新学期の朝ってだるくない?
ジリリリリリリ!!
目覚まし時計の音が三畳ほどの和室に鳴り響いた。カーテンの隙間からは暖かな光が差し、あの金音が朝の調べだと部屋の主に知らせた。
「うるせぇ」
部屋の主である青年はそう言って目覚まし時計を止め、ぼさぼさの髪を一掻きすると寝起きの細い目で西暦2120年のポスターを見た。そのポスターには今日の日付である4月10日に大きな花丸が付いていた。おおよそ新学期が始まる日を忘れないようにするために書いたのだろう。
そしてその日付を目にすると青年は起きて朝の支度する訳でもなく、再び布団に包まり始めた。
唐突だが俺の名は堀野 薊。特に特徴もない高校生、至って平凡な学生さ。中肉中背、くせ毛の黒髪、身長全国平均ジャスト、住居は一部屋2LDKの真新しい寮、どうだ平凡だろう。まあ平凡と言っても俺の住んでいる都市は非凡な場所だけど。まあそんなことは今はどうでもいいんだ。そう今日という日を今、全力で祝わねば!
なぜなら今日という日は俺がめでたく高校二年生へと進級し新たな青春の一ページを刻む素晴らしい日だからだ。
いや、青春はねえな。
チクショウ、まったく体が怠い、布団から出たくねえ、何のやる気も起きないし、学校に行くのめんどくさいし、もうサボろうかな、いや、さすがに新学期初日からサボるのはさすがに先生に対する印象が悪くなるしなぁ、けどめんどくさいのは変わらないし、うーんどうしようか? サボろうかサボらないか……。
なんて俺が心の中で訳の分からない葛藤をして布団の中でモゾモゾしているといきなり掛け布団をはぎ取られ、頭を引っ叩かれた。痛い。
おやでもこの僅かに見えるポニーテールと微かに香ってくるバラの匂いは……。
「兄者さっさと起きて、朝の支度を済ましてください。遅刻しますよ」
俺から掛け布団を剥ぎ取りこのぬくぬくと快適に過ごせる楽園から追放した犯人は蛇なんかではなくてそんなのよりもよっぽど恐ろしい我が妹だった。いや、恐ろしいと言っても美人なんだぞ我が妹は。目は少し釣り目だけどぱっちりとしてルビーのように赤い目で可愛らしいし、肌も磁器のように白くて髪だって黒い絹ように滑らかだ。身長も女子にしては高いんだぜ、スタイル抜群もだからな。
だが俺はそんな美人な妹には屈しないぞ、妹に俺を遅刻させないという使命があるように俺にも全力で朝をだらけるという使命があるからな。そこで俺はあの葛藤に決心をつけて猫のように丸まりながら妹に抗議をした。
「嫌だね、俺は今日学校をサボるんだからな」
「………………」
俺がそういうと妹は完全に表情を消してもう一発俺の頭を叩いた。今度は加減なしに叩いたらしいから痛さがさっきの比じゃない。
「八千代よ。お兄ちゃんは悲しいぞ、いつの間にか暴力的になってしまって。せめてもう少し優しく起こしてはくれないかな。そんな男勝りなところがあるんだから彼氏ができないんだぞ、顔と体は結構いけてるんだから」
「兄者それは無理な話です。兄者は多少痛めつけないと起きないでしょう。あと彼氏がなんだとかほざいているようですが殴りますよ」
そういうと我が愛しの妹は可愛らしい顔に笑顔を浮かべながら凛々しい声で言うと、その表情とは噛み合っていない行動をした。具体的に言うと拳をボキボキと鳴らしこちらに構えるという暴力的な行動だ。その姿はまるで餓鬼を懲らしめる仏のようだった。
いやーすんごい怖い。やっぱり美人を怒らせてはならないんですよホント。なに、美人な妹に怒られて羨ましい? じゃあ変わってみるかい、多分耐えられないと思うぜ。まあ、こういったとき、つまり人をカンカンに怒らせたときの対処法はばっちりマスターしてるよ。こういう時は自分の決意とかそんなもの全部捨てて懇切丁寧に謝ればいいのさ。
「おっと暴力は良くない、本当によくないぞ。いや、今のはお兄ちゃんが悪かったよ、すまなかった」
俺は布団の上で全力で土下座し、謝った。きっとこの光景は傍目から見れば滑稽な姿なのだろう。拳をこちらに構える年下の美女、そしてその美女に向かって全力で土下座をしている寝癖でぼさぼさ黒髪が特徴的なただの男子高校生、ああまったく想像するだけで面白い光景だな。
そうして薊が全力で土下座をしてから数秒たった。さすがにもう許されただろうと思い薊は安堵の表情で顔を上げた。
「はぁ、分かりました兄者。今回は許してあげましょう」
「ありがとう! 妹よ! 愛してるぞ」
そう薊が朗らかな表情で愛あふれる言葉を投げかけた。すると八千代はその色白い肌を桃の様にほんのり赤らめ、少し下を見ながらさっきまでの凛々しい声とは全く異なる甘い声でもう一度薊に注意した。
「うっさいです。いいから早く朝の支度をしてください。本当に遅刻しますよ」
「分かったよ、じゃあさっさと準備して一緒に行こうか」
「いや、そもそも学区が違うので一緒にはいけませんよ」
薊は衝撃を受けた。かの愛する妹と一緒に登校できないことを。この事実は薊の心を空虚にさせた。そして同時に表情までも変えてしまった。朗らかだった顔が瞬間しょぼくれてしまい、何処かのコミカルな顔文字のみたいになってしまった。
その表情を見た八千代は心の中で大きなため息を吐くと薊に言った。
「もう分かりましたよ。じゃあ駅までは一緒に行きましょう」
「本当か! やっぱりお前は最高の妹だ!」
薊は一通りのやり取りに満足するとさっきまでのだらけきった態度とは打って変わり一世紀前の制服と何ら変わりないグレーのブレザーに腕を通し、髪を整え、それは電光石火のごとく朝の支度を済ませたが一つ物を忘れそうになっていた。
おっとパスを忘れるところだった、こいつが無いとこの街じゃ何もできないからな。全く学生証も金も電話にメールまでこの半透明の薄っぺらい板で済ませられるなんて便利だぜ全く。
「良し、準備ができたぞ。サッサと行こうではないか!」
「はぁ、兄者忘れ物はないですか。ちゃんとIDパス持ちましたか?」
「もちろん持ったさ」
「じゃあ行きましょう」
八千代がそう言い玄関の扉を開けるとうららかな日差しと暖かな春風が彼ら兄妹の間を門出を祝うように通り抜けた。
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