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ツキビト  作者: 小島もりたか
7/9

白光

 アストラルにとって、神殿の生活は窮屈なものでしかなかった。


 朝は太陽が上がる前から起こされ、禊だと冷や水を浴びせられる。それが終わると礼拝の時間だと、小一時間ほど祭壇の上に座らされてアストラルを拝みに来る人を眺めなければいけない。次は昼まで月についての勉強をさせられ、昼食が終わるとまた礼拝の時間、それが終わるとまた勉強――。

 アストラルは日に日に森で遊び回っていた日々が恋しくなっていく。


 それでも耐えられたのは、常に傍らにピクがいてくれたからだった。


 そして、もう一つの理由は――。


「アストラル、今日一日はどうでしたか?」

「やっぱり勉強ばかりで退屈だったよ、カールネル」

「勉強も大切なことですよ」

「分かってるけど……」


 アストラルは拗ねたような顔をしてから、急にはにかんだ。カールネルもつられて笑む。


 カールネル一人では食べきれないであろう料理がずらりと並んだ食卓で、二人は今日の出来事を報告し合う。

 アストラルはこの窮屈な生活で、唯一この時間が楽しみだった。カールネルと話す内容はとても退屈なものではあったが、アストラルにとってカールネルが自分を一人の少年として認めて接してくれることが心底嬉しかったからだ。ここに来てから、そんな人間はもういないのかと思っていたが、ただ一人、カールネルだけは違ったのだ。


 ピクは夕食の清水を音もなく飲みながら二人のやり取りを静かに見つめる。


「やっぱり俺には地球ガイヤの声なんて聞こえないよ」

「いえ、そんなはずはありません。今まで神子みことして生まれてきたものは須らく聞こえています」

「じゃあ俺が初めての例外かも。っていうか、そもそも神子じゃないのかも」

「そんなこと言ってはいけません。自分自身に失礼です」

「カールネルはどんな風に聞こえるか知っているの?」

「それは……知りませんね」


 カールネルは元々細い眼を更に細めて言った。アストラルは頭を掻く。皆に口々にアストラルは神子だと言われはするが、神子の証拠の一つである地球ガイアの声は聞こえたことがなかった。アストラル的には聞こえなくても別にかまいはしないのだが、神殿的にはそうはいかない。神殿を統括しているカールネルの迷惑にはなりたくなかった。


「ピク殿には何かお聴きしてませんか?」

「それが『自分で気づけ』って教えてくれないんだ」

「それはそれは……意地悪ですね」

「だろ?」


 アストラルがピクを睨むと、ピクは我関せずと視線を逸らした。カールネルは豚の肉を薄く切って燻製させたものを丸呑みにする。相変わらず良い食いっぷりだとアストラルは感心する。どうやらカールネルは偉い立場のせいかよく食べる。そしてあまり動かないせいか余分な脂肪がよくついている。


――森なら一晩で肉食動物の餌になるな。

――よくしてくれる人にそれはないんじゃない?

――いや、そうだろ。

――まぁ……そうだとは思うけど……。


「しかし『気づけ』ということは、もう既に聞こえているのかもしれませんね」

「そうかなぁ……?」


 アストラルは床に下りてピクの傍らに座りなおしす。


「焦らず、じっくり行きましょう。必ずしも地球に還る必要もないのですから……」


 そう言って微笑むカールネルを睨むように見上げるピクに、アストラルは気がつかなかった。




 ある日、アストラルは朝の礼拝を終えてから、急に散歩に行きたくなった。なにせこちらに連れてこられてから、一度も神殿の外から出して貰えていない。勉強で教わっている神殿の外にある『街』というものへの興味も出てきた。一度ぐらい脱走して街を徘徊してみたい、とリード達から逃げる術を考えていると、降って湧いたようにその機会は訪れた。


「やあ」


 御輿に乗せられ運搬されていると、急に御輿のしたから声を掛けられた。振り向くと男性がアストラルに手を上げている。薄茶色のウェーブがかかった髪を長く伸ばし、後ろで一つに結んでいる。髪より少し濃い茶色をした瞳は不思議とアストラルの好奇心をかき立てた。ここにいる人々は大抵、黒い髪に黒い瞳をしている。しかしながら、堀が深く、長い下睫毛はどことなく胡散臭い雰囲気を醸し出している。


――この人……。


「ケイオス様、何故こちらに?」

「やあレッド、久しぶり。ちょっと神子様に用があってね」

「いくらカールネル様の甥子様でも、カールネル様のご許可なしでは伺いかねます」

「いやいや、俺は神子様ご本人に良いか悪いか訊くから」

「しかし――!」


 戸惑う双子達を無視して、ケイオスと呼ばれた男はアストラルに不敵に笑んだ。


「今から僕とちょっと脱走しない?」

「――!」


 アストラルは返事をしないまま、御輿からケイオスの元に軽々と降り立った。ピクも続く。


「さあ、こっち!」

「神子様――!!」

「誰か!」


 ケイオスから伸ばされた手をとると、双子達の姿があっという間に消えた。数秒後にはどこか建物の外にいた。白い煉瓦で造られた建物が両脇にある。建物についた窓から湯気と肉の臭いと焼ける音がした。


「ここは――?」


 戸惑うアストラルにケイオスは右の口角だけ上げて笑った。そして、素早くアストラルの頭に布を巻きつけてから、アストラルに色のついた眼鏡をかけさせた。度が入っていない。ただの薄い墨汁が滲みこんだ様な硝子が入っただけの眼鏡。


「これで変装も準備完了。お連れの使徒様は姿でも消しといてくれ、目立つからな」


 ケイオスが言うと、無事についてきていたピクは大人しく姿を消した。


「さて、ここはどこかと言うと、ササエルという街だな」

「街――」


 アストラルはその単語に目を輝かせる。現在いる道はとても細い場所だが、向こうに見える開けた場所には、多くの人が見えた。


「さあ、たぶん時間は全然ないから、さっさと探検してしまおう」


 そう言って、ケイオスはアストラルの腕を引っ張って歩き始めた。


 自分を崇めようとしない人間を見るのは、アストラルにとってとても新鮮だった。多くの人が忙しそうに、時に楽しそうにアストラルの前後を歩いていく。ケイオスが露店で食べ物を買ってくれたが、残念ながらアストラルには食べることができなかった。その辺にあった樽に座ったケイオスが謝る。


「すまん、すまん。そう言えば食べ物は食べられないんだったな」


 ケイオスは買った二人分の焼き鳥を美味そうに食べる。カールネルが美味しいと言う表情とはまた違った表情だ。ケイオスの表情は彼がその食べ物を心底美味しいと思っているのが伝わる。


「それってそんなに美味しいの?」

「あぁ、美味いな。こんな美味い物を食べられないなんて、神子は本当に損してると思うよ」


 そう言われてしまっては、なんとなく悔しい。アストラルは思わず、


「じゃあ、一口……」


 と呟いたが、逆にケイオスに怒られた。


「馬鹿、これ食ってお前が体調崩したら、俺とあの露店のおっちゃんが殺されるだろ! 俺、あそこお気に入りなんだからな!」

「なんなんだよ……。っていうか、いきなり現れて、誰なんだよ、あんた……?」

「あ、俺? 俺はかの有名な司祭、カールネル・イーザー甥のケイオス・ニケーアだ」

「あんたって、もしかして超能力者?」


 ケイオスはにんまりと笑み、頬についた肉汁をハンカチで拭った。


「まあさっきの見れば分かるよな。普通の人間じゃあんな芸当できないだろ?」

「なんで俺を連れ出したの?」

「そりゃあ、もう、悪いことするためさ」


 いけしゃあしゃあと言うケイオスに向かって、アストラルは戦闘体勢に入る。


「冗談、冗談。そんなマジな顔すんなって。本気で悪いことするつもりなら、もっと上手いことやる」

「――じゃあ、何のために俺を?」

「窮屈だろ、あそこ」


 ぽんと軽く投げ出す様に言われて、アストラルは呆気にとられた。隣で寄り添っているピクは警戒態勢に入っていない。どうやら本気でそう言っているのだろうと、アストラルはそう理解した。


「だから気分転換がてら、誘拐してみようかなって」

「それ、あんたに何の得があるの?」

「俺? そうだな……天下の神子様と戯れられる」


 『神子様』という言葉がアストラルの勘に触る。アストラルは思わずつっけんどんに、こう言ってしまった。


「俺の名前はアストラルだ」

「そうか、アストラルって言うんだな――。俺の所には名前までは伝わってこないんだ」


 拍子抜けな反応に、アストラルは肩の力が抜けた。隣でピクが笑った気がした。


「あ、一つ忠告。俺の伯父、カールネルは気を付けろよ。俺が小悪党に見えてくるぐらい、悪い」

「カールネルは良いやつだ。何を言ってるんだ」

「ほれみろ、それがあのおっさんの策略だよ」

地球ガイアの声も聞こえない俺によくしてくれてるのに?」

「へえ、まだ分からないんだ。でもそれとこれとは関係ない。お前は神子だ。だからあのおっさんはお前に媚を売る」

「媚なんて売られてない!」


 アストラルは心底腹が立っていた。熱い塊がドロドロと腹の内で動き回る。あの神殿で唯一自分を少年として接してくれる心優しい男性を、そういう一言で表現されたくなかった。


「それはお前がそう思っていないからだ」

「違う、カールネルは良いやつだ!」


 激昂するアストラルにも、ケイオスは全く動じない。寧ろ余裕の笑みを浮かべてアストラルに告げた。


「まあ、お前がそう思うんなら別に俺は止めはしないさ。――さあ、もう迎えが来てしまった。帰る時間だ」


 ケイオスが見た方向を振り返ると、血相を変えたリード達の姿が見えた。街の人々がリード達の姿を見るなり顔色を変えて退いていく。辺りが急に騒がしくなった。


「――なんでここが……?」

「その首飾り。神子の場所が分かるからな」

「え……?」

「しかも、たぶんもう二度と外せない」

「は……?」

「神子様!」


 アストラルは必死に首飾りを外そうとしたが、ケイオスに言われた通り本当に外すことができなかった。外そうとすると、身体がそれを拒否するように言うことをきかなくなる。


「なんなんだ!」

「もしや、あのお子が神子様では……?」

「神子様はお小さいと聞いている」

「髪も瞳も隠していらっしゃる、間違いない!」

「神子様!」

「我々に神の御言葉を!」


 気が付くと先ほどまで自分とは関係なく過ごしていた人々がアストラルの周りに集まっている。アストラルを崇め跪く者、アストラルに話しかけようとしてリード達に遮られている者――その場にいた者全てがアストラルに注目していた。

 アストラルは反射的にケイオスの傍に逃げる。アストラルに触れようと手を伸ばす者が怖かった。


――狂ってる。

――いいえ、彼らは欲しているの。

――何を?

――希望を……。

――俺だって希望が欲しい、母さんの元に帰りたい!


 誰かの腕がアストラルの頭に当たる。頭の布が取れ、艶やかな碧の髪が姿を現した。瞬時に人々の目の色が変わったのがアストラルには分かった。


「神子様!」

「神子様万歳!」


 狂った様に唱和する人々を否定するように、アストラルは首を横に振る。


「俺だって、ただの人間なのになんで……?」


 その声は唱和する者の誰にも届かない。ケイオスが痛々しそうにアストラルを見た。


「神子様!」


――嫌だ。


「我々を神の御元にお導きください!」


――違う……!


「神子様こそ、我々の光!」


――止めてくれ!


「神子様万歳!!」


「――俺を神子と呼ばないでくれ!!」


 アストラルが叫んだのと同時に、空からアストラルに白い光が降り注いだ。それが地球から降り注がれた光だと、その場ですぐに認識できたのは恐らくケイオスとピクだけだっただろう。


 ルキノに抱かれたかのような温かく、優しい光の中、アストラルは悲しい顔をした『自分』と対峙していた。今のアストラルと全く同じ格好をした彼は、アストラルの顔を両手で包むと悲しく笑んだ。彼はアストラルの心の声と同じ声で語りかける。


――あまり長くはもたない。


 何が? と言いかけて、自分の首に神子の証がないことに気が付いた。


――なるべく早く帰ってきて。


 彼がアストラルの背中を押すと同時に光の世界はなくなっていた。力の流れに従うまま、アストラルは数歩前に進む。それから、違和感に気が付いた。


――誰にも気がつかれていない……?


 後ろを振り返ると、『自分』が民衆を宥めていた。目が合うと行けとばかりに小さく手を振られた。


――俺? どういうことだ?


 困惑していると、足元にこそばゆい感覚があった。ピクだ。


『今のうちだ、行くぞ』

『どういうこと?』

『最後の自由の時間が貰えたんだ』


 アストラルはピクに服の袖を引っ張られるまま走り出した。


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