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ツキビト  作者: 小島もりたか
8/9

導師

――誰?


 彼女はただならぬ気配に全身を粟立たせた。


――どんなに冷えた清水での沐浴でも反応しなくなっていたのに……。


 彼女は粟立った膚を丁寧に撫でて治める。


 視覚に頼る者なら気がつかない存在も、彼女には関係がない。今はまだ離れた場所にいるが、その気配は確実に彼女のいる土地に向かって近付いてきていた。


――なんて高潔な魂なのでしょう……。


 彼女はその気配――魂に強く惹かれた。これ程まで美しい魂には今まで出逢ったことがない。

 その魂に意識を傾けるだけで、穏やかな海に優しく抱かれている感覚に陥る。彼女は海には一度も触れたことがなかったが、この時はっきりと海というものに触れた気がした。


 ゆっくりと、しかししっかりと、その魂を持つものは近付いてくる。近付いてくる度に、彼女の心の瞳に映る光が大きくなっていく。彼女はその光の色が碧ということを知らない。


――あぁ、なんて、なんて美しいのでしょう……。


 しかしその光がどこか歪んでいることに気が付いた。


――悲しみと困惑……。


 彼女は頭上高くに昇る地球にそっと祈りを捧げる。


「私で導くことができるといいのですが……」


 呟く声は彼女が沐浴をしている清水のように透き通っていた。



******



 アストラルはあの白い光を浴びてから、誰にも気が付かれずササエルの街を抜け出ることができた。


 不思議なことに誰もアストラルに視線を向けない。それどころか、存在を認識されていないのか、通りすぎる人に何度もぶつかられそうになった。その度に悪態もついてみたが、謝罪どころか視線を向けられもしない。


『俺の身体どうなったの?』

『お前の身体はササエルにあるな』

『なんで?』

『気を遣ってもらえたんだよ』

『誰に?』

『教えない』

『身体がササエルにあるとしたら、今の俺はなんなんだ?』

『それも考えろ』


 アストラルは歩みを止めた。今までは一本しかなかった道が三本に分岐していたのだ。


『森に帰るにはどっちに行ったらいいの?』


 ピクが顔を上げる。アストラルを見上げた瞳には憂いが浮かんでいた。


『森には帰れない』

『なんで?』


 ピクの言葉に悲しみが広がる。自由の身になっている今でも森に帰ることができないのだろうか?


『もう森には母さん達はいない。帰っても意味がないだろ』

『なんでいないの?』


 今度は、ピクはあきれた顔をした。


『アストラル、もう少し自分で考えろ。自分で見つけないといけない答えはいくらでもあるんだ。その時にどうにもできなくなる』


 アストラルはピクの言葉に少なからず肩を落とす。


――自分で考えても分からないから訊いているんじゃないか……。


 そんな甘えたことを考えていたが、ふと違和感を覚えた。しかし普段と何か違うが分からない。暫く考えてから、いつもならこんな時、心の声に怒られていることを思い出した。


――おーい。


 心に声をかけるが何も返ってこない。その事実に気が付いたとき、心にすきま風が吹いた気がした。

 どうしようかと焦るが、心の声については誰にも話たことがないので、ピクにこの焦りを共有することもできない。


「どうした?」


 ケイオスが面白そうに笑みながらアストラルに問いかける。


「いや、何でもないっ」


 立ち止まったケイオスは、困ったように手を上げる。


「それでアストラル。お前はどこに向かうつもりなんだ?」

「本当は森に帰りたいけど……」

「アストラルが暮らしてた森のことか? それならたぶん無理だな」

「なんで?」

「お前はなんで森に帰りたいんだ?」


 アストラルは首を捻る。何故かと言われるとすぐに答が出せない。ただ、森が恋しいからという答もあるにはあったが、それではケイオスの問の回答には足りない気がした。


「えーっと……、皆が居るところに戻りたいから?」


 一生懸命出した答に、ケイオスは直ぐに問を被せる。


「皆は誰?」

「母さんや、爺さん、森の仲間達」

「なら森に行っても意味がない」

「それ、さっきピクにも言われた。なんで皆森にいないの?」


 ピクとケイオスが視線を交える。ケイオスは苦笑いした。


「森から逃げたからさ。森はもう人間が入り込んでしまった、見つかると危ない、だから森から逃げた。単純な話だ」

「そうなんだ……」


 アストラルは大きく肩を落とす。


「なら皆どこへ行ったんだろう?」

「さあ? それは君の相棒の方がよく知ってるだろ。訊いてみろよ」


『皆どこへ行ったの?』

『今は知らなくていい。それより、お前はしなければいけないことがある』

『それをしたら、教えてくれる?』

『教えなくても会える』

『本当?!』


 アストラルは瞳を輝かせる。一気に胸のなかが温かくなった。

 喜びのあまりケイオスに報告した。


「俺が何かしたら、そのうち森の皆に会えるって!」

「へぇ、じゃあそれはなんだい?」


 すぐさまピクに訊くと、ピクはアストラルを仲介することが面倒くさくなったのか、念話に切り替えた。これは助かるとケイオスが呟く。


《人を捜すんだ。アストラルが信用できる人間を》

「カールネルじゃダメなの?」

《あいつじゃダメだ。本当に必要なのは『導師』の替わりになれる能力がある者だ》

「『導師』なんて言葉初めて聞いたけど、何をする人なんだい?」

《導師は人間の使徒のことだ。正確には、月を旅立つ為の大きな役割を当てられた使徒、だけどな》


 ピクは座り込んで耳の裏を掻く。そして痛ましそうな視線をアストラルに向けた。


《一人はアストラル、お前だ》

「俺? 使徒の棟のときも似たような話をしてたよね?」

《そうだ。あの時言っていたことを、ちゃんとお前に話そう》


 そう言って、ピクは二人に道端に座るように促した。程よい切り株があったので二人はそこにそれぞれ座り、ピクは二等辺三角形の頂点になるように座った。


《導師は三人存在しなければならない。『造る者』、『統一する者』、『運ぶ者』。この三人が存在してやっと俺たち月に住まう者は地球に還ることができる。そしてその三人とは、人間の使徒を指していた》

「それぞれどんな役目があるんだい?」

《『造る者』は、月に住まう者を全て運ぶための船を造る。

 『統一する者』は、主に人間の意思を統一する。地球に還るという意思だな。

 最後の『運ぶ者』は、地球に必要なものを運ぶ。もちろん、月に住まう者もだ》

「――俺はそのうちの『運ぶ者』?」


 アストラルの問い掛けにピクが神妙に頷く。


《生き残った導師が『運ぶ者』のお前で助かった》

「なんで?」

《今後、お前以上に超能力が強い者が生まれる予定がないからだ》

「俺ってそんなに力が強かったの?」


 自分的には普通だと思っていたことに、アストラルは少なからず驚いた。


《月で最も力が強い使徒の女と、使徒の次に力が強い男との子だからな》

「お母さん……」


 絵の中で微笑んでいた女性を思い出す。瞳にどこか翳りを含んだ女性。胸の中にすっと同じ翳りが射した気がした。


「聞いた感じだと、ベクトル様が『造る者』、ハミルトニアン様が『統一する者』という印象だけど間違いないかな?」

《正解だ》


 首を捻るアストラルにピクが説明を付け足す。


《ベクトルはお前の祖母、ハミルトニアンはお前の母親にあたる》

「ハミルトニアン様がベクトル様を弑して、自らも命を絶ってしまったから、導師が二人失われた。導師が二人損なわれたままでは地球に帰れない。だから代役を捜すってことだな?」

《その認識で問題ない》

「人間じゃないといけないのか? 使徒の方で探した方がいいんじゃないか?」

《一番重要な種族である人間の意思を統一するには、同族である人間の方が適役だ。船については、頭がよくて手が器用な種族が人間だからな》


 なるほど、とケイオスが頷く。


《代役といっても、使徒でない者は完全に導師としての役目を果たすことはできない。ただの人間に地球ガイアと意思の疎通はできないからな。だからアストラルにはかなりの負担が強いられる……。本当に俺たち使徒の大きな役割を失態だ》

「ガイアとやりとりするだけなら、アストラル以外の使徒でもいいんじゃないか?」

《それはもちろんできるが、俺たちにもどうしても手助けできない部分はかなりあると思う》

「それもそうだな……」


 ピクはアストラルに振り向いた。


《アストラル、お前は今どこに向かいたい。恐らくお前の本能が求める先に、導師に近い者がいる》


――向かいたい方……。


 アストラルは三ツ又に別れた道の真ん中に立ち、それぞれの先を見据える。

 正直、導師の代わりになる者を捜さなければいけないという実感はわかなかったが、抽象的とはいえやるべきことを言ってもらえれば行動に移しやすかった。


「――あっち」


 アストラルは右側の道を指差した。遠くに小さく街が見える。そちらの方からなんとなくフワフワした気配が漂ってきている気がしたので興味が引かれた。


「へぇ」


 ケイオスが面白そうに笑む。


「何か知ってるの?」

「噂を聞いただけだ」

「何があるの?」

「行けばわかるさ」


 意味深なケイオスの言葉にピクが小さく鼻を鳴らした。

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