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クリスマスの(たぶん)奇跡

作者: コオロ

 まずは仕事帰りに、クリーニングに出していたスーツを回収。

 そのまま併設のスーパーで適当に惣菜を買って、帰宅してぱぱっと風呂。

 今夜は積もるとニュースで言っていたので、その前にコインランドリーに向かい一週間分の洗濯物を回して、一時間コースで乾燥まで。

 そして再び帰宅し、買っておいた惣菜でだらだら晩酌。


 ざっと書き込んで手帳を閉じた。これだけで夜九時十時までスケジュールが埋まる。こんなに予定が入っているクリスマス・イヴは初めてかもしれない。

 そして予定外の残業によりスケジュール進行は一時間以上の押しとなった。予定が深夜まで食い込んだクリスマス・イヴは本当に初めてだ。

 予定があるんですと泣きついてきた後輩の案件を引き受けたのが運の尽き。ヤツに初めての恋人ができたらしいことは皆知っていた。自分から言いふらしていた。実在するかどうか確かめた者はいないが、上手く立ち回ったものだ。泣き落としの相手に、予定なんかないよと言ってしまっていた俺を選んだことも含めて。

 俺だって本当なら……と思いかけてブレーキをかける。“本当(もしも)”なんてない。俺はクリスマス・イヴに誰とも約束していない。それだけが真実。だって約束をしようともしなかったから。

 もたもたしているとクリスマス当日をコインランドリーで迎えることになる。顔も思い出せない相手のことは忘れて、伸びをしてパソコンに向き直る。

 本当に、何で思い出せないんだろう。覚えるつもりは、あったのに。

 

 親の紹介だった。

 親元にいた頃から浮いた話のない俺だったが、一人暮らしを始めればきっと心変わりをするだろうと思っていた両親。しかし着々とお一人様用の家具とスキルを手に入れていく俺に、いよいよ不安になって動いたらしい。当の俺は「こんなマンガみたいな導入ほんとにあるんだな」とぼんやり生返事をしていた。

 急な話であり、俺としては一度だけ会って終わらせるつもりでいた。とは言え、ただただ悪印象を残してご破算にするのは、親の手前、避けなければならない。仕事関係の知人らしいし。

 奢ることになってもいいようにお金は多めに下ろした。もし、相手が社会問題に興味があるようなら、男が奢るなんて前時代的でサイテーなどと一悶着あるかもしれないが、それで嫌われるなら結果オーライ、体の良い言い訳になる。対外的には、奢ろうとした俺が悪く言われるはずがない。ヨシ。

 また、二時間も話すことはないだろうから飲み放題は不選択。これは奢りになる可能性と合わせて考えると出費が膨らむリスクがあるが、それくらいは授業料として飲み込める。もし何の遠慮もなくガンガン注文をするようならそれを理由に「次回はちょっと」と断ればいい。対外的には、奢った俺が悪く言われるはずがない。ヨシ。こうしてみると、奢るって大事なセーフティネットなんだな。

 あとは、会ってくれる最低限の礼儀として床屋に行き、着ていく服はもちろんないので、仕事着のスーツと、名刺も用意する。仕事だと心構えをしていた方がきっと、うまく話せるだろうと思った。不思議なもので、身支度をしていくと、だんだん「いい感じにやろう」という気になっていく。いい感じとは何か、いい感じにやった先には何があるのか、そこまでは考えなかった。


 クリーニング屋はすでに店じまいしていた。また予定をやりくりして、年末年始に入る前にスーツを回収するしかない。スーパーに寄るものの、この時間から肉をがっつり甘いものでまったりという気分にもなれず、売れ残りのチキンもケーキもスルーして、割引シールが三重に貼られた鮭の塩焼きを買い物カゴに入れる。クリスマスにはシャケを食え。せめてもの陽キャムーブだ。でも、じゃあ、シャケに合う酒って何だろう。いい安酒ないかなとリカーショップコーナーへ向かう。


 うまく話せるだろうと楽観的ではあったが、俺だってノープランで出向いたわけじゃない。普通に考えてスーツで来ているのはおかしいだろうから、間違いなくそこにツッコミが入る。そこで、着ていく服がなくて、とか、どうせ緊張してるからこの方がいい、とか。小粋な先制ジャブをかましておいて、あとは肩の力を抜きながら緩やかにフックで顎を狙っていこう。脳震盪にさせたら勝ち。

 そして実戦。

 最初こそ「スーツで来たんですか」とドンピシャの反応を貰い、シミュレーションどおりに名刺を渡すまではいったが、イニシアティブを握るには至らなかった。

 間がもたないだろうと思っていたが、気が付けば二時間ほど話し込んでいた。これは飲み放題の時間上限を超える。「うまくいった」うちに入るのだろうか。

 話すうちに、本当のことも言ったし、嘘もついた。


 冷めるチキンもなければ溶けるケーキもない。雪も降り始めてしまったので、湯冷めが嫌で風呂にも入らず、まずはコインランドリーに来た。乾燥まで一時間。レンタルビデオ屋で今夜晩酌のお供の映画を探してもいいが、このままボーっとしていたい気分だ。何だか疲れてしまった。


 映画をよく観るなんて話は職場でもしたことがない。デタラメを言っておけばいいのに、話の流れで正直にポロっとこぼしてしまった。

「今やってる映画だと何観ますか?」

 知らない。

 そんな質問がとんでくる展開なんて知らない。

 何となく勘繰られるのが居心地悪かったので、直前にラジオで聞いていたオススメの映画を挙げた。本当のところは興味なぞ欠片もなかったが、相手は「へぇー」と言って次の話題に移ったのでヨシとする。

 この時点で俺は、適当に済まそうという気はなくなっていたのかもしれない。別れ際に、LINEまで交換したのだから。そのときも、交換しようと言ったのは、相手の方だった。俺はずっと、最初のジャブ以外は、相手の出方を見てその時間を過ごしたような気がする。


 そこまで顔色を窺っていた相手のはずなのに、今となってはどんな顔かも思い出せない。マスクを外した顔まで、しっかり見ていたというのに。LINEのアイコンを自撮りにしていてくれれば、と思うのだが、そもそも設定すらしていない俺が言えたことではないか。

 もう一回くらい誘っておこうと思っているうちにクリスマス・イヴだ。二度目のお誘いを聖なる夜にするなんて、ハードルが高すぎる。

 お誘いのメッセージを送れなかったのは、仕事仕事で頭がぐちゃぐちゃな状態で会ったら、それで縁が切れてしまうんじゃないかと思ったからだ。そういえば、最近、映画は何も観ていない。

 スタンプを送ったきりになっているメッセージ画面を眺めて、文字を打つ。

『あれからお誘いもできずすみません』

 これで送ってみるか、それとも、続けて何か書き込むか。そもそも送るか送るまいか。少し考えて、文章を続けた。

『あのとき言った映画を、観に行くというのはどうでしょうか』

 どうでしょうかと言うものの、問題は当然ある。顔を覚えてない以上、待ち合わせをしたところで俺から声をかけることはできない。向こうから来てくれればと思うが、果たして自分の容姿にそこまで自信を持っていいものか。

 まあ、いいか。疲労感に任せて、人差し指でタップする。シュポッと、賽は投げられた。

 俺が遅れに遅れたように、既読がつくのも遅くなるだろうか。ゴウンゴウンと回る洗濯機。仕上がるまでの時間は、まだまだある。

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