現代風なんちゃってざまぁを書いてみたがあまりうまい具合にいかなかった。でも消すのも何だからとりあえず晒してみようと思う。
「目障りなんだよ、雑種!!」
今日も階段から蹴り落とされた。
もちろんいつものように病院送りにならないよう受け身をとって、だけど動けないふりをして階段下で転がったままうずくまる。
下手に動けるそぶりをみせると、更に痛い目にあうと今までの経験上知っている。
嘲笑し去っていく当主の息子~俺の従兄弟であり、名前は悠馬という~を薄目をあけて見送り、周囲に人の気配が無くなったあたりで起き上がり服の埃を払った。
『当主の姉でありながら、駆け落ちし何処の馬の骨ともしれない男との間に子供を成すなど、何と言う恥知らずか』
『挙げ句乳飲み子を遺して死ぬあたりが本当に図々しい』
『何故当主様はあの雑種を捨てないのかしら』
母親は俺を産んですぐに死んだそうだ。父親は何処の誰か判らないと言われた。
茶色を通り越してうっすら金に近い髪や、薄茶色の目から、俺の父親は白人だったのだろうと奴らは言っていた。
母の遺品がなければ俺も周囲の言葉をうのみにし、母を憎んだかもしれない。
だが、それ以外の行動がとれなかったと知っているから、母に恨みは持っていない。
……逢いたかったとは、思うけれど。
「ぼうっとしているんじゃないよ雑種!とっとと掃除にもどりな!」
「申し訳ありません」
小学校と中学校にはどうにか行かせて貰えた。もちろん他の連中が通っているような煌びやかな所ではなく、近場の公立だ。あんな立派過ぎる所に入れられても大変だし、むしろありがたかった。
高校には通えなかった。俺にそんな金を何故かけなくてはいけない!と悠馬が全力で反対したらしい。
俺をこの家で保護しているらしい当主様には、生まれてから一度も会った事が無い。
母の弟であり俺の叔父である男。
屋敷にある肖像画を見た事はあるが、正直何の感慨もわかなかった。
「あ」
庭の雪かきをしていると、大和撫子を体現したような少女がアーチをくぐり敷地内に入ってくるのが見えた。彼女は当主の弟の娘であり、俺の三歳年下で従姉妹だ。
慌てて見つからないよういつものように生垣の中に隠れる。
きょろきょろとあたりを見回して俺を探していた彼女は、悠馬に手を掴まれて家の中に連れていかれた。
「優衣様……」
優衣様だけが、唯一俺をかばってくれた。
当主にかけあい、自分の家に俺を引き取ろうとさえしてくれた。
優衣様に執心な悠馬は、そんな彼女を見て更に俺にきつくあたるようになり、更に優衣様同様に俺の事をかばい引き取ろうとした彼女の父であり俺の叔父は、左遷され子会社に飛ばされ、二度とこの家の敷居をまたげなくなった。
俺を助けようと優衣様達が動けば動く程、優衣様達の立場が悪くなる。それを知った俺は、優衣様を徹底的に避けた。13の時から避け続けて7年もの間、どうにか逃げ続けている。おかげで随分かくれんぼが得意になったと思う。
「(掃除に戻ろう)」
今日はいい日だ。優衣様のお姿を拝見する事が出来た。
優衣様が屋敷にいる間は、悠馬も俺に暴力をふるってこない。俺と彼女が会うのを一番嫌がっているのは間違いなくあいつだから。
4時に起きて屋敷中の床を拭き
5時から朝食の仕込みやその日使う食材の下ごしらえをし
6時から庭の水やりをおこない
7時から各部屋を回り清掃し
9時から屋敷中の汚れ物を集め洗濯して
11時から昼食の仕込みを手伝い
13時から車の洗車をして
14時から厨房の片付けをして
16時から庭掃除を行い
17時から夕食の仕込みを手伝い
19時から厨房の掃除をやって
20時から屋敷の共用部分を清掃し
22時頃にようやくその日の仕事が終わり、初めての食事にありつける。
今日は運よくご飯が残っていたのでおにぎりを作り、庭の隅に隠れてむさぼった。下手に見える所で食べると悠馬が「残飯でもお前にくれてやる気は無い」と奪って捨てるから、ここ数年は人前で食事をとった覚えがない。最初の頃はうまくご飯を確保出来なくて、本当にゴミ捨て場から漁った残飯を食べていた。それに比べたら食べ残しや残ったものを直接食べられる今は随分マシな方だと思う。
哀れむようにこっちを見てくる使用人達の中には、うっかり分量を間違えたふりをして多めに作ったご飯を、こっそり捨てるふりをして隅に置いておいてくれる人がいたり、包帯や湿布を処分するふりをして俺の部屋に放り込んでくれる人がいたり、古着をゴミ袋に入れてそっと俺の部屋に置いておいてくれる人がいたりした。そんな同情のおかげで、俺はまだ生きている。
個人的に一番嬉しかった貰い物は、高校の教科書だった。自室である地下室の床を掘って隠したそれを、擦り切れる程何度も何度も読んだ。
この家しか知らない俺に、色んな事を教えてくれる教科書はまるで魔法の書物だった。
勉強が嫌いだという輩の考えはよく判らない。知る事は本当に楽しいのに。
「いよいよ、明日だ」
母の乳母だったという人から貰った、俺の母子手帳。
唯一の形見であるそれには俺の誕生日が書かれていて、父らしいアメリカ軍人(図書館で軍服や徽章を確認した。間違いなくアメリカ軍人だった)と寄り添っている母の写真がはさまっていた。
『お嬢様と貴方のお父様は、本当に愛し合われていらっしゃいました。先代の当主様が、外国人など!とおっしゃり無理矢理引き離されたのです』
母は本当に父と一緒になり家庭を築くつもりだった。
父も母を娶るつもりで、きちんと屋敷に挨拶にきたそうだ。
母は父と引き剥がされた後、万が一の事を考えてこの母子手帳と写真、そして父のドッグタグを乳母に託していた。
父は何度も何度も屋敷に母の事を訪ねてきていたそうだ。だが、母が身籠っていた俺ごと亡くなったと聞いて半狂乱になり暴れ、警察沙汰になり国に強制送還されたらしい。
俺達家族を引き裂いたこの一族に対し、身内の情なんて欠片も無い。本当は両親の苦痛を味あわせてやりたいけれど、そんな力は俺には無い。悔しいけれど、今は逃げる以外に出来る事は無い。
だがいつかきっと、奴らに復讐してやる。そう決めている。
明日、俺は20歳になる。
20歳になったら成人と見なされ親権者の同意が無くても自由に行動出来ると、屋敷で購読している新聞で知った。(まとめて処分するのは俺の役目だから毎日持ち帰って読んでいる。冬場は布団代わりになってくれるので新聞は大好きだ)
成人したら自分の意志で何処に住んでもいいし、何処に勤めてもいいし、周囲に迷惑をかけない範囲で何をやってもいい。
だから今夜、俺はこの家から逃げ出す。
どうにかあと数年は着れそうな服、母の形見である母子手帳と写真とドッグタグ、俺に対する虐待の証明となる監視カメラの画像や映像が保存されているSDカード(このSDカードは母と親しかった警備員さんが編集して退職間際に渡してくれた)。
処分されていた古いカーテンで作ったナップザックにそれらを詰め込み、屋敷の皆が寝静まった23時頃、監視カメラや警備員の目を盗んで俺は屋敷から脱走した。
「よし、いくぞ…!」
走って走って走って、屋敷が全然見えなくなって。
追っ手も来ないと確信出来るまで、およそ1時間走り続けた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
荒れた息を整えつつ、公園に入り水道から水を飲む。
奴らが俺の不在に気付くまで、あと4時間。
警察やシェルターには逃げられない。奴らは自分達の非を絶対に認めないどころか、圧力をかけて俺をまた連れ戻すだろうから、下手な場所には逃げられない。
だがありがたい事に、俺が産まれたのは午前3時26分。
奴らが俺の不在に気付く午前4時には、俺は20歳になり成人している。
走って、息が切れたら休んで道を確認して、走って。
その繰り返しで、どうにか目的の場所が見える所に辿り着いたのが3時18分。
近くの建物前にあった時計をじっと見つめ、3時26分になった瞬間。
「Help me!!」
段ボールにでかでかと書いた「Exile hope(亡命希望)」を掲げて、俺はアメリカ大使館の門前にいる警備員に駆け寄った。どうやら俺に気付いていたらしい警備員に、父のドッグタグと写真を見せ、更に上半身を脱いで全身傷だらけの身体を見せた。
大騒ぎになった。
「つまりこのドッグタグの馬鹿が君に虐待をしているという事か!?」
「違います、父はそんなんじゃ……え?」
警備員さんが流暢に日本語を話した。
よく考えたら大使館の警備ってエリートだよな。日本語位出来て当たり前か。
「違うんです、父は虐待なんてしていません。やったのは母の実家で、俺、父に会いたくて」
「とりあえず中で事情を聞こう。改めて聞くが、ここに駆け込んできたという事は君は「アメリカに助けを求めている」という事でいいんだな?」
「はい」
しっかり頷いた俺の手をひいて、警備員さんは俺をアメリカ大使館の中に招き入れてくれた。
それからわずか10分後。
俺は号泣しているどうみても30代のアメリカ人男性(寝間着)に、全力で抱きしめられていた。
「え、ええと、あの」
「洸……洸……!!!すまない、馬鹿な父さんですまない……!!!」
「……え?」
確かに、写真の父の面影があった。
だが父は40代位の筈で……でも。
「おとう、さん?」
……背骨が折れるかと思った。
父は俺達が亡くなったと聞いて、しばらく荒れていたそうだ。
だが出来るならいつか俺と母の骨位は貰い受けたいと、一念発起し必死に頑張ってアメリカンドリームと呼ばれる位の出世をし、現在なんと「在日アメリカ大使」なんだそうだ。
日本に赴任して一ヶ月程度らしいが、母の実家に俺と母の骨を貰い受けたい、骨がどうしても駄目なら二人の遺品を、と打診した所、どうにも相手の動きがおかしいと気付いたらしい。特に「俺の骨」あたりで。
何かおかしい、と現在あの家や一族を調査していたらしいが、日本でも有数の名家であり大企業だから随分と難航していたそうだ。
「まさか洸が生きていたなんて……だが、一体何があったんだい?どうしてこんなに痩せて、ボロボロに」
周囲にいる事務員さん達や警備員さん達も、軽くもらい泣き状態だ。
父は相当慕われているんだろう。
「ええと、詳細はここに」
とりあえずSDカードを取り出して渡す。大丈夫だろうか、色々な意味で。
大丈夫じゃなかった。皆様のお怒りが半端無かった。
後で聞いた所、ここの職員さん達はほぼ全員が父の元同僚(つまり軍人)で、退役したり軍人を続けられなかったり何か事情があって働き口を無くしたりした人ばかりだったらしく、全員が父のおかげで今ここで働けている、という状態だったそうで。
そんな大恩ある父の息子が物心ついてずっと虐待を受けていた、という事実は彼らにとってとてつもなく許せない事だったらしく。
「大佐、この屋敷一帯焼き払いましょう」
「生温くないか?もっと痛めつけてからでないと」
「いやここは拷問のスペシャリストと言われた俺に」
とりあえず何処から突っ込んでいいのかどうとめればいいのかと思っておろおろしていたら、父が一言。
「何でそんなぬるく優しい方向にしないといけないんだい?」
満面の笑みでのたまった。
ちなみに父、39歳だった。母と出会ったのは19歳の頃だったそうです。
「さぁ、洸様。色々な事は皆様に任せて、どうぞ別室へ。お腹が空いたでしょう、朝ご飯をご用意してありますよ」
父の秘書だと言うロマンスグレーの小父さんが、俺に呼びかけ案内してくれる。
「え、朝から何か食べていいんですか?」
俺の発言に周囲の空気が凍った。
「……洸?朝ご飯、無かったのかい?」
「え、あ、はい。」
「ご飯はどうしていたのかな?」
「いつも、夜……だいたい22時位に、その日の屋敷の人間の食べ残しや残りものを隠して、こっそり庭で食べていました。」
「食べ残し!?庭!?」
父の質問に答えただけなんだが、周囲が超ざわついている。
「洸。申し訳ないけれど、朝食が終わったら一日どんな風に過ごしていたか、紙に書いて貰っていいかい?」
「はい、判りました。……ええと、その、……お父さん?」
「何だい?」
「あの、……すみません、我が儘を言って申し訳ないんですが」
「うん?父さんは洸の我が儘なら、何でも聞きたいな」
「あ、ありがとうございます。……ええと、その。ご飯食べて、紙に一日の行動書いたら、30分位そこらへんの床で寝てもいい、ですか?
も、もちろん、起きたらすぐ何か手伝いますし、あ、俺、掃除なら得意だから、その」
泣かれた。
そして抱きしめられた。
「そんな事をいちいち断る必要なんてっ……いや、すまない、洸。ご飯の前に眠りたいかい?少し休んでからご飯でもいいんだよ?」
「大丈夫です、せっかく用意してくれたんだから、ご飯ちゃんと食べます。すみません、流石に一睡もしないでここまで走ってきたから、ちょっと疲れちゃって」
更に空気が凍った。
え、俺何か不味い事言ったっけ。
眠いのと疲れたので頭がぐるぐる回って、とりあえず何か話そうと口を開く。
「あ、……そうだ、ごめんなさい、お父さん。俺、汗臭いですよね?ごめんなさい、今日はまだ水浴びしてないから」
「み ず あ び?」
「ひぅっ」
「ケイン様、洸様が怯えていらっしゃいます」
「ああ、すまない、洸。ありがとう、ジーン。……洸、もしかしてお風呂は」
「ちゃんと洗車場で水浴びしていたから、垢は溜まってません。洗剤も使ってたし」
「・・・・・・・・・・・・ジーン。食事は後にして、洸を風呂に。あと少し仮眠させてやってくれ」
「かしこまりました」
「え、あ、でも、ジーンさん、ご飯作ってくれたんじゃないんですか?ご飯作るのが大変だって俺、毎日やってたから判ります。だから、大丈夫です。食べられますから。」
「大丈夫ですよ、洸様。さ、こちらへ」
「洸、ジーンに任せておきなさい。さ、いっておいで」
「え、あ、はい……お父さん」
「何だい?」
「ありがとうございます、本当に。たくさん、たくさん。おやすみ、なさい」
笑えた、とは思う。
ああ、もう大丈夫なんだ、寝ていいんだ、と思って。
緊張の糸が切れて、そのままぶっ倒れてしまった。
「洸!!!」
気絶した息子を慌てて抱きとめる。
最近鍛えていない身体でもすんなり抱きとめられるあまりにも軽い身体に、怒りと涙が溢れてとまらない。
「1日1食、しかも食べ残しって、ようは残飯だろ?マジかよ」
「こんな寒空の中、洗車場が風呂だったって……しかも洗剤って、おい」
「皆」
私の声に、周囲の皆が静まり返る。
「洸を見て、何歳に見える?」
「え、あ、…12,3位か?」
「いや、10歳位だろ?」
私達軍人は大柄な者が多い。だから華奢な洸は年若く見えるだろう。
だが、それでも普通成人した者をそこまで若く見積もる事は無い。
「20歳だ」
「え」
「洸は、私が19歳の時の子だ。……20歳の筈なんだ」
引き剥がされた後も、数回程度ではあるが妻と手紙のやりとりをした。
お腹の子は男の子だと判っていたので、アメリカでも名前が呼ばれやすいように、洸と名付けたのは私だ。
家族三人、幸せに暮らす筈だった。
こんな、こんな風に、苦しむ為に生まれてきた訳ではないのに!!!
「20歳って、マジかよ……どうみても背丈や目方が足りてないだろ」
「そりゃそうだろ、1日1食、しかも食べ残し程度じゃ栄養が足りる訳がない」
「惨いな……」
背はだいたい150cm位だろうか。
妻は小柄な方だったが、私が190cm程あるので洸もまだまだ伸びた筈だ。
「すまない、皆。洸を風呂にいれてやりたい、寝かせてやりたい、目覚めるまで傍にいてやりたい。後は頼んでもいいだろうか」
全員が一斉に頷いてくれた。
本当にいい仲間に恵まれたと、改めて思った。
洸を風呂に入れて、傷がない所がない肌を見て改めて湧き上がる怒りを抑えつつ、私のベッドに洸を寝かせてベッドサイドにある電話の受話器をとる。
「朝早くに申し訳ありません、駐日アメリカ大使のケイン・クラークです。
外務大臣に至急お話したい案件があるのですが、本日お時間を割いて頂く事が可能か確認させて頂けませんか?」
何度も何度も深呼吸して電話したのだが、どうやら相手に私が尋常でなく取り乱している事がばれてしまったらしい。
『クラーク様、失礼ですが何かよほどの事がございましたか?』
親しく付き合っている外務大臣つきの秘書官・響君に、心配されてしまった。
「すみません、取り乱してしまっていますね。息子が見つかったのです」
『え』
20年近く前に、日本で愛する人と結婚の約束をしていたが引き離されてしまった事。
その時、愛する人のお腹には自分の子供がいた事。
相手の家に何度も通ったが会わせて貰えず、挙げ句愛する人はお腹の子供と共に亡くなったと知らされ、葬儀に出る事すら許されず遠くから火葬場の煙を見た事。
せめて骨を、それがどうしても無理なら遺品を貰い受けたいと思い、相手を納得させる為に地位と立場を手に入れる為に必死に働き、大使になった事。
そして。
「今朝未明、大使館に一人の青年が駆け込んできました。
母方の実家で虐待をされているので、アメリカ軍人である父に助けを求めたいと。
20年前、私はアメリカ陸軍所属の一等兵でした。息子は、ボロボロになった私と妻の写真と、私が妻に託したSSN入りのドッグタグを持っていました。
響君。息子は、20歳なんですよ。遺伝的にも、私の息子ならある程度背があって、体格もいい筈じゃないですか。
片手で抱き上げられる位、軽いんですよ。背も、150位しかないんじゃないかと言う位、小柄で。ここの皆に聞いたらどうみても10代前半にしか見えない、と言われました。
風呂に入れたら、全身、何処にも傷が無い所が無い程、傷だらけでしてね。
更に、この子、朝食を用意したジーンになんて言ったと思います?「朝から何か食べていいんですか」と、言ったんですよ。
響君。日本は、先進国じゃなかったんですか。福祉や教育に力を入れている国じゃなかったんですか。一日一食のご飯が残飯で、風呂にも入れず寒空の中洗車場で洗剤で身体を洗い、床で寝るのが当たり前で全身傷だらけの子供が当たり前のようにいる国なんですか!?!?」
最後あたりは涙声になっていたと思う。
我に帰り、洸が起きていないか確かめたが、深く寝入っているらしく起きている様子は無かった。
「取り乱して、すみません。
もう相手が大企業だとか名家だとかそんな事は関係ない、どうでもいい。
きっと私がやろうとしている事は周囲を混乱させ、貴方達にも迷惑をかけるでしょう。ですが」
『協力させてください』
「響君?」
『大臣は私の祖父です。大丈夫、説得出来ます。むしろ今傍で聞いて泣いています』
「え゛」
『申し訳ないとは思いましたが、クラーク様としては有り得ない時間帯のお電話でしたので、最初から録音させて頂き、途中から会話全部をスピーカーにして周囲の皆にも聞いて貰っていました。』
受話器に耳を押し当てると周囲のすすり泣く声が聞こえる。
中には号泣しているのかしゃくりあげる声や鼻をかむ音まで聞こえてきた。
『私にも3歳の息子がいます。もし息子が同じ目にあっていたら、と思うと……とてもじゃありませんが耐えきれません』
「響、君」
『ミスタ・クラーク、水臭いじゃないか。確かに私達は別々の国の人間だ、だがアメリカと我が国日本は同盟国じゃなかったかね?それに、君はアメリカにいた頃から二国間の様々なトラブルに対し尽力し、どちらに対しても利益がある回答を常に導き出してきた。
君は実に理性的で、頼りになる隣人だと私は常日頃から思っているし、歳の離れた大事な友人だとも思っているよ。』
「大臣……」
『なぁに、私もそれなりにコネや伝手がある、力になろう。存分に暴れなさい』
『それでこそお爺様です』
『ふぉっふぉっふぉ』
「ありがとうございます、ありがとうございますっ……!!!」
全ての日本人が悪人じゃない、こんな優しい日本人もいる。
まだこの国で頑張れる、そう思った。
目がさめると、傍でお父さんが寝ていた。
きゅっと握られた手が暖かくて、嬉しい。
「おとう、さん」
小さく呟く。
「お父さん……おとう、さん」
何度も何度も呟き、そっとお父さんの髪を撫でる。
「嬉しい……こんなに早く会えるなんて、思ってなかった。
嬉しい、ありがとう、お父さん。抱きしめてくれて、息子だって言ってくれて、ありがとう。
俺、頑張って働くから、傍にいていいかな?お父さんの傍に、いていいかな?
頑張るから、たくさん、たくさん、頑張るから……そしたらまた、ぎゅって、してくれるかな?お父さん」
そこから言葉を続ける事が出来なかった。
「洸………!!!!」
号泣したお父さんに、潰されるんじゃないかって位ぎゅうぎゅうに抱きしめられたから。
俺はだいたい3日位、眠っていたらしい。
腕に刺された点滴が生々しい。というか点滴なんて初めて経験した。
「今日から、洸は洸・クラークだから。ずっと一緒に暮らすからね」
「いい、の?迷惑じゃ」
「そんな事言ったらお父さんここを水没させる位泣く」
「ありがとう、お父さん」
最初は、会って認知して貰って、アメリカ国籍を貰ったらその後は迷惑をかけないでアメリカで生活するつもりだった。日本国内だと奴らから逃げられないが、アメリカならあの広さだから逃げ続ければどうにかなるだろう、と思って。
「ああ、あと。お父さんちょっと本気になるけど、洸はどうする?」
「え?」
「あの家潰すけど、洸も何かやりたい?」
ああ、なんて理想的な父親なんだろう。
息子の望みをこうもすんなり叶えてくれるなんて。
「お父さん、俺もやりたい。存分に、やってやりたい」
「そうだね、二人で母さんの仇をとろうか」
「うん」
その時、初めて。
俺達は親子になったんだと思う。
その後、たった二週間であの家は没落し、大企業だった筈の会社は株価が暴落し倒産した。
流石に「駐日アメリカ大使の息子を虐待し衰弱死寸前まで追い詰めた」相手は日本としてもかばえなかったらしい。
相手の反論を封じ込める為、あと世間の同情をかき集める為、俺もお父さんと一緒にマスコミの取材を何度も何度も受けた。上半身だけだけど傷跡まで晒した。もちろん優衣様達まで悪者にならないよう、唯一彼らだけは自分を助けようと必死に頑張ってくれたと何度もアピールした。
きっと彼らは、俺に対して怒っているだろう。自分達の立場をめちゃくちゃにしたんだから。
『洸さん』
あの一族の中で、唯一俺に手を差し伸べ助けようとしてくれた優衣様。
貴女の全てを滅茶苦茶にした俺だけど、どうかその幸せを祈る事だけは赦して欲しいと思う。
「洸、行こうか」
「うん」
今回の混乱の責任を取って大使を辞任する為、父さんが本国に帰るのでそれにくっついて俺もアメリカに行く事になった。俺の所為でごめん、と言ったら「むしろ面倒な仕事から解放されるのは嬉しい」と言って笑ってくれた。
でも部下の皆さんが言うには、父さんは現アメリカ大統領の懐刀みたいなもんだから、すぐ別のポストを押し付けられると思う、と言ってた。父さんは「しばらく息子と遊んで暮らす」と言ってたけど、どうなるんだろうか。
チャーター機のタラップを昇り、一番上まで来た時。
「洸さん!!!」
声が聞こえた。
振り返ると、周囲に制止されつつも俺を見ている、優衣様がいた。
「優衣、様」
「洸さん、ごめんなさい!何も出来なくて、ごめんなさいっ」
そんな事は無い。
貴女はいつだって、俺の光だった。
「優衣様、ありがとうございました。貴女の全てを滅茶苦茶にした俺が、こんな事を言ってはいけないのかもしれませんが」
どうか、幸せに。
それだけを伝え、飛行機に乗り込む。
「いいのか、洸?彼女の事が、好きだったんじゃないのか?」
「いいんだ、父さん。……これでいいんだ」
飛び立つ飛行機の窓から、全身で俺に対し手を振る彼女を、ずっと見ていた。
確かに、俺は彼女が好きだ。だけど、俺は彼女の家を潰し、彼女の父を路頭に迷わせた張本人だ。
もしこの想いを伝えたとしても、そして万が一想いあえたとしても、きっとその事実や昔の全てが互いを苦しめ痛めつけ続ける。
決して叶わない想いだと知っている。
幸せでいてくれたら、それで十分だ。
だからどうか、俺の事はもう放っておいて欲しい。
貴女が幸せでいてくれるなら、それが俺の幸せだ。