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ツキビト  作者: 小島もりたか
6/9

絵画

 ピクは言葉もなく神殿のなかをずいずい進んでいく。まるで神殿の中を知っているみたいだ、とアストラルは思った。後ろからリードとロウトが付いてきているのは知っていたが、アストラルもピクも特に気にはしなかった。


 やがて人ほどの大きさの絵画が幾つも掛かった廊下に辿り着いた。絵画は一目で見渡しきれ量がずらりと並んでいる。

 見える範囲にある物だけ見ると、どうやら一枚につき一人の人物画のようだ。男女関係なく描かれてはいるが、一つ特徴があった。


『皆、碧い……』

『お前の先祖だ』


 ピクが言った。


『僕の――?』

『一番左の男が始まりの使徒、グラマーだ』

『始まりの使徒……』


 短い髪を碧く染めた彫りが深い男性は、静けさの中に強い意思を醸し出している。アストラルは彼の顔を見て、ごくりと唾を呑み込んだ。

 ピクは先を歩き始める。アストラルも後に続いた。


『こいつらは全員、お前が生まれる前の導師――人間でいう神子みこだ』


 アストラルは言葉もなく先代の神子達を見上げていく。数が多すぎて端から端まで確認するのにもにも移動しなければいけない。

 絵画に描かれた人物の凛々しい顔立ちは使命感を醸し出している。

 またアストラルは彼らのもう一つの共通点に気がついた。皆一様に青と白と緑と黄土色がマーブルになった、丸い石のようなものを首からぶら下げている。


 アストラルは知らない。それが地球の姿を模していることを――。


――綺麗だ。


 アストラルはその石のようなものを見て、素直にそう思った。


――人間はそれを神子の証というわ。


 そう説明してくれた心の声はどこか嬉しそうだった。


――なんで?

――人間の使徒以外つけられないから。

――なんでつけられないの?

――そういう物だから。


 他に説明はしてくれなかった。


 アストラルはやっと右端まで辿り着く。絵画は合計で三十四枚あった。


 右端から二番目の絵画が気になった。描かれていた短髪の女性の表情は酷く頑なで、アストラルには彼女が何かの職人をしているように思えた。その顔付きが誰かに似ている。


――そうだ、爺さんに似ているんだ。


 爺さんは火薬職人をしていた。だからなんとなく、職人繋がりで似ているように感じるのかもしれない。

 そうして、アストラルは昨日のことを思い出す。


――爺さんと母さんは無事なのだろうか。


 自分のことばかりで、すっかり二人の心配をすることを忘れてしまっていた。


――どうか、無事で……。


 アストラルは爺さんに似た女性を見上げながら、そう祈った。



 一番右端の絵画には一人の女性が描かれていた。額縁などから確認すると、この絵が一番新しいらしい。絵画の女性は美しく微笑んではいたが、アストラルには彼女の瞳の奥が澱んでいるように見えた。


 ピクは言う。


『これがお前の本当の母親だ』

『本当の母親? この人が?』

『そうだ』


 アストラルな何度も目を瞬かせる。不思議な気持ちだった。母親なんてルキノがいればいいと思っていたのに、実際に母親だと言われた人の顔を見ると、こんなにもその人が恋しくなってくる。


『この人もここにいるの?』


 会ってみたいと思った。何故自分はルキノ達に育てられたのか、本人に訊いてみたいと思った。本当は、ただ「いらないから」と捨てられただけなのかもしれない、嫌われていたのかもしれない、それでも彼女に直接訊いてみたいと思った。


 しかし、ピクは淡々と首を横に振った。


『いない』

『なんで?』

『約二年前に死んだ』

『死んだって――』


 アストラルは言葉を失った。


 予想外の答えではあったが、先程ピクが使徒達に激怒した理由が垣間見えた気がした。


『……なんで死んだの?』

『自殺だ。正確には、心中だな。隣の絵の女性――アストラルの祖母を殺して一緒に死んだ』

『――っ』


 今度こそアストラルは何も言えなくなった。腰の力が抜け、その場でへたりこんでしまう。見守っていたリード達が駆け寄って来たが、アストラルは母親の絵画を見上げたまま何も反応を示さない。


「神子様、どうなされましたか?!」

「……」

「神子様!」


 リードに恐る恐る肩を揺すられて、アストラルはやっと我に還った。


「……俺のお母さんは死んだの?」


 アストラルの言葉に、リード達は瞬時に顔を青くした。そして痛わしげな表情でアストラルに言った。


「はい、お亡くなりになられました……」

「なんで自殺しちゃったの?」

「……心をお病みになられたのだと、お聞きしております」

「何の病気だったの?」

「それは……」


 リードは言葉を探すように俯く。リードの代わりにピクが告げた。


『鬱だ』

『鬱?』


 アストラルは初めて聞く単語に目を白黒させる。


『そういう病気の名前だ。お前が訊いた答えだよ』

『それはどんな病気なの? なんで鬱になったの?』

『俺からは言わない。多少は自分で考えろ』






 ピクに連れられ羽毛の布団があった部屋に戻り一息つくと、アストラルはリード達に使徒の棟でのことを改めて訊かれた。しかしピク達の話に着いていけなかったために、何故ピクが激怒したのか、その理由を伝えることができない。ピクに訊いても、ピクは理由を教えてくれなかった。


「神子様、もう少し、そちらの使徒様にお伺いできませんか?」

「ダメだよ、こんな時のピクは何も教えてくれない」

「神子様は今まで棟の使徒様達に関わりはなかったのですか?」

「なかったよ。その前に、リードとロウト」


 アストラルはリードを睨む。ずっと気になっていたことがあった。


「俺の名前はアストラルだ。『神子』じゃない。それにあっちのはピク。『使徒様』じゃない」

「しかし、神子様は神子様、使徒様は使徒様です……」


 ロウトは困惑したように言う。


「神子様と使徒様のお名前をお呼びするなど、恐れ多くて我々にはできかねます」


 そうして二人は逃げるように部屋を出ていった。


『なんなんだ?』


 名前を呼んで貰えないことに対して、アストラルは怒りと共に寂しさを覚える。ピクは淡々と告げる。


『人間にとって使徒は崇拝の対象だからな。特にアストラルみたいな人間の使徒――神子は、人間にとっては神に等しい』

『なんで? 僕はただの人間なのに』

『お前にとってはそうかもしれないが、他の人間にとってはそうじゃない。お前は人間に地球ガイアの意思を伝えられるからな』

『ガイアって誰?』

地球ガイア地球ちきゅうだ』

地球ちきゅうって、あの地球ちきゅう? 地球ちきゅうにも意思があるの?』

『ある。でなければ、地球ちきゅうに隕石がぶつかった日、俺たちの種は全て滅んでいた。地球ガイアが俺たちの種を月に棲めるよう取り計らったから、俺たちの種は今に至るまで続いている』


 新たな知識ばかりで、アストラルは自分の脳が沸騰してしまいそうな錯覚に陥る。そんなアストラルを気遣って、ピクはアストラルの頬を舐めた。アストラルは自分が気が付かない間に涙を流していた。


『まだ猶予は十分にある。ゆっくり理解していけばいい』


 アストラルはゆっくりと頷く。


『……誰も俺を名前で呼んでくれないのかなぁ』


 呟いた途端、それが途方もなく悲しいことであることに気がつき、涙がさらに溢れた。


 アストラルは、他の人間とこんなにも強い隔たりがあるなんて知りもしなかった。今まで一緒に暮らしていた爺さんは、そんな様子を微塵も見せなかった。森で共に暮らした動物達――改めて意識すると、彼等のほとんどは碧かった――も、アストラルを必ず一人の人間として接してくれていた。


――俺だって人間なのに……。もう誰も、俺を一人の人間として扱ってくれないのだろうか?

――そんなこと、ないわ……。


 答える心の声も、涙色をしている。

 ポロポロと涙が溢れ出て止まらない。


『俺がいる』


 ピクがはっきりとした声音で言った。アストラルはピクに抱き付く。硬い毛の中に柔らかい毛が隠れた温かい身体。その身体に顔を埋めながらアストラルは頷いた。


『俺が傍にいてやるから、悲しむな、アストラル』

『ずっと?』

『俺が死ぬときまでだな』


 正確に答えようとするピクにアストラルは微笑む。怖くて、強くて、とても優しい自分の兄に。


『それを、ずっとって言うんだよ――』




 ピクが使徒の棟でしでかしたことは、人間にとっては大事件だったらしい。暫くの間、外慌ただしく動き回る人の気配がし続けた。


 夕暮れに差し掛かった頃、部屋にカールネルがやって来た。カールネルは外の事件を臭わせない態度でアストラルに微笑む。


「神子様、儀式の準備を行います」

「儀式って何の儀式?」

「神子の証の継承式です」


――あの絵画の首飾りのことか。


 カールネルが合図をすると、廊下から何人もの女性が入ってきてアストラルの身だしなみを整え始めた。アストラルも始めは逃げようとしたが、カールネルに諭されてなんとか我慢した。


 紺色の生地を基調とした服に着替えさせられ、金色の装飾具も幾つか着けさせられた。


「さぁ、参りましょう」と乗せられた御輿を、変わらず双子達が運ぶ。

 見覚えのある廊下を進み、辿り着いたのはやはり見覚えのある祭壇だった。アストラルが最初に目を覚ました場所。その舞台のような場所に下ろされる。下には目覚めた時以上の数の人間が、キラキラとした目でアストラルを見上げていた。着せられた服の下で身体中の皮膚が泡立っているのをアストラルは感じた。


――怖い。


 アストラルが祭壇の端で棒立ちになっている間に、カールネルは祭壇の真ん中に歩み出た。そして厳かな声音で告げる。


「只今より、神子の証の継承式を行います」


 祭壇の下にいた人々が一斉に地に頭をついた。向こう側にある出口まで綺麗に見渡せるようになる。千人近い人間が、広い空間でぎゅうぎゅう詰めになりながらも一斉に同じ行動をする光景は、より一層アストラルに恐怖心を植え付けた。


――皆、なんで俺をそこまで拝む?


 ピクに説明されはしたが、アストラルにはやはり納得ができない。自分への崇拝が熱心であればあるほど、強くそう思った。

 アストラルを拝む人々の切羽詰まった、切実な思いが彼らの背から滲み出ている。


――俺は、ただの人間なのに……。皆、俺にそこまで何を祈るんだ?


「神子様、こちらへ」


 アストラルはカールネルに導かれるまま、祭壇の真ん中に立つ。カールネルが絵画に描かれていた首飾りを両手で持ち、誰も観客は二人を見てはいないのに、丁寧にアストラルにお辞儀をすると跪いた。美しい石がカールネルの腕の間でゆったりと揺れる。


「神子様に、神からのより一層の祝福を……」


 人々の頭がより一層伏せられた。神子の証がアストラルの首に掛けられる。カールネルの手の中で重そうにたゆんでいた石は、首に掛けてみると意外なほど軽い。


 儀式と呼ばれたものはたったのそれだけだった。


 顔を上げた人々が、歓喜の表情で激しく手を叩く。


――首飾りを掛けるだけなのに、なんて大袈裟なんだ。


 祭壇から退場してから、アストラルが溜め息を大きく吐くと、ピクが告げた。


『これでお前の徒人ただびととしての生活は終わった』


 予想外の発言にアストラルは勢いよくピクに振り向く。


『それは、どういうこと?』

『その首飾りは人間の使徒だけに着けられる特別なものだ』

『それは聞いてる』

『それを着ける者は、地球ガイアからの多大な恩恵をその身に受ける変わりに、月に棲む生物を導かなければならない――まぁ、正確には逆だけどな』

『俺、恩恵なんて受けてないよ?』

『それはお前が認識していないだけだ。お前が望もうが、望むまいが、地球ガイアはお前を慈しむ。だからアストラル、お前は地球ガイアの望みを叶えてやらなければいけない』

『なんかそれって、かなり自分勝手な話だ』


 勝手に親切にしてきて、だから望みを叶えろなんて、なんて不条理なのだろうか、とアストラルは不満を顕にする。そんなアストラルを見てピクは苦笑いした。


『そうかもな。だけど地球ガイアの願いは全ての種のためのものだ。だから、お前は叶えてやらないといけない。でなければ、お前もろとも全ての種は滅亡する』

『なんだか、話がとても壮大だね』


 アストラルは乾いた笑い声を上げる。そうすれば他人事の様に思えると思った。しかし、そんなアストラルにピクは真面目に言った。


『そうかもな。でも、だからこそ、人間はお前をああやって崇めるんだ。残念なことに、な』

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