夕闇の君
恋愛モノの短編小説です。
感想、アドバイス等のコメントお待ちしております。
放課後の廊下。
山の向こうに沈んでいくオレンジ色の太陽と徐々に降りてくる夜の帳。
廊下から見える教室の群青色の黒板はそんな夕闇に照らされ、黒とオレンジの混じったような不気味な色に染まりあがっている。
僅かに開いていた窓の隙間から、そよそよと秋風が迷い込んでいた。赤黒く染まる教室の壁に点々と掲示されているプリントは、そんな迷い風によって飛ばされるのを、自分を押さえてくれている画鋲に頼って必死に耐えていた。
やがて、自分の力では壁から引き剥がすことは出来ないと判断した秋風は次に――教室の一番後ろの席で、必死に何かを書いている少女に狙いを定めていた。
「……」
そして俺はというと、そんな――俺の席に堂々と座っている少女を見て、ただただ――どうすればいいのか分からないでいた。
廊下から顔だけ出してのぞき込んでいるのと、向こうが集中して何かを書いているおかげか、少女はまだ俺の存在には気づいていないようだった。
……誰だよ、あの子。
てかあのシャーペン俺のじゃねーか……。
知っている女の子ならともかく、相手は見ず知らずの女の子だ。下手に声を掛けて、痴漢と間違えられてしまったらたまったもんじゃない。
とは言っても、机の中に入れっぱなしのノートを取らない限り、俺は明日数学の先生にこっぴどく叱られるのは目に見えている。
単位と人生のバッドエンドへ一直線の選択肢を選ばないようにする為に、俺は少女のことを観察してみることにした。
髪の毛は――茶髪、だろうか。夕焼けのせいではっきりとした色の区別がつかない。だが少なくとも黒では無いとは言える。
体型は小柄。少女を象徴する二つの膨らみは――まぁまぁあった。
しかし少女を形成するその顔はなかなか可愛らしい。宝石のように綺麗なアメジスト色の瞳。小さな鼻と口。唇は鮮やかなピンク色で見るからに柔らかそうだった。頬は夕焼けに染められてほんのりと紅くなっている。
可愛い。それ以外に形容できる言葉が見当たらなかった。
「うーむ……」
教室から顔を引っ込め、廊下の壁に寄り掛けり唸る。
見た感じ大人しそうな女の子だし、声を掛けても問題は無さそうだ。
「よしっ……ってヤバ」
掛け声を一つ、教室に足を踏み入れようとした瞬間、完全下校を知らせるチャイムが鳴り始めた。
もうこうなってしまったら少女に構っている暇なんてない。急いでノートを取って家に帰ることにしよう。
そう思い、教室に入った瞬間だった。
俺は言葉を失った。
「………………は?」
やっとの思いで出てきた言葉は「は?」のたった一文字。
なんでここまで驚いたか。理由は簡単。
教室には誰も――いなかったのだ。
「……!」
俺が入った瞬間に、タイミングよく入れ違ったのかもしれない。そう思って廊下に出るが、右にも左にも少女の姿は無かった。
いくら唖然としていたとはいえ、時間はほんの5秒程度。俺のクラスの教室は6、70m近くある廊下のど真ん中にある。だからこんな短時間で廊下を歩いて、廊下の両端にしかない階段を降りるなんてこと不可能に近い。走ったのならまだ行ける可能性はあるが、それだったら流石に音で気づく。
「……消えた、のか?」
自分の席の前に立ち、俺は吐き出すように呟く。
僅かに残る花のような甘い香り、位置がずれているイス、机の上に散らばったシャーペンと消しゴムのカス。そこには少女がいた形跡が確かに残っていた。
「……」
だが何故か――少女が座っていはずの椅子は――冷たかった。
まるで、始めっから誰も座っていなかったかのように――。
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「――そりゃお前、それはその子が幽霊だったってことだろ」
翌日、親友の小宮大佑に昨日の話をすると、そんなあっさりとした答えが返ってきた。
「幽霊って簡単に言うけど、実在すると思っているのか?」
「別に信じているわけではない。けど――」
言いながら大佑は視線を手に持つスマホに移した。
「いないって断言することもできない。幽霊がいないことを証明するなんて無理だからな。ま、悪魔の証明ってやつだ」
後半部分がよく分からなかったからスルーすることにしよう。
そんな俺の心情を読み取ったのか、大佑は含み笑う。
「ようするに、幽霊がいるのであれば、幽霊を連れてくるなりして、いるってことを証明すればいい。でも逆にいないっていうことを証明するのは難しいことなんだよ。例えば、この街をくまなく探したとしても、他の街には幽霊がいるかもしれない。他の街を探したとしても世界の何処かにいるかもしれない。こんな感じに探したとしても、探した場所にまた隠れられてしまったら永久的に見つからない。だから、いないってことを証明するのは不可能なんだよ」
話を聞き終え、俺は「なるほど」と頷く。
「長々と説明してもらっといてあれだが、全く分からなかった」
「……まぁ、そんなことだろうと思っていた」
大佑は馬鹿そうに見えて実は頭がいい。
中の中くらいの成績の俺とは打って変わって、大佑は常に学年順位トップ3をキープしている。
自慢できる友達を持てて嬉しい限りだ。
「とりあえずだ。今日の放課後も残って確かめてみればどうだ?」
「今日も。って……昨日は家に帰っていたっつーの。たまたまノートを忘れて学校に取りに行っただけだ」
「んなことはどうだっていい。放課後にいたって事に変わりはないんだから」
「まぁ……そうだな」
大佑の言う通り、放課後確かめてみることにしよう。昨日と同じくらいの時間に行けば、もしかしたら会うことが出来るかもしれない。
「もし会えたら是非とも写真を撮ってきてくれ」
「幽霊だったら写らないんじゃないか?」
「ま、その時はその時だ」
淡々とした口調だったが、大佑はどこか楽しうだった。
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放課後になった。
昨日の時刻までまだ二時間近く時間が余っている。ずっと教室にいるのも退屈だし、俺は図書室に行って調べ物をしていた。
「……これくらいでいいか」
集めた本をドサッと机に置いて、そのうちの一冊を手に取る。
内容はすべて幽霊に関して書かれたものだ。調べてどうにかなるものではないだろうが、何も調べないよりはきっといい。
まあ、あの少女が幽霊だと決まったわけではないのだが。
「……」
分厚い本をペラペラと捲る。
「……幽霊の実在は明らかではない。だが大前提に、この世界の実在すら確実に証明することは出来ない――何を言ってるんだこの人は。世界が実在しなかったら俺たちの存在ってなんなんだよ」
書いてあることが大佑の話以上にややこしかった。
バカには到底理解出来ない内容で、読んでいてもだたただ眠くなってくるだけだった。
「……寝るか」
耳にイヤホンを差し込み、完全下校30分前にアラームをセットして俺は机に突っ伏した。
流れてくるモーツァルトの子守唄に身をゆだね、睡眠の世界へ入り込む。
「……ぐー」
一分と経たないうちに俺は完全に眠りに落ちていた。
モーツァルトパワー……恐るべ――ん?
「……?」
眠りの世界に落ちていたはずの俺の意識がゆっくりと昇っていくような感覚。
意識がはっきりしていくにつれて、誰かに身体を揺すられているということが分かった。
誰だ。人の睡眠を邪魔する不届き者は。
「……」
薄らと目を開けて辺りの様子を伺う。
ぼんやりとした視界に綺麗に整頓された本棚だけが映った。
どうやら相手は反対側に身体を置いているらしい。
完全に目を開けて、見える限界まで視線を上げると、俺の肩を揺らす小さな手が目に入った。
手のサイズからして――恐らく女の子だろう。しかし――俺をわざわざ起こしてくるような女の子が友達にいるかと聞かれると、答えはノーだ。そもそも放課後に図書室に来るような奴がまずもって一人たりともいない。
身体はまだ揺すられ続けている。
いい加減鬱陶しくなり、俺は相手の手を掴んだ。
「!?」
その瞬間、何とも言えない悪寒が背筋を走った。握った手が氷のように冷たかったのだ。
「あっ……」
慌てて顔を上げると、俺の身体を揺すっていた張本人と目が合った。
アメジスト色の瞳に、微かに香る甘い花のような香り。間違いない、昨日俺が見た少女だ。
いやそんなことよりも、何なんだ彼女のこの冷たさは。
「お前……何者だ?」
「ゆ、幽霊……です」
「……」
「……」
無言の時間が出来上がる。
聞こえてくるのは音楽室から聴こえてくるホルストのジュピターだけ。
窓から入り込んできた風が少女の髪を揺らし、夕焼けがそれを照らしていた。
「あ、あの……何か反応して欲しい、です。あとその――手、恥ずかしい……」
最初に口を開いたのは少女の方だった。
言われて初めて、まだ手を握ったままだったということを思い出した。
握った手はまだ――冷たいままだった。
「本当に……幽霊なのか?」
手を離し、少女に問い掛ける。
少女は静かに頷いた。
「……証明することは出来るか?」
「えと、こういうのはどうでしょうか」
言い終わると同時に少女の姿が消えた。
「――どうですか?」
「うお!?」
今度は後ろから声が聞こえてきて俺は驚いて振り返る。
そこにはいたずらっぽく笑う少女の姿があった。
これはどうやら信じるしかないようだ。
「名前、あるのか?」
「生前の名前でしたらありますよ。陽向っていう名前です。太陽の陽に、向こう、で、陽向です」
「……へぇ、すごいな」
「? 何がすごいんですか?」
「俺の名前は陽影。陽向と同じ、陽に、影で陽影だ」
「おお……正反対ですね。というかいきなり呼び捨てですか」
照れているのかポリポリと頬を掻く。
正直、幽霊と話しているような感じは全くしない。何処にでもいる普通の女の子と会話しているような気分だった。
日が沈んできて薄暗くなってきた図書室には俺と陽向の影しかない。窓のすぐ外で、こちらを見ているカラスの鳴き声は、日没までのカウントダウンをしているように聞こえた。
壁に備え付けられている時計を見る。
完全下校まではまだ――時間があった。
「俺の他に陽向のことが見える人はいるのか?」
「いないと……思いますよ。前まで結構コミュニケーションを取ろうと頑張ってましたけど、一人も私の存在に気づいてくれた人はいませんでしたから」
「敬語を使っているから年下なのか?」
「上履きの色からして陽影さんは二年生ですよね? 私は一年生でしたから、先輩の言う通りですよ」
「スリーサイズは?」
「上から85、54……って何言わせてるんですか!?」
一瞬にして陽向の顔が紅く染まった。
「悪い悪い。まさか素で答えてくるとは思ってなかったもんでな」
「生前は素直さが取り柄だったんですよ……」
今度はがっくりと項垂れる陽向。
表情がコロコロ変わるから見てて面白い。
だからだろうか? 陽向のことをずっと見ていたいと思ってしまう。
「陽影さん? どうかしましたか? 私の顔なんかじっと見ちゃって」
「んー、いや、何でもないから気にするな」
「ええ……。そう言われると逆に気になるんですけど」
「……気にするな」
見とれていた。なんて、言えるわけない。
だって相手は――幽霊なのだから。
「――あの、陽影さん」
「ん?」
「また――明日も、会うことってできますか? その、今日はもう、時間が――ありませんから」
時計を見てみると、もう完全下校ギリギリの時間だった。
あまり時間が経ったようには思えなかったのだが、随分と話し込んでいたらしい。
「構わないぞ。何処で待ち合わせする?」
「では、またここで。それでは陽影さん、また――明日です」
完全下校のチャイムが鳴る。
そこにはもう――陽向の姿は無かった。
「――また明日な」
小さくそう呟いて俺は図書室を後にした。
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それから俺たちは毎日のように放課後は会っていた。
授業が終わって、ある程度時間が経ったら人のいないところで陽向と会う。場所は図書室だったり、教室だったり、屋上だったりと様々だ。
陽向と過ごす時間はとても心地よいものだった。いつしか俺の日常に陽向がいるのが当たり前になっていた。そして――俺は陽向のことを――好きになっていた。
陽向に会う度に心臓が高鳴る。陽向と話すだけで心が弾む。
「――陽影さん」
その日の待ち合わせ場所は俺のクラスだった。自分の席でスマホを弄っていた俺はその声に顔を上げた。
「よ、陽向」
「はい。こんばんはです、陽影さん」
ふにゃりと陽向は顔をほころぶ。
とても可愛らしい笑顔だ。
「今日はどうする?」
いつも通りそう訊ねると、陽向の表情が変わった。
「そうですね――では、私の話を聞いてくれませんか?」
陽向は真面目な表情になる。
ほんの少し頬が紅く染まっているように見えるのは夕焼けのせいだろう。
真面目な話のようだから俺はスマホをポケットにしまってキチンと話を聞けるように、陽向と向き合う。
今日は何処の部活も休みなのか、いつも聞こえる音が全く聞こえず、馬鹿みたいに鳴っている心臓の鼓動が陽向にも聞こえてしまっているのではと思ってしまう。
俺を見つめる陽向の瞳は潤んでいて、妙に緊張した空気が漂っていた。けど、俺は目線を逸らさず、しっかりと見据えた。
スーハー、と深呼吸を一回。陽向は口を開いた。
「私――陽影さんが、好きです」
紡がれたその言葉は俺の胸にスッと入り込んできた。
陽向の顔は空の夕陽のように赤く染まっていて、一生懸命伝えてくれたということが伝わってきた。そして、どうしようもなく――嬉しかった。
だから、俺も自分の気持ちを――陽向が好きだということを、伝えなければならない。
「――俺も、陽向のこと好きだ」
そう告げると陽向は目を見開いた。
そしてその瞳から大粒の涙が頬を伝って零れ落ちる。
「お、おい? 陽向……?」
「ご、ごめんなさい……嬉しくって、涙が止まらないんです……」
その言葉に胸がジーンと熱くなるのを感じる。すごく嬉しい。こんな可愛い子が俺のことを好きと言ってくれて、俺もその子の事が好きで――こんな幸せは他に無い。
「なぁ、陽向。キス……してもいいか?」
「……はい。私も、その……キスしたいです」
陽向は顔をちょこんと上にあげて目を瞑る。
赤ちゃんの肌のようにすべすべと柔らかい頬に手を当て、俺はゆっくり陽向へと顔を近づけていく。
「……んっ」
重なる唇。
柔らかくて温かい。
手のように冷たいと思っていたが、そこにはちゃんと温もりがあった。
「……キス、しちゃいましたね」
紅潮した陽向の頬。
少し湿った唇が艶やかだった。
「もう一度、していいか?」
「許可なんていりません。陽影さんの好きなようにしてください」
そう言って陽向はもう一度目を瞑った。
俺は吸い寄せられるように陽向と唇を何度も重ねる。
「んッ、ちゅ……ちゅぱ」
重ねるだけでは飽き足らず、俺は陽向の唇を舌で唇を舐める。
そんなことをしていると陽向の方からも舌が伸びてきて、俺の舌先にちょこんと触れた。
お互いの存在を確かめるように舌で絡まり合う。
「……ぷはっ」
息が続かなくり唇を離すと銀色の糸が伸びた。
「陽向……俺……」
色々と我慢の限界だった。
それに陽向も気づいてくれたのだろう。
少し恥ずかしそうに、でも期待するような眼差しで俺を見た。
「いいですよ……陽影さん。陽影さんがしたいようにしてください」
「……本当にいいのか?」
「はい。私も女です。覚悟は出来てますから。だからその、陽影さん……」
潤んだ瞳で俺を見上げていた陽向は微笑んだ。
「……して、ほしいです。私の初めて――受け取ってください」
「分かった」
女の子にここまで言わせて引き下がることなんて出来やしない。
俺は陽向の小さな身体をゆっくりと机に押し倒した。
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「――陽影さん」
行為のあと、俺と陽向は屋上にやって来ていた。
陽向がどうしても行きたいと言ったからだ。
「どうした?」
「はい。私今……すごく、幸せです。大好きな人の隣でこうしていられる。生前、こういうことにすごく憧れていたんです」
「そうだったのか」
そこで俺はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「前に……俺の机で何か書いている時あっただろ? あの時、あそこで何書いていたんだ?」
一番最初に陽向のことを見た時のことだ。
あの時は本当にびっくりした。
「……手紙ですよ」
「手紙? 誰に?」
訊ね返すと陽向は空を見上げた。
夕陽でオレンジ色に染まった空。そよそよとふく風が少しずつ夜を運んできていた。
「――私の事を、見つけてくれた人にです」
そう言って陽向はポケットの中から綺麗に折りたたまれた便箋を取り出した。
「陽影さん。幽霊はどうしてこの世にいられるか……知っていますか?」
知らない。と、俺は首を振る。
「この世に未練があるからですよ。未練があるから、この世に残っているんです。未練が無くなれば――幽霊はこの世にいる意味がなくなる。そして私の未練は――」
「――恋が出来なかった。ってことなんです」
陽向は笑う。
けどその笑顔は先ほどまでの明るいものとは違う。悲しい色が満ちた儚い笑顔だった。
どくん、どくん――と、心臓の鼓動が突然加速する。
幽霊は未練があるからこの世に残っている。
未練が無くなったら、この世にいる意味がなくなる。
「ひ、陽向……お前、まさか……」
「……」
答えない。
答えない代わりにもう一度弱々しく笑った。
未練がなくなった幽霊がどうなるか――そんなの、答えは一つしかない。
「……消えてしまうのか?」
恋が出来なかった――その未練が無くなった今、考えられる可能性なんてそれしかない。
ビクンと、陽向の小さな身体が跳ねる。答えはそれだけで十分だった。
「陽向――ッ」
俺は陽向の元へ駆け寄り、その身体を強く抱きしめる。消えないでほしい。そんな願いを込めて強く強く抱きしめる。
陽向のほうも俺の背中に手を回して抱きしめてきた。
「私も、消えたくないです……! もっと……もっともっと! 陽影さんと一緒にいたい……! けど、分かるんです。もう……この世にはいられないって」
この細い腕のどこにそんな力があるのかと思ってしまうほど強い力で俺のことを抱きしめる陽向。
「未練が無くなれば――恋が出来ればいいと思ってた……。だから……だから!」
陽向が顔を上げる。
瞳から溢れた涙はとめどなく頬を伝って流れ落ちる。
「お別れが……好きな人と離れ離れになるのが、こんなにも悲しいなんて……知らなかった……! 知りたくなかった!!」
「陽向……!」
ふと、腕の中の感覚が薄くなったような気がした。微かに感じていた温かさも、少しずつ感じなくなっていた。
俺はハッとなって陽向の身体を見る。
「陽向……身体が……」
文字通り薄くなっていた。
消える前兆なのだろうか。無機質なアスファルトの地面が透けて見えていた。
自分の体の異変に陽向も気づいたらしく、泣いて赤くなった目をゴシゴシと擦る。
そして再び俺を見た。
「陽向……」
その瞳には悲しい色は無かった。
覚悟を決めた――真っ直ぐな瞳は、俺のことをしっかりと見据えていた。
「陽影さん……私、陽影さんのこと大好きです。愛しています」
真剣な言葉だった。
なら俺もいつまでも悲しんでいるわけにはいかない。前を向かないといけない。
「愛してる、陽向。俺はお前に会えて幸せだ」
そうするのが当たり前というように、俺と陽向はキスをした。
「……んっ」
涙の味がするキス。
とても悲しい味だ。けど、もう俺は泣かない。
先ほどから陽向の身体は震えていた。泣くのを必死に堪えているのだ。だから俺が泣くわけにはいかないんだ。
「陽影さん……」
唇を離して見つめ合う。
もう後ろが完全に見えてしまうほど陽向の身体は透けていた。
「これを……受け取ってください」
もうほとんど見えていない右手を持ち上げる。
そのには先ほどの便箋がしっかりと握られていた。
俺は便箋を受け取る。
「お前の気持ち、しっかりと受け取った」
「ありがとうございます……陽影さん」
陽向が微笑む。
俺の大好きな人の――最期の笑顔。
「陽影さん、私のことを見つけてくれて――本当に、ありがとうございます。あなたのおかげで、私は恋を知ることができた」
笑顔を崩さないまま、陽向は言葉を続ける。
「人を好きになること。人を愛すること。陽影さんと出逢えたからこそ知ることができた。感謝してもしきれません……。本当に……本当に、ありがとうございました――」
一陣の風が俺と陽向の間を通り抜ける。
その瞬間、陽向の姿が揺らめいた。
「――大好きです、陽影」
そして夜の帳が屋上に降りると同時に――陽向の姿は消えた。
目の前にはもう何も無い。愛した人の姿はそこにはもう無かった。
「ははっ……最後の最後で呼び捨てかよ……バカ……野郎」
堪えていた想いが涙になって溢れてくる。
好きだった。大好きだった――愛していた。
様々な感情がこぼれ落ちる。
けど、いつまでも立ち止まってはいられない。人は前に進まないといけないんだ。
「……じゃあな、陽向。俺もお前のことが……大好きだ」
涙を拭いさり、俺は前に進む為の一歩を踏み出した。
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拝啓、この手紙を読んでくれてるあなた。
あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世から消えていなくなっているかと思います。
そして、この手紙を読んでいるということは、あなたはきっと私の恋人なんだと思います。
私が幽霊になったのは、恋をしたかった。という未練があったからです。
ようするに、恋をすれば私はこの世からいなくなってしまうのです。
これを読んでいるあなたは私のことをきっと好きになってくれたんでしょう。
心の底から感謝しています。
私も大好きになれる人に出会えて幸せでした。
だから、どうかお願いします。
私のことは忘れてください。
もういなくなってしまった私のことなんて忘れて、新しい恋をしてください。
そしてその恋した人をずっと、ずっと、命のある限り支えてあげてください。
なんて、私は何を書いているんでしょうね。
我ながら笑ってしまいます。
でも、この気持ちに嘘偽りはありません。
私はあなたの幸せを心の底から願っています。
しんみりさせちゃいましたね、ごめんなさい。
手紙を書くというのは幽霊の私にとって結構神経使うものなので、そろそろ締めたいと思います。
締める。と言っても、具体的にどういう風にすればいいのか分からないので、とりあえず言いたいことを言わせてもらいたいと思います。
私の言いたいことはたった一つ。
この手紙を読んでくれてるあなたに、私の大好きなあなたに贈る最後のメッセージです。
私を見つけてくれてありがとう。
私の声を聞いてくれてありがとう。
私と一緒にいてくれてありがとう。
そして何より――
私を好きになってくれて――ありがとう。
言いたいことは以上です。
それではさようなら、私の大好きな人。
あなたの未来が、いつまでも光り輝いていることを、私は願っています。
End
如何でしたか?
楽しんでいただけたのなら嬉しい限りです。
幽霊との恋愛はお別れパターンが多いですよね。すごく悲しいです。
めっちゃ落ち込みながら執筆していました……w
それではまた機会がありましたらお会いしましょう。
この度は最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。