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ツキビト  作者: 小島もりたか
2/9

碧い少年

――――月歴二五〇〇年


 髪と瞳に深い碧を湛えた少年は、崖に座り地球を眺めていた。

 足元には、彼と同じように全身の毛と瞳を深い碧に染めた狼が2匹、彼に寄り添うように寝そべっている。


 そのうちの1匹――身体が大きい方――が耳を動かし、顔を上げた。

 少年に向かって小さく唸り、鼻面を少年の背中に擦り付ける。


 少年も小さく唸り返し、その狼の背中を撫でた。

 表面はごわごわとしているが、中に細かく柔らかい毛が密集していて、撫で心地がいい。


 今度は小さい方の狼が顔を上げ、少年と目を合わせた。


『火薬の臭いがする…やっぱり、爺さんの所に戻った方がいいんじゃない?』


 少年が立ち上がると、2匹も揃って立ち上がった。


『そうだねポン、あの多人数で森に人が入ってくるなんて普通じゃない。家に戻ろう』


 眼下に広がる森の、木々の隙間から多くの白く動くものが見えた。

 これまで一度に森に入ってくるのは、精々5人程度だったのに、今回はそれの比ではないほどの人数が来ている。


 しかも、微かに火薬の臭いが混じっている。

 獣避けにすら火薬が必要なものはいらないはずなのに、不思議な話である。


 少年が銃の存在を知っていたのは、少年の養父である爺さんが猟銃を持っていたからだ。


 爺さんは少年と違って超能力が使えない。


――嫌な予感がする。


 少年は改めて大気の臭いを嗅いだ。火薬の臭いが更に濃くなっていた。

 大きい方の狼――ピク――が鼻に皺を寄せる。


『母さんが心配だ』

『そうだね、急いで帰ろう』


 ピクが遠吠えを終えると、少年と狼達は駆け出した。正面から小さく遠吠えが返ってくる。


――あれって教徒の人間だよな。なんでこんなにいっぱい来てるんだ?


 少年は自分の心に問いかける。するとすぐに答えが返ってきた。


――帰ったらダメ。


 再び問いかける。


――なんでだ?


――教徒に見つかるわ。


――今まで見つかったことがないから、大丈夫だよ。それより、母さんが心配だ。


――ピクが知らせたんだし、ルキノは自分で隠れられるわ。わざわざ戻らなくても大丈夫よ。


――母さんを見捨てるの?


――見捨てる訳じゃないわ。ルキノは大丈夫だもの。貴方は自分の心配をするべきよ。


 少年は今まで長い間疑問に思っていたことを訊こうと思った。

 今なら教えてくれるかもしれない。


――なんで爺さんは他の人に合ってよくて、俺はダメなんだ? 爺さんは人間嫌いなのに、おかしくないか?


――それは…。


 今回も心の声は言葉を詰まらせる。


――まだ知る時期じゃないわ。


 そして、いつもと同じ言葉が返ってきた。


――会ったら分かるんだよな?


――会ってはだめ!


――なら教えてよ。


――…まだダメよ。


――なら会う。


――今会ったら貴方は確実に後悔するわ。


――そんなの、会わなきゃわからないだろ?


 心の声の悲鳴に反応したように、ポンとピクが少年に振り向いた。


『隠れるぞ』

『でも、母さんが…』


 ポンが控え目にピクに訴える。ピクはポンの耳を軽く噛んだ。


『母さんは大丈夫だ。だいぶ人間が近い、家に行く前に見つかる』

『見つかったって、どうってことないだろ』


 ピクは少年を諫めるようにさらに低い声で唸る。


『ある』


 少年は自分の兄でもある狼の気迫に少し怯んだが、先程の言い合いのせいもあり、意固地になっていた。

 だから、普段なら受け入れる兄の言葉にもつい、反抗してしまった。


『どう問題があるんだよ?』

『お前は人間は爺さんしか知らないから分からないだろうが、お前と普通の人間とはかなり違うんだ』

『普通は動物と言葉を交わせないってことか?』


 少年は赤ん坊の頃からピク達と暮らしている。

 正確には、少年はピク達の母であるルキノにピク達の兄弟として一緒に育てられてきた。


 だから、少年にはピク達狼の言葉が理解でき、また自分もその言葉で話すことができた。


『それだけしゃない』


 ピクは人間がそうするように、首を横に振った。


『じゃあなんだよ?』

『お前は――』


「何か動いたぞ!!」


 人間の男の声が聞こえた。


『ちぃ、行くぞ!』


 話に夢中になって人間の存在を忘れてしまっていた。

 ピクは素早く進行方向を声がした方と反対向きに変えた。

 少年もポンも反射的にピクに続く。


 本気で逃げに向かうピクについていけば、人間に捕まることはないだろう。そう思っていたが、人間が拡げた包囲網はそれ以上のものだった。

 行けども、行けども、必ずどこかに人間の気配があった。


 気がつくと少年達は家の傍まで追い詰められていた。

 仕方がなく、人間が普通に登れそうにない木の上に逃げ隠れることになった。


 少年達が隠れる下で、人間があちらこちらと1人と2匹を探す。

 少年達は息を殺してそれを見守った。


「この辺りに来たはずなのに!」


 褐色の肌をした青年が声を荒げた。最初に少年達を見付けた時に聞こえた声だった。


「こんなに綺麗に隠れるんだ、きっと動物だったんだよ」


 初老の男性が青年の肩を叩いた。


「腕が見えたんです!」

「そもそも本当に神子みこ様がおわすなら、我々から逃げるまいよ」


――神子?


 少年は集まった人間達の一挙一動を余すことなく観察する。


 黒い髪、黒い瞳、褐色の肌…

 年老いた者は髪に白いものが混じっている。

 爺さんはそこにいる人間より遥かに年老いているのか体毛はほとんど白くなっていた。


 人間は年老いた爺さんしか見たことがなかったので、若い人間を見るのは酷く違和感がある。

 少年は驚いた。若い人間は皆、碧い髪と瞳をしていると思っていたからだ。

 ピクとポン、母さんや共に暮らしてきた動物はほとんど碧い体毛をしている。だから、若いものは皆、碧い毛や瞳をしているのだと思っていた。


 急に青年が少年を見上げた。心臓がドキリと跳ねる。


 目があった。


 しかし、青年は少年達に気がつかない。少年達は姿を消しているからだ。


「木に登ったりとかしてないよな…」

「まさか、登られまいよ。まだ三才だとお聞きした。超能力はまだお使いになられないだろうから」

「なら、あれは狼でしょうか?」

「そうだな。ここは狼の森だから、それが一番可能性が高いだろう。十分注意するのだぞ、狼がいつ襲ってくるか分からない。森にいるときは銃を片時も放してはいけない」

「はい」


 青年は初老の男の言葉に真摯に頷き、銃を構えながら辺りを注意し始めた。少年は驚いた。青年が持っていた銃が、爺さんと同じ型の銃――猟銃だったからだ。青年以外にも多くの人間が猟銃を携えている。辺りに見える銃を持っていない人間は、精々木下にいる初老の男性程度だ。

 木下にいる人間の気が張りつめているのが、少年にも分かった。少しでも音をたてたら、その瞬間、反射的に撃たれてしまうだろう――と、少年が思った途端、ポンが座るっている上の枝が揺れた。


 緑の美しい小鳥が、緊張に耐え兼ね飛び立ってしまった。


 あ、と思った瞬間には、青年の持つ銃が放たれていた。

 青年は銃を初めて撃ったのだろうか、それともとてつもない緊張のせいだろうか、

 青年の放った弾丸は検討違いの方向に向かい、

 不幸にもポンの背中を掠めた。


「キャン」


 突然の傷みにポンが悲鳴を上げ、枝から落ちる。

 ドサッ、と狼にしては小さめの身体が大きな音を立てて地面に落ちた。


『ポン!』


 反射的に少年が声を上げたが、見事な狼の言葉だったので人間にはそれが人間が上げた声だとは分からなかっただろう。


『下りるな!』


 小さいが有無を言わさない声でピクが言った。


 途端、金縛りに遭ったかのよつに、身体が動かなくなった。

 ピクの力だ。


 代わりに素早くピクが地上に下りて、ポンを背に人間に威嚇をした。


「――お、狼だ…!!」

「碧い!」

「使徒様ではないか?!」

「怒っているぞ」

「狼だ、打て!」

「待て打つな! 使徒様だぞ!」


 地上は混乱を極めていた。


 ポンとピクを撃とうとするもの、それを停めるもの、逃げ惑うもの、崇めるもの――。


――ポン、ピク…。


 少年はそれを声もなく見つめた。

 必死に金縛りを解いて降りようとする足を、心の声が止める。


――行ったらダメ。


 ピクが唸り声を強くする。あんなに怒っているピクは初めてみた。

 ピクとポンに近づこうとする人間にピクが吠える。怯えた人間が銃を放った。銃弾は2匹を逸れて少年の隠れる木に当たった。


――助けなきゃ。


――足手まといよ。


――ポンとピクが殺される。


 ポンに手を延ばした人間の腕に、ピクが食らいついた。人間の悲鳴が森に響く。再び銃が放たれる。銃弾が幹に当たる。銃を放った人間を怒鳴る声が響く。


――殺される…。


――大丈夫。お願いだから、行くのは止めて…。


――何で大丈夫って分かるの? 全然大丈夫そうじゃない!


 気がつけば身体が自由になっていた。少年は枝から飛び下りた。

 心の中で悲鳴が上がった気がしたが、きっと気のせいだろう。


 少年が姿を現し地上に降り立つと、人間達は一斉に動きを止めた。


「止めろ! 撃つな!」


 どの人間も目尻が裂けそうなほど目を見開き、少年を見つめる。その人間達の有り様をみて、少年は戸惑った。

 異様な雰囲気に呑まれるのを拒否するように、少年はもう一度怒鳴った。


「これ以上撃つんじゃない!!」


 少年の怒声は、人間に届いていないようだった。


 少年は意味が分からず、一歩後ずさる。ピクの背中が脹ら脛に当たった。

 傷ついたポンを見て、慌ててポンの背中に手をかざす。


――治れ。


 強く念じると、手のひらが熱を帯び、その熱がポンの怪我に移っていく。目に見えてポンの怪我が治っていった。

 ポンが確認するように、傷のあった箇所を舐める。


『何故下りてきた!』


 ピクが吠えた。


『だって――』


 少年の言い訳は初老の男性の声で途切れた。


「神子様…」


 その声をかわぎりに、人間は一斉に目覚めたように動き始めた。

 少年は更に戸惑った。

 人間が一斉に揃って脚を小さく折り畳み、額を地面に着いたのだ。


『な…なにこれ、ピク…』

『だから人間に見つかるなと言ったんだ! 逃げるぞ!』


 戸惑い逃げようとする少年の足首を誰かが掴んだ。


「お逃げにならないでください。我らが神子様…」


 怯え、振り向く、初老の男が顔を上げていた。

 哀願するような目で、男は少年を見る。


――止めてくれ。


「神子様!」

「我らが神の子!」

「我らをお導きください」


 次々に人間が顔を上げては、必死に哀願した。


「…や、めて――」


 少年は後ずさろうとするが、男の手がそれを許してくれない。


「神子様!」

「神子様!」

「我らが神子様!」


 人々はお互いに触発され、熱狂していく。


『止めてくれ、そんな顔で俺を見ないでくれ…』


『アストラル!』


 少年が最後に見たのは、光に集る虫の様に興奮した人間達の姿だった。

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