『しょうにんよっきゅう』について考えてみた
時は4月。この季節になると新しくこのあおぞら幼稚園に入ってきた3歳児たちのお決まりのイベントが毎朝行われる。その名も「ママ置いて行かないで!!誰が一番お母さんを引き留められるか!?ぐずり大会!!」である。もちろん、本当にこんなイベントがあるわけではない。私が勝手にこう名付けただけだ。尚、ネーミングセンスうんぬんに関するクレームは一切受け付けない。そしてこのイベントのさらに悪いところは、ぐずる3歳児たちを見ている4歳児や5歳児たちまでつられて泣いてしまう者が出て来てしまうことだ。なんとも興ざめなイベントだ。入園したての頃は、浮かないように周りを真似てぐずってみたりもしたが、特に面白くもなかったのですぐに辞めた。あい先生が「サトコちゃんは泣かなくて偉いのね」と毎日のように褒めてくれたのを鮮明に覚えている。人間というものはやはり承認欲求を持っているため、あい先生のお褒めの言葉は当時の私の機嫌をすこぶる良くしてくれた。しかし今思うと、あい先生は私を褒めることで他の子たちを泣きやませようと考えていたようにも思える。もしそうだったなら、あい先生はなかなかの策士だ。
そんなことを考えながら、ぐずり大会を横目に積み木で遊んでいるふりをしていた時、マコト君が話しかけてきた。「サトコちゃんおはよう。」ぐずり大会のせいで曇っていた私の心がたちまち晴れ渡り、虹が二重にかかったような気分になった。『恋は盲目』という言葉があるが、本当にその通りだと思う。いつもは冷静沈着で聡明な私が、好きな人からの「おはよう」の一言で我をも忘れ、骨抜きにされてしまうのだから。いつものように、口が裂けてしまうのではないかというぐらい満面の笑みで返事をする。「マコト君おはよう。」なんて幸せなんだろう。もしマコト君と結婚したら、こんな幸せなやりとりが毎日できるのだろうか。そんなことになったら、私の心臓は発作を起こしてしまうかもしれない。まあ、マコト君が死因ならそれこそ本望だけれど。そんな妄想を頭の中で繰り広げていると、あのオンナがやってきた。そう、アンナちゃんだ。オンナは誰しも、出会った瞬間に『あ、このオンナとは親友ぐらいに親密な仲になるか犬猿な仲になるかのどっちかだな』と感じる相手がいる。私にとってはそのオンナこそがアンナちゃんだ。そして残念ながら、アンナちゃんと私は親友ではなく犬猿の仲だ。しかし、そういう相手に限って好きな人が同じという謎の現象がある。そうなのだ。アンナちゃんもマコト君のことが好きなのだ。それでないと私の近くに寄ってくるはずがない。「マコト君おはよう。」アンナちゃんは私がまるでいないかのように、マコト君にだけ声を掛ける。あからさまだ。だが、こんなことでへこたれてはいられない。アンナちゃんとの格の違いを見せつけるため、あえて私はアンナちゃんに声を掛ける。「アンナちゃん!おはよう。今日も髪型かわいいね。」今日のアンナちゃんの髪型はボサボサの三つ編みだった。おそらく幼稚園に来る前に5回ぐらい結い直してようやくできた三つ編みなのだろう。この年齢からそこまで『美』にこだわりを持てるアンナちゃんには素直に関心するが、かわいいとは言い難い髪型だった。しかし意に反してアンナちゃんは喜んで、得意げにこう答えた。「ありがとう!プ○キュアの髪型をイメージしてみたの。」犬猿の仲の私からとはいえ、人に褒められることは嬉しいようだ。
そんなことがあった朝から、私はずっと人間の承認欲求について一日中考えていた。ちなみに承認欲求という言葉はパパが見ていたニュース番組のキャスターが使っていたことから覚えた。語感が好きだからこの頃の私の流行語なのだ。ただただ使いたいだけなのだ。そして私が考えていたことはこのようなことだ。『人間は、知らない人100人に認められ、親友3人に認められないのと、親友3人に認められるが知らない人100人に認められないのとでは、どちらが幸せなのだろうか』というものだ。知らない人100人に認められる方が、味方がたくさんいる感じがして自分を高められるのだろうか。はたまた真の自分を知っている親友3人に認められる方が、自分に自信が持てるのだろうか。結局答えは出ないまま、お迎えの時間が来てしまった。
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