第十級技術学区
薊と瑞雲が学校に着いたときにはほとんどの生徒が登校を終えており玄関はがらんと静寂を放っていた。その代わり教室棟の方からは生徒たちの賑やかな声が祭囃子の様に学校中を響かせていた。
そんな中を二人は、登校のはしゃいだ面持ちをがらりと変えた。その表情は、深刻な、重大な責を背負った息苦しそうなモノである。もっとも、深刻なそうな顔をしたところで、遅刻は確定なので彼らは、リノリウムの床を運動靴でトタトタ鳴らしながらゆっくりとした足取りで教室への歩みを進めていた。
「いやいや、それにしても皆賑やかだねぇ。こんな技術都市一の底辺高校なのにねぇ。何が楽しんだか」
瑞雲はニコニコしながら達観したように話し始めた。その朗らかな表情の裏には人を馬鹿にし見下している雰囲気を内包していた。
うっわまた出てるよこいつの悪癖……。本当に中学の時の根暗でいじめられっこだった時から根は変わってないんだな。まあそれは良いことでもあるけど悪いことでもあるんだよな。優しい所はそのままでもあのこいつが克服したかった暗い表情はまだあるってことだからな。
俺は中学校時代のこいつのことを少し回想すると、また悪癖が出ていること指摘した。
「そんなこと言うなよお前。別にいいだろ。あとさ、お前の悪い癖出てるぜ。明るい人の声を聴くと小馬鹿にする癖。それ女々しいから直した方がいいぞ」
すると瑞雲は自分ではこの癖が出てしまっていたことに気付いてなかったらしくポッと口を輪のように開くと手で顔を覆い鼻で自分を貶す様に笑った。おおよそこの癖が恥ずべきものだと自分でも分かっていたのにも拘らず出てしまったことが非常に恥ずかしかったのだろう。
「面目ないね君、また出てしまっていたようだね僕の悪癖。本当に何時まで経ってもこの癖が抜けないな。こんなんじゃ八千代たんに気持ち悪がられてしまうね」
「いや別に謝らなくていいぜ。自分で理解してるんだったらそれでいいからよ。でもきっとよ別に八千代はお前のことその癖抜きにしても気持ち悪いと思ってるぜ」
「本当かい!?」
瑞雲は今までにないくらいの大声でやけに真剣な様子で俺に尋ねた。
うるせぇなこいつ。どんだけ八千代のこと好きなんだよ。
「知らないけどよ、お前八千代に会う度に鼻を下に伸ばしながら顔を凝視してよ、『今日は○○の匂いの香水を使っているのかい?』なんて聞くんだからそらお前、気持ち悪いと追われても仕方がないだろ」
「…………」
そういうと瑞雲は相当なショックだったのか思いっきりうなだれて落ち込んでしまった。しかしものの数秒で背筋を起こすと高らかに叫んだ。
「ふん! 克服してみせるさ僕の悪癖全部を! そうして八千代たんに気持ち悪がれること無くなった暁には彼女と付き合って見せるぞ!」
なんだこいつ本当にめんどくさいな。
俺はそう思いながらも友人である瑞雲のその前向きな姿勢を見ると感心と自然な笑みが溢れた。まあでももし、八千代とこいつが付き合うことになっても兄である俺が許さないけどな。
感心してもやはり薊は悪態をつくらしい。
「ところで瑞雲、始業時間って何時からだっけか」
「なんだい薊! 僕は今いろいろ妄想してて忙しいんだから後にしてくれないか!」
「うるせえなお前。そういうところだぞお前」
「!! っんん。おっと僕としたところが冷静じゃなかったよ。でなんだって? ああ始業時間が何時かっていうことか。ええっと確か八時半ホームルーム開始なはずだよ」
すげえなこいつ一瞬で素に戻ってまた一瞬でキャラ作り直したぞ。
俺は瑞雲の変な部分に感心した。
「っで、今何時だ?」
「それもかい君。少しは自分で確認したまえよ」
「嫌だね。メンドクサイ」
「……。しょうがないね君、じゃあ今確認してあげるよ」
瑞雲はそういうと学生ズボンのポケットからIDパスを取り出した。そうしてIDパスに表示されている時間を見ると急に表所を青く変えた。
「おい、どうした。今何時なんだ?」
俺はその様子を見て並々ならない何かある種の言葉にできない不安を抱えた。しかし俺はすぐにその言葉にできない不安が何かを知ることになる。
そして瑞雲は受胎告知をするガブリエルの様に神妙な雰囲気で時間を告げた。
「えっとね君。今の時間は八時五十九分だよ」
おいもう遅刻じゃねえか!
俺は心の中で大きく叫んだ。いや確かに朝学校をサボろうと思ったけどその魅惑を超えて学校に来たのにこんな仕打ち散々だろ! そう言えば八千代は第三級技術学区だから始業時間が遅いのかよ! 我が妹よ朝「遅刻しますよ」とか言うだったらもっと早く起こしてくれても良かったじゃねえか! でもあいつ去年まで中学生だったから俺の高校の始業時間知らなくて当然か。そうかだから俺一年生の時、毎朝八千代に起こしてもらう度に「遅刻しますよ」って言われなかったのか。
俺は一人で納得した。
いや、今はそんなことしてる場合じゃねェ。
「大遅刻じゃねえかよ!」
「そうだよ君、僕も浮かれて失念していたよ! それよりもこんな悠長にしてる場合じゃないよ! 早く教室まで行かなきゃ!」
「あたぼうよ!!」
俺たちは蜘蛛の子が散る勢いで走り出し教室に向かった。
薊たちは未だ賑やかな声の溢れる教室の扉の前に到着すると勢いよく扉を開け、その勢いのままほぼ直角に体を曲げて教壇に立っているであろうと推測される教師に謝罪した。
「「遅れてすいませんでした!!」」
ところが謝っても遅刻を咎める教師の声が聞こえなかった。その代わりにクラス中の人間の笑い声といやに聞き覚えのある甲高い声が耳に入ってきたので顔を上げてみるとあの金髪でおちゃらけた顔これまたやけに顔のいい男が目に入った。
「おい、薊に武ちゃん、いきなり教室入ってきたと思ったらなんで窓に向かって謝ってんだ。マジ面白いぞそれ。あと先公ちゃんなら魔術検査の準備で出払ってって遅れてくるからってホームルームは九時十分になったぜ」
「「………」」
俺たちは沈黙した。
そして甲高い声を出す、金髪の顔のいい奴の所までクラスの皆から笑われながら行くと思いっきりそいつの顔面を殴った。グーで。
殴った瞬間クラスメイトからは大笑いとヤジが飛んできた。「もっとやれー」とか「いいぞー」とかそういうのだ。
しかし当然二つの拳をいきなり受けた青年はそんなの意に返さずに痛そうに顔を手で抑えながら涙声で二人に訴えた。
「お前ら何すんだよ! ただ教えてやっただけだろう。このくそったれが」
ふう、スッキリした。こういうときは喜多を思いっきりぶん殴るのが一番だぜ、まったく。でもここに来るまで急いで来たの馬鹿見たいだったな。これが骨折り損のくたびれもうけっていうやつか。いやでも間に合ってよかったよ。じゃなきゃあのクソ先公の長ったらしい説教を聞かなきゃならないからな、あの先公の説教嫌いなんだよ。変に正義ぶってくるからさ。努力だけじゃどうしようもないことがあること知らないからかね。
薊はこの喜多という青年の訴えを無視して殴ったある一種の賢者タイムに突入した。それはどうやらもう一人の青年もそうらしく彼を殴るとそそくさと自分の席に向かった。
「お前ら、無視とか酷いな。ほんとに友達か俺たち!」
さっきからうるせえなこのアホ。なんでこんなやかましい奴なのに顔は瑞雲と同じくらい良いんだか不思議でしょうがねェ。やっぱり神様はやつをイケメンで作ったのは間違いだと思いますよ、はい。
この陳情も彼ら二人の耳には全く入ってこなかった。
「手前ら、そっちが無視するて言うんだったらこっちにも策があるぜ馬鹿がよ。喰らえ、火の玉、ファイヤーボール!」
喜多はそういうと手をパーにして前に突き出すと手のひらにマッチの先ほどの丸い火の玉が二つ出来た。そしてその火の玉は勢いよく、かの暴虐邪知な二人の方に向かって飛んで行った。
しかしその両方とも二人には当たらなかった。
「危ないねぇ君」
一人はそういいながら手のひらを火の玉に向け、皮膚に着くかどうかくらいところで止めてみせた。
「あっぶねぇ!」
もう一人はたまたま手に持っていたペットボトルのお茶を思いっきり火の玉にかけ、消火してみせた。
「げぇ、当たってねえ」
喜多はそういうと落胆した様子を見せた。
しかし落胆しただけでは問屋がおろさないらしい。
薊と瑞雲は落胆した彼の元まで再度行くと瑞雲は頭をつかみ薊はじっくりと彼の下腹部を見た。
「君、念力受けたことある?」
「いや、急に頭掴んでそんなこと言われてもそんなもん受けたことねえよ。あと薊お前はさっきからなんで俺の下半身見てんだよ。もしかしてお前ホmっ」
俺はその戯言を奴が言い終わる前に思いっきり脛を蹴った。
「いってぇ! 何すんだよ! あと武ちゃんはなんでさっきから俺の頭掴んで離さないんだよ」
「まあ落ち着きたまえよ君。今から君に素晴らしい体験をさせてあげるからね」
「なんだ素晴らしい体験ってよ?」
そう言い終わると同時に喜多は軽度な頭痛に襲われた。
「痛たたたた。なにすんだよ武ちゃん」
「だから素晴らしい体験さ! 今までに感じたことない痛みだろ。それが念力さ」
おっと瑞雲、魔術を使いやがった。なるほど目には目をならぬ魔術には魔術をってやつかい。しかし瑞雲も器用だよな。あんな微弱な念動力をうまい具合に操ってるんだから。まあ俺も今魔術を使ってこいつのあるものを見てるんだがな、これが面白くって笑えてきちまう。
「おい止めてくれよ武ちゃん謝るからさ。あと薊お前はさっきから何見て笑ってるんだ」
「いや…、その…フフッ、お前今日のパンツさイチゴ柄とか面白すぎね」
薊はクラス中に聞こえる声で言った。
クラスメイトはそれを聞くとさらに大笑いした。
馬鹿は赤面した。