ネット上の僕とリアルな彼女、リアルな僕とネット上の彼女
「諏訪蓮太君って固定概念しか認められないの?」
目の前のお姉さんはハイボールが入ったグラスを傾けながら、そう僕に問いかけてきた。この場合、詰め寄ってきた、と言った方が正しいのか。
ことの発端は僕の失言なのだから。
「たとえば『アメリカ人はハンバーガーとフライドポテトが大好きだ』っていう考え方はどう思う?」
そう言いながら、目の前のフライドポテトをつまみあげる彼女。
食べたまえと言いながらいきなり僕の口に、押しこんできた。
うん、しょっぱくて、いい揚がり方をしているな。
なんだかそう言うことじゃないだろうな、と考えつつもポテトの塩味と脂っこさを堪能してしまう。
「どうでしょう。研究室にいるアメリカ人はすごく好きで、毎日のようにフライドポテトをどこからか調達してきて、バケツサイズのカップを抱えてますよ」
友人のことを思い浮かべながらそう答えた。
彼は彼で『アメリカ人はフライドポテト好きだからネ』なんて言いながら食べているので、間違っていないと思っていたんだが。
「そうか。たしかにアメリカのニュースをするとき、半分くらいは太っている人が映されるよね。それに事実、世界百八十九ヶ国中で成人女性だと三十二位、成人男性に至っては九位という統計だって示されている。けれど、彼らは日本人が見ているもののごく一部しかないんじゃないかな? 高級マンションなんかに住んでいるセレブを見てよ。彼らはスリムだよね。それも我々が目を疑うレベルに細い人だっている」
お姉さん、高槻小百合さんの演説は止まらない。
初めて会った僕だが、おそらくこれは放置しておくしかなさそうなパターンだろう。
「じゃあ、『日本人は真面目に働く』っていうのはどうかな」
そのたとえに僕は詰まってしまった。今、僕は地元の観光地、善光寺で外国人を案内する通訳のアルバイトをしているが、そのフレーズをよく言われるんだよな。
たしかにシフトが入っていれば雨の日だろうが、雪の日だろうが、風が強かろうが、雷が鳴っていようが、仕事をする。だからなのか、そう言ったときに来る観光客にはかならず『真面目だ』と言われてしまう。
「そういった人もいると思いますが、そうじゃない人もいると思います」
しかし、同じように通訳のアルバイトをしている日本人にも、『雨だから休みます』とかって天気によってはすぐに休む人もいれば、すぐに身内を殺す人も知っている。
だからその固定概念は違っているのだとわかっている。
小百合さんは僕の答えに満足そうに頷いて、グラスをさらに傾ける。
「じゃ、『理系ならば、かならず数学や理科が得意』っていうのは、理系の君にとってどう思う?」
そんなはずない。今までもそう言ってきたやつがいて、そのたびに否定してきた。
なぜなら、理系の僕自身が数学がすごく苦手なのだ。できるだけ数字が出てこなさそうな授業やコース選択をするくらいには。
表情を読みとってか、小百合さんは真剣に僕を見つめてきた。
ふんわりとした顔立ちに薄化粧だけれど、その表情はすごくかたいものだった。
「でも、君は『大阪人はかならず大阪弁を喋る』し、『ポケットには飴ちゃんを忍ばせている』。『『知らんがな』というフレーズをかならず会話文の終わりに付ける』。『阪神タイガースしか認めない』し、『服はかならずヒョウ柄』。『食事にはかならずお好み焼きやたこ焼きがおかずとしてついてきて』、『たこ焼き焼き器は一家に一台ある』と思ってたよね」
その言葉になにも反論できなかった。
生まれて長野市から出たことがない僕にしてみれば、まさしく大阪人のテンプレとして、小百合のことをそう思っていた。だから、今日こうやって会うために連絡を取ったとき、トラ柄の服を着ていますよねと尋ねてしまったのだ。
『着ているわけないよ。しかも、それ言うのならば、トラじゃなくてヒョウね』
SNSのメッセージ機能は便利なものだ。
相手の感情が読み取りにくいので、もし相手が本当に怒っていても、こちらはそれを無視することができる。
でも、なぜだか小百合さんのその怒りは無視できなかった。
だから、こうやってとことん説教されている。
「そういえば、蓮太君はおやきが好き?」
突然尋ねられた内容に反応するのが一瞬、遅くなってしまった。
「好きではないですけれど」
「でしょ? じゃあ、リンゴや蕎麦を毎日食べ続ける? ほかにも毎日のように蜂の子やイナゴを取ってきて、佃煮にしている?」
たしかに蜂の子やイナゴを食べる風習はあるし、おやきはよく子供のころのおやつに出された。けれど、長野県民全員がその食習慣であるとは限らないだろう。
長野県外の人から見た『長野県民』の固定概念で反論された僕は、黙らざるを得なかった。
「ちなみにさっきポテトを口に押しこまれたとき、大阪人だから距離が近いのかって思ったでしょ?」
その言葉に内心、冷や汗をかいてしまった。
まさしくその通りだったから。
小さいときから勝気な母親や、男勝りな同級生たちのおかげで、小百合さんのような“女性”が苦手だ。
もちろんこうやって飲んだくれている姿を見せられて、ようやく警戒心がなくなってきたところだったので、さっき、ああやってフライドポテトを口の中に押しこまれたのは、大阪人だから距離が近いのだろうって思うことにしていたのだった。
「ま、今どきにしては距離が近かったかもね。今どきと言えば、こないだ実家の両親がたまたま同時に寝込んじゃってぇ、面倒見なきゃなんないから会社休んだら、うちの上司が『仕事よりもプライベートを優先しやがって』って言いだしたんだよぉ? じゃ、うちの寝込んでいる両親をここに連れてこよっか?ってなったしぃ、自分が会社においてある黒電話を初めて見たときに『スマホばっかり触っているから使えないんだ』とか言ってさぁ」
スマホを持っているっていうのと、黒電話使えないのって、因果関係ないっつうの。
典型的な『昭和生まれの人から見た若者』という固定概念で上司から散々に言われたらしい小百合さんは机にヒジをつきながらそう愚痴る。
こんな状態の彼女だが、アプリゲームのチャットで知り合ったときは普通の女の人だった。同じパーティの女性メンバーと美容のことについて話したり、僕がいるのに、好きな男の人のタイプについて話しあったりしていた。だから、悩みなんてない人だなと羨ましくなったが、そうじゃなかったらしい。
「ねえ、蓮太君って、化粧しなかったり、お酒が好きだったりする女性はどう思かな?」
もう一杯、ハイボールを頼んだ小百合さんは僕の方に顔をぐいと近づけてそう尋ねてきた。
小百合さんがなにを求めているのかわからなかったので、とりあえず怒られることを覚悟して口を開いた。
「どうって言われても、どちらもべつに俺は気になりませんよ」
普段から化粧っ気のない母親だったし、姉妹もいないから家庭内で化粧をする女性はいなかった。それに学部柄、化粧っ気のある女子はいない。だからバッチリ化粧を決めてる人を見かけると、ちょっと後退りたくなるくらいだ。
お酒についても同じだ。母親は上戸だし、よく飲みに行く同じ学部の女友達も豪快に飲んでいる。だから、コンパとかでほろ酔いアピールする女子が苦手だった。
「じゃあ、ガサツな女子は?」
「全然平気です」
自分がそこそこ神経質だと言われることもあるが、相手に対して求めることはない。べつに僕が片づければいいんじゃないって思うから。
僕の答えに怒るどころか、よかったぁと嬉しそうに机に突っ伏す小百合さん。
「よかった」
嬉しいよぉと泣きまねをする彼女に、どうしていいものなのか困ってしまった。けれど、その理由はすぐにわかった。
「私さ、今までずっと両親から、女なんだからきちんと化粧してとか、女なんだからお酒を飲めるからって男の前では飲めない振りしなさいとか、女なんだからもっとガサツな性格を直しなさいって言われ続けてさ」
なるほど。
今日知ったのだが、小百合さんはかなりいいところのお嬢さんだそうだ。だからなのか、ご両親からはしつこく“女性らしさ”を求められていたらしい。
「それに、本当は大学なんて出させてもらえるはずじゃなかったんだ」
グラスの底に残ったお酒を飲み干した彼女は、眠そうにそうぽつりとつぶやいた。どういうことなんですかって、僕が尋ねると、あくびをしながら答えてくれる。
「『女なんだから、大学行かずに高校を出たら就職すればいい。せいぜい短大か専門学校を出るぐらいはさせてやろう。しかも、働くのは数年でいい。その間にだれかいい人見つけて結婚しなさい』。それが両親の口癖だったからね」
まだ酔いが足りないのか、店員さぁんと小百合さんは手をぶらぶらさせて呼ぶが、僕はそれを制止した。さすがにこれ以上吞ませてしまうと、彼女が自分の家に帰れるかどうかが怪しい。
トイレに行くふりをして、会計を済ませた僕は彼女を支えながら店を出た。
近くでタクシーを止めて彼女を放りこむようにして乗せ、住所を聞くが、答えがおぼつかない。
方向なら答えられそうだったので、仕方なくそれに従って運転してもらおうとしたのだが、扉が閉まる直前、小百合さんに腕を引っ張られ、タクシーの中に連れこまれた。
「ねぇ、蓮太君も一緒に帰ろう」
幼児退行しているからなのかわからないが、小百合さんは自分の腕を僕の腕に思いっきり絡め、頬ずりしながらそう言ってきた。彼女は僕よりも五歳上と聞いたのだが、こんなに甘えた声を出してくるのはお酒のせいなのか、それとも先ほどあれだけ愚痴をこぼしたからか。
酔っぱらって幼児口調になっているお姉さんと、彼女を振り払わない僕、そして巻きこまれたタクシーの運転手さん。すごくカオスな状況がどれくらい続くのかちょっとした修行の時間だった。
「お邪魔します」
彼女の家は、そこそこの規模の駅からほど近いちょっと高級そうな住宅街にあるアパートだった。さすがに家の前で座りこんで一晩過ごさせるのは気が引けたので、ちょっとしたスペースで彼女にショルダーバッグの中身を出させて、鍵を借りて入らせてもらった。
本当は彼女の寝室に入ることをためらったが、まだ一人じゃまともに歩けない彼女を転がしておくわけにもいかなかったので、ベッドへ連れていき、寝転がせてやった。とはいえ、目覚めたときに自分がいては困ると思うから、帰ろうと思ったが、鍵をどうやって彼女に返せばいいか思いつかず、玄関で休息させてもらうことにした。
ひと仕事を終え、ほっと一息ついて部屋を見てみると、そこそこの広さにもかかわらず、いろいろなものが散らばっているのが見えた。
たとえば飴が大量に入った瓶。
小百合さんはゲームで“キャンディー”と名乗っているが、本当に飴が好きらしい。思い返してみればショルダーバッグの中にも飴がいっぱい入っていた。
そしてたこ焼き焼き器がローテーブルに鎮座している。
心なしか、青のりや鰹節っぽいものが散っているような気がした。
さらにその横、二人掛けソファにはヒョウ柄のスカートやジャケットが脱ぎ捨てられていた。アパレル雑貨の会社に勤めているらしいから、毎日残業が大変なんだろう。
アイランドキッチンの向こう側には僕でも知っているメーカーの小麦粉が大袋で置いてある。ホットケーキミックスでもなくただの小麦粉だし、ローテーブルにたこ焼き焼き器が置かれているということは、そういうことなんだろう。
入ってくるときには気づかなかったが、玄関に行く道すがらには写真が飾られていたので見てみると、友人と一緒にとったのだろう。彼女の服はヒョウ柄で、ショルダーバッグに入った飴の袋がはみだしている。そして化粧はすごく濃い。
玄関に座った僕はスマホの時間を確認してみると、夜明けまでもうわずかだった。早く彼女が起きてくれることを祈りつつ、いつものゲームを立ちあげる。普段は彼女と一緒の時間にプレイしたり、プレイできなくてもSNSのチャットで会話したりしているから気づかなかったが、今日は彼女がいないからかすごく寂しかった。
「ねぇ、なんで蓮太君がいるん!?」
背後からだれかの声がした。
いや、だれかの声じゃないか。小百合さんの声だ。けれど、彼女はいつもの彼女じゃなかった。
「ちょ、待って……あ、そうか。たしか飲み屋で一緒に呑んで、そっからここまで送ってきてくれはったのか」
口調ががらりと違う彼女に、そういうことかと納得した。
「小百合さん、いつもは矯正しているんですね」
僕の推測が間違っていなければそういうことだろう。
「関西の人、とくに大阪の人だから大阪弁を喋ると思われないように、標準語で話すように矯正したんですね」
その指摘にゆっくりと頷く小百合さん。
「でも、大丈夫です。ここで聞いたことや見たことはだれにも言いませんから」
そう言って、僕はニッコリと笑う。
最初は信じられないような顔をした彼女だったが、ごめんと頭を下げた。
「蓮太君の言うとおりや。関西人だからかならず関西弁喋るって思われたくないねん。だから、標準語に直してたんだけれど」
「お気になさらずに。じゃ、僕は帰ります」
「ちょ、待って」
小百合さんは慌てて僕の腕を強くつかんだ。昨日は酔っぱらっていた状態だったから距離が詰めていたような気がしたけれど、本来の彼女もこんな感じらしい。
「こんな私だけれど、これからも遊んでくれへんかな? それとももう無理?」
どうやら素の自分をさらけ出すのは苦手らしく、僕の腕をつかんでいる手が震えていた。どうして苦手なんだろうと思ったけれど、今は気にしないことにした。
それが高槻小百合さんなんだから、それでいい。
そっと彼女手をつかみながら笑った。
「大丈夫ですよ。僕だって小百合さんに隠しごとしていますから」
そう言うと、目を丸く見開いた彼女はそっと目を伏せた。
「次会ったときにいろいろ話しましょう。そうですね。今日の夜とかどうですか?」
僕の言葉にうんと頷く彼女。
これだとどちらが年上なのかわからない。
「でも、今度は相手のことを決めつけんといてね」
「もちろんですよ。固定概念は捨てます」
指切りげんまんをして、部屋の外に出た。
彼女の指はすごく温かった。僕の固定概念を溶かすような感じで。
「じゃ、帰りますか」
すごく体が軽くなった気がする。
それは多分、きっと固定概念を捨てたからだけではないだろう。そう思って、一歩ずつ歩いていった。