02:それはまるで、唐揚げを作るときの下準備だった
ブックマークどころか、感想までもらいました。
こんなこといままでなかったのでとても嬉しいです。
「ひ、人質が出て来たぞ」
誰かがそう叫んだ。状況が動き始めたことを察する。
刑事と一緒に現場のほうに向き直った。
視界に収まったのは女性の身体だった。だが、様子がおかしい。
ビリビリに破けた衣服。痛々しいほどに点在する痣。その顔に血の気はほとんどなく、ひたすらに青い。目の光も欠落しており、ぼーっとこちらを見てくる。
「あ、ああ。……うっ」
彼女の様子を見て、吐き気を催すものが現れ始める。
口元を手で抑え、その現実から目を逸らした。常軌を逸脱した容貌の彼女に対しての嫌悪感が積もってくる。
ぴちゃぴちゃ。
そんな中、何かが垂れてくる音が耳に聞こえてきた。でも、その女性が傷ついている様子は見て取れない。
しかしながら、彼女がこちらに向かってくる道のりには、水たまりのような水滴が確かにあった。
「たす、け」
ボロボロの服を翻しながら救いを求めるうめき声を発する。
揺れる服からは、大きな乳房が見え隠れしていた。きめ細かい粒子でできた双丘。だが、その胸は何かに強くわしづかみされたみたいに赤黒い手形が残っている。
「ッッ!」
誰もすぐに動くことができなかった。
ゴキブリ退治をしようとして追いかけていたら、ネズミの死体が出て来たようなものだ。足がすくんでしまう。
「て……」
トスン、と彼女は膝から崩れ落ちていく。
一気に身体が下に落ちたせいか、もしくはただ単に風が吹いたからだろうか、ボロボロだった服が大きく捲れた。
はじめはふとももだった。
自分たちにはないもっちりとした肉感の大腿部。そこから垣間見えたものは、エロスだった。本能的にそう感じる。煽情的だ。
だが、その上に視線を這わせた瞬間、煩悩が滅されるようにその卑しい気持ちは儚く消えていく。
そこにあったのは予想したものと同じだった。普通ならば欲情してしまうだろう恥部がある。
しかし、その様相は想像を酷く超えていた。故に、こんな状況でも発生してしまう悲しき性も、一瞬にして引っ込んでしまう。
各々、それを直視できずに目を逸らし始めた。
憎悪のような感情が湧き上がってくる。
内臓に血液が集まっていき、じっとりと熱くなっていく。噛み締める歯はギリギリと音を立て、握りしめる拳は自らの皮膚を引き裂かんとしていた。
「くそっ」
守れなかってものがあることを理解させられた。吐き捨てるかのように感情を口から放つ。
自分たちが目にしてしまったものは、充血した大きく腫れぼったい女性器と、そこから爛れ落ちる粘り気のある黄ばんだ白濁液だったのだ。
「だ、大丈夫ですか……ッ」
事切れたように、ばたりと地面に打ちし抱かれる女性を見て、はっと気を取り戻した機動隊員が駆け寄ろうとする。
しかし、
「ま、待て――」
「バァァァァウウウウウ」
衝動に駆られる機動隊員を止めようと声を出そうとする。だが、それを妨害するかのように何かが唐突に襲いかかってきた。
轟音。爆音。大音響。
それらによって脳が揺さぶられる。耳をふさぐ以外に取れる行動などなかった。
「なに、が」
ゆっくりと耳から手を放していく。強襲してきたなにかはもうそこにはいなかった。だが、それを行った犯人は存在していた。
事前情報とは異なる姿となった異形がこちらを見つめてくる。
形は人間。
でも、腕の本数が違う。二本多い。まるで、肋骨の一部が腕となり手となった姿だった。
その増えた腕を余すことなく使っている。
胴体の大きさまで肥大化した腕に握られていたのは、痛々しいほどに傷ついた裸の女性。
右腕ほどではないが、それでもやはり人間よりは太い左腕には、肉団子になりすでに魂は常世に旅立ってしまった機動隊員と思われる身体。
お腹には、生えた手に掴まれて、交尾をするように動かされる女性。
左手の肉団子をむさぼりながらも、その行為は止まらない。
胴体の腕に掴まれている女性は、そのきれいな銀髪の髪を翻し、うめき声をあげてこちらに手を伸ばす。だが、それはこちらまで届かない。
彼女の肉体はぼとりと地面に落とされる。遊び飽きたおもちゃを捨てる赤子のように化け物は犯していた女性から手を離した。
「グギャギャ」
西からの風が秋葉原の街を駆け抜ける。
煤けた銀色の髪を撫で、体液まみれの肉体をこすり、俺たちの鼻腔をこする。
それと時を同じくして、向こう側に溜まりに溜まっていた気色悪い液体が足元を舐め始める。
「こちらの準備を待ってくれるほど、敵さんは忍耐強くなさそうだ」
「バクワァァァァァアアアアアア」
再び、感染者の咆哮が響き渡る。
人間ではありえないほどの声量に、あることを実感させられる。そいつがすでに、人智を超えた何かに変貌しているということを。
ドスドス、と地響きがしてきそうな鈍重な足取りでコンビニから出てくる感染者。
「あれはやばいな」
「おいっ、それはどのくらいやばいんだ。あんなの見たことがねえぞ」
本能的に感じる恐怖をごまかすように、目の前のクマを分析する。
認めたくない現実に、ぽつりと心の声が口から出てしまった。
「写真で見たことくらいはあるだろ。感染者は、その寄生されてからの進行具合で状態が変わるんだ。たぶんだが、あんたたちが見てきたのはtier1から3くらいのやつだろ。人型をとどめている個体で、呼称も『感染者』のままだ。一応、まだ人扱いだな」
「じゃあ、あいつはいったい何になるんだ」
刑事は恐る恐るといった感じで訊いてきた。
その声音には焦りが浮かんでおり、瞳は虚ろ、口は半開き、額には汗といったひどい顔だった。
追い打ちをするようで忍びないが教えるしかないだろう。
「ぱっと見、ぎりtier4くらいじゃないか。二足歩行だし」
その言葉に、ほっとした表情を見せる刑事。
自分たちが経験したことがある奴よりもレベルが一だけ上ということに安心しているのだろうか。
「安心しているところ悪いが、tierの考え方は累乗だ」
「つ、つまり」
「マグニチュードのようなものだ。tier3の何倍も強い。それに――」
そう口を開きかけたときだった。
ジュプジュプ、と音を鳴らしながらにぎにぎしていた女性をクマが投げてくる。
機動隊の構えていたライオット・シールドにそれが激突した。べったりと張り付くように止まり、ズルズルと重力に従って落ちていく。
「イタ……ぃ。ダレ、カ」
「ブルクゥゥゥゥゥウウウウウ」
「う、わぁぁぁぁぁあああああ」
女性を投げつけてきたクマが吠える。迫りくる威圧に機動隊の面々は一様に恐慌状態に陥っていった。
構えていたサブマシンガンをやつに向け、発砲する。
「おい待て、やめろ……ッ」
声をかけるがもう遅い。彼らに理性など残されていなかった。
本能的に、目の前の恐怖を排除しようと身体が動く。一人が撃ったら、そこからは堰は切ったように周りを囲んでいた機動隊も各々発砲する。だが、クマには効いた様子もない。その肥大化した右腕でなくなく受け止めている。
ぐぐぐっ、とクマが身体を丸めるのが見えた。
「しゃ、しゃがめー!」
精一杯の声で叫ぶ。近くで呆然と見守っていた刑事を押し倒し頭を伏せた。
次の瞬間、武器なんて装備してないはずのクマから、人間などいとも簡単に殺す凶弾が飛んでくる。
『――――…………ッ』
通常の発砲音とは違う何かが耳をつんざく。遅れて聞こえてきたのは、輪ゴムを人体に当てるような音。
ぷちんぷちんと軽快に愉しそうに奏でられるそれは、まるで唐揚げを作るときに鶏肉をひと口大に切っていくようなもの。
まさしく、人間が壊れていく音色だった。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
まだまだこの話も始まったばかりで退屈でしょうが、ぜひ読み続けていただければ幸いです。
次回は、明日の朝に更新しようと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
――埋木埋火
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