16 久々の風呂
「さっそく入ろうよ、ジーナ!」
「そうだねぇ!」
汚れが染み付いた衣服を蹴っ飛ばし、私は生まれたままの姿で風呂場に直行した。
敷き詰められた不揃いなタイルが足の裏を刺激して心地よい。
たっぷりと助走をつけた上で頭から湯船に飛び込みたいところだが、その前に汚れ切った体を洗い流さないとね。
あふれんばかりの湯から泣く泣く視線を切って、私は石のバスチェアに腰掛けた。
むわぁっ、とした湯気でイイ感じに汗腺が開いている。
今なら体に染み込んだ頑固な汚れもあっという間に流れていくだろう。
と思ったのだが、
「うわぁ……」
私がよほど汚れていたのか、それとも、物々交換でもらった石鹸の質が良すぎたのか。
洗えば洗うだけ後から後から汚れが染み出してくる。
洗い流した水が茶色かったのは初めてだ。
それだけに、頭を振って濡れた髪を背中に叩きつけたときの爽快感はひとしおだった。
「ナイン、お先に失敬するよ」
一足早く体を洗い終えたジーナがお手本みたいなスプリントで湯船に走った。
負けてられるか。
私だって風呂なし生活を耐えに耐えたんだ。
脇の下から腐ったナマコの臭いがしても気のせいだと誤魔化しながらな。
私が一番だ。
誰にも譲ってなるものか。
私はチーターとなって走った。
言うほど速くはないと思うが、気分はそんな感じだった。
姉御とほぼ同じタイミングで地を蹴り、湯船のヘリを飛び越えて、いざ湯の中へ。
どっぼーん。
こもった音が聞こえて私の体は熱で包まれた。
勢い余って対岸まで潜水し、そこで水面を割る。
いや、プールじゃないんだからさ……。
熱すぎるくらいの湯の中で頭を冷やした私はジーナと見つめ合って一笑してから、どっぷりと肩まで浸かった。
「だはあーー」
幸せが熱い息になって飛び出る。
ぎもぢいいぇ……。
すべての苦労が報われた気分だ。
ジーナも酒が入ったマッカスに負けず劣らずな恍惚とした笑みを水面に浮かべている。
「姉御ぉー、ダンジョンも悪かないねえー」
「そうさねぇー、あぁー」
そこからは、頭の中が完全にリラックスしてしまい、会話もぷっつりと途絶えた。
かれこれ30分くらいは湯と一体化して、たゆたっていたと思う。
思い出したように私は言った。
「いやぁ、生き返ったよ! ジーナ、最高のお風呂をありがとう!」
「なんてこたないよ。アンタが言い出さなきゃ誰も風呂なんて作らなかっただろうねぇ。ダンジョンでこんなに気持ちいい想いをしたのは初めてだよ」
ジーナは耳のあたりまで浸かりながら視線だけよこしてきた。
「アンタは大した奴さ。冒険者なんて腐るほどいるけどね、アンタみたいな変わった奴はちょっと見たことがないよ」
変人みたいに言わないでよ。
私はこれでも生き残るために毎日が真剣勝負なんだ。
「次はどんなふうに驚かせてくれるんだい? 楽しみにしとくよ」
マッカスにもそんなことを言われた。
あんまり変な期待をしないでほしい。
私は持ちネタの一つも持っていない至極平凡な人間なんでね。
◇
「おい、聞いたか」
「ええ。新しい領主の話でしょう」
私は慣れない鉄鍋を振るいながら、お客に出す牛魔物の肉を炒めていた。
酒場にたむろする冒険者たちの声が厨房にまで聞こえてくる。
新しい領主。
その言葉に私の耳はウサ耳のように反応した。
「ずいぶん、ひどいらしいわね」
「ああいうのを圧政というのかねえ」
「前のご領主様はよかったわよね。私たち冒険者のことを親身に考えてくれていたし」
「たしかにな。ロスガ卿だっけか? 今の領主はダメだな。何かにつけて税を取り立ててくるし、逆らえば即・領外追放だもんな」
「入窟税も痛いわよね」
道の駅を作って本当によかったと思う。
冒険者たちが雑貨や食料だけでなく地上の情報ももたらしてくれるからね。
聞き耳を立てているだけで世情を知ることができる。
どうやら、ロスガ卿は悪政を敷いているらしい。
それでこそ、悪役だ。
領主が代わってよかったー、なんて言われた日には私たちの立つ瀬がなくなっていたところだ。
「入窟税か。ほかの領地なら当たり前みたいだな。やっぱり前のご領主様は太っ腹だ。今じゃ出窟税までセットだぜ?」
「どうしてダンジョンから出るのに金を払わないといけないのよ。二重課税もいいとこだわ」
振り回される冒険者たちも大変だ。
でも、私にとっては朗報かも。
ダンジョンに潜るたびに税が発生するなら、頻繁に出入りするほど負担が大きくなるということだ。
冒険者たちも出入りの回数を極力減らすようになるだろう。
つまり、1回の冒険でより長く、より深く潜るようになるわけだ。
そうすると、この中層域まで下りてくる冒険者も増えるわけで、ぐふふ。
私の懐はますます温かくなるってことじゃないか。
ロスガ卿もたまには気の利いたことをしてくれるね。
来る人拒まずだよ。
最近じゃ利用者が増えたおかげで、スパイスや唐辛子なんかも手に入るようになった。
目潰し用のスパイスと魔物を燻す用の唐辛子だけどね。
近くに岩塩が採れる場所もあるみたいだし、ここの料理はどんどん美味しくなるだろう。
ただまあ、私の料理スキルは5歳児といい勝負だ。
今後のことを考えるなら料理の上手い冒険者と繋がりがほしいところだ。
「ナイン、待たせてすまない」
唐辛子パウダーを鍋に投入したところで、やたらキラキラ光るイケメンが颯爽と厨房に駆け込んできた。
ライオであった。
金髪が純金のように光り輝いている。
そして、ほのかに香るフローラルな香り。
「どうだ? 風呂上がりの俺は一段と見ごたえがあるだろ」
前髪を払う仕草が絶妙に鬱陶しい。
「まぶしすぎてゴメン。俺には謝ることしかできないよ」
謝るなら地に伏してからにしろ。
高いところから私を見下ろすんじゃない。
ナルシストはひざまずいて湖面に映る自分でも眺めてなさい。
「ナイン、相談があるんだが、いいか?」
うんざりするほどキラキラしていたライオだったが、不意に声のトーンが2段階くらい下がった。
整った顔に影が落ちている。
何か深刻な問題の匂いがするのだけど。
「見てほしい奴がいるんだ」
そう言うので、私は後に続いた。
お客に出す前に味見した魔牛肉は咳き込みそうなほど辛かった。
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