食卓
アストラルとピクが立ち上がると、後ろに静かに御輿を担いだ男達がやってきた。アストラルは御輿を知らなかった。首を傾げ、じっと見つめる。
男が四人がかりで肩に担いだ二本の棒の真ん中には大きくて豪華に飾り付けられた板と、その上にそれまた豪華な椅子が乗っていた。
青と金を基調とした装飾のそれに、なんとなく嫌悪感を覚える。
御輿の前でいつまでも呆けているアストラルに、男は笑いかける。
「ご着席下さい。移動致します」
男の言葉に背後から次々と悲鳴が上がる。
「もう下がられてしまうのですか?!」
「我々にもっとお姿をお見せください!」
「祈りの時間を!」
「どうかお言葉を下さい!」
アストラルは人々のすがるような声が恐ろしかった。
本当は変な椅子に座るのなんて真っ平御免だったが、何せ出口が分からない。それに下手に駆け出すと、追い掛けられそうな気がした。
アストラルは仕方なく仰々しい御輿に腰を下ろす。続いてピクも御輿の上に乗った。ゆらゆらとした感覚が不快で、あまり長居したくないと思った。
祭壇は舞台のようになっており、両端と奥には恐らく薄い水色の布が幻想的に掛けられていた。御輿を担いだ男達はなんの迷いもなく布をすり抜けて、その奥に隠された扉を潜り抜ける。
潜り抜けた先には、淡い水色で塗り尽くされた大きな廊下があった。こちらの天井はステンドグラスではなく、壁と同じ材質のものに見えたが、青で占められているには変わりなかった。
壁にはいかにも豪華な絵画や、ランプが取り付けられ、これまたいかにも高価そうな飾り棚にはいかにも高価そうな食器類が飾り立てられていた。
「ここはどこ?」
同じ質問に、男は淡く微笑みながら答える。
「ここは神子様の神殿でございます」
「おじさんだれ?」
「私はこの神殿の司祭のカールネル・イーザーと申します」
「シンデンってなに? シサイってなに?」
アストラルは酷く困惑していた。何せ『ここ』の状況が全く分からないのである。しかも、ここは自分のモノだという。意味が分からなかった。
「神殿とは神子様をお祀りする場所、司祭とは神子様をお守りする者、と認識して頂ければ問題ありません」
どこかの部屋に入った。大きな暖炉があり、巨大な食卓らしきものがある部屋。アストラルが食卓だと認識できたのは、その上に澄んだ水が入れられた容器が置いてあったからだ。思い出したように急に喉がヒリつき始める。
他にも爺さんが食べていたような、動物の肉や野菜、果物を加工したものが幾つか並んでいたが、アストラルの目には水の入った容器しか映らなかった。
アストラルの気配を察したようにカールネルが言う。
「神子様、どうぞお飲みください。使徒様の分もございます」
カールネルが手招きをすると、どこからか女性が複数出てきて――恐らくピク用だろう――床に小さな台座を置いて、そこに清水が入った容器を置いた。
また別の女性が流れるようにアストラルの分の水も準備していく。
ありがとう、とアストラルが水が入れられたコップを手にしようとすると、するりとピクがコップに顔を寄せてそれを妨害した。
『なにするんだ?』
『確認だ。念のためな』
そう言ってピクはコップの水の匂いを嗅ぎ、一つ舐めた。背後でカールネルや女性達が息を呑んだ音が聞こえたが、アストラルは何故彼等がそんな反応をしたのかが理解できなかった。
『――問題なさそうだな』
『なんのだよ?』
『毒見してやったんだ。感謝しろ』
アストラルが成る程と思った矢先、女性がおずおずと声を掛けてきた。
「お取り替え致しますか……?」
「なんで? 大丈夫だよ」
訊かれた理由も分からないまま、アストラルはピクにありがとうというと、水を一気に飲み干した。横でピクも貪り付くように水を飲む。
アストラルもピクも三度程お代わりをしたところで、やっと喉が落ち着いた。
感心したようにカールネルが笑う。
「やはり貴方様が何と言おうと、貴方様は『神子様』でいらっしゃる」
満たされた気分に水を差されたように、アストラルは顔をしかめた。
「なんで?」
「神子様の御食事は全て『清水』に限られているからです」
「皆そうじゃないの?」
「いえいえ、我々がそんな生活をしていては死んでしまいます。徒人はあちらのようなものを食べるのです」
カールネルはそう言うと、アストラルから少し離れた場所に置いてある加工品を指差した。
爺さんが食べていたものとよく似ているが、よくよく見てみるとこちらの方がかなり上品に盛り付けられている。
「なんで食べないと死ぬの?」
「栄養という、徒人が生きるには欠かせないものが足りなくなるからです」
――じゃあ、爺さんも『徒人』ってやつだったのか?
あちこちの情報を整理しつつ、アストラルは立ち上がった。
「水、ご馳走様。帰りたいんだけど、どうやったら帰れるの?」
カールネルは心底驚いたように目を見開き、両手を横に振った。
「帰るとはどちらにですか?」
「俺の住んでた所だけど?」
「ここが神子様の住みかでございます」
「俺の住みかは森だよ」
「いえいえ、ここが本来あるべき場所です」
アストラルは部屋を見渡した。見知らぬ臭い、景色、気配――。全くもって自分の居場所のようには思えなかった。
「カールネルが思ってる『神子様』ってやつは、本当に俺なのか? 水には感謝してるけど、勘違いだと思う」
そう言い残して部屋を出ようとすると、御輿を担いでいた男達の内の二人がドアの前に立ちはだかった。
「――どいてくれ」
「なりません」
きつくアストラルは睨んだが、男達は頑なにどこうとはしなかった。男達は額から汗を流れさせている。二人の顔を交互に睨んで、アストラルは気が付いた。
「――なんで同じ顔の人間が二人もいるんだ?」
振り返って、アストラルを運んだもう二人の男達を確認する。扉の前の二人とは異なるが、もう二人はもう二人で同じ顔をしていた。さらに二組とも面影が少し似ている。
アストラルが困惑していると、カールネルが微笑みながら言った。
「双子ですよ」
「フタゴ?」
「赤ん坊のモトの時に二つに分かれた者達のことです」
「??」
アストラルは次々と浮かぶ疑問に堪えきれず、ピクに助けを求めた。
『とにかく、人間には全く同じ顔をした兄弟が産まれる場合があるんだ』
『なんで?』
『そういうもんだ』
そう言われてしまっては、これ以上問いかける訳にもいかない。しかたなく、言われた通り「そういうもの」と納得をする。
「とにかく俺は帰りたいんだ。どいてくれ。どいてくれないと、力を使わないといけなくなる」
目の前の双子が同時に驚いたように目を見開いた。
「――もう、超能力をお使いになられるのですか?」
なんだか会話が上手くいかず、アストラルは小さく溜息を吐く。
「使えたら何か?」
「まだご年齢は三つとお聞きしております」
「神子様のお母上は五つの頃使えるようにだったと聞いております」
『母親』という言葉に、アストラルは少なからず動揺した。
今までルキノを母として認識はしていたが、実際には違うことは理解していたからだ。ただ、自分の本当の母親というものは怖くて考えたくもなかった。他種族であるルキノに育てられたということは、少なくとも自分は本当の母親に捨てられた可能性が高いということも理解していたからだ。
無意識的に傍にいたピクの毛を掴む。
「俺に人間の親はいない」
アストラルが頑なにそう言うと、双子の瞳が急に同情的になった。
急にアストラルの両肩を誰かが掴んだ。カールネルだ。首筋に当たる鼻息が生温かい。ピクが足元で小さく威嚇しているのが聞こえる。
「朝は急に礼拝堂にお連れしていたせいでしょう。気が立っておられる。今しばらくお休み頂いた方がよろしいでしょう」
そう言われたと思った瞬間、アストラルの世界は暗転していた。