出るかもしれない。
グーがな。
何かないものだろうか。
こんな辺鄙なところに客をわらわら寄せるような名案は。
うん。
考えてもわからん!
わからないことは訊けばいいのだ。
「ねえマッカス、ジーナ。ダンジョンにいて一番困ることは何?」
需要と供給は、商売の要だ。
集客したいなら、まずは顧客の必要とするものを把握することが肝要だ。
二人は銀等級の冒険者らしい。
『勇者の果て地』に潜り始めて15年にもなるそうだ。
私があんよでヨチヨチ歩いていた頃から、死線をくぐり抜けてきたこの道のプロ。
悩ましいダンジョン事情のあれやこれやを知り尽くしているはずである。
「困ることなんざ、しょっちゅうさ。だが、簡単には教えられねえなァ。ギブ&テイクだ。情報にゃそれなりの価値があるんだぜ」
マッカスはあごヒゲを撫でると意味ありげな視線を私に送ってきた。
なんだてめえ。
私に肉体関係を迫ろうってか。
イケおじなら許されるとか思うなよ。
私が領主令嬢の地位を回復した暁には、あんたを真っ先に火刑台に送ってやる。
ロスガ一族よりも先にな。
「意地悪するんじゃないよ、マッカス。ロクな情報も持ってやしないくせにさぁ」
ジーナの姉御も呆れ調子だ。
でもまあ、マッカスの言い分ももっともだ。
なにより物々交換を生業としている私がタダで施しを受けようというのは虫がよすぎる。
ギブ&テイクね。
了解だ。
私は商品の山の中から靴磨き用のワックスを引っ張り出した。
「ねえ、マッカス」
「なんだァ? 泣き落としならオレには効かねえぜ? 昔からモテた口でなァ。言い寄ってくる女を何度も泣かせたもんさ」
真偽不明な与太話を右耳から左耳にスルーパスして、私は上目遣いで不敵に言った。
「靴、磨いてあげよっか?」
冒険者は汚れやすい仕事だ。
マッカスのイカしたロングブーツも泥や魔物の血でひどく汚れてしまっている。
「こんな汚れ、別にどうってこたァねえよ」
「まあまあ、いいからいいから」
地べたを蹴って泥を剥がそうとするマッカスの広い背中を猛プッシュして、私は彼を岩に座らせた。
さっきまで私が物見台にしていた岩だ。
座るには少しばかり背が高い。
椅子にちょうどいい岩なら他にいくらでもあるけど、これがいいんだよね。
私が靴に触れるためにひざまずけば、マッカスは私を見下ろすことになる。
領主令嬢たる私をだ。
ま、肩書きはどうでもいいのだが、人を見下ろすというのは普通あまりいい気分はしない。
よっぽどのひねくれ者でもない限り、罪悪感で居心地が悪くなるはずだ。
チラッと上目に表情を盗み見てみると、ほら。
マッカスは初デートで彼女と待ち合わせしているウブな男子みたいにそわそわキョロキョロしている。
「なあよォ、せめてあっちの岩に……」
だーめ。
もう靴ひもは抜き取った。
あんたはそこに座っているしかないんだよ。
ということで、領主邸のお抱え靴職人が父にやっていたのを見よう見まねで実践していく。
「まァ、あれだな。困っていることといやァ、やっぱあれだな」
さきほど、もったいぶって教えてくれなかった情報とやらをマッカスは訊いてもいないのにしゃべり始めた。
返報性の原理だ。
人とは、何か施しを受けると恩返しがしたくなる生き物なのである。
罪悪感で背中を押してやったから、効果は倍増だろう。
うちに来る靴職人もよくこうやって父上に新しい靴を買わせていた。
母も似たような手口で宝石商にカモられていたっけ。
私は長子だ。
家督を継いで領主になる予定だった。
人を動かす方法にはそれなりに心得があるのだ。
よし、私はせっせと手を動かす。
だから、あんたは口を動かしてくれ。
「まァ、そうだな。一番の悩みは酒が飲めねえことだなァ」
ダンジョンは酒好きにとっては地獄だろう。
酔っ払うわけにはいかないから断酒コース確定だもの。
荷物も増えてしまうしね。
「いんやァ、持ち込む必要はねえんだ。この上の第4階層にゃ『カチ割りの実』ってのがあってなァ。ココナッツみたいなもんで、硬い外殻の中にドロっとした甘い酒が入ってんのよ」
マッカスは口元をだらしなくしながら小さく唾液をすすった。
第4階層『偽空の巨森林』か。
天井をびっしりと覆う結晶石から青色の光が絶えず降り注ぎ、巨大な植物が生い茂っている、とガルスの手記帳に書いてあった。
なんとなく晴れた日のジャングルが私の脳裏に浮かんできた。
マッカスいわく、『カチ割りの実』は植物系魔物の一種で、酒の香りにおびき寄せられた獲物にココナッツ爆弾を投下して頭をカチ割り、苗床とするのだとか。
食虫植物ってことでオーケー?
「木の下をうろついていたら勝手に落ちてくるから入手すんのは簡単だぜ? たまに、トロい奴が死ぬけどなァ」
酒を飲むのも命懸けなのがダンジョンってことだ。
「ここみたいに安全な場所がありゃ、オレも安心して赤ら顔になれるんだがなァ」
酒と安全。
二つ揃って初めて飲酒が解禁されるのか。
勉強になったよ。
ここには、安全がある。
『カチ割りの実』を後生大事に抱えてきた物好きな冒険者がいれば、買い取って酒場が開けるかも。
「アタシゃやっぱり風呂だねぇ。こんなナリだが、いちおうは乙女なんだよ。汗臭いのも泥まみれなのも気になってしょうがないってもんさね」
ジーナはローブの端を鼻の前で振って眉間に小ジワを寄せている。
温泉ならあるよ?
蜜の湯って秘湯がね。
シャベルもツルハシもあるし、少し手を加えれば銭湯に化けるかも。
もちろん、入浴料はすべて私がもらう。
こんな感じで、靴をピカピカにしている間、口が軽くなったマッカスと気前のいいジーナから悩ましいダンジョン事情をとにかく訊きまくった。
無色無臭の可燃性ガスが怖くて気軽に火を使えないこと。
それゆえ、温かい食事にありつけないこと。
洗濯もできないから何週間も同じ衣服を着っぱなしってこと。
魔物に怯えながら、剣を抱いて眠っていること。
水虫をこじらせて足が腐りかけたこと。
ダンジョンには悩みの種があふれている。
多くの冒険者が我慢を強いられながら命懸けの冒険を繰り広げている。
美味しい食事にいつでもありつけて、気軽に酒が飲めて、洗い物ができて、お風呂に入れて、足を伸ばしてのんきに眠れて。
そんな夢みたいな場所をみんな求めているのだ。
ダンジョンの暗がりには冒険者たちの巨大な欲求が渦巻いている。
ビジネス的に言えば、それは需要だ。
供給が噛み合えば、そこには利益が発生する。
大きな利益が。
なーんか見えてきた気がするねー。
私は立ち上がって、むふんと胸を膨らませた。
要するに、こういうことだろ?
うまいメシにありつけて、酒が飲めて、洗濯ができて、風呂に入れて、おまけに寝坊しても死なない安全な施設を作れば冒険者がわんさか押し寄せてくると、そういうわけだろう?
私はふと思い出していた。
王都に向かう途上、馬車で立ち寄ったとある宿屋のことを。
その宿屋は荒野のド真ん中にあった。
一番近い町でも馬車で2日もかかる辺鄙な場所に。
それでも、宿は連日満室で大繁盛していた。
酔っ払った行商人たちとタップダンスを踊ったのを今でもありありと思い出せる。
楽しかった。
たしか、私は父にこう尋ねたのだ。
――どうして、こんなところにあるのに、この宿は潰れないの?
父はこう返した。
――こんなところだからいいのだよ。
その宿屋はいわゆる「道の駅」だった。
王都と地方を結ぶ街道の傍らにあり、中継地としての役目を果たしていた。
街道をゆくすべての人にとって、その宿屋はオアシスだった。
狼や野盗に怯えることなく、ゆっくりと羽を伸ばせる止まり木だったのだ。
「道の駅か……」
なんだか、私が今置かれている状況とそっくりじゃないか?
ここに宿屋を作るとどうなるだろう?
宿屋だけじゃない、料亭も酒場も銭湯もだ。
きっと多くの冒険者たちが束の間の休息を求めてやってくるに違いない。
集客効果?
そんなの絶大に決まっている。
この薄暗い大広間を冒険者たちのオアシスに変える。
傷ついた冒険者たちのために止まり木を作る。
そうすれば、人と物が私のもとに集まってくるはずだ。
ここは、私にとっても居場所になるはず。
なら、作ろう、このダンジョンに。
地上と深層を繋ぐ「道の駅」を――。
私のやるべきことが、どうやら決まったみたいだ。
「アンタ、どうしたんだい? イキイキした顔しちゃってさあ」
「靴磨きは心磨きってヤツだろ。磨かせてやったオレも嬉しいぜ。靴もピッカピカだしなァ」
ジーナは首をかしげ、マッカスは艶やかな靴を満足げに撫で回している。
二人にも手伝ってもらうよ。
私は人使いが荒いからね、覚悟しといてくれ。
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