灯り屋
「灯り屋ですかい? そりゃあ、よく知っておりますさ。あっしがガキのころから、ずっとあそこにありますんでね。
まあ、だんな。ちょいと聞いてくださいな。あそこの主人ときたら、まったく奇妙なんですよ。
人は歳をとるほどに老いてゆくもんでさ。ところがあの主人、腰が曲るころになりますとね、いきなり二十も三十も若返りましてな。
ですからね、巷のうわさじゃ、ほんとのところの歳は、とっくに百を超えてるって……。
まあ、これには別の話もありますがね。
そいつはまちがいで、息子が帰ってきて店を継いだんだろう。その息子を見たんだろうってね。まあ親子なんです。主人の若いころに、よく似てますでしょうからねえ。
たしかにそうかもしれませんや。ですがね、あっしはそうじゃねえ気がするんで。
主人が息子なら、いったい親の方はどこへ消えちまったんですかい。あそこじゃずっと、一人しか見かけませんからねえ。
いやー、まったく奇妙なことで……」
なにかを思い出すように目を細めてから、男はペラペラとなおも話を続けた。
「そう、そう。これはもう、ずいぶん前のことなんですがね。こんなことを聞いたことがありましてな。
主人には奥さんと一人息子がいたってね。ところがある日、とつぜん家を出たらしいんでさ……。
まあ、そこのところの理由まで、あっしは知りませんがね。
そうだ、だんな。さっき、あっしになにを聞かれたんで? 歳をとりますと、どうも忘れっぽくなっちまいましてね」
帽子をまぶかにかぶった私の顔を、男がうかがい見るようにのぞきこむ。
「灯り屋の場所はどのあたりに?」
私は顔をしかめて聞いた。
「そう、そうでやした。なあに、ならすぐにわかりますさ。
ほら、あの角を右に曲がって、坂道をまっすぐ進めばいいんでさ。そうすりゃ、道が行き止まりになっていましてね。灯り屋はそこにありますんで」
男は背伸びをするようにして、坂の上をさし示して教えてくれた。
ひなびた細い裏通りを歩き進んだ。
石畳の坂道を登りきると、つきあたりにポツンと一軒の古い建物があった。長い間、町の片隅に置き去りにされたかのように……。
それが灯り屋だった。
間口は狭く、赤茶けたレンガの壁にはツタがからみついており、看板の灯り屋という文字がわずかに見てとれる。
私は迷うことなくドアを押し開けた。
店は奥に向かって細長い間取りで、壁にかかったランプの灯りがチラチラゆれている。カウンターはあるものの、そこに店主の姿は見えなかった。
客は私一人だ。
ざっと店内を見まわすに、壁に沿って置かれた陳列棚に、ランプやローソク立てなどの商品がずらりと並べられてあった。新しいものもあれば、骨董品らしきたぐいのものもある。
ここはまさに灯り屋という名前がふさわしい。
私は並べられたランプを見てまわった。どれもこれも細工にこっていて、珍しいランプばかりがそろえられてある。
ひとつのランプの前で足が止まった。
黒の漆で塗られた台座と、それに刻まれた金色の紋様がとくに珍しい。幾何学的だが、その曲線の美しさに目をうばわれた。
「それがお気に入りのようですな」
いつかしら背後に店の主人が立っていた。
わずかに腰の曲がった老人で、先ほどの男が話したところの怪しさはみじんも感じられない。
「ああ、なかなかいいランプだな。台座の模様がじつにおもしろい」
私はうなずいてみせた。
「お目が高いですな。その良さがわかる者は、そうはおりません」
「趣味だが、珍しいランプを集めておるのでね」
「なるほど……。じつはお客さま。そのランプは、それだけじゃございませんでして。ちょっとしたしかけがあるんでございます」
主人のグレーの目が私を見る。
「しかけ?」
「ええ。灯りにかざしてごらんになれば、すぐにおわかりになります。もっと気に入ってくださると思いますよ」
「では……」
私は両手でランプをそっとはさみ、目の高さになるよう持ち上げた。
「そのままゆっくり、まわしてごらんになってくだされば」
「こうかな?」
両手で回転させるようにして、ランプを灯りに向かって透かし見た。
不思議だった。
どの方角から見ても、なんの細工もないガラスの表面に虹があらわれたのだ。しかもそれは、本物の虹のように輝いている。
「なるほど、こいつはすばらしい。こんな珍しいものは、私もはじめてだね」
「いかがでございましょう? 気に入ってくださいましたかな」
「ああ、ぜひ欲しいね。で、いくらなのかね?」
「それが二千カロンと、少々お高いのです」
「たしかにずいぶん高いな」
「話によっては、もちろん値引きをさせていただきますが……」
主人が商人らしく言う。
「では、千カロンでどうだろう?」
私は半額に値ぶみした。
ポケットには三千カロンほど入っていたのだが、ともかく作戦どおり交渉を始める。
「さすがにそこまでは。五百カロンであれば値引きいたしますが」
「それでも、私がこれまで買ったランプの、どれよりも高いんだが」
「それだけの価値があるのでございます。どんなに値引いても、千五百カロンまででございますな」
「こまったな。今日は千カロンしか持ち合せておらんのだよ」
顔色を変えないようウソをつく。
「そうでございますか。では、まことにざんねんでございますが……」
主人は頭を下げてから、店の奥のカウンターへと向かった。
次の計画を進めるため、用意していた金の指輪を財布から取り出し、私は主人の背中を追った。
「なあ、どうだろう。この指輪、かなりの価値があると思うのだが」
カウンターの上に指輪を置き、主人の反応を注意深く見守った。
「金でございますね」
主人が指輪をつまむ。それからすぐさま顔をハタと上げた。
顔色が明らかに変わっている。
「これは……」
「その指輪がなにか?」
「いえ、ずいぶん珍しい飾りだと思いまして」
「指輪にランプの飾りなんて、そうざらにはないだろうからね」
「ところでお客様、これはどちらでお買い求めに?」
「買ったもんじゃないんだよ、それは。亡き母が指につけていたものなんだ」
「そうでしたか」
「どうだろう。その指輪、残りの五百カロンの代わりにならんかね?」
「たしかにいい指輪でございます。ですが五百カロンとまでは……。お客さま、ほかにもなにかお持ちでは? たとえば時計とか」
「なら、ここに懐中時計が。ただし、こいつは銀製だがね」
ズボンのバンドから鎖のフックをはずし、私はポケットから懐中時計を取り出した。
「お見せいただけますか?」
主人は懐中時計を受け取ると、ルーペを使って念入りに調べ始めた。
「いかがかな? 古いものだが、ずっと故障せずに動いているよ」
「何年、お使いで?」
「かれこれ二十年ほどになるかな」
ここでも私はウソをついた。つい先日、手に入れたばかりだったのである。
「けっこうでございます。指輪と懐中時計で、残りの五百カロンといたしましょう」
「では、千カロンはここに」
胸の内ポケットから千カロンの札束を取り出し、私はカウンターの上に置いた。
「たしかに千カロン。これであのランプは、今日からお客さまのものでございます」
「ありがたい。しかしこの店のランプは、ほかの店にはない珍しいものばかりだね」
「それが、この灯り屋の自慢なんでございます。そうそう、売り物ではございませんが、ひとつ、めっぽう不思議なランプがあるんです。どうです、ごらんになりませんか?」
「ぜひ見てみたいね」
「では、しばらくお待ちを。準備に、少しばかり時間がかかりますので」
「ああ、かまわないよ。その間、私は店の中のものを見ているから」
「なにしろ貴重なものでございますゆえ、金庫にしまってあるんですよ」
なぜか……懐中時計だけをカウンターに残し、主人は速足で店の奥へと消えた。
私は時間つぶしに、ゆっくり店内の商品を見てからカウンターにもどった。
主人は奥にある事務机で、なにやら一心にペンを走らせていた。
そんな主人に声をかける。
「まだ時間がかかるかね?」
「いやあ、お待たせいたしました」
あわてたようすでペンを置き、主人は小さな木箱を抱いてカウンターにもどってきた。
主人が木箱のフタを開け、それから布に包まれた中身を取り出すと、ずいぶん古めかしいランプがあらわれた。
「これでございます」
「かなりの年代物のようだが、私にはごくありふれたランプのようにも」
「見かけはそうですが、じっさいに火をつければ、このランプの価値がわかるのでございます。まあ、ごらんになっていてください」
主人はマッチをすり、それから慎重にランプの芯に火を灯した。
まわりがほのかに明るくなる。
「少しばかりお待ちを」
木箱の底から数本の金具を取り出して、なにやら手ぎわ良く組み立てていくと、カウンターの上にピラミッド型の四角すいができあがった。
それからなぜか……主人はそれをランプにかぶせるように置いて、金具の頂点に懐中時計の鎖をかけた。
「いったいなにを?」
「すぐにおわかりになりますよ」
主人はなおも奇妙な作業を続けた。鎖の長さを調節して、時計の文字盤がランプの炎の位置になるようにセットした。
時計がランプの炎にあぶられる。
「こわれてしまうんでは?」
私はおどろいて声をかけた。
「こわれるかわりに、すばらしいことが起きるのでございます。不思議なことがですね」
主人のグレーの両目に、ランプの炎が怪しげに映っている。
「それにしても、私にはいっこうに……」
「では、ご説明いたしましょう。今まさに時間を燃やし始めたのです」
「どういうことかね?」
「儀式が始まったのです。この儀式により、時計の過去の時間が燃え、消えてしまうのです」
「時間が燃える? そんなこと信じられんよ」
「いえ、ほんとうでございます。この時計が、これまで刻んできたところの時間がですね」
「なんのことか、よくわからんが……」
「時計が刻んだ過去の時間が消え、その長さと同じだけの未来の時間が生まれる。そういうことでございます」
「なんとも奇妙な話だね」
「ええ、そのとおりで。時計が古い持ち主と共有した時間は消え、新たな持ち主の未来に移るのです。つまり、お客さまは過去の二十年が消え、わたくしは未来の二十年が増えるということでございます」
「私の過去が消える。今、そう言ったね」
「はい、そのとおりでございます」
「それでは、過去の二十年が消えた私はどうなるのかね?」
「過去のない者などおりません。とうぜん、この世から消えることに」
「冗談だろ!」
「いえ、ざんねんながら」
「そんなバカな……」
「お客さま、もう遅いのでございます。こうして話している間にも、過去の時間はずいぶん燃やされましたからな。じきに過去と未来の時間の入れかわりが始まります。いかがですかな? このランプ、じつに不思議でございましょう」
「そんなこと、ウソに決まってるじゃないか。しかしなぜ私の前で、そんなインチキをやるのかね?」
「いいえ、インチキなどではございません。ただこの儀式は、時間の相手がランプの前にいなくては成立しないのです。ですから、お客さまの前でやるということに。ほら、ごらんください」
主人が時計の文字盤を指さす。
時計の針がいつしか逆回りとなっていた。
長針の回転のスピードが上がり、合わせるように短針の回転も速くなる。
「いよいよでございます」
灰色の目が私を見た。
その直後。
炎が一気に明るさを増し、いきなりはじけるようにして消えた。
時計の針が止まっている。
それからの私は……。
ただ茫然と立ちつくしていた。目の前の異様な光景を見ながら……。
主人の体がひきつり固まった。
顔がゆがみ、何本ものしわが刻まれてゆく。
「ぎえー」
悲鳴をあげて、主人が両手で顔面をおおった。その手はしわだらけである。
床にくずれ落ちた。
髪がはがれ落ち、皮膚が、肉がボロギレのようになってゆく。それとともに、いたるところから骨があらわれる。
一分もせず、主人は骨だけとなっていた。それも砕け、砂塵となってゆく。
やがて……。
すべてあと形もなくなった。
灯り屋の主人は消えたのである。
すべては死期を迎えた母の話から始まる。
灯り屋のこと。
父の秘密のこと。
不思議なランプのこと。
「ワシは六十を過ぎている。この子の将来のことを思うと、このまま老いて死ぬわけにはいかん。だが、このランプの力を借りれば……」
父は母に打ち明けた。ランプの力を借り、過去にいく度となく若返ってきたことを。
そして……。
父は儀式を行い、母はそれを見てしまった。世にも恐ろしい、おぞましい儀式を……。
それゆえ、母は私を連れて灯り屋を出たのだ。
それから三十年。
母は死んだ。
私も三十代なかばとなっていた。
私はある目的を持って、この町に来た。そして灯り屋を探しあて、父と再会した。
父は指輪を見たとき、それが妻に贈ったものだと気づいた。そして目の前にいる男が自分の息子だということにもだ。
ランプを見せられたとき――。
私は悟った。父が秘密を守ろうとして、私をこの世から消そうとしていることを。
だが、みじんも怖くなかった。
あの懐中時計の過去の時間は父のものなのだ。母が死ぬ直前、父の形見だと言って、私に渡したものなのだから。
そのことに父は気づかなかった。
自らの手でおのれの過去の時間を消し、おのれをこの世から消し去ることになった。
私が父に素直に従ったのは、儀式のやり方を知るためである。そうとも知らず父は儀式を行い、私はまんまとその方法を知ることができた。
父が消えれば、灯り屋は私のものとなる。
灯り屋を自分のものにするため、そして永遠の命を手に入れるため、私はこの町にやってきたのだ。
鏡の前に立った。
帽子をとる。
鏡の中、父と同じグレーの目がほほえんでいる。
またうわさになりそうだ。
灯り屋の主人がまたもや若返ったと……。
私は魔法の道具を手に入れた。
永遠の命を手に入れた。
こうして。
すべてが思いどおりに進んだ。
私は灯り屋の主人となったのだ。
二十余年が過ぎた。
あれからの私は、過ぎた年月に合わせるように年老いてきた。
もうじき六十になる。
これまでどうして儀式をしなかったのか?
そのことを話すには、流れ去った時間を巻きもどさなければならない。この町に来た、あの日のあの時間にまで……。
あの日。
私は金具とランプを木箱にもどすと、奥の事務机に向かった。そして、もたれるように椅子に腰をおろした。灯り屋の主人になった気分で……。
心地よさにつつまれる。だがそれはつかのまで、たちまちのうちに吹き飛ぶことになった。
そうさせたのは机の上の一枚の封筒で、私の目をひくように母の指輪が添えられてあった。
私は封筒を手に取った。
なんと……。
宛名が私ではないか。
親愛なる息子へ
妻の指輪を見せられたとき、ワシは息が止まるほどおどろいた。なんと息子が、長い歳月を越え、目の前にあらわれたではないか。
父親だと、どれほど名乗り出たかったことか。しかしワシは、それをする資格のない人間だ。だからここに、すべてを手紙にして残すことにする。
三十年も前のことだ。
ワシは身勝手な過ちを犯してしまった。妻はショックだったのだろう。なにも告げず、オマエを連れて家を出てしまった。
それからの数年。
二人をどれほど探したかしれない。しかし、ついに見つからずじまいだった。この世でなによりも大切なものを、ワシは失ったのだ。
それからの日々は、苦しみ以外のなにものでもなかった。生きていることさえ苦痛であった。
そして、息子との再会。
懐中時計がワシのものだとわかったとき、ワシはとっさに気がついた。儀式に必要なものがすべてそろっていることに……。
あれほど後悔した儀式を、ワシは再びやることを決意した。永遠の命を与えてくれるランプ、それを愛する息子にゆずるために。息子のオマエにしてやれること、ワシにはそれしかないのだから。
ランプは、百年ほど前この町に立ち寄った、ある年老いた船乗りから手に入れた。
今にして思えば……。
あの船乗りも、苦しみの中で生き続けていたのだろう。ワシにすべてを教え、そして消えたのだから。
このランプは永遠の命をもたらしてくれるが、使い方を誤れば、私やあの船乗りのように不幸になってしまう。すべてオマエの使い方しだいだ。
最後にこれだけは伝えたい。
永遠の命より大切なものがある。ワシにとって、それが妻であり息子であったように。
手紙はここで終わっていた。
文字が乱れている。私を待たせている間にあわてて書いたのだろう。
手紙を封筒にもどし、それから私は大きく息を吐いた。
手紙により……。
私は自分のかんちがいに気づかされた。父は、懐中時計が自分のものだとわかっていたのだ。
私の前でランプに火をつけ、金具を組み立て、懐中時計をしかけた。それらすべては、永遠の命を得るための儀式を私に教えるためだったのだ。
父はなにもかもわかっていて、みずからの手でこの世から消えていった。
息子の私のために消えた。
あのとき。
私はランプを床に打ちつけて割ったのだ。
これからも私は、過ぎ去る歳月とともに年老いていくだろう。
この灯り屋とともに。